アメトリンの日々

ちょっとした空想話です。^^

みわけがつかなかったひとたち

2021年03月09日 13時18分01秒 | 日記
 今日は晴れています。


       ところで、いろんなことに、見分けがついたほうが良い場面というのはよくあったりしますが、買い物をするにしても、あったりします。


     社会人として、立派に自立していても、ここらへんは頼りないひとたちというのはいて、知り合いの話ですが、良いひとと、良くないひとの、見分けがまるで、まったくついてないひとというのが、いたりするのでした。


    このひとは、良いひとだよ。と、紹介されたひとが、あれ。と思うひとで、ひとを信じやすい知人が目をそらした時に、ほくそ笑むような、顔つきをしているようなことがあったりして、このような感じは、見分けがついたほうが良いのではないのかなと、思ったのでした。



      よく、不倫しやすいひととか、貢ぎやすいひととか、その感じが好きな男性から見ると、一発でわかるそうですが、そのような、打算で近づいてくるひとの、見分けもついたほうが、よいのではと、たまに思ったりするのでした。



     私は、しっかりしてると、自分ではいっていても、毎日のニュースも見ているし、新聞も読んでいる。時勢には、くわしいほうだ。と、思っているうちの親などをみていると、コロッとだまされている感があって、情報をただしたほうが良いのか。ほっとくべきか。と、時々思ったりするのですが、ワクチンなどの、身近にせまる危機などは、正したりしますが、あとは、ほっとくことが、多かったりするのでした。


     これが、平行の、現実ですか。と、思われるほどの、報道の乖離があったりするのが、もう慣れた今の状態ですが、バランスを保っているようなので、このままで、マイルドにウソが崩壊するのを待つのがいいのかなと、思ったのでした。


    親に、情報のまちがいを指摘すると、ショックを受けたりして、混乱するので、新聞とテレビしか情報源がないひとは、おだやかにまったりと過ごすのが、正解なのかなと、思ったりしたのでした。


     私の、知人ですが、目利きはできないほうで、このひとは、立派なひとだ。肩書がすばらしい。とか、ブランドがついていると、鵜呑みにするところがあって、鳥の本物の鵜でも、飲まないようなあからさまにおかしいお話でも、信じたりすぐ、するのでした。


    画面に、良くなさそうな顔つきのえらいひとが映っても、えらいひとだと紹介されれば、良いひととのちがいはわからないようで、情報を頼りにしているようでした。


   直感というものは、働かないものなんでしょーか。と、思いましたが、わからなかったようでした。


    
       信頼できるひとと、そうではないひとの、区別はついたほうが、日常生活でもよいと思ったのですが、私の親も、もちろん、テレビの画面をみても、わからないようで、後付けの報道されるコメンテーターがいう言葉を、そのまま、コピーしているようでした。


        
        
      ところで、メーガン妃のことが、報道されていましたが、このひとは、ナチュラルに、自然体で、この方面をぶっこわしてくれるひとだと、思っていたのですが、ハリーさんはまともな感覚の持ち主で、特殊な、世界では、合わせるのがむずかしかったようでした。


      
       あっけらかんと、こわしていくタイプだと思ったのですが、権威やイメージでもっているものは、とっても軟弱なもので、こわれやすいものだと、思ったのでした。


     人々の、特別だとみとめる同意があってはじめて、なりたっているものは、たくさんありますが、アセンションや次元上昇の時代では、これまでの、価値や当たり前が、かわっていくことになったりしますが、その、切り替わりがこわいと、良く知ってなじんでいる世界が、こわれていくのが、イヤだと、感じるひとも、多かったりするようでした。


    私も、意識の切り替わりの時期は、はじめっからしっているよくできたウソだろ。昼間っからひどいユメを見ている気分。という、すばらしいアーティストさんの歌詞がありましたが、そのまま、そのような気持ちで、この歌を聞いたのでした。



      これは、足のしびれが治る時に、だんだんしびれた状態から、元の本来の状態に戻る時の感覚ににていて、痛いような、しびれが少しずつ、なくなっていくような、元に戻る状態、私は凍傷になったことはありませんが、そのような、冷たくなって凍ったような足の先が、熱い湯に入ったときのような、痛みをともなって、しびれがなくなっていくような、感覚があったりしたのでした。



        前の、世界のほうが、けっこう心地よくて好きだったのにー。と、よく、そのころに思いましたが、二度寝は許してくれない感覚で、起きたのなら、とっとと、歩き始めて、先へ進んでください。という、怒涛のようなお知らせが、連続して来たりしたのでした。

   
   スキあらば、また再び眠ってしまおう。またまどろみの世界で、のんびりしてよー。と思ったのですが、それはとても、ゴルァ!と、おこられるような、ことだったりしたようだったのでした。


    2013だったか、空に大きなホワイトドラゴンの雲が出ていて、これも、おっはよー。起きましたね。準備が、整いました。時が、来ましたよー。の、サインだったから、わかりました。と、心の中で思ったのだろうかなと、今思うと思ったのでした。