朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

民数記 15章

2024年05月11日 | 民数記
民数記 15章
イスラエルの人々に命じて、代々その衣服のすその四隅にふさをつけ、そのふさを青ひもで、すその四隅につけさせなさい。
(15・38)


出エジプトした世代は荒野における40年間で死に絶え、新しい世代になって約束の地に入って行くことになるとの預言はすでに学んだとおりです。それを人々はどのように受け止めたのでしょうか。

ある人々は、自分の不信仰ゆえにカナンの地に入れなくなった愚かさを悔い改めつつ、その反省を次の世代に語り継ぎました。同じ轍を踏んではならないと教えつつ、信仰を継承しました。しかし、どうせ荒野で死ぬのだ。どうにでもなれ!と言わんばかりに、やけになった人々もあったでしょう。そんな親の元で育った次世代に、信仰は継承されたのでしょうか。

先の大失態を悔い改めて益に変えるのか、それとも更なる不信仰へと駆り立てるのか。問われています。その結果が次の16章で現れてきます。

それに先立ち15章では、同じ罪をおかす場合でも「あやまって」おかしてしまうのか、それとも「故意に」おかすのかということが取り上げられています。

「故意におかす」とは神への反逆です。そうしてはいけないと戒めています。安息日に薪を集めた者が殺されたのは、神への敵対心をむき出しにして、故意に罪をおかした事例であったと考えられます。

約束の実現が遠のいたことで、人々の心は律法を忘れがちになったことでしょう。そこで神は、律法を忘れないために、着物のすその四隅に青色の房を縫い付けるように命じられました。着物は日常的なものです。目にしない日がありません。ですから、青色の房を見る度に律法を思い出します。

新約の時代にも、私たちがイエスと共に歩むためには、着物の房に象徴されるような工夫があるとよいでしょう。毎日、御言を目にするような工夫です。毎日、祈りを意識するような工夫です。