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自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

10年前の天津16

2013-06-23 08:14:22 | Weblog

10年前の天津16  2003-01-02

元旦:
私の天津での元旦はトースト2枚と
コーヒーと目玉焼きで始りました。
工場は普通に動いていますし、事
務所には、休日出勤で来ている人
も、チラホラ。小母さんにも休ん
でもらわないといけないので、今
日の昼食と晩御飯は無し。

天気は良い。気温は-11度だったけ
ど、陽が差してくるにつれて、上
がってきている。とくれば、出かけ
なさいと言われているようなもの。
もう得意になった835系統のバスで
天津の街へ。

1時間30分で終点の天津広場(国鉄
駅の少し先)。前回までは日本租
界の跡を訪ねていたが、今日は自分
の好きなようにブラブラと。まず、
食事はチャーハン。何故かチャー
ファンとチャーメンは確実に通じる。
上島コーヒー(UCC)と書いた
喫茶店でコロンビアコーヒーを。
実に旨い。英語も通じる、助かっ
た。(後で聞いたら台湾の店とか)
ゆっくりと時間をつぶす。

それから歩いているうちに見つけた
床屋さんへ。てまねで刈ってくれと
頼むと、いきなり洗髪、その後バリ
カンだけで、綺麗に襟回りや生え際
をカットしてくれて、剃刀は襟回り
だけで、顔はノータッチで、終了、
12元(180円)。喋った中国語は
「謝謝」だけ。

続いて雑踏すさまじい濱江道へ。
歩行者天国も歩行者が進めないく
らい。そこで見つけた大きな書店へ、
念願の詳細な天津の地図と、中国の
地図を買いました。これで中国人で
さえ、北京と上海が1000km離れて
いることや、天津から見れば、上海
よりもソウルの方が近いことを
知らない人が多く居ますので、立証
できます。

今度は駅の方へブラブラと。汽車で
も帰ることのできる時間帯(天津駅
-塘沽駅、一日6本しか走ってない)
でしたが、どこでも降りられるバス
にしました。天津から塘沽の街に戻
り、降りたい地点で、我下(ウオー
シャー)と叫べば止まってくれます。
正式には、我在○○下車(ウオー
ツァイ○○シアーチェー)私は○○
で降ります、らしいですが、実際に
は短く正確に(外国人の場合は長け
れば長いほど、発音を間違える確率
が高くなりますので)が肝要です。
降ります!って感じですね。

そして総合レジャーの店へ。レスト
ラン、カラオケ、ナイトクラブ、
サウナ、ホテルと全部揃っています。
サウナに入ってたっぷり汗を流し、
垢すり。屈強なお兄ちゃんがごし
ごしと。外に出れば肌がひりひりし
ます。2軒隣りの日本料理店へ。
いらっしゃいませ、明けましておめ
でとうございます、ときた。

うーーん、ここは日本だ。日本酒の
冷を頼んで、料理をゆっくり注文。
「冷」が判ってないらしく、御燗を
しそうになったので、慌てて教える。
ババシャツ、タイツの上から和服を
きたお嬢さんが日本語を一生懸命
使って、店の雰囲気はどうか、料理
はどうか、いつ天津に来たのか聞い
てくる。北京大学の日本語科を出た
とかで、21歳。お酒を小さ目の徳利
で2本、イカキムチ、月見とろろ、
肉じゃがと、ご飯一膳で65元、ちょ
うど1000円。店のgold cardをくれて、
これで半額なんだそうです。1人で
チビチビやっている間に、日本人の
若者が3人入ってきて飲みながら
食事。中国人の若夫婦と小さい子供
の家族ずれが一組。それと、きっと
日本人と思われるおっさんが1人
やって来ました(結局私が最初の客
だった)。これが私の元旦でした。


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