1945年上海 2016-08-15
今日は終戦の日、私はこの日を
満7歳、国民学校1年生として、
上海の自宅で迎えた。この歳に
して既に日本は絶対に戦争には
負けない国と信じこまされてい
た。実際のところ、日本人が
戦争に負けたと知ったのは、何
時なのか。8月15日には殆どの
日本人が玉音放送を聞いて、敗
戦を知った訳だが、噂で、これ
より先に日本はもう負けたのだ
と知った人々はどれくらい居た
のだろう?
私自身は14日には知っていた。
小説家・評論家の堀田 善衛の
随筆「上海にて」町あるきから
引用:1945年8月11日のことで
あった。その日私はなにも知ら
ずに家を出た。町には青天白日
満地紅旗がちらほら見えた。・・・
中略・・・ふと通りの建物の壁を
見ると、そこにべたべたとビラ
がはってあった。
8年埋頭苦幹 一旦揚眉吐気
慶祝抗戦勝利 ・・・略ビラ18枚
今から思えばまあおろかな話で
あるが、これらのビラの文句を
見て、はじめて私はハッとした。
敗れたのだ、と知った。引用終
この時堀田氏は27歳であった。
実際には8月10日夜半、同盟通信
社の海外向け放送が、日本の
ポツダム宣言受諾を放送し、
モスクワ放送局→上海抗日地下
組織と情報が流れた。氏が恐怖
を抱いたのは、大半のビラが、
既に印刷されていたことだった
と言う。
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