朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

民数記 9章

2024年05月04日 | 民数記
民数記 9章
すなわち、2月の14日の夕暮にそれを行い、種入れぬパンと苦菜を添えて、それを食べなければならない。
(9・11)


出エジプトしてから初めての過越しの祭が行われました。毎年1月14日の夕刻に持たれる祭で、イスラエル民族にとって最も重要な祭です。彼らのアイデンティティーとなる祭です。

そもそもイスラエル暦はエジプトを出た年が元年で、エジプトを出立する時の「過越し」があった月が、1月(正月)として定められているのですから、過越祭のもつ意味の重さはお分かりでしょう。

平たく言えばお正月のお祝いです。その祝いに参加できないということは、イスラエル人ではないに等しいほど、彼らにとっては重要な祭です。正月の祭である過越祭にあずかることで、自分が何者かを確認し、イスラエル人としての誇りと使命を新たにして1年を始めるのです。

ところが、律法の定めるところによって汚れた者とされた者たちは、過越祭にあずかれなかったのです。彼らは、この恵みから漏れてしまうのでしょうか。

民の訴えによって、神は道を開いてくださいました。それが、冒頭の聖句にあるように、2月14日に祝うわけですから、1ヶ月遅れの過越祭です。祭の儀式をそのまま同じようにしたのかは不明ですが、過越しの食事にあずかり、祝福を受けたのです。

私たちもやむを得ず礼拝に参加できないことがあります。聖餐式(過越しの食事が原型)にあずかれない時があります。だからといって、神から遠ざかる者にならないでください。

求める者には1ヶ月遅れの恵みがあることをお忘れなく。

私たちの教会では夕拝もあります。火曜礼拝もあります。木曜祈祷会もあります。家庭集会もあります。何らかのかたちで御言にあずかり、イエス・キリストにつながり、恵みの中にとどまり続ける工夫ができます。


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