アメトリンの日々

ちょっとした空想話です。^^

百匹の猫は見てなかったひとたち

2022年05月22日 15時48分48秒 | 日記
    今日は晴れています。 快晴できもちが良いです。

    ところで、木をみて森を見ず。といった、ことわざがありましたが、これは、猫が、部屋にたとえば、百匹いるのに、たった、一匹の猫しか、集中してみえていない感じに、思ったのでした。

    百匹も、猫がいるのに、一匹しか、かわいがっていない。とか、どんなに、贅沢な、偏った愛情なのだと、思うくらいに、バランスのとれた状態ではないと、思ってしまうのでした。

    ある、ひとつのニュースをみて、それだけ、単体でみて、わかったような気になっているというのは、テレビの情報の、後付けの解説などを。鵜呑みにしていると、それが、自分の中の真実になってしまうのだろうと、思ったのでした。

   自分の中の理解を、はしょってしまうと、ひとが、解釈した、解説などをうのみにしてしまうようになりますが、これは、直感が薄れたひとが自身のセンサーが使えなくなった結果、こうなったのだろうと、思ったのでした。

    ワクチンでも、ウクライナでもそうですが、一匹の、身近に感じる猫しかみえてないひとたちは、ほかは、どんな猫がいたの。と聞いても、知らない。と、答えたり、ほかの、猫との相関図はどうなっているの。仲が良い、血のつながった猫も、いるんじゃないの。と聞いても、知らない。そんなこと。と、答えたり、するのでした。

   全体を、みてないので、単体の猫しか、みてないのですが、それで、部屋全体の構図が、わかるわけがないだろうと、思ってしまうのでした。

      日常の生活の中には、楽しいことも多いので、いちいち、細かくニュースなどを気にしているひとは、少ないかと、思ったのですが、自分の健康のリスクにかかわってくるワクチンなどの情報は、しつこいくらいに、百匹の猫の相関関係と、部屋の構図全体を、調べることくらいで、丁度良かったのでは、なかったのかなと、思ってきたのでした。


       テレビでは、ワクチンは効きますと、ウクライナは、勝っていると、テキトーだったと、いう感じの情報になっていましたが、情報が、テキトーだったと、わかったひとたちがふえただけでも、良かったのではないかなと、思ったのでした。


       木をみて森をみずの、身近にいるひとは、テレビやニュースなどの、情報がカンタンにひっくりかえされるたびごとに、覇気がなくなってくるというか、わけがわかってなかったと、おとなしくなって、いっているのでした。