波打ち際の考察

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波屋山人

自殺の一因は、論理的思考をもたない人のゆでガエル化

2010-12-06 23:28:01 | Weblog
13年連続自殺者が3万人を超えるという。
追い詰められ、自分の存在を消し去ってしまう人の悩みや絶望を想像すると心が痛い。

人口10万人あたりの自殺率も日本は世界でトップクラスだ。
もちろん、キリスト教的価値観が支配的でないせいもあり、深層意識の中で、自殺が強く忌避されていないのかもしれない。
だが、交通事故死者(2009年は4914人)の6倍もの人が自殺で亡くなる国は他にはない。
ストレスの多さが自殺者の多さにつながっていることは否定できないだろう。

なぜ日本社会にストレスが多いのか。
日本国の社会構造に問題があるというと言う人もいるだろうし、日本人の精神構造に問題があるという人もいる。
たしかに、日本社会は守るべきルールが多いし、守ることに耐える人も多い。
人に耐えることを強いる環境は辛い。

だが、まじめで従順で非論理的で社会常識に流されやすい日本人だからこそ、この社会構造を作り上げているともいえる。
ストレスに耐える我慢強い人が、ストレスの多い社会を維持している。
自殺者の多さは、社会構造のせいだけにはできないし、精神構造のせいだけにもできない。

ただ、ストレスをためこまない思考を身につけた人を増やすだけで、自殺者の減少や社会構造の変化につなげることができるはずだ。

自殺者の過半数は精神的にバランスを崩している状態だと言われている。
それでも、バランスを崩してしまうまでに、問題を改善する機会はあった。
ずるずると耐えているうちに心身のバランスを崩し、「自分の存在を消せば耐え難い問題は消滅する」「自殺すれば問題解決になる」というような結論に向かってしまう。

本当かどうか知らないが、カエルを水に入れて徐々に加熱していくと、状況の変化に対応できず、熱さに耐えているうちに逃げ出すこともしないでゆで上がってしまうという。
適切に状況を分析し、問題点と解決方法を洗い出し、段階的に行動すれば、行き詰まるまで何の行動もとれない、というようなことはないはずだ。

苦しんでいる人は、まず「自分が苦しいと感じる現在の状況」の構造を分析してみよう。
なぜ苦しいと感じるのか、「自分を取り巻く環境」と「自分の価値判断基準」の構造を把握してみる。
「どのような環境が負担を感じさせているのか」
「どのような心理が負担に感じているのか」
といったことを明確化する。

次に、耐えられるレベルに環境を変えることができるかどうか考えてみよう。
移動、休職、転職、どれも恥ずかしいことかもしれないけど、どれも死ぬほど苦しいことではない。
組合で問題として取り上げてもらうのもいいし、自分で改善する力がなければ改善案を提案できる友人に相談すればいい。

さらに、なぜ自分が耐えているのか分析してみよう。
どうして、苦しい、嫌だ、恥ずかしい、むかつく、へこむ、絶望する、などといったネガティブな感情を抱くのだろう。
自分の価値観を守ろうとして、抑圧を感じていないだろうか。
その価値観は、守るのに値することだろうか。

風を受けたバケツは転がるが、ザルはなかなか吹き飛ばない。
風の圧力に耐えられる強さを得る方法もあるけど、風通しを良くして圧力を逃す方法だってある。
小さなプライドのせいでストレスを感じている人もいれば、プライドの正体を見抜いて謙虚に行動する人が、ストレスをうまくかわしている場合もある。

自分を知るためにも、環境を知るためにも、論理的思考は必要だ。
問題解決能力に直結する。

長い間、日本では論理と論理をぶつけあう交渉ごとや、論理による組織改善は重視されていなかった。
論理ではなく、価値観を共有するという意味での納得、馴れ合い。
目標達成のための論理を優先せず、情緒的な立場から異論を述べる。

馴れ合いや情緒による判断も、共同体の維持に関しては有効な面があったのだろう。
だが、共同体が立ち行かなくなると、死ぬしか道がなくなる恐れがある(玉砕とか総括とか)。

生き延びるためには、自分の頭で判断し、自分の足で目的地に向かうことが必要だ。
その基盤が、論理的思考能力となる。
自殺者が年間3万人以上もいる状況を見て、施政者や教育者はどのように感じるのだろう。
どんな改善案を提示するのだろう。

私は、この状況を改善するには、「悩める人のゆでガエル化を阻止するための論理的思考能力の習得」が急務だと考える。
小中学生の頃から、授業の中で「世の中や自分の心の仕組みを考える」という授業を行えばいい。
教員に教える力がなくても、すぐれたテキストがあれば自習できる。


ふと思うのだが、激務で有名なコンサルティングファームの社員に自殺が多いという話を聞いたことがない。
もしかしたら、ロジカルシンキングに精通することが求められるコンサルタントたちは、自殺しないですむ方法を無意識のうちに見出しているのかもしれない。
論理的思考能力に乏しければ、自殺するリスクが高まる。
そういう調査結果が出れば、国も論理的思考を養うための科目を設けることを検討しはじめるだろうか。


※注 何だかもっともらしく書いてしまったけど、ぼくにはえらそうなことを言えるだけの論理的思考能力はない。かなりの初心者。

<参考>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101206-00000082-jij-soci
■13年連続3万人超の公算=自殺者、2万9000人に―前年比では減少・警察庁
時事通信 12月6日(月)16時59分配信
 警察庁は6日、今年1~11月の全国の自殺者(速報値)は、前年同期比4.1%減の2万9105人だったと発表した。月別平均2645人で推移しており、通年ベースでは1998年以降、13年連続で3万人を突破する公算が大きくなった。
 ただ、昨年1年間の自殺者数(3万2845人)を下回るペースは続いており、月別では昨年9月~今年6月に10カ月連続で前年同期より減少するなどしている。
 1~11月の自殺者の内訳は、男性が2万499人、女性が8606人だった。都道府県別では、東京(2693人)が最多で、続いて大阪(1898人)、神奈川(1682人)など。一方、徳島(159人)、鳥取(167人)、福井(191人)などは少なかった。 


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3 コメント

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discussion (noga)
2010-12-31 15:55:08
持論・結論がなければ、議論する資格もないはずだが、相手かまわず言いがかりをつけて議論をしたがる人がいる。
折角、相手を議論で打ち負かしても、それに代わる自説を提案できないのは非建設的である。
議論では「破壊は建設なり」とは行かない。不毛の議論にしかならない。時間はいくらあっても足りない。

自説を述べればそれで万事発表は終わる。
さらに、自説に似た他説があれば、自説の優位性を述べることも有益なことである。
これは、人類の進歩につながる建設的な態度である。

考える人にならなければ、自説はできない。このような人は、とらえどころのない人と呼ばれている。
しかるに、丸暗記と受け売りの学力を使って議論をしかけようとしている。
真正でない学問をもって世俗におもねり、人気に投ずる言説をなすことを曲学阿世というが、こうした行いが横行している。
こうした行為は、あながち個人の責任には帰しがたいが、由々しい事実であることには間違いない。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

日本語には、時制というものがない。だから、未来時制もない。
自分達が努力して向かうべき理想の内容も語られることがない。いわゆる無哲学・能天気である。
未来社会の内容が明らかにならないので、われわれは未来社会の建設に着手出来ない。

日本人の世の中の把握の仕方は、現実の有様に関するものである。「世の中は、、、」の形式で表現される内容である。
現実の内容は、皆がほぼ一致する。一人から答を得たら、それで皆の答がわかる。
現実の内容は、変えられない。政治家には、政治哲学がない。
だから、日本人は閉塞感に襲われる。
英米人の世界観は、未来時制であり現実とは別次元の内容である。
これは人によって違うから、意見は一人一人聞かなくてはならない。
良い提案があれば、相互に協力して建設に励むことができる。

皆が同じ現実の内容を話すばかりでは議論はいらない。
「理屈などは、どうでもよい。現実は見ればわかる」ということになる。
議論をすれば、現実描写に関する個人的なケチの付け合いとなり喧嘩になる。
皆が仲良く生きてゆくには、問答無用で生活することである。
現実にばかり囚われては、別次元の世界が一向に見えてこない。向かうべき所に関する夢も希望もない。
それで、諦観も必要になる。

アングロ・サクソンの考え方が我々の現状の打開策となるであろう。
彼らのメンタリティを理解するために、我々には英語の勉強が必要である。
ある時、私はアフリカの学者から「日本では、何語を使って大学教育を行っているのか」と尋ねられたので、「日本の大学は、日本語を使う」としごく当然のように答えると、相手はびっくりしていた。
きっとその人は、日本語で学問ができるなどとはとても考えられなかったに違いない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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Unknown (須賀利透)
2011-01-01 07:07:51
自殺者三万人というのはとても多い数字です。13年連続となるとさらに。よく交通事故者と比べられる事が多いのですが、この数値は事故発生から24時間以内での死亡者数で二日間意識がなくそのまま亡くなったとかそのような場合はカウントされていないと思います。データはどのように引き出されたか知る事が重要です。都道府県別に自殺者数を見る事もあまり意味がなく人口に対する%さらに年齢別にわけてみると見えてくるものが多いと思います。経済的な問題が一番の理由なので激務で有名なコンサルとかは経済的に安定するので他の会社や業種と比べて優位に多いという事はあり得ないと思います。あるとしたら何か明らかな理由があるはずです。たまに激務の上に非常に責任重大な仕事でそれが苦で鬱二なって自殺されてしまう方もいますが、ニュースになるくらいなので稀です。地方で景気が悪く金が回らなくなった場合が一番多いと思います。これはアメリカなどでも同じなんだと思います。
景気が良くなってどこでも潤えば自然と減ると思います。

とは言っても景気が悪い国は他にもたくさんあるので、そこのお金作りで失敗した人たちの自殺率が日本と比べてどうかで優位に自殺率が悪いか見えてくると思うんですけどね。

書かれている様に自殺はやはりメンタルに問題が起こった場合に起きる事がほとんどですが、経済的な問題の場合は自分の命を絶つ事で周りに迷惑が及ばないと言うのがコンセンサスとしてあるのがやはり問題で、今はどうなっているか知りませんが、お金借りる時に生命保険に入れられたりというのもそのような方向付けに一翼を担っているのかもしれません。
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2015-12-03 15:37:53
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