天津179 5016
河西回廊-9-張掖へ
4日目、酒泉賓館を8時10分出発、張掖へ向かう。
ここまでの旅で訪問した場所で、記述漏れがあり
ました。
橋湾城
安西⇒玉門鎮の間、ゴビ(砂礫の砂漠)の中に残って
いる清代の橋湾城跡。幻の城は、忽然と姿を現した。
砂漠の真ん中に巨大な城壁。ところどころ壁が崩れ、
砂に埋もれているが、確かに存在したことが判る。
ガイドブックには約250年前、清の乾隆帝が夢の
中で見た美しい城を再現させたと書いているが、
正しくは、2代前の康熙帝(展示館で確認した)
その命により、故宮と同じ城郭を目指して建てら
れたのが橋湾城だという。
ところが、建設担当大臣が賜った金7万両のかなりの
部分を着服し、城は故宮には及びもつかなかった。
数年後別の大臣が会計検査に訪れ、その汚職が発覚
してその大臣は処刑された。彼の皮をはいで太鼓を
作り、橋湾城の櫓にぶら下げて朝晩たたかせ、彼の
頭蓋骨で杯を作ったという。両方とも展示館にあるが
太鼓は直径20cm足らず。ま、おぞましいものです。
だが、この話、現代でも聞くような気がします。
流石、中国、歴史は深いですね。
黒水城
但しこれはNHKスペシアル・シルクロード、西夏
大国カラホトのそれとは、全く別物の黒水城です。
張掖に入る手前、黒水河のほとりにある。どんな
民族が何の目的で作った城か、資料が全く無い城で、
このままだと、いずれ砂に埋もれて行くのでしょう。
ところが、我が旅行団一行には大変気にいられた
ようで、皆さん、結構色々な物(陶器の破片、レンガ)
を拾い集めておられました。
張掖
旅も後半に入り、疲れが出る頃でしょうか。この日の
予定は楽目に設定してくれて有りました。ホテルは、
張掖賓館、着いて昼食、部屋で一休みして、徒歩で
見学散策。
大仏寺
このお寺は,ホテルの裏口から出てすぐのところに
あります。ここの名物は、大きな寝釈迦で、十大弟子
の塑像もあるが、大掛かりな修復中で、その足場の
ために、良くは見ることができませんでした。大仏寺
を出た通りには骨董屋がずらりと並んでおり、我が
一行も買い物を楽しんだようです。
万寿寺木塔
1925年に再建された塔なので、もとは隋代に建てら
れたと言うことが意味があるのかよく判りません。
九層八角で木で組んであるとか。中の階段の手すりは
鉄でした。釘を使わないで出来てるそうですが、日本
の五重の塔でも聞いたことがあるような気がします。
河西回廊-9-張掖へ
4日目、酒泉賓館を8時10分出発、張掖へ向かう。
ここまでの旅で訪問した場所で、記述漏れがあり
ました。
橋湾城
安西⇒玉門鎮の間、ゴビ(砂礫の砂漠)の中に残って
いる清代の橋湾城跡。幻の城は、忽然と姿を現した。
砂漠の真ん中に巨大な城壁。ところどころ壁が崩れ、
砂に埋もれているが、確かに存在したことが判る。
ガイドブックには約250年前、清の乾隆帝が夢の
中で見た美しい城を再現させたと書いているが、
正しくは、2代前の康熙帝(展示館で確認した)
その命により、故宮と同じ城郭を目指して建てら
れたのが橋湾城だという。
ところが、建設担当大臣が賜った金7万両のかなりの
部分を着服し、城は故宮には及びもつかなかった。
数年後別の大臣が会計検査に訪れ、その汚職が発覚
してその大臣は処刑された。彼の皮をはいで太鼓を
作り、橋湾城の櫓にぶら下げて朝晩たたかせ、彼の
頭蓋骨で杯を作ったという。両方とも展示館にあるが
太鼓は直径20cm足らず。ま、おぞましいものです。
だが、この話、現代でも聞くような気がします。
流石、中国、歴史は深いですね。
黒水城
但しこれはNHKスペシアル・シルクロード、西夏
大国カラホトのそれとは、全く別物の黒水城です。
張掖に入る手前、黒水河のほとりにある。どんな
民族が何の目的で作った城か、資料が全く無い城で、
このままだと、いずれ砂に埋もれて行くのでしょう。
ところが、我が旅行団一行には大変気にいられた
ようで、皆さん、結構色々な物(陶器の破片、レンガ)
を拾い集めておられました。
張掖
旅も後半に入り、疲れが出る頃でしょうか。この日の
予定は楽目に設定してくれて有りました。ホテルは、
張掖賓館、着いて昼食、部屋で一休みして、徒歩で
見学散策。
大仏寺
このお寺は,ホテルの裏口から出てすぐのところに
あります。ここの名物は、大きな寝釈迦で、十大弟子
の塑像もあるが、大掛かりな修復中で、その足場の
ために、良くは見ることができませんでした。大仏寺
を出た通りには骨董屋がずらりと並んでおり、我が
一行も買い物を楽しんだようです。
万寿寺木塔
1925年に再建された塔なので、もとは隋代に建てら
れたと言うことが意味があるのかよく判りません。
九層八角で木で組んであるとか。中の階段の手すりは
鉄でした。釘を使わないで出来てるそうですが、日本
の五重の塔でも聞いたことがあるような気がします。
何時の時代にも、何処にでも、存在するのね!でも、
それが発覚してからの処刑の仕方が、尋常ではない
ですね!皮膚は太鼓にして朝晩叩かせた!杯にした
頭蓋骨、その杯で酒を飲んだ人?いえ!飲まされた
人居るのでしょうか?・・・
康熙帝が目指した夢は露と消えて!・・・
おぞましい物語が強調されて、後世に残された。
蘭州から武威、張掖、酒泉、嘉峪関、安西とオアシス
都市は一直線に・・・首都がカラホトの黒水城でなく、
頭の中で整理しながら、整理しきれないけれど、読んで
います。陶器の破片、私も拾い集めそうです。(笑)
中休めのゆったり時間、私も必要です。一緒に旅行
している気分に為っていますので、ぷぷ。
寝釈迦、修復中でなかったら、きっと、観光旅行者に
あちらこちら触られているのでは?って!・・・
触られる位置に?いらっしゃる?野次馬根性です。ぷぷ
そうです!何時だったか?定かでない記憶に、そうした
建築様式で建てた建物の修復作業を、テレビで見た
んですけれど、何の建物だったか思い出せない!
う~~~ん!口惜しい!・・・
確かに尋常では無いですね。頭蓋骨の杯で飲まされた
人も居るでしょうね。帝の命令だったでしょうから。
漢民族の首都は、長安です。陶器の破片もね、持って
きてしまえば、良い思い出にはなるんでしょうね。
但し、人に見せる時は、いちいち解説が必要でしょう。
寝釈迦は、触れないように柵がしてありました。
マルコポーロの時代には、きっと、触れたのでは。