昨夜、四年生部員の1人からメールをもらいました。
「就活も、ほぼ終わりました。あとは野球を頑張ります。」
就活のために春の練習を欠席しがちだった彼は、早立戦のベンチから外れて、スタンドで観戦していました。
でも、これからは再びベンチ入りを狙って、練習に全力で取り組みことができそうです。
いま、四年生たちの就職活動がたけなわです。
卒業後も野球を続ける者、野球も卒業する者、
選ぶ道は様々で、まだ進路について悩みや不安を抱えている者もいます。
率直に言えば、現在の彼らが持ち得ている情報と経験は、限られています。
しかし、どこかの時点で「エイヤッ!」と決断するしかありません。
それも人生です。
彼らなりに精一杯の活動をしたあとは、ぜひ悔いの残らない決断を、適切なタイミングで下してもらいたいです。
さて、決断といえば、平沼赳夫さん、与謝野馨さんたちが大きな決断を下して、『たちあがれ日本』という名の政党を立ち上げました。
このところ、政治のニュースをあまり熱心にはフォローしていなかった私ですが、その党名を耳にして、すぐに『これは石原慎太郎さんが絡んでいるな』と感じました。
語感が『新銀行東京』、『首都大学東京』と全く同じように思えたからです。
ご本人たちは新鮮な党名だとお考えなのかもしれませんが、私個人の第一印象は「またか」
正直なところ、ワンパターンの発想による陳腐なネーミングとしか思えませんでした。
新銀行東京はBNPパリバ信託銀行のライセンスを購入して立ち上げられた銀行、かたや首都大学東京は、東京都立大学などの都立学校4校が統合されて立ち上げられましたわけですが、どちらも、なかなか期待通りの結果に結びついていないようです。
新銀行東京は、中小企業融資の推進でつまづいているようですし、首都大学東京の略称は『クビダイ』なのだそうで、教職員の中には『石原都知事の言うことを聞かない奴は首だい』と自嘲気味に語る人もいるとか。
東横線の学芸大学駅近くで育った私は、かつての都立大学の学園祭に、駒沢通りから柿ノ木坂交差点を左折して、自転車で遊びに行ったり、都立大学の学生さんが教育実習で私の中学校にやってきたりしていたので、とても親近感のある大学でした。
ですから、クビダイというエピソードは、可笑しいというよりも、悲しい気持ちの方が先にたってしまいます。
学校というのは、その校名と共に、数え切れない思い出や誇りと共に、多くの人の心の中に刻み込まれて、心のふるさととして、生涯を通して大切な存在となるべきものです。
ですから、税金で運営されている学校とはいっても、お役人の都合で、校名などを簡単にいじくられるべきものではありません。
都立高校の悪名高き学校群制度もそうですが、お役人の思いつきに引っ掻き回されてしまうと、それまで培われた伝統や校風が失われたりして、ロクなことがありません。
私学であっても、例えば早稲田実業が、国分寺移転の際に校名を変更していたら、現在のように幅広いファン層が維持できていたかどうかは分かりません。
石原さんは、結果的に数多くの都立大学の卒業生から心のふるさとを奪い、多くの学生に妙な校名を生涯押しつけようとしているように私には見えます。
石原さんの在任中は誰も言い出せないのかもしれませんが、銀行も大学も、然るべき時にオーソドックスな名称に変更すべきだと私は思っています。
もし「一橋大学を、商科大学小平・国立と改称しませんか」と提案したら、石原さんは「君たちは何も分かっていない」と、烈火の如く怒ることでしょう。
そんな恨み辛みもありまして、政策と全く関係ない切り口で党名に文句をつけるというのは申し訳ないですが、個人的にはあの党名が好きになれません。
平沼さんや与謝野さんは立派な方々で、個人的には尊敬しているんです。
石原さんに命名された新党が、銀行や大学のように苦労することがないよう、健康に留意いただきながら、ご健闘を祈るばかりです。
「就活も、ほぼ終わりました。あとは野球を頑張ります。」
就活のために春の練習を欠席しがちだった彼は、早立戦のベンチから外れて、スタンドで観戦していました。
でも、これからは再びベンチ入りを狙って、練習に全力で取り組みことができそうです。
いま、四年生たちの就職活動がたけなわです。
卒業後も野球を続ける者、野球も卒業する者、
選ぶ道は様々で、まだ進路について悩みや不安を抱えている者もいます。
率直に言えば、現在の彼らが持ち得ている情報と経験は、限られています。
しかし、どこかの時点で「エイヤッ!」と決断するしかありません。
それも人生です。
彼らなりに精一杯の活動をしたあとは、ぜひ悔いの残らない決断を、適切なタイミングで下してもらいたいです。
さて、決断といえば、平沼赳夫さん、与謝野馨さんたちが大きな決断を下して、『たちあがれ日本』という名の政党を立ち上げました。
このところ、政治のニュースをあまり熱心にはフォローしていなかった私ですが、その党名を耳にして、すぐに『これは石原慎太郎さんが絡んでいるな』と感じました。
語感が『新銀行東京』、『首都大学東京』と全く同じように思えたからです。
ご本人たちは新鮮な党名だとお考えなのかもしれませんが、私個人の第一印象は「またか」
正直なところ、ワンパターンの発想による陳腐なネーミングとしか思えませんでした。
新銀行東京はBNPパリバ信託銀行のライセンスを購入して立ち上げられた銀行、かたや首都大学東京は、東京都立大学などの都立学校4校が統合されて立ち上げられましたわけですが、どちらも、なかなか期待通りの結果に結びついていないようです。
新銀行東京は、中小企業融資の推進でつまづいているようですし、首都大学東京の略称は『クビダイ』なのだそうで、教職員の中には『石原都知事の言うことを聞かない奴は首だい』と自嘲気味に語る人もいるとか。
東横線の学芸大学駅近くで育った私は、かつての都立大学の学園祭に、駒沢通りから柿ノ木坂交差点を左折して、自転車で遊びに行ったり、都立大学の学生さんが教育実習で私の中学校にやってきたりしていたので、とても親近感のある大学でした。
ですから、クビダイというエピソードは、可笑しいというよりも、悲しい気持ちの方が先にたってしまいます。
学校というのは、その校名と共に、数え切れない思い出や誇りと共に、多くの人の心の中に刻み込まれて、心のふるさととして、生涯を通して大切な存在となるべきものです。
ですから、税金で運営されている学校とはいっても、お役人の都合で、校名などを簡単にいじくられるべきものではありません。
都立高校の悪名高き学校群制度もそうですが、お役人の思いつきに引っ掻き回されてしまうと、それまで培われた伝統や校風が失われたりして、ロクなことがありません。
私学であっても、例えば早稲田実業が、国分寺移転の際に校名を変更していたら、現在のように幅広いファン層が維持できていたかどうかは分かりません。
石原さんは、結果的に数多くの都立大学の卒業生から心のふるさとを奪い、多くの学生に妙な校名を生涯押しつけようとしているように私には見えます。
石原さんの在任中は誰も言い出せないのかもしれませんが、銀行も大学も、然るべき時にオーソドックスな名称に変更すべきだと私は思っています。
もし「一橋大学を、商科大学小平・国立と改称しませんか」と提案したら、石原さんは「君たちは何も分かっていない」と、烈火の如く怒ることでしょう。
そんな恨み辛みもありまして、政策と全く関係ない切り口で党名に文句をつけるというのは申し訳ないですが、個人的にはあの党名が好きになれません。
平沼さんや与謝野さんは立派な方々で、個人的には尊敬しているんです。
石原さんに命名された新党が、銀行や大学のように苦労することがないよう、健康に留意いただきながら、ご健闘を祈るばかりです。