波打ち際の考察

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波屋山人

知能指数

2010-06-21 23:24:25 | Weblog
以前、ユダヤ人と日本人の平均知能指数が高いと噂されていたことがあったけど、最近では韓国人の平均知能指数が高いと言われているらしい。
いつだったか、韓国のメディアで「韓国人は世界2位の知能指数」と報じられ、韓国の人はうれしそうだった。

だけど、ある程度勉学に励めば、脳が刺激されて知能指数が上がると言われているから、受験勉強に追われている国の人たちの平均知能指数が少しぐらい高くても不思議はない。

知能指数の高い人は知識量が多かったり理解が早かったり判断がすぐれていたり、優秀だなと感じることが多いけど、知能指数が低くても頭の回転の速い印象を与える人は多い。

知能指数の高さが、創造力や包容力や指導力や発想力などにつながるとは限らない。知能指数が平凡でもすごい研究を行っている人や優秀なリーダーはいるし、すごい創作を行っている人もいる。
そうかと思えば、知能指数の高さに安住して努力をしなかった人もいる。知能指数が高いことを鼻にかけてエリート路線を歩み、肉体を酷使して必死に生きている人のことを見下しているようなすような、知的だとは言いにくい人もいる。

知能指数について、Wikipediaには下記のような記述がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0
> IQとは、知能検査の結果を表す数値である。「生活年齢と精神(知能)年齢の比」を
> 基準とした「従来のIQ」と、「同年齢集団内での位置」を基準とした「DIQ」の
> 2種類があるが、従来のIQはあまり使われなくなりつつある。

また、「知能指数」で検索すると上位に立命館大学文学部、佐藤達哉(サトウタツヤ)先生のエッセイがヒットした。
「知能指数」という本も出されたことのある、心理学の先生のようだ。

http://www.ritsumeihuman.com/essay/files/sato3.html
> あるテレビ番組製作会社から電話がきた。2003/01/08)
>(略)
> テレビ製作会社氏が知りたいのは「日本人の平均知能指数はいくつか」ということ
> であった。これに付随して、あるサイトで「日本人の知能指数の平均は115と
> 書いてあったがこれはホントか」という質問もあった。
> さて、この問いに対する答えは簡単なものである。
> 知能指数の平均は常に100です。
> というのがそれである。
> 細かいことは省くが、知能検査というのは平均が 100になるように作られている
> のだから、これ以外はあり得ない。したがって、「日本人の知能指数の平均は115」
> というのは正しくないことになる。こういう記述は「意味もない自国民の優位性」を
> 作り出している。そういうのはダメ、というと、「そのHPには確かに日本人は優秀だ
> と書いてありました」との答え。「それは何かゆがんでるよ」と指摘を加えた。
>(略)

興味深いエッセイだけど、論理が少し混線しているようだ。
制作会社の人は、「世界各国の人が知能指数検査を受けた場合、日本人はどのあたりに位置していることが多いのか」、ということを聞いている。
あるいは、「標準となる国際的な母集団を想定した知能指数のテストにおいて、日本人の平均知能はいくらか」と言ってもいいだろう。
「日本人の中で、日本人の平均知能指数はいくらか」などということは聞いていない。
先生には伝わらなかったのだろうか。

先生としては、特定の民族の優位性を示すような結果には生理的嫌悪感をおぼえるのかもしれないけど、研究者であれば、様々な事象に対し、奢ったり卑下したりせず、事実は事実として受け止めるべきではないだろうか。

ある思想信条によってある事実を見ないことにする、というのは、研究者らしくない姿勢だ。科学の発達を阻害する原因になる。
「何かゆがんでいる」と言われかねない。
(だが、そういう言い方は抽象的でレッテル張りのような言い方なので、合理的な人はあまり言わないだろう)

神の冒涜だと非難される恐れがあっても、戦後民主主義の否定につながると否定されるおそれがあっても、良い子はそんなものをさわっちゃいけませんと言われても、社会に何も貢献しないだろうと言われても、知的好奇心旺盛に物事の仕組みを解明しようと試みるのが、科学者ではないだろうか。

制作会社の人が、「京都府民の平均知能指数が高いってほんとうですか?」とか
「立命館大生の偏差値が高いってほんとうですか?」と質問したらどのように答えるのだろう。
「知能指数の平均は常に100です」「偏差値の平均は常に50です」と答えるのだろうか。
日本国民の中での京都府民の知能指数を聞いているのに。
全国大学生の中での立命館大生の偏差値を聞いているのに。

どうせなら、「日本国民の平均知能指数よりも、京都府民は2ポイントくらい高いのですが、表裏のある態度や気位の高さが、知能の発達に結びついていると思われます。べつに頭がいいというわけではないです」とか、
「立命館大生は、入学時は進研模試の基準で偏差値が平均60もあります。だけど、卒業時は偏差値55くらいの力に退化しているようです」とか、
「世界各国の人を母集団にした中では日本人の平均知能指数は高くなりがちです。だけど、それは受験勉強や管理教育の影響が考えられます。勉強熱心な韓国やシンガポールにいつ抜かれるかわかりません。それに、平均知能指数が高いからといって人として優れているというわけではないので、一喜一憂すべきではありません。ほんとに指標が好きな、周囲の目ばかり気にする人ですね、つまらん」と言ってもいい。

知能指数の日本人平均を聞かれて100と答える人でも、
「日本人の平均身長は世界的に見て偏差値で言うとどのくらいでしょう?と言われたら
「平均身長の偏差値は常に50です」と答えたりはしないだろう。
「世界的に見て成人男性の平均身長は170何センチ半ばですから、日本人の平均身長は偏差値48くらいになりますね」などと答えるかもしれない。
それについて、「意味もない自国民に対する卑下が感じられる」などとは言わないだろう。
知能指数についても同じだ。
力むことなく、「世界的に見て平均的な知能指数を100とすると、日本人は105くらいになりますかね、ひとつの見方ですけどね」とでも言えばよいと思うのだが。なぜそのようにおっしゃらないのか、不思議だ。

追記 そういえば中学校のとき、クラスで一番知能指数の高かった女性(知能指数140)は立命館大学に進んだ。文学部だったかも。

コメント
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