朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

民数記 8章

2024年05月03日 | 民数記
民数記 8章
アロンはレビ人を、イスラエル人からの奉献物として主の前にささげる。これは彼らが主の奉仕をするためである。
(新改訳 8・11)


レビ人が主に仕えるために、イスラエルの民全体の中から聖別され、神のものとなったことを、すでに3章で見てきました。あらためて、ここでレビ人を聖別するための詳細が記されています。

種々の儀式やささげ物があるのですが、冒頭の聖句では、〝レビ人自身が奉献物としてささげられる〟と記されています。ここに礼拝の本質が描かれています。

新約聖書に至っては次のように述べられています。あなた方のからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなた方のなすべき霊的な礼拝である(ローマ12・1)

礼拝は、神から何かを頂戴するために集うのでしょうか。もちろん、神は私たちに恵みを与え、祝福を与え、御子イエスのみならず、万物さえもお与えになるお方です。

しかし、それと同時に、礼拝とは自分自身を神に献げることです。

礼拝のことを英語では「worship」「service」といいます。後者のサービスとは「仕える」という意味からして、礼拝とは神に仕えること。そして、仕えるために自分自身をささげることを意味します。

献身こそ最高の礼拝であることを覚えよう。


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