波打ち際の考察

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波屋山人

貧相問題

2010-06-06 18:07:07 | Weblog
貧困問題は聞いたことがあるけど、貧相問題なんて聞いたことがないという人も多いだろう。
政治や経済が注目される世の中において、何よりも重視されているのは、権力や金銭にかかわることだ。
貧困問題に熱心に取り組む人の多くも、政治や経済を重視する価値観の中で活動している。

だけど、お金がなくても、権力がなくても、豊かな日々を送っている人はたくさんいる。
ぼくの彼女は貯金もなく学歴もなく職がないときも多いけど、なかなか楽しそうな日々をすごしている。
クリエイティブな人に会うことの多い雑誌編集では、刺激を得ることも多いようだ。
表現する力はないけど、いいものを読み取る力は身につけている。
料理、食器、お酒、映画、音楽、絵、文芸作品など彼女に教えてもらったものも多い。

政治思想的にはとくにこだわりがなく、共産党に投票することもあるし、右翼的だとの批判を受けることもあるミュージシャンを評価することもある。
自己啓発セミナーに行ったり新興宗教に入ってもべつにいいよ、とぼくが言うといやがるけど、「がんばらない人をつくる逆自己啓発セミナーをやったらおもしろいかも」などとぼくがつぶやくと、それいいねー、と反応する。

特定の主義主張に基づいて何かを否定する傾向のない彼女は、たんに怠惰でマイペースなのんびり屋なのかもしれないけど、ストレスをためない彼女のようなスタイルも悪くない。
楽しい日々を長く続けられそうだ。


貧困問題に取り組む活動家は、楽しい日々をすごしているのだろうか。
失礼ながら、貧困問題について論議している人たちの容姿や感性からは、貧弱な印象を受けることが少なくない。
むかしを思い出させるふしぎな髪型や服装。魅力的とは言いにくい肌と表情。
体のラインにも意識的ではないから、さわやかでない印象を受ける。
世の中のことについて発言するわりには表参道や代官山で人気の店も知らないし、インディーズシーンの音楽にも疎い。
料理に各種のハーブを駆使することもなければ、繊細なとれたて野菜のにおいにも鈍感だ。
だけど、社会体制を変えれば、人々がもっと豊かに暮らせると考えている。
ほんとうにそうなるのだろうか。

貧困問題に取り組めば、政治や経済を重視している人たちは生きがいを感じることができるのかもしれない。
だけど、そんな彼らの背後には、貧相問題に取り組む人たちが迫り、追い越そうとしている。

貧困問題に取り組む人が政治経済の問題を重視しすぎているせいで、貧相問題が悪化しているのではないかと、貧相問題の活動家は認識している。
そして、貧相問題が解決すれば、貧困問題の解決にもつながることを、彼らに理解してもらおうとねらっている。

統計には現れていないけど、容姿や感性が魅力的な人は、就職も結婚も有利だ。差別を受けることも少ない。
整った顔や容姿に恵まれた人、笑顔のすばらしい愛嬌のある人、奥ゆかしくてもさまざまな感性の人を受け止められる広い心を持っている人などは、多くの人から受け入れられている。

容姿に恵まれず、芸術的感性にも乏しく、お金もなく、愛想もなく、社会的地位もない人が、世の中に不満を抱き、自分を肯定するためにも、すべての原因を世の中のせいにしている面もあるのかもしれない。

でも、それでは多くの人に共感してもらうことはむずかしい。
貧困問題について語る人は、ちょっと貧相問題を意識してもいいのではないだろうか。
自分の容姿的・感性的な貧相さを克服してから貧困問題について語れば、説得力が増す。
少なくとも、貧相問題について取り組むさわやかな人たちから、「あの人たちの言っていることには説得力はない。世の中が見えていない」などと言われることがなくなるだろう。

「お金がないと容姿のことに気がまわらないよ」
「元がわるいから改善できないよ」
「感性なんていまさらどうにもならないよ」
などと言う人は甘えている。そんなことでは貧困問題も解消できない。

貧困に悩む人と同じくらいの収入しかなくても、センスのいい暮らしをしている人は多い。
彼女たちがどんな雑誌を読んでどんなところに出かけているのかを知って、貧困問題解決の一助にしてほしいと思う。



追記 貧相問題はぼくの造語。特定の活動家のことは念頭においていない。ただ、社会運動に取り組んでいる大学の先生が、ヨレヨレのシャツを着て頭髪も見苦しく、講義も聞き取り辛かったことを思い出した。


コメント
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