外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

マラソンの神髄

2010-01-17 17:23:17 | 大学駅伝
箱根駅伝が終わり、瀬古利彦さんの楽しい喋りも次のシーズンまでお預けとなりました。

瀬古利彦さんは、1976年(昭和51年)に早稲田に入学しましたから、私の一学年下。
大学三年生の時に福岡マラソンで優勝して、瀬古選手は一気に国民的ヒーローとなりました。

「マラソンの神髄」(ベースボールマガジン社、1600円)は、その瀬古さん自身が数年前に書いた本。

巨人の星に憧れて野球少年だった中学時代、肩を壊したために野球を諦めて陸上競技を始めた高校時代、そして一浪して入学した早稲田で中村監督に鍛えられて世界レベルの長距離ランナーになるまでの経緯と練習方法と"走りの哲学"などが書かれています。

四日市工業高校時代、瀬古選手はインターハイ800mと1500mで二連覇、5000mで中村孝生選手(前橋工業-日体大-エスビー食品)に敗れて二位。

全国高校駅伝では三年連続で花の一区を走ったということで、高校時代からバリバリの長距離ランナーという印象がありますが、高校時代はむしろ中距離の第一人者だったといえるかも知れません。
大学一年生の時に出場した京都マラソンが初マラソン。2時間26分だったそうです。

当時の競走部は、神宮外苑の周遊道路を練習場所にしていたので、私も彼らの練習風景を何度も見かけました。
ストイックな雰囲気が漂っていました。

しかし、下級生時代の瀬古さんの練習量は、現在の高校生ランナーたちよりも少なかったそうで、雑誌に載った宗兄弟(旭化成)の練習メニューを見てショックを受けたという学生時代のエピソードもあります。

それでも瀬古さんをはじめ、多くの一流ランナーを当時の早稲田は育てました。
各選手の練習メニューと練習量は、週単位で中村監督と相談して決めていたそうですから、中村監督が選手たちの力量や体調を完璧に把握して的確な指導をされていたということでしょう。

今年の競走部の課題は、豊かな素質を持ちながらも伸び悩んでいる選手たちを開花させること。
渡辺監督と瀬古さんの手腕に大いに期待いたしましょう。

ところで今日の夕方、BS朝日を観ていたら、久米宏さんと田中眞紀子が出演されて、昭和40年代の東京都内の空からの映像を眺める番組「TOKYO/空の下」が流れていました。

その映像の中には、久米さん/眞紀子さんのコンビらしく、早稲田大学のキャンパス(かつての8号館があり、法研、10号館が建築中)、安部球場(部員がグラウンド整備中の姿)、ビルになる前の三朝庵、穴八幡の境内などがありました。

白黒映像でしたが、間違いなく私が過ごした早稲田界隈の空気が画面から伝わってきました。


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