ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

柏崎

2007-08-15 21:13:15 | Weblog
13日に柏崎の実家に帰る。長岡から柏崎まで普通電車しか走っていない。柏崎から柿崎までは電車は不通で代替バスが運行されている。姉は愛知県から来るので、それを利用して来るはずだ。

夫と柏崎の駅に降り立ってビックリした。沢山の報道陣がカメラを構えて待っていた。私もマイクを向けられ、インタビューを受けた。たまたま、迎えの甥が遅れた事もあり、随分とイロイロ聞かれた。

実家はカベが落ち、石垣の石が2~3個落ちたくらいで大丈夫だった。ただ、お墓の墓石が落っこちていて、取り敢えず、お盆を迎えられるように形だけは整えた。

父親の遺骨を預ってもらっているお寺に、お経をあげてもらいに行く。TVでも映っていたが、本堂がペッチャンコになっていた。半分位は取り除かれていたが。庫裏の方は何ともないので、そこでお経をあげてもらう。

専門家が調査に来て調べたそうだ。地震の時、床が6間半も動いたそうで、本堂はそれに耐え切れなかったと住職が言っていた。同じような状態で、今回の地震で沢山のお寺が潰れた。

町では古い建物が見事に潰れていた。所々にバサバサと互屋根が地面にくっついている。傾いた家、車をツブして半分になっている車庫、赤紙の張られた家、青いビニールシートが屋根等に張られた無数の家。

本当に災害が酷かった所には行かなかったが、車から見える風景は声も出なかった。

柏崎は海の町。夏は海水浴の人達で賑わう。沢山の海の家が海岸沿いにそって立並ぶ。その為に沢山の駐車場と整備された公園がゆったりと続く。今、そこは自衛隊の基地になっていた。見た事がないほどの自衛隊のトラックやテントやタンクローリー等々がズラーーと並んでいた。そして、港には自衛隊の船。

普段なら異様に感ずるだろうが、こういう時は、とても頼もしく感じた。何か大事故や大災害があれば、こうしてすぐに駆けつけて被災者を助けてくれる。今回も当日の夕方には船が港に着き、物資が次々と下ろされ救助が始まったそうだ。

会う人々が言う。どうして、又、新潟なのと。あの中部地震があったのだから、もう、来ないと思ったと。柏崎では、やっとこの春に仮設住宅がなくなったのに、あの時以上の仮設住宅が必要になった。

最近、日本のあちこちで地震が多いように思う。今度はどこで大きな地震が来るのだろうと考えてしまう。皆、自分だけは大丈夫だと思っている。私もそう。頭の中では、通勤の時は、会社では、家ではとシュミレーションはしているが、実際に起こったら分からない。

今回の地震では、皆、何の前触れもなく突然だったので何も出来ず尻餅をついたままだったと言う。死ぬかと思ったと口々に言っていた。

東京に直下型地震が襲ったらどうなるのだろう。

13日の夜に見た流星は綺麗だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦死者の遺言書

2007-08-14 20:42:57 | Weblog
13日のお盆に甥夫婦が来て仏間でお盆の準備をしていた。地震で落ちた仏間の壁をどうしようか、などと話しながら。

ふと、目を上げ神棚を見た時、黒い箱が飛び出て落ちそうになっていた。お仏壇はお祈りしたり、お灯をあげたり、何かと世話をするが神棚は普段気にもしなかった。目線よりも上にあるから。

たまに、どうして仏壇と神棚が一緒に仏間にあるのだろうと思う事はあった。でも、生まれた時からの当然の風景だった。

背の高い甥に黒い箱を下ろしてもらう。時代劇で見るような紐で結ばれた黒い立派そうな黒い箱。「何かしらね。ご先祖様の巻物かしら」と興味津々、紐を解く甥の手元を見つめる。

ふたが開いた時の私達の驚き!一番上に古い封筒があり、それに一言書いてあった。

「遺言書」

始め、去年の暮れに亡くなった父のかと、思った。でも、年期の入った封筒。

甥が広げた便せんは、ノモンハンで戦死した実家のたった一人の男子で跡取りだった母のお兄さん。父と母と妹に当てた“遺言書”だった。

姉、私、甥、甥の奥さん、声も無く読む。私も姉も、知らなかった。そして、涙がほほを濡らした。母からも父からも聞いた事が無かった。

年取った母は、亡くなった兄の話しを最近良くする。でも、遺言書の事は聞いた事が無い。母のお兄さんが戦争に行った時、母はまだ15~6才頃か。両親が忍びなくて見せず神棚の奥にしまったのだろうか。戦争に行く息子を送り出す両親の嘆きは大変なものだったそうだ。笑って送らなければ非国民と言われた時代。

母は言っていた。「電車の窓から身を乗り出し、ふじ頼むぞ、ふじ頼むぞ、達者でな、頼むぞと、それだけを繰り返していた」と

お盆の13日の父の新盆に、まだ年若き跡取りの甥により開かれた“遺言書”が何か意味あるように感じた。そして、改めて戦死者は神になり神社に祭られるのだと気が付いた。


《父へ母へ》
父上 母上 達者で居りますか。私も元気で戦線に行きます。故国を遠く離れて始めて祖国の、父母の有難さを知りました。大君の為に祖国の
為に花と散るは男子の本望です。父上母上何時までもご健康で

《妹へ》
何時も元気でいる事でせう。兄さんも元気で戦争に行きます。花と散るのも祖国の為だ。何の未練が残るものか。父上や母上を大切にしてくれ  ・・・黒沢部隊と本人の名前と印・・・


その下には、戦場から送った手紙と数々の勲章
            
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は柏崎へ

2007-08-11 00:07:25 | Weblog
明日から夫と一緒に私の実家の柏崎に行く。実家は今、誰も住んでいないので、行くのがちょっと心配。地震がどの程度ダメージを与えているのか、チェックしなくては。甥の家族がいつか住む予定なので、いつ頃どの程度修理をしないといけないかも相談しないと。

又、お墓も石がずれているそうなので、それもどうするか。

甥も妹も地震の後始末で大変なので、実家の前や後ろの庭も、草がぼうぼうだろうな。田舎なので、庭だけは広いので掃除がたいへんだ。

前、パソコンを持って行ったら、全然、圏外で繋がらなかった。私の実家は柏崎でも、山に囲まれた所なのでダメなんだろうな。その時は、柏崎の中心まで出た時に送信していた。父もまだ元気だったので、車があったが今は足がない。

近くにお店がないので、自転車で遠くのスーパーまで買い物に行かなくては。都会と違って、田舎は車が無いと、生活するのが非常に不便だ。

暇を見つけて、携帯でプログを更新する事にしょう。

久しぶりにJリーグが再開するのに、応援に行けないのが辛い。仕事をしながら、携帯で速報をチェックする事にしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車の中の出来事

2007-08-09 17:20:59 | Weblog
帰りの通勤電車。夕方の6時前に新宿を発車した特急。超が付くほど満員だった。

身動き出来ない車内では、皆が降りる駅まで目を瞑るなどして、揺れに身を任せている。斜め前の男性は(大学生か?)マンガを読んでいた。その斜め後に中年のおじさん。

彼は地方から来たのか片手にバック、もう一方の手に土産物のお菓子の箱が幾つか入ってる大きな紙袋。満員電車と揺れになれないのか、ヨロヨロしている。荷物が気になるのか、あっちを引っ張り、こっちに引っ張り。そのたびに周りの人達が迷惑そうに顔をしかめる。そして、身体を揺らす。私もイライラする。

その時、マンガ本を読んでいた男性が振り返り、そのおじさんに「いい加減、シャンとしろ!シャンと!」と低く怒鳴り、又、何事もなかったようにマンガを読み始めた。

おじさんは、ビックリしてまん丸の目をして、キョロキョロした。周りの人の空気が緩んだように感じた。

普通、大人が子供に言う台詞だと思うが、あまりにこの場にピッタリで笑いそうになった。

その後、おじさんは何とか満員電車の苦しさと揺れを我慢していた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「敗因と」金子達仁、戸塚啓、木崎伸也著

2007-08-08 20:35:35 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
友達が読んで思わず泣きそうになった、と言ったので読んでみた。

ドイツワールドカップがあんな無残な結果になったので、その手の本は手に取ろうと思わなかった。この間「中田英寿 誇り」を読んで、違う方向から何があったのか知りたくなり、買って読んでみた。

沢山の選手や関係者にインタビューをしてまとめられた本なので、ワールドカップの三試合が細かい所まで脳裏に蘇る。オーストラリア戦、クロアチア戦、ブラジル戦をドイツのテレビ局ZDFの実況放送を交えてのゲームの再現。読んでいても、思い出して辛くなる。

特に、ZDFの放送でブラジル戦の75分「もう、決着はついています。残り15分と少し、ブラジルのボールを使ったマジックを楽しみましょう」「4-1です。おめでとう、ロナウド!彼は本当に衰弱していました。6キロも痩せましたから。一人だけスゴイ選手がいるよりも、レベルの高い選手がたくさんいることが大事なのです。これで、日本のサポーターも分かるでしょう。テクニックが全然違いました」

確かに、ブラジルに2点差で勝つなんて、到底無理とは思っていた。でも、死力を尽くして戦う姿を見たかった。もう、頑張らなくてもいいんだよと、抱きしめてやりたくなるようなゲームを見たかった。だって、ワールドカップ最後の試合だったのだから。

私達が見たピッチでのゲームは腰の引けた、「勝てるのだろうか?どうしたらいいのだろう?」と、ただボールを追いかけている試合だった。

日本中のプロサッカー選手が夢にまで見る、ワールドカップへの出場。4年に一度しかチャンスが無い。それも、23人。それも、その時の監督が最高の選手だと認めた23人。彼らには、国の為にとは言わないが、選ばれなかった全てのサッカー選手の為に、自分の持ちえる最高のプレーをする義務があったのではないか。とても、100パーセント以上の力を出したとは思えない。

「ドーハの悲劇」は、負けた試合なのにどうして、私達は忘れないで時々「あの時は・・・」と語り合うのだろう。それは、彼らの戦う姿が、「どうしても、ワールドカップに行きたい!行くんだ」と言う気迫がTVのこっちにも伝わって来たからだろう。そして、ピッチに倒れ込んで起き上がれず泣いている選手達。一人一人を慰めるオフト監督。遥かに遠く離れていても、TVの前で私達も一緒に戦っていたように感じた。

同じ、敗戦でも、ドイツワールドカップは何も心に感動がない。虚無感とやるせなさ。あるとしたら、唯一、ヒデの泣いている姿だろう。ヒデは「今回のは02年のチームより明らかに力は上だと思う。選手個人の能力も、チームとして出来ることも、はるかに上。ただ、誰かがチームの為に犠牲になって走るとか、ミスをしたヤツの分まで必死になってカバーするとか、そういう気持ちみたいなのが全然なかった」と言う。そう言えば、オシムが言っていた“水を運ぶ人”が必要なんだと。

ヒデが「今回は自分の中で戦えたっていう満足感みたいなのがある」と前園に語り、前園は「アイツから“戦う”なんて言葉が出てくるなんて思わなかった」と言っている。

他の選手達はどうだったのだろう。敗戦の責任をすべてジーコに押し付けたようになっているが、戦うのは選手である。23人に選ばれて、そして、ほぼスタメン11人プラス3人に固定されて満足してはいなかったか。

最後まで、チームはバラバラで一つに成りえなかった。なぜ?どうして?ワールドカップで勝利するよりも、別の感情の方が優先されてしまったのか。

ZDFのアナウンサーの言葉「日本の前日練習を見て驚かされたのは、そのとてつもない静けさでした。前日練習ですよ!ピンのひとつでも落とそうものなら、聞こえるんじゃないか。そう思えてしまうぐらいでした。チームメイトとの間で、声をかける姿すらなかったです。異常な感じさえしましたね」。

結局、その言葉がすべてを語っているのだろう。日本チームの実態を。

中澤が言っている「トルシェが最後に僕ではなく、秋田さんや中山さんを呼んだのは、そういう事なんだなあって。こうやって自分がワールドカップを経験してみると、大先輩が試合に出られなくても声を出してくれるのが、大舞台には必要なのかなと。」と。30歳以上の選手は皆GKでフィールドプレーヤーには、一人もいなかった。もし、藤田俊哉か三浦淳宏がいたらどうだったのだろう。

私は思う。たとえ、監督が誰であろうと、システムがどうであろうと、チームメイトが誰であろうと、相手がどこであろうと、戦うのは選手達。ピッチに立ってしまえば、一致団結して勝利の為に戦うのが、プロではないか。大舞台で自分の実力を100パーセント以上が出せないのなら、日の丸を背負う資格は無いと思う。

これからも、直近では22日に、代表として戦う試合がある。気持ちの感じられない選手は、絶対に次には選ばないで欲しい。たとえ、日本のスーパースターと言われる選手でも。私達サポーターも、もっと、厳しい目を持たなくてはいけないのでは。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

U-22、ボツワナに敗れる

2007-08-05 22:48:34 | FC東京とサッカー
しかし、ボツワナは本当に同じ年代?と思った。時間稼ぎも半端ではない。日本選手に対してのチェックも早くすぐに側に来る。足は長いし足も早い。

それに、相変わらずの大アウエ。本来なら、ボツワナとの試合だったら中立なのに・・・。相変わらずの中国観客の日本へのブーイング。今回は日本応援団は5人に増えていた!彼らが日本コールをすると、それに被せて中国人達のブーイング。でも、健気に彼らは頑張って応援していた。彼ら5人に拍手!

そして、中国人審判の不可解なジャッジ。特にゴールラインを割っていたはずのゴールはNoゴール!

カレンローバートは本当に不運な選手だ。運も実力内とは言うけど。普通なら入っているだろうに、運の無いことに、ボツワナの選手達の手足が長すぎた!それなのに、李の何本もあったシュートは全て枠の外・・・。交代で入った平山もたいして見せ場も無く・・・。

反町監督が「みっともない試合を見せて、申し訳ない」とあやまっていた。でも、6月に見に行った国立2次予選最終戦のマレーシア戦に比べれば、遥かに良くなっていると思う。

さア、これで今月22日の最終予選のベトナム戦、誰が選ばれるか、面白くなって来た。FC東京の梶山も伊野波も、これからのJリーグ頑張れ!

22日は国立に応援に行く。オリンピック出場に向けて、頑張れ!U-22!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なでしこジャパン

2007-08-05 10:28:53 | FC東京とサッカー
夜中に目覚ましをかけて見た。見ていて楽しかった。

いつもの事だけど、彼女達の一生懸命さ、真面目さ、そして多分、基本を大事に練習しているのだろうなと思えるプレーに感動する。

男子アジアカップの時と同じベトナムで、同じように34度を超える蒸し暑さの中での戦い。でも、彼女達の過酷なピッチ状況を、私達に感じさせない真摯なプレー。いつも感じるのだが、この男子サッカーとの違いは何なのだろうと思う。

オシム監督が求める、“人もボールも動くサッカー”がここにはあると思った。本当にアジアカップと同じベトナムの地なの?と思う程、攻守に走り回る彼女達。

そして、何よりも感動するのは、ゴールへ向かっての全員の気持ちである。アジアカップでは、後ろでのボール回しの多さと、攻め上がりの遅さでゴールまでの道程が遠い・・・。

それと同時にシュートの決定力。なでしこサッカーのシュートは簡単に枠に行くように見える。ところがアジアカップでの、たとえ格下相手でも、ゴールする事に苦戦する男子サッカー。

同じ時期で、同じ場所での国際試合があった為に、つい比べてしまう。

思うのは、あまりにもA代表がサッカーを難しく捕らえ過ぎて、考えすぎているのではないだろうかと、思ってしまった。ジーコの時もそうだけど、戦術がどうとか、システムがどうとか・・・。

要は、早くゴール前にボールを運び、ゴールネットを揺らすだけ。その為には、パスミスを減らし、出来るだけ早くゴール前に行き、シュートを枠に飛ばす。それだけのはず。

その為には、基本の精度を上げるだけだと思う。パスを出す、パスを受ける、トラップをピタっと、どんな状態からでも、シュートは枠へ。なでしこはその基本を大事に練習しているそうだ。

これだけ圧勝しても、なでしこは世界に対して危機感をもっている。「もっと、もっと練習しなくては。これではまだまだ」と。

頑張れ、なでしこ!! 頑張れ、U-22!! 頑張れ、A代表!!





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近所の夏祭り

2007-08-04 21:44:17 | Weblog
盆踊りの音に誘われて、夕飯を食べてから出かけた。必需品のウチワを持って。

踊りの声を頼りに、道を曲がり歩いて行く。ここに住み始めてから、初めての曲がり角を曲がって、初めての道を歩く。そして、小規模の公園に出た。真ん中に櫓が立ち、沢山の老若男女がいた。ここに住み付いて初めて夏祭りに来た。

子供の頃は、夏は夏祭りが楽しみだった。夜になると小学校の校庭に作られた盆踊りの櫓の下に村人達が集まる。そして、競うように踊りの輪に入る。二重にも三重にも踊りの輪が出来る。もう忘れてしまったけど、イロイロな唄があり、踊りがあった。そして、食べ物屋さんの美味しそうにおい。

今は、何とか会のおばさん達がおそろいの浴衣を着て踊っている。ポチポチと子供を連れたお母さんが加わっている。あとの沢山の人達はた食べたり、飲んだりしながら周りで見ている。

私は、踊りたくてムズムズした。どうせ、知っている人はいないし。夫に「踊ってくる」と言って、少ない踊りの輪に入る。

もちろん、踊りは知らない。おそろいの浴衣のおばさんの踊りを見真似で踊った。踊りは単純だから、すぐに覚えて何となく踊れる。

暑くて、汗を拭き拭き、ウチワをパタパタしながら、しばし踊りを楽しんだ。

夫に笑われた。「何でも、楽しそうに参加するね」って。そう、楽しめる時には楽しまなくて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柏崎地震

2007-08-04 16:51:19 | Weblog

妹から電話が来た。本当に大変らしい。

地震の後は気が張っていて、メチャメチャになった家の中を片付けたり、走り回っていたけど、ここに来て何かだるくなってやる気がしないと。車で走っていると、あちこちにある潰れた家が目に入ったり、きれいな道路がガタガタになっていたり、色んな事ですぐ涙が出ると言う。

張り詰めていた気が緩んで来たのだろう、そしてストレスの疲れが出てきたのだろう、本当に可愛そうだと思う。行って手伝ってやりたいと思うけど、行っても自分の寝る所や飲み食いを考えると、かえって迷惑になるかなと躊躇してしまう。

とりあえずは、先立つものをと、まとまったお金を地震後すぐに妹・甥・従姉に現金書留で送った。時間がかかるかなと思ったが、翌日にはすぐに届いてビックリした。宛先が被災地なので、郵便局も頑張ってくれたのかと感謝した。

父の実家が、妹の家よりは海寄りの村にある。妹が言っていた。一番、被害が大きいそうだ。村のほとんどの家がペチャンコに潰れ、立っている家も取り壊さなくてはならないだろうと。本当に無事なのは5~6軒だろうと言っている。たまたま、父の実家は10年ほど前に建て替えたので、無事だった。従兄は「ウチだけ無事で、皆に悪い」と手伝いに村中を走り回っているいるそうだ。

東京にいると、そんな事は、もう過去の事のように思える。毎日毎日、仕事に追われ一日が一週間があっと言う間に立ってしまう。次々とイロイロな事があり、彼らの悲惨さを忘れている。電話をもらって初めて、「ああ、そうだ。地震があったんだ」と気が付く。

どんなに悲惨な事件も、事故も、災害も、まして戦争だって当事者でないと、やっぱり他所事なんだろうな。人間の想像力なんて、知れている。

ただ、原発がチェルノブイリにならなかった事に胸を撫で下ろす。政府や東電の発表を信じればの話だが。

昔、柏崎に原発を作ると聞いた時、高校生の時の新潟地震を思い出し「大丈夫なのか?」と思った。どうして反対しないのかと親に聞いたら「都会に住んでいるもののが口を出す事ではない」と言われた。

その時、柏崎の市役所の周りを信じられないくらいの沢山の反対のデモ隊が取り巻いていた。父に言わせると、彼らはすべてよそ者との事。「田舎の事なんて何にも知らないで」と、何事もないように田んぼに出ていた。でも、地元の人達の意向は蚊帳の外で、すべて政治家の世界で決まって行った。そして、決まってしまったら、反対の為のデモ隊は、アッというまに居なくなった。

私は、作る前から、作った後も反対だった。でも、帰るたびに人工的にキレイになって行く柏崎を見て、何も言えなかった。こういう事が田舎の人達の望みなのかと・・・。

でも、一度、自然が動けば莫大なお金をかけた公的・私的な建築物や土木工事は、空しいまでにガラクタになってしまう。

人間にとって、本当に大切にしなければならない、お金を懸けなければならない物とは、なんなのだろう。時には立ち止まって、皆で考えてみなくてはならないのではないだろうか。

丁度、選挙があった事だし、自分の事、地域の事、日本の事、世界の事、地球の事を。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

U-22、中国戦

2007-08-04 00:31:55 | FC東京とサッカー
U-22四カ国トーナメント。賞金の付いた国際試合。それなのに、審判団が中国人とはビックリした。

案の定、不可解なジャッジ。中国選手が転べば笛が鳴る。そして、日本側にイエローカードがどっさり。中国側のフリーキックの多い事。沢山あった中国のチャンス。それでも、0-0。

中国選手はベストのメンバー。そのメンバーで強化合宿や試合を沢山して来たと言う。反対に日本はA代表の試合や、オールスター、怪我人等でベストではない。

5万人超の入場者数。入場の時から日本への大ブーイング。君が代の時でもブーイングが聞こえる。完全なアウエ。時々、TVが映す日本のサポーターは“3人の男性と日の丸の旗”。アナウンサーが言う。「全体を見渡しても、日の丸はあの一枚ですね」

そんな中、最後まで集中が切れなくて、失点0に押さえた事は素晴らしいと思う。惜しいシーンもあったけど。ただ、審判への抗議でのイエローはもったいない。ゲームが始まって、すぐに審判が中国寄りに笛を吹いていたのはわかった。それなら、それなりの戦い方があったはず。いい勉強になったのでは。オシムさんも言っていた。「アウエでこそ、数々の試合をしたい」と。

アナウンサーが言っていたが、「平山は反町ジャパンの不動のエースです」と。えええ~そうなの?。平山・・・・。確かに、U-22では、得点を重ねてはいるが・・・。

最後のボツワナ戦、ぜひ、勝利して一位に。中国に負けるな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする