朝マナ

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民数記 18章

2024年05月15日 | 民数記
民数記 18章
あなたはイスラエルの人々の地の内に嗣業を持ってはならない。また彼らの内に何の分をも持ってはならない。彼らの内にあって、わたしがあなたの分であり、あなたの嗣業である。
(18・20)


アロンの杖にしるしが現れたことにより、アロンとその子らこそ祭司職であり、レビ部族が幕屋での奉仕にたずさわることが明確に示されました。そこで、改めてアロンやその子らとレビ人の立場と奉仕、並びに報酬が再確認されました。

イスラエルの各部族は約束の地カナンに入って、各部族ごとの割り当て地が定められることになるのですが、それを聖書は嗣業と呼んでいます。 ※新改訳では「相続地」。単なる相続とか報酬の意味を越えた神からの使命という意味をこめて「嗣業」と翻訳するのがよい。

しかし、レビ人は土地を嗣業とすることが禁じられました。土地はないが、神ご自身が嗣業だと言われるのです。

神に仕える働きは、地上的な価値観では割の合わないことです。見えるものにではなく、見えないものに目をそそぐという価値観が必要です。嗣業が目に見える土地ではないと不安でしょうか。でも、土地よりもすばらしいものを所有するのです。しかも、永遠に受け継ぐのです。

聖書はこう言っています。御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである(Ⅰヨハネ2・23)。御子イエスを信じる者は、〝父なる神を持っている〟のだと。こうも言われています。

すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。(Ⅱヨハネ1・9)
旧約のレビ人たち以上に、いま私たちは最高の嗣業を得ているのです。


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