Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

奥の細道-3-

2007-10-16 06:23:37 | Weblog
奥の細道-3-                2007-10-16

前回、奥の細道は、その行間に、芭蕉の日本文学や歴史に
関する知識と蘊蓄が凝縮されていますと書きました。しかし
全編そのような訳では無く、ただ単に、書いてある文章を読
めば、その内容と文の美しさに感動する章も有ります。

深川を出て、千住、草加、室の八嶋(栃木市)と旅した芭蕉は、
日光に詣でて、有名な

    あらたうと青葉若葉の日の光

を作りました。この句は千住で詠んだ第一句

    行春や鳥啼き魚の目は泪

に続く第二句になります。室の八嶋で詠んだと言われる

    糸遊に結びつきたる煙かな

は奥の細道には採用されませんでした。3年間の推敲で外さ
れたことになります。そして日光を過ぎて那須野が原にかかり
ます。この章では故事来歴、先人の古歌などを考えずに、ただ
そこに書かれている芭蕉の文に酔い痴れることになります。

那須野

  那須の黒ばねと云ふ所に知人あれば、是より野越に
  かかりて、直道をゆかんとす。遥かに一村を見かけて
  行くに、雨降り日暮るる。
  農夫の家に一夜をかりて、明くれば又野中を行く。そこ
  に野飼の馬あり。草刈るおのこになげきよれば、野夫と
  いへどもさすがに情しらぬに非ず、「いかゞすべきや。
  されども此の野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷き旅人の
  道ふみたがえん、あやしう侍れば、此の馬のとゞまる所
  にて馬を返し給へ」と、かし待りぬ。ちいさき者ふたり、
  馬の跡したひてはしる。独りは小姫にて、名をかさねと
  云ふ。聞きなれぬ名のやさしければ、      

     かさねとは八重撫子の名なるべし    曾良

  頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付けて馬を
  返しぬ。

Arui訳

那須の黒羽と言う所に知人がいたので、ここから那須野越え
にさしかかる。道から外れないように行こうと気を使う。遥か
向うに一つの村を見かけて歩いていくと、雨が降り、日も暮れ
てきた。そこで農夫の家に一夜の宿を借り、夜が明けてから
再び野中の道を行った。すると、そこに放し飼いの馬が居た。
草を刈っている男の人に窮状を訴えると、農夫とは言え、流石
に人の情を知らないわけではない。「さてどうしたら良いかな。
なんと言ってもこの野原は縦横に道が分かれていて、土地に
不案内の旅人では道を間違ってしまうでしょう。それが心配
です。(この馬に乗って行って)馬がとまったところで馬をお返し
下さい」と言って貸してくれた。(出発すると)小さな子供が二人、
馬の後を追いかけて走ってくる。一人は小さな女の子で、名を
かさねと言う。(田舎では)聞き慣れない優雅な名前であったの
で、曾良が一句詠んだ。

 かさねとは 八重撫子の 名なるべし(かさねとは、この女の
 子に似合う八重撫子を意味する名前であろうなぁ)

やがて人家のあるところに着いたので、馬の借り賃を鞍つぼ
に結びつけて馬を帰したのです。

見ず知らずの旅人に、宿を貸す、馬を貸す農家の人達の優しさ。
馬の後を追ってくる子供達。女の子の優雅な名前。多分に芭蕉
の創作の匂いもするのですが、美しい絵を見るような章です。
芭蕉没後50年、芭蕉の再興を図った蕪村はこの場面を絵にして
います。奥の細道画巻-那須野 逸翁美術館所蔵

http://www.bashouan.com/psBashouNe02.htm