外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

月間予定

2012-05-01 21:54:35 | 大学野球
連休の狭間の二日間。
融資関係の月次報告書が数多くあるために、私は休むわけにはいきません。
しかし、他の部門では休暇を取るスタッフがかなりいました。
このために、定例会議の多くがキャンセルとなり、個人的には予想外に仕事がはかどりました。

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月初は、向こう一ヶ月間の業務予定を組む時期でもあります。

私の場合、報告書、会議、出張、研修などを順番にカレンダーに落としていきます。

その過程で、予想される業務量などを見積もっていくわけですが、頭の中では、
「この土日は、天王山の早法戦だな。月曜日までズレ込むかも知れないぞ」
「この週末は、早明戦か。明治ナインは、相手が早稲田となると特に燃えるからなあ」
などと、全く仕事に関係のないことを考えながら、パソコンに向かっているわけです。
そんなことを、周囲のスタッフが知る由もなし…
(;^_^A

そんな作業と熟慮の結果、少し気が早いのですが、6月4日(月曜日)の休暇申請を済ませました。
もちろん、早慶戦が月曜日にズレ込んだ場合に備えると同時に、優勝パレードをも視野に入れた休暇申請です。

私の組む業務予定は常に的確だと職場では定評があります。
早稲田を応援するファンの皆様におかれても、準備を抜かりなくお願い致します。
(^^)v

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さて、私は1955年(昭和30年)生まれ。

もし誕生日を選べるとしたら、1935年(昭和10年)の辺りに私は生まれたかったです。

何故ならば、東京六大学野球の黄金時代、そしてジャズの黄金時代を、二十歳前後で経験できる計算となるからです。

早稲田:木村保、明治:秋山、慶応:藤田、立教:杉浦…
そんな大エースたちが腕を競う時代の神宮球場に毎週通うことができたら、どんなに楽しかったことでしょうか。
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同様に、この時期はジャズの黄金時代でした。
シンセサイザーもエフェクターも存在しない状況でしたが、ジャズの巨人たちは個性的かつ粋な演奏を当たり前のような披露していました。

こんな時代のニューヨークに行きたかったです。
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そんな時代のオスカー・ピーターソン・トリオの画像をご紹介します。
今から50年以上も前の画像ですが、オスカー・ピーターソン(pf)、レイ・ブラウン(b)、そしてハーブ・エリス(g)の名手3人が、電気的な効果なしでも、実にカラフルなサウンドを聴かせてくれます。
携帯用リンク
パソコン用リンク
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最後に、先のセンバツで、始球式に登板した中学生球児の1人の文章を紹介させていただきます。

登板した際、四方八方に礼をする彼の姿が、とても印象的であったそうです。

既に「お友達」にはお知らせしたものですが、東日本大震災と原発事故の問題が、いまだに現在進行形であることを皆様と再確認するために、このブログでも紹介させていただきます。

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『始球式への思い』

僕の家は、福島原発から南へ約10キロの富岡町にあります。

3月11日は、家族みんな無事に過ごせましたが、翌朝に家を出てから一度も帰宅できず、相模原の親戚にお世話になった後に、4月1日から、いわき市で避難生活を送っています。

突然の避難生活で、不安な毎日が続きましたが、小学一年生からやっている野球が、すぐにたくさんの仲間と結びつけてくれました。

昨年の夏、体調を崩してしまい、思うように野球ができなかった時も、家族やたくさんの人たちの支えで、乗り越えることができました。
今、人は1人では生きていけない、人の支えがあって生きているんだにと強く感じています。

福島県も全国の方々にささえられています。
福島県では、震災で直接被害に遭われた方、目に見えない放射能や風評被害との闘いなど、皆が懸命に頑張っています。
それでも、本当の復興には、長い年月が必要なのかも知れません。
今の僕に出来ることは、精一杯の元気な姿を皆さんに見てもらうことだと思います。

今回の始球式の話をいただいた時、驚きのあまり、その晩は眠れませんでした。
そして、良く考えてみると、全国の皆様に、感謝の気持ちを伝える絶好の機会だと思いました。

この始球式は、僕にとって一生忘れることのできない大舞台です。
全国の皆様の温かいご支援への感謝と、地元福島にあの笑顔が必ず戻ってくることを願って、全力投球します。

僕の夢は、福島県の高校球児として甲子園でプレーすることです。
Comments (5)
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