波打ち際の考察

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波屋山人

短歌絶叫コンサート

2010-06-23 23:25:50 | Weblog
きのう、福島泰樹の短歌絶叫40周年コンサートに行った。
彼女と吉祥寺駅で待ち合わせて、スターパインズカフェへ向かう。
4daysの2日目だが人が多い。
チケット売り場でぼくらは当日券を購入したけど、目の前の白髭のおじさんは「チケットはありますか」と聞かれ、「ん? 招待状あるけど、オレは当日券買うよ」と言っている。歌人の方だろうか。かっこいい。

今回のライブは、40周年の記念でもあるけど、今年亡くなった立松和平さんを追悼する会でもある。
20周年も30周年も、立松さんが実行委員長だったらしい。
親しい人が去り、福島さんはさみしそうだ。
「二日酔いの無念極まる僕のためもっと電車よまじめに走れ」
サングラスの奥の目がじっとこっちを見ている気がする。

20年前、まだ若かったぼくはビッグトゥモローという雑誌をときどき読んでいて、そこではじめて歌人福島泰樹の名を知った。
吉祥寺の曼荼羅に短歌絶叫コンサートを見に行ったのは16~17年前。当時、50手前だっただろうか。現在も変わらない姿に見える。
何度か絶叫コンサートを見ているが、一昨年東京ポエトリーフェスティバル2008で行われた朗読は広い会場でも存在感が大きく、おもわず背筋をのばして聴き入った。

ぼくは学生運動や労働運動といった組織的な動きにあまり関心はない。
シュプレヒコールもアジ演説も知らない。
自己実現とか上場実現とか、競争に勝利とか資産の形成などにも興味がない。
価値についての思い込みが何かを成し遂げることもあるだろうけど、それがどれほどの価値を持つか懐疑的だ。
人生ゲームやトランプゲームで大勝利して充実感を得るのもいいけど、それが人生の大目標だとは思えない。

そんな脱力系のぼくだけど、無気力なわけではない。
組織と混沌の接するところに興味を持ち、人々が守ろうとすることと否定しようとすることの境界に関心を寄せ、五感で感知できるものとできないものの存在に意識的になる。
息をひそめた静かな様子に見えるけど、これはとてもむずかしいバランスを試みている状態なのだ。

そんなぼくにも、福島泰樹さんの言葉は強く響く。
彼のシュプレヒコールは夕焼けに屹立する銭湯の煙突のように美しい。純情な若者たちがもがき、踏ん張った時代の空気を今に伝える。

福島泰樹さんは偉そうにふるまわないし、人をばかにしない。まっすぐに人の目を見る。
時には強く見えたり主張したりしているように見えるときもあるけど、それは誰かを否定したり追いやったりしようとする姿勢ではない。

人の世話をやいたり、亡くなった人のことを悲しく思ったりしているのは、彼がとても優しいからだ。
見返りを求めない愛情、不特定多数の人に対する優しさがあるから、悲しさを感知し、亡くなった人を惜しむ。
その思いを短歌に託し、人々に向けて叫ぶ。床を蹴ってすっくと立つ。
無念を抱いて亡くなった人に共感する、彼の優しさがじんじん伝わってくる。

ノンポリかつものぐさで挽歌という字すら書けない彼女も福島泰樹さんに魅力を感じている。
歌人岸上大作が亡くなる直前に書いた「ぼくのノート」の朗読について、前回も聞いたけど今回もとても良かった、と感想を述べていた。
文学を知らない人も引き寄せられる福島泰樹の存在は、多くの人に知ってもらいたいほしいと思う。


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1 コメント

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福島泰樹 (出雲清子)
2011-01-13 10:37:39
短歌絶叫コンサートを検索していてこの記事にぶつかりました。2年前の暮れ以来行っていません。あの場所には筆舌に尽くせぬ胸の鼓動を感じます 遠い昔の自分に戻れるような・・・。
いつか伊万里でやって貰いたいのが夢ですが・
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