外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

惜敗! 日本文理

2009-08-24 15:36:38 | 大学野球
甲子園決勝戦で、日本文理が中京大中京に、9対10で敗れました。

私はテレビ観戦していましたが、日本文理は投手・堂林くんの攻略に成功したものの、打者・堂林くんには力負けしてしまったという印象です。

日本文理は、早稲田の大先輩・大井さんが監督を務めていらっしゃるのに加えて、同校の卒業生で昨年度の早大の新人監督であった海津くんも、臨時コーチとしてチームに帯同していると聞いていました。

したがって、個人的には完全に日本文理の応援団の一人という気持ちでテレビの前に座っていただけに、本当に残念です。

とにもかくにも、中京大中京も鍛え抜かれた素晴らしいチームでしたし、日本文理の最後の最後まで諦めない驚異の粘りも、見事というほかはありません。

ここは両校の健闘に対して最大級の賞賛の拍手を送りたいと思います。

奥島さんの講評も実に味がありましたね。
スポーツをこよなく愛されている奥島さんならではの内容でした。


さあ、大学野球ファンとしての次の関心事は、両校の選手たちの進路です。
甲子園で優勝・準優勝という勲章を得た彼らですから、大学進学を希望する場合には大きなアドバンテージとなります。

一人でも多くの選手が東京六大学でのプレーを目指してくれることを、ファンの一人として期待するばかりです。
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都市対抗野球

2009-08-23 19:43:30 | 大学野球
松山から戻ってきて、東京ドームで都市対抗野球を観戦しました。

トヨタの佐竹・大谷・田中幸長、新日本石油の前田将樹・山岡・泉・前橋らの元気な姿を見ながら飲むビールの美味しさは格別です。

写真は、三菱自動車岡崎の主将として参加している小林崇人くん(比叡山高校-早稲田)
東京ドームの入口付近に掲示してある参加チームの紹介ボードの中から見つけました。

学生時代は、野村監督に鍛えられながら、山岡くんと激しい正捕手争いを繰り広げた小林くん。
今や二人とも所属チームの中核です。

将来は、同じ捕手出身の野村さんのように、後輩を鍛える立場になっていく二人だと期待しています。


今日の東京ドームには、小田さん(ヤクルト)、織田さん(巨人)、大渕さん(日本ハム)といった早大OBのスカウトさんたちもいらっしゃいました。
彼らの目に、後輩たちの活躍がどのように映ったのか、聞いてみたいところですね。
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早慶戦 野球王国沸く

2009-08-23 08:52:50 | 大学野球
今朝の愛媛新聞に、「早慶戦 野球王国沸く」と昨日の試合が紹介されています。
約1万2千人の入場者があったとか。

さすが愛媛新聞。
ご当地選手の梶本(西条)、宇高(今治西)が三塁で顔合わせした場面をちゃんと撮っています。

捻挫や体調不良で、予定されていたご当地選手の何名かが欠場したのは残念でしたが、地元出身の選手たちのプレーに対する温かい拍手と歓声が、何とも言えない球場の雰囲気でしたよ。

なお、現地ではラジオで実況放送があり、解説は、三谷さん(投手。今治西-早大-プリンスホテル)。
彼は、現在は郷里のホテルで支配人をされているそうです。


私は、ネット裏で、池田高校出身の江上くん、済美高校出身の甘井くんらの野球部OBと再会することができました。

また、オフ会仲間のaki_felixさん、神宮の杜の主さんにもお会いしました。

そして宿泊先のホテルでも、新田高校出身の野球部OB・亀田先輩と一緒となりました。
朝食を同じテーブルでとらせていただいたら、亀田先輩の幼少期や高校時代の松山の街並みや野球事情の話に花が咲き、危うく飛行機に乗り遅れるところでした
(;^_^A
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全早慶戦のスタメン

2009-08-22 17:40:08 | 大学野球
DH生島
5宇高
9土生
7山田
3原
2杉山
4松永
8小島
6後藤
P日野

4漆畑
7山本
8伊藤
5梶本
DH今福
3高尾
9小山
2伊場
6渕上
P田中
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済美高校

2009-08-22 15:52:33 | 大学野球
今治から松山にトンボ返りして、次に済美高校を訪問いたしました。

松山市の中心部に位置する済美高校。
でも、グラウンドは校舎から10キロ余り離れたところにあり、下級生は自転車で毎日移動。三年生だけは監督が運転するバスに乗ることができると、タクシーの運転手さんが話してくれました。

元々は女子校で野球部の歴史は長くはないのですが、名門・宇和島東高校を長年指導された名将・上甲監督が移られてから、あれよあれよというまに強豪校の仲間入りを果たし、エース福井(早大3年)、斬込隊長・甘井(早大卒)、四番・鵜久森(プロ)という強力チームで選抜優勝、夏準優勝という偉業を成し遂げました。

宇和島東で一年生の時に上甲監督から指導を受けた田中幸長くんに、かつて「上甲さんは、どんな監督さんだったの?」と尋ねたところ、「早稲田の野村さんの10倍ぐらい怖い」との返答。
同じ質問を甘井くんにしたら「怖くて、怖くて、何を言われても、ハイ、ハイと答えることしか出来ませんでした」ということでしたから、短期間のうちにチームを全国の頂点へと導く監督さんの物凄さ、厳しさが私にも分かりました。

済美高校HP
今日は、済美と岩国高校との練習試合が行なわれていました。(写真)。
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松山商業

2009-08-22 15:47:35 | 大学野球
愛媛県の、というよりも、日本の野球の歴史に輝かしい数々の記録を残してきた松山商業。
野球殿堂入りをされている名将・名選手の人数で、全国の高校で堂々の第一位という、名門中の名門です。

早稲田関係では、何といっても名将の誉れ高い森茂雄さん。

1930年度の早大主将で何と監督も代行。
終戦直後の1946年には東京帝大の監督となって、東大をリーグ二位へと導き、翌1947年から1957年まで早稲田の監督を務められて、9回のリーグ優勝を達成されました。

早稲田では、荒川博さん、広岡達朗さんらのサムライを育て、プロでも阪神や大洋で監督を務められた方です。


最近の松山商業出身者では、早稲田の主将で近鉄でも活躍した水口選手。
松山商業でも主将であった彼は、夏の甲子園でチームを準優勝へと導き、個人でも、今も破られていない甲子園最多安打の記録を残しました。
早稲田には、人間科学部一期生として入学。
当時、低迷していた早稲田スポーツに喝を入れてくれた大功労者の一人でして、人間科学部の同期には、ラグビー部の堀越・今泉、バレーボール部の堀江陽子(ヨーコ・ゼッターランド)がいました。

松山商業HP


松山商業のグラウンドに行きましたが、残念ながら今日の練習は終わっていました。(写真)
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今治西高校

2009-08-22 13:35:39 | 大学野球
松山駅から在来線の特急しおかぜに飛び乗って今治駅に移動しました。

「瀬戸の花嫁」のオルゴールが流れる松山駅を発ち、「新来島どっく」「ポンジュース」の工場など、いかにも愛媛らしい風景を眺めながら、35分余りで到着する距離です。

久しぶりに、単線の特急列車に乗りました。
左右から建物や電柱が迫ってくる狭い間を、それも海岸線の連続カーブを結構な速度で走り抜けるので、かなりスピード感があります。
江ノ電とは大違い
(;^_^A


今治駅に着いて、さっそく向かったのは今治西高校。

今治西といえば、私の先輩では矢野投手、一学年下に宇佐美二塁手、その後は三谷投手、藤井投手、そして現役には宇高くんが卒業している、早稲田の野球部とも深い縁のある伝統校です。

最も多くの思い出があるのは、後に今治西の監督も務めた宇佐美二塁手ですね。
早稲田では、元阪神の岡田彰布が主将。岡田、有賀、島貫と三人プロ入りした強力な学年の一員。
ちなみに、その学年の学生コーチで鬼の新人監督だったのが、現在は福岡大大濠高校監督の中野さん。現役の大石くんの恩師です。

宇佐美さんは学生時代にはガリガリの細身でしたが、テレビなどで最近見ると、随分と恰幅が良くなりましたね。
今夜の早慶戦にも、お見えになるでしょうか。

さて、今治西の正門に実際に立ってみると、野球部やボート部など、運動各部の輝かしい戦歴を刻んだ石碑があり、さすがの風格が漂っていましたよ。

校舎の向こうから響いてくる球音に誘われて野球グラウンドに行ったら、今治西と松山北の練習試合が行なわれていました。

そして、ダッグアウトの裏に金色のプレートが。
「寄贈 昭和49年2月」と記されたプレートには、寄贈者として、昭和48年度の野球部員の氏名(その中には、上記の宇佐美秀文さん、そして宇高くんのお父上・隆さんのお名前も)
そして「早稲田大学投手 矢野暢生」と、矢野さんのお名前も並んで刻まれていました。
今治まで足を運んだ甲斐がありました。

今治西高校HP

そして、ちょうどお昼時だったので、地元で評判のうどん屋さん「かま福」で食事しました。

四国はうどんの本場。
決して、お隣・香川県の讃岐うどんばかりではなく、今治のうどんもレベルが高い。

おでんを食べながらビールを一杯飲んで、汗が引いてきた頃に、このお店には今治西の野球部員も来るんですかと、ご主人に聞きました。すると、

「学年によって違うけれど、最近では宇高くんの学年が良く来てくれたよ」
「最近の学年では、宇高くんは飛び抜けて優れた主将だった」
私が早稲田OBだと自己紹介すると、
「私らは、宇高くんは早稲田でも主将になるんじゃないかと噂してます」
「次に宇高くんに会ったら、絶対に主将になれよと、うどん屋のオヤジが言っていたと伝えてください。」
藤井投手の話題も出てきました。

こんな会話を楽しみながら食べた「おろしふっかけうどん」。
美味しいに決まっていますね!
食べログ_かま福_携帯用

食べログ_かま福_パソコン用
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レセプション参加を中止

2009-08-21 18:23:01 | 大学野球
早稲田の野球部員たちは無事に松山に到着しましたが、インフルエンザ対策のために、予定されていた歓迎レセプションへの参加は中止。
部員たちは宿舎から外出禁止となりました。

ご準備されていた地元の稲門会の方々は、さぞ残念に思っていらっしゃることでしょう。

でも、今回ばかりは、試合か無事に行なわれたら良しとせねばなりませんね。

選手の皆さんには、明日の試合で良いプレーを披露して、今日の分まで地元の方々のご期待に応えてもらいましょう。
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紫電改のタカ

2009-08-21 11:17:48 | 映画、テレビ、漫画
明日の土曜日にオール早慶戦が行なわれる松山。

松山といえば、ベースボールを「野球」と訳した正岡子規、そして数多くの野球殿堂入り選手を生んだ、日本野球の歴史を語る上で欠かせない街。

そして、松山といわれて、私がもう一つ思い浮かべるのが、ちばてつやさんの漫画「紫電改のタカ」。
昭和38年から40年にかけて、少年マガジンに連載されていました。
電子書籍「紫電改のタカ」

主人公は、松山出身の海軍飛行兵で、新鋭戦闘機・紫電と、その改良型である紫電改(写真)を自在に操る少年撃墜王・滝城太郎。

ストーリーは、滝城太郎が台湾、孤島の秘密基地、松山などを舞台に大活躍するも、最後は、終戦を目前にして特攻隊員として散るという悲しいエンディングでした。

なお、史実においても、昭和19年に、松山に343空という紫電改の戦闘機部隊が配置されています。
司令官は、真珠湾攻撃の航空参謀であった源田実さん。

「紫電改のタカ」で、記憶に残る数々の名場面の中でも、幼なじみの女の子と語らいながら、松山城から松山の街並みを眺めて束の間の穏やかな時間を過ごす場面があって、それが特に印象的でありました。
確か、その場面では、空に月が昇っていたように思います。


恐らく主人公の名前のヒントとなっている早逝した天才作曲家の瀧廉太郎、そして彼の代表作である「荒城の月」が描く情景。

そんな様々なイメージが重なりあって、読んでから40年経過した今も、松山城の石垣に腰掛ける滝城太郎の姿を、思い浮かべます。

そして、滝が特攻隊として出撃したことを知らずに、彼の大好物おはぎを抱えて汽車で基地に面会に向かう、幼なじみの信子の明るい笑顔で終わる最終回。
小学三年生の子供だった私でさえ感情移入してしまい、ひどく悲しい気持ちになったことも忘れられません。

明日のオール早慶戦は、午後6時開始のナイトゲーム。
松山の月とお城に見守られながら、早慶戦を応援してまいります。
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青学大に完封負け

2009-08-20 15:20:30 | 大学野球
青学の先発左腕・垣ケ原投手(二年、帝京)に完封負けしました。

早稲田は、松永くん、杉山くんのバットが良く振れていますが、他の打者は、垣ケ原くんの緩急をつけた投球に翻弄されて手が出ず。

投手では、三番手の大西くん(3年)の投球が良かったと思います。

まあ、今日は相手の投手が良すぎました。
次に期待いたしましょう。

なお今日は、ネット裏に佐竹、大谷、田中幸長(いずれもトヨタ)、須田(JFE東日本。ホンダの補強)の都市対抗出場組が現れました。

幸長くんが「僕らは日曜日の午後から試合です。ayさん、松山から帰ってきたら、羽田から、その足で東京ドームに応援に来て下さい」と言うので、応援に行くことを約束してしまいました。
(;^_^A

ちなみに須田くんは、「僕らは土曜日に試合です…」と残念がっていました。
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