久しぶりに飛行機に乗った。石巻市へ行くのにpeachを利用した。
関空も久しぶりだ。peachは第2ターミナルから出発する。
関空はものすごく大きくなっている。
たまたま選んだ朝7時30分発仙台行きがめちゃ安い料金にぶ
つかった。それで、ぎりぎり空港へ駆け込むのを避けて、空港近
くのホテルに前泊した。
この計画は全てによかった。空港の仕組みも分った。
飛行機は定刻通り出発。新幹線のように「のぞみ」や「ひかり」の
ように遅い、早いがない。飛行機は快適だった。その代わりサー
ビスは一切ない。
短い時間でも食事を出す外国旅行よりすっきりしている。
1時間で飛行機は仙台へ。
仙台空港にはjrが待ってくれている。仙台からは、仙石線で石巻
に向かうのだが、仙石線は津波の影響で松島海岸かちょん切れ
ていて、代行バスが切れた鉄路をつなぐ。人々の多くは直通バス
で石巻に行くそうだ。私は列車やバスを乗り継いで被災地へ行く
方が変化があっていいと思った。
「伏見ソフトテニス」が今年度の生涯スポーツの優良団体に
決まり、11日、霞ヶ関の文科省で表彰式があり、大臣から
賞状を頂いてきました。
霞ヶ関と言うと、各省庁が集まっているところ。私もかつて
新聞社にいながら、霞ヶ関には縁がありませんでした。
先日も訪れて感じたことは、お昼頃行ったので、大勢の公務員が
どっと出てきましたが、なんだか皆若いのです。
若いというと、勢いが感じられます。
だから、中年以上は覇気がないということではありません。
飲食店で会話する姿からも、なにか意見を述べているような
雰囲気。われわれは公務員というレッテルを張っているので
はないか、と思いました。
大臣から表彰を受け、公務員への評価が甘くなったかも。
表彰状と、立派な盾を貰いました。伏見ソフトテニスの
ネーム入りがまた、うれしい。
甘い? 人間ほめられてうれしく思わないのは、へそ曲がり。
はらのむしやし、と読んだらあきまへん。
はらのむし、は腹の虫。
やしのうてんねん、は養うてる。
これでわかるでしょ。腹の虫を養うということは、
少量のご飯食べること。
「あんた、よう食べるなあ」とからかわれたら、
「むしやしのうてんねん」と切り返す。
〈米朝落語全集〉に「京の茶漬け」という一話がある。
こんな風に語られているそうな。
『自分一人のこっちゃさかいお昼はまあ、虫養い程度で』
京ことばはいわゆる関西弁と趣を異にする。
むしやしない、も直接な言い方ではなしに、あたりの柔らかい
言葉を選んだ。これが京都人。
京都ことばをぼちぼちだします。
女川町は町村合併で石巻市に入らなかった。多くの復興地域を
抱える石巻市と違って、云わば単独で計画を推し進めるこ
とが出来る。やりいいのか、それは旅人には分らない。のっ
ぺらぼうになった被災地で力強く重機が働いているのを見て
最も人的被害が多かった女川町の復興を願わずにいられな
かった。
帰り道、路傍に児童像があった。像はヘルメットを被っていた。
車を安全な所に止め、雨の中を像まで歩き、手を合わせた。
この写真は「重くて」アップできない。残念!
波が引いたあと、累々たる児童たちの死体に住民らは
息を呑む。言葉が出がない。散乱するランドセル、教室
の机など・・・
高くなっている橋へ移動しようとグラウンドから歩き出し
た全学童へどす黒い大津波が襲った。
校庭の横には逃げようと思えば、はいあがることの出来る
低い山がある。
そこへ何故走らなかったか。
山と堤防にさえぎられ、波を確認することが出来なかったの
だ。津波は湾に集中してきた海水が狭い通路状になった北
上川を逆のぼる。波はいきなり校舎の上からやって来た。
もうひとつ重大な見落としを行政も地域住民までもしていた。
学校がなにかあった時の避難所になっていた。
これまでの津波に影響がなかったからだ。
地元新聞の報道によると、県も「大丈夫」だといっていた。
郵便局も警察、駐在所も流された。住民の犠牲者は地区の
4割に当たる74人に及ぶ。
学校にいて児童の世話をしていた先生は11人中9人が亡く
なった。
これだけの犠牲を払ったのだから、後の人達に確実に伝えな
ければなんとする。
石巻に関する資料を集めるほど、震災地を訪問する
する際、役立つものはレンタカーだと考えた。
問題は知らない土地での移動がスムーズにできるか、
どうかである。
カーナビがある。これが却ってミスリードすることは京
都市内で経験済みだ。だから、出来るだけ地図を覚え
ることにした。ところが、石巻に着いて気付いたことは
目印になる中心部になる日和山が相当な大きさであ
った。平面的な地図では立体感がつかめない。
だから、石巻駅や市役所は海から見ると日和山を挟む
事になり、海の様子が分らない。
これは大川小学校の場合でも云えることで、学校からは
山と堤防にさえぎられて、津波の動向が把握できなかっ
た という。
津波は思いもかけずに突然やってきて、児童たちはふい
をつかれた。
写真は大川小学校を襲った津波の源、追波(おっぱ)湾で唯一生き残った
樹木だ。カーナビに従って海べりの細い泥道を走ったが、怖かったこと。