朝マナ

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民数記 16章

2024年05月13日 | 民数記
民数記 16章
レビの子たちよ、あなた方こそ分を越えている。
(16・7)


荒野における最も大きな混乱です。レビ人に属するコハテ族のコラを中心とする人々が、反乱をおこしたのです。総勢250人からなる反乱は、多くの民を巻き込むことになりました。

まず始めに注目すべきは、このような事態になった時、モーセは神の御前にひれ伏したことです。この16章では何度も「ひれ伏した」と記録されています(16・22、45)。また、先の反乱の時も、同様に彼はひれ伏しています(14・5)

民を鎮めるために立ち上がったり弁明する前に、まず神の御前にひれ伏すのです。相手に対して「なんだとっ!」と、烈火の如くやり合うのではなく、神の御前に謙そんであること。それが事態の収拾にあたって重要です。

さて、コラたちの反乱は、民の指導者として立てられているモーセと、大祭司として任命されているアロンの家系の者たちが、民を治めていることへの不満が理由でした。

コラはレビ人ですから幕屋で主なる神に仕える立場でした。ただ、コハテ族なので、幕屋の器具類を扱う立場であり常に祭司の補助役でした。

しかし、彼は自分の職分に不満でした。なぜアロンの家系だけが祭司職なのか。自分も祭司としての栄光ある働きをしたいと考えたのです。コラには、祭司の働きは華々しく見え、かたや自分の働きは地味で無価値なものに思えたのでしょうか。

そんなコラへの賛同者たちに、ルベン人のダタンやアビラムもいました。ルベン人はイスラエル12部族の中で長男の家系です。本来なら主導権を握るのはルベン族の我々だという自負心を満たすことのできない鬱憤もあったようです。

そんな利害関係が結びついて、イスラエルの中から多くの離反者が出ました。

カナンの地に入る約束も遠のき、荒野における旅の目的も曖昧になり、人々の歓心が神の御心ではなく自己実現であったり、肉なる野望へと移っていったのも、このような混乱を生み出した遠因でしょう。

キリスト教会もそうです。今は、天の御国へと向かう荒野の旅路であることを見失うと、教会内でつまらない肉なる争いごとをおこします。

そもそも、コラたちがおこした反乱には、サタン的な罪が背景にあります。天で神に仕えるべく天使であるのに、自分に与えられた職分に不満をいだいて、自分も神のように高く上げられようとしたのがサタンです。コラたちの言い分と同じです。

自分たちの地位職分を守ろうとせず、そのおるべき所を捨て去った御使たち(ユダ6)と聖書は言っています。サタンは自分に与えられた分を越えて高慢になった者です。

堕落とは何でしょうか。神が与えた職分を捨てることです。自分の分を越えて高ぶることです。

私たちは、人としての分を越えてはなりません。また、キリストの体の各肢体器官としての分を越えてはなりません。

神は、ある者をキリストの目、ある者をキリストの手、ある者をキリストの足として用いられます。それぞれの働きが組み合わさってキリストの体、キリストの姿になるように、私たちに各々の働きを与えてくださいました。

手が自己主張するために勝手に動き出して何の益になりますか。目が偉そうにして振る舞っても浮いてしまいます。足だからといって卑下して何もせずじっとしていますか。どれもこれも、各々の肢体器官の分を越えて混乱しているだけです。

違いがあってもその違いを認め、尊敬し、互いが組み合わさってキリストの姿をあらわすことこそ栄光ある目的です。

私たちの各自の働きが分に応じて祝され、満たされ、調和となりますように祈ります。


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