人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

ここまで津波が来ました

2013-10-14 21:15:07 | 行ってみて

仙石線は仙台から松島海岸まで電車、その先は代行バス

が矢本まで地域をくねくね走り、海岸べりの人を運ぶ。

石巻へは1時間20分かかって着く。ここまで、京都、大阪は京阪電車、

大阪地下鉄、南海電車・特急ラピート、関空からpeach、仙台はjrとい

ろいろな乗り物が楽しめた。これが旅の良さだ。

着くと駅前のレンタカーを延べ3日間借りる。まず、駅前の飲食店で

石巻焼きそばを食べる。店内に津波の来たことを示す黒い線が書いて

あった。

やきそば屋は庄やの右隣の店。その向かいに石巻市役所が駐車場と

くっついてある。

行った日は石巻市ではなく、女川町に直行した。女川町はすでに紹介

している。

 


年金族にありがたい格安機

2013-10-13 20:20:59 | 行ってみて

 久しぶりに飛行機に乗った。石巻市へ行くのにpeachを利用した。

関空も久しぶりだ。peachは第2ターミナルから出発する。

関空はものすごく大きくなっている。

たまたま選んだ朝7時30分発仙台行きがめちゃ安い料金にぶ

つかった。それで、ぎりぎり空港へ駆け込むのを避けて、空港近

くのホテルに前泊した。

この計画は全てによかった。空港の仕組みも分った。

飛行機は定刻通り出発。新幹線のように「のぞみ」や「ひかり」の

ように遅い、早いがない。飛行機は快適だった。その代わりサー

ビスは一切ない。

短い時間でも食事を出す外国旅行よりすっきりしている。

 

1時間で飛行機は仙台へ。

仙台空港にはjrが待ってくれている。仙台からは、仙石線で石巻

に向かうのだが、仙石線は津波の影響で松島海岸かちょん切れ

ていて、代行バスが切れた鉄路をつなぐ。人々の多くは直通バス

で石巻に行くそうだ。私は列車やバスを乗り継いで被災地へ行く

方が変化があっていいと思った。

 


文科大臣から表彰を受けました

2013-10-11 23:33:57 | スポーツ

「伏見ソフトテニス」が今年度の生涯スポーツの優良団体に

決まり、11日、霞ヶ関の文科省で表彰式があり、大臣から

賞状を頂いてきました。

霞ヶ関と言うと、各省庁が集まっているところ。私もかつて

新聞社にいながら、霞ヶ関には縁がありませんでした。

先日も訪れて感じたことは、お昼頃行ったので、大勢の公務員が

どっと出てきましたが、なんだか皆若いのです。

若いというと、勢いが感じられます。

だから、中年以上は覇気がないということではありません。

飲食店で会話する姿からも、なにか意見を述べているような

雰囲気。われわれは公務員というレッテルを張っているので

はないか、と思いました。

 

大臣から表彰を受け、公務員への評価が甘くなったかも。

表彰状と、立派な盾を貰いました。伏見ソフトテニスの

ネーム入りがまた、うれしい。

甘い? 人間ほめられてうれしく思わないのは、へそ曲がり。

 


はらのむしやしのうてんねん

2013-10-09 18:39:21 | 本は 面白い

はらのむしやし、と読んだらあきまへん。

はらのむし、は腹の虫。

やしのうてんねん、は養うてる。

これでわかるでしょ。腹の虫を養うということは、

少量のご飯食べること。

「あんた、よう食べるなあ」とからかわれたら、

「むしやしのうてんねん」と切り返す。

〈米朝落語全集〉に「京の茶漬け」という一話がある。

こんな風に語られているそうな。

『自分一人のこっちゃさかいお昼はまあ、虫養い程度で』

 

京ことばはいわゆる関西弁と趣を異にする。

むしやしない、も直接な言い方ではなしに、あたりの柔らかい

言葉を選んだ。これが京都人。

京都ことばをぼちぼちだします。

 

 


道端にヘルメットを被った学童像

2013-10-08 21:43:48 | 行ってみて

女川町は町村合併で石巻市に入らなかった。多くの復興地域を

抱える石巻市と違って、云わば単独で計画を推し進めるこ

とが出来る。やりいいのか、それは旅人には分らない。のっ

ぺらぼうになった被災地で力強く重機が働いているのを見て

最も人的被害が多かった女川町の復興を願わずにいられな

かった。

帰り道、路傍に児童像があった。像はヘルメットを被っていた。

車を安全な所に止め、雨の中を像まで歩き、手を合わせた。

この写真は「重くて」アップできない。残念!


雨の中、女川の復興は進む

2013-10-07 20:05:15 | 行ってみて

今度の旅行で一番初めに訪ねたのは女川町だった。

ここは津波による死者の数が人口比で一番多かった。

いま、女川の中心地で被災のひどかった所は更地になっていて

重機が盛り土など基礎工事が行われている。

町役場などは岡の上、外部のものは近寄れない。

牡鹿半島の付け根にあたり、リアス式の狭い湾内に最大の

津波のエネルギーをぶつけたところに、女川の町はあった。

 死者455人。7割の建物が全壊した。町の行政機関、病院、

鉄道など根こそぎ波にさらわれた。

昼間は人の姿はなかった。

 

 

 

 人はいないが津波の残骸が残されていた。

 


この犠牲をなんとする

2013-10-06 19:14:09 | 行ってみて

波が引いたあと、累々たる児童たちの死体に住民らは

息を呑む。言葉が出がない。散乱するランドセル、教室

の机など・・・

 

高くなっている橋へ移動しようとグラウンドから歩き出し

た全学童へどす黒い大津波が襲った。

校庭の横には逃げようと思えば、はいあがることの出来る

低い山がある。

そこへ何故走らなかったか。

山と堤防にさえぎられ、波を確認することが出来なかったの

だ。津波は湾に集中してきた海水が狭い通路状になった北

上川を逆のぼる。波はいきなり校舎の上からやって来た。

もうひとつ重大な見落としを行政も地域住民までもしていた。

 

学校がなにかあった時の避難所になっていた。

これまでの津波に影響がなかったからだ。

地元新聞の報道によると、県も「大丈夫」だといっていた。

郵便局も警察、駐在所も流された。住民の犠牲者は地区の

4割に当たる74人に及ぶ。

学校にいて児童の世話をしていた先生は11人中9人が亡く

なった。

これだけの犠牲を払ったのだから、後の人達に確実に伝えな

ければなんとする。

 

 

 

 


「まさか」 ふいをつかれた児童たち

2013-10-05 19:58:50 | 行ってみて

石巻に関する資料を集めるほど、震災地を訪問する

する際、役立つものはレンタカーだと考えた。

問題は知らない土地での移動がスムーズにできるか、

どうかである。

カーナビがある。これが却ってミスリードすることは京

都市内で経験済みだ。だから、出来るだけ地図を覚え

ることにした。ところが、石巻に着いて気付いたことは

目印になる中心部になる日和山が相当な大きさであ

った。平面的な地図では立体感がつかめない。

だから、石巻駅や市役所は海から見ると日和山を挟む

事になり、海の様子が分らない。

これは大川小学校の場合でも云えることで、学校からは

山と堤防にさえぎられて、津波の動向が把握できなかっ

た という。

津波は思いもかけずに突然やってきて、児童たちはふい

をつかれた。

写真は大川小学校を襲った津波の源、追波(おっぱ)湾で唯一生き残った

樹木だ。カーナビに従って海べりの細い泥道を走ったが、怖かったこと。


惨!!石巻大川小学校の悲劇

2013-10-04 22:02:01 | 行ってみて

33日間、私は震災で大きな悲劇を被った石巻市にいた。

なかでも、108人の全校生の7割に当たる74人が死亡

した大川小学校跡地にレンタカーを走らせた。

校舎は事故当時のまま置かれてあった。

津波は10メートル以上。校舎を呑みこんだ。

校舎はぼろぼろ。コンクリートの塀も捻じ曲げた。

校舎の近くに慰霊の礼拝所が設けてあった。

誰もいなくなるのを待って、私はお経を上げた。

なんということ。逃げられなかったのは、住民に危機意識が

薄かったと聞いた。

「可哀そうに。何十人もの子供の命が奪われた」

 

東北鎮魂の旅をしました。