波打ち際の考察

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波屋山人

構造俳句宣言(趣味から芸術へ)

2010-12-04 17:17:04 | Weblog
芸術は、さまざまな表現方法を使ってバランスのとれた構造を示している。
音や色や金属や文字や身体などで示された斬新な構造を感じ取って、鑑賞者は反応する。

芸術作品に触れて、感動とか畏怖とか幸福などの印象を受けることは、料理を食べたときと似ている。
すばらしい、おいしい、味のバランスが絶妙、などと感想を述べることは、率直な感想だ。だが、それだけでは料理や芸術作品を正確に評価・分析しているとは言い難い。

どのような構成要素のバランスを肯定的に評価しているのか、その構造を説明してこそ、評価・分析を行っていると言える。
芸術作品そのものが示している構造を認識できず、作品を取り巻く人物や歴史、部分的なインパクトや印象に言及することは、感想や鑑賞を述べているにすぎない。

ところが、俳句の世界において、感想や鑑賞のレベルを超えていない言葉しか発しない人は多い。
「良い」「効いている」「絶妙」と言う言葉を使う人は多いが、どのような要素によるどのようなバランスがなぜ印象深く感じられるのか、その説明を行う人は少ない。

芸術に関わる人は概して表現に対して繊細だ。
あやふやな、なんと表現していいのか難しいことでも、最適な言葉や形を見つけ出して表現を行う。そこにオリジナリティもある。

そのような努力をしている人々が、なぜ自分の先入観や価値観に心地よく合致するものを安易に肯定してしまうのだろうか。
他の価値観を持った人々にも通用するような評価・分析が行えなければ、その芸術は多くの人々へ広がりを見せることは困難だ。

料理やワインを評価する人は、それらが示す魅力的な構造を示す言葉を持っている。
香りの多様性やバランス、味の奥行きや重なり具合、歯ごたえや舌触りの影響なども的確に示す。

俳句についても、その要素が示す構造の特徴やバランスを評価することができるはずだ。
それが一般化すれば、芸術としての俳句の評価も高まり、多くの人に共感してもらうことができる。

現在、芸術を志向する俳人は少ない。
季語や17音といった決まりごとを守れば、手軽にひとつの作品を形作ることができる。
その気軽さから足を踏み入れやすくても、形式にとらわれてしまい句に内包された構造に対して意識が向かっていない場合がある。

和装も、日本舞踊も、琴も、三味線も、お花も、日本画も、日本料理も、短歌も、俳句も、芸術を志向する人もいれば形式を守ることにつとめている人がいる。

形式を守る人は、形式を守らなければひとつの価値観のあらわれとして成立した分野が成り立たなくなると考える。
芸術を志向する人は、芸術として評価される構造に意味があると意識し、そのためには形式にとらわれないことがあっても問題ないと考える。

形を守る伝統芸能を習い事として維持していく人もいれば、伝統芸能の枠にとらわれず芸術的な構造を求めて表現活動を行う人もいる。

日本料理はエスニック料理ではなく、高品質な料理として認められるようになった。
伝統的な焼き物の盛んな土地で、芸術作品としての焼き物を作り続ける人もいる。
ファッション芸術の土俵で戦える表現としての和装を追求する人もいる。
俳句の世界でも、外国語で俳句を発表し、世界の詩人たちとの交流を続ける人が増えて行くだろう。

俳句を作りながら、俳句を構造的に分析し、芸術としての価値を評価することによって、俳句界を活性化させて行きたい。


・参考
角川学芸出版から角川SSコミュニケーションズに移って復刊となった「俳句研究」。
新編集長は37歳の女性らしい。
http://www.sscom.co.jp/haiku/index.html

先日、高柳重信著「俳句の海で―『俳句研究』編集後記集」という本を買った。
高柳重信はかつて俳句研究新社から発行されていた「俳句研究」の編集長だった。

高柳重信門下だった夏石番矢は「第2回東京ポエトリーフェスティバル2011」を実施する。世界各国から詩人や俳人、歌人などが集まって観客の前で朗読を行う。
http://www.geocities.jp/tokyopoetry/

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