陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

ぼくらの発達支援法

2005-09-26 20:52:11 | 
カイパパ通信BLOG☆から『ぼくらの発達支援法』が出版された。発達法案が可決される前夜、カイパパ通信が国会へのコメントを募っていると当BLOGへ来られたaiさんに教えてもらい、締め切り間際に滑り込みカキコ。「発達障害者支援法を願う120人の当事者の意見書」に私の意見も入れてもらえた。この本の2章「耳をすませば」にもラッキー掲載。ありがたくってちょっと照れくさい。もっとちゃんと言いたい事があったような。あせってカキコした文だったから。

でも、BLOGを開設していなければ知らなかった、無かった話だ。ネットの世界ならではのスピードとコメントの集まり。熱い思いの集結だった。「耳をすませば」は年齢順にコメントが並べてある。幼児の親御さんの漠然とした未来への不安。学齢期の不適合と学校当局の狭間の苦悩。知的障害のない自閉症が世に知られていなかった頃の私の通ってきた道と今とそんなに違いがない。何とかして欲しい。救いが欲しい。救いはどこか?親の涙が乾く時はない。

カイパパさんは『涙』から『はじまりの旗』を振られている。せっかく施行された支援法をどう使っていくのか、当事者の我々にかかっていると。分かりやすく7つの支援ツリーに示されている。

 ① 見つける(早期発見、育ちの支援)

 ② 育てる(早期療育、家族とともに)

 ③ 学ぶ(その子らしさに合わせたオーダーメイトの教育)

 ④ 働く(誇りのある仕事)

 ⑤ 暮す(地域で暮す)

 ⑥ 楽しむ (余暇、うるおいのある心)

 ⑦ 守る (権利擁護、財産管理)

大きな木は理想を支える。早期発見なく療育もオーダーメードの教育もなく、いびつな二次障害を抱えて成人した息子の二の舞にならないこれからを。そして今の成人に、自分らしく働いて、暮らして、楽しめる今を。どんな支援があれば理想へ近づいていけるのか?実際、カイパパさんの名古屋では自分たちの手でマイ支援センター提案議会が作られ名古屋市への発達障害者支援センター設置に関する当事者からの提案書で市を動かしはじめておられる。黙っていない、声をあげる事の実践。日常に追われてる事を言い訳にして、嘆いてばかりいる私を深く反省。大きな事はできないから、小さな出来る事から。とりあえず本のPRです。

実際のところ県の発達障害支援センターに「施行後、成人について何か変りましたか?何か出来ましたか?」と電話はしたけれど、何にも具体的にないと返事をもらって、『そんなもんだわ』と妙に納得してしまっていた わ・た・く・し デシタ


山頭火

2005-09-25 18:12:08 | Weblog

去年まではドンチャン騒ぎの酒盛りで故人を偲んでくれた人々も今年は現れなかった。 命日の夜に仕事帰りにビールを供えに来てくれた律儀な人がひとり。 そして今日ひとり。私が好きだろうと竹内敏信の山頭火写真集を携えて。 四年も経てば故人も遠くなる。頂いた写真集をゆっくりとめくる。写真が静かに物を言う。句に流れるひらがながやさしい。

   いつでも死ねる草が咲いたり実ったり

  うれしいこともかなしいことも草しげる

夕暮れの窓の外には荒れ放題の庭があり、隣の空き地との境に曼珠沙華の一群が見える。

   曼珠沙華あせて亡き人また黄泉へ
             (ねごと駄作)


新聞とBlogと

2005-09-25 08:09:47 | Weblog
Blog開設1年が経過した。メール魔も、新聞投稿魔もピタッと止まった。

近況を伝え合うと言うか、返信が早すぎる私からついつい連日お暇メールが届き、かなり迷惑をかけていた友人の皆々様は時折、当Blogで私の近況チェックをして頂いている様である。いろいろ心配をかけている軟弱者な私。気にかけてもらっている事が大きな支え。おかげさまで無事一年過ぎた。感謝

腹膨る思いを溜め込んで置くのが苦手な性格が、新聞投稿に走っていた。運良く掲載の際には電話連絡があるけれど、なんとなく高圧的な応対。編集者と言う文章のプロから素人文章の瑣末につっこみがあったり、「ここんとこ変えて掲載してあげましょう」「はっは~ありがたくお受けします」的応対の後、数日後掲載となる。新聞ってエライんだ。たぶん。

Blogは怒り直結。即、自分の言葉で発信できてしまう。書いてしまえばスッとする効果。書きながら自分の考えをまとめる効果。そして一応、不特定多数の方の目に触れるので、発信情報にウソが混じらない様に自主チェックをするから、その事柄をちょっとだけ調べて詳しくなったりもする効果。一石二鳥以上、何羽でも捕獲できます

アスペルガーの息子については多くのBlog間交流も生まれ、私自身のピア・カウンセリング効果があったように思う。悩みながら、嘆きながら、思いの丈を吐き出してきた。吐いて消化してきたようだ。開設当初のどん底に比べると多少のパニックに動じないで居られる。また、そうなのか、アスペってこう言う特徴があるのか、当事者はこんな風に悩み苦しんでおられるのか等々。他BLOGを拝見する事で分かっていた様で、自分主体な見方をしていた反省が出来る様になった事と、よりアスペに対しての理解が深まった所為でもあると思う。カッコ良く終結はしないんで、ダラダラまたぼやきを書いてしまうだろうけれども


【本日の気になった新聞三面記事】

☆元特攻隊の方のBLOG紹介。BLOG名は「老兵の繰言」。

☆人権・平和に取り組んだ農業経済学者、飯沼二郎さん87歳の死。

☆『おやじのせなか』に登場の鎌田實さん。

☆読書欄に紹介の『オヤジ国憲法でいこう!」しりあがり寿・祖父江慎著。

ちゃんとリンクや写真を探してきてBlog記事にしたい事ばかり。時間がないなぁ~。今、読書タイムも取れなくて~観たい映画もガマンして~う~~ん試験が終わるまではガマンガマン


後藤田正春さんの死

2005-09-24 15:38:20 | Weblog
最後まで貫いた「非戦」 亡くなった後藤田元副総理 (朝日新聞) - goo ニュース

私は後藤田さんを知らなかった。実に知らない事が多すぎる自分にうんざりする。映画『突入せよ!浅間山荘』に、この人の実名が出て来た記憶があった。亡くなってインタビューを受けていたのが、直属の部下で映画の原作(連合赤軍「あさま山荘」事件<文藝春秋刊>)を書いた佐々淳行氏。この人の映画の登場人物としてまた記憶があった。

あの『絶対に人質の命を守れ』『突入部隊に妻子ある者は避けよ。』と指令を出したのが後藤田氏だったのだ。イラク派兵撤退をしなければ人質を殺すと言われても『テロに屈しない』のひとことで、生きる証と名づけられた証生青年24歳の命を救おうともしなかった小泉首相と測らずも比較してしまう。

彼は天皇元首制、自衛軍を盛り込んだ改憲案を作っている中曽根元首相が自営隊の海外派遣を推進しようとしたのを止めた逸話もあると報じられている。未だ続いているイラク派遣など話にも上らず、またしても小泉チルドレンたちがおもしろおかしくマスコミに取上げられている現状と比較をしてしまう。

映画亡国のイージスは好評のようだ。敵は自爆教育もされている北朝鮮兵士。どこかとどこかがくっついたような兵士の設定であり、『国の守りはアメリカへ』を痛烈に批判して、鍛えた精神力で戦う自衛官がかっこよく描かれていた。自分の国は自分達の手で守ろうと言う気にさせる。

ちょっと待ってよ。『武力には武力を』ではいつまで経っても平和は来ないと言う当たり前が、どこにも出てこなかった。映画の最後に協力の各自営隊駐屯基地がつらつらと並び出て、最後に後援『防衛庁』のタロップが流れてきた。私は背筋が寒くなった。折りしも九条改憲の話が出ている。国会で3分の2の同意。国民投票の話も出てきている。この小泉圧勝のシナリオは1年前から用意されていたと選挙が終わって話題に上っている。『亡国のイージス』を無批判に喜ぶ国民性は不気味だ。

自分の考えをしっかりと持たず、右にならえ、人がこう言っているから、多くの人がこう言っているから、それ正しい、間違いない、と簡単に流れる人心なら、操縦、シナリオ書きは簡単な事だ。実際に郵政の隠し玉を完全に見落として、この自民圧勝。小泉チルドレン大量当選。

後藤田さんの様な人が亡くなった事の大きさをかみしめてしまう。
自民党内にまだ後藤田氏の様に骨のある人は残っているのだろうか?


4年目の秋

2005-09-21 23:04:50 | Weblog
夫の命日は明日。四年前の今夜、夫の意識はもうなかった。物言わず大きく口を開けて、時折、このまま呼吸をしないのではないかと思える程、間隔を開けながら、吐いたり吸ったり。舌はもう奥にまるまってしまって、二度と話をしたり、おいしいものを食べたりは出来そうなくなっていた。

「おつかれさま。もういいよ。息を止めて楽になってよ。」

心の中で繰り返して、水を含ませたスポンジで何度も乾いてゆく口を湿らせてやりながら、ベット横に座って一夜を過ごした。翌朝10時頃、最後の息は吐いたのか、吸ったのか、それっきりだった。55歳。誕生日から1ヶ月と4日。22回目の結婚記念日まで後14日足らなかった。

亡くなるその時まで、消えそうな命に懸命に付き合った。私はあの日、失恋と失業と一辺にしてしまった。もう後は生きている事すら希薄で、『余生』としか思えなかった。

どっこいあれから4年。私はしぶとく生きている。2年目の秋。おそらくストレスから全身の毛が抜けたが、ふたたび再生の薄毛が頭部を蔽い始めていた。思い切ってカツラを外した。髪をなくした事がひとつの禊ぎの様にも思えた。私自身が新生になったような気持すらした。3年目の秋。10年近いブランクを経てまた同じ職場でヘルパーとして働きは始めていた。

ひとりである事にはすっかり慣れた。時折、遠慮の無い同世代夫婦の何気ない姿がたまらなく羨ましく見える事もある。ないものねだりはしても始まらない。今夜はいつもは焚かない線香を焚いている。のんべぇの癖にあんこ好きだったから、仏壇に最中を供えた。明朝、仕事前に墓参りにいこう。ビールを買って。銘柄はいつものアサヒスパードライで。

  季節を忘れず
  曼珠沙華が咲く
  ひとりで見る
  曼珠沙華が咲く
  私は強く成れただろうか


「曼珠沙華がいっぱい咲いてきれいよ。おうちへ帰ろうね。」

病院の地下から葬儀屋の車で出た。私は冷たく硬直して物言わぬ夫に話しかけた。車窓からみごとな曼珠沙華が続いて見えた。まるで家まで花道だった。夏の盛りに病院へ入って、季節の移ろいすら気がつかなかった。


*写真はBBSからいっくんのをお借りしました。  

自立支援法のお話

2005-09-19 17:26:24 | Weblog
いよいよ国会のたたき台に上がりそうだ。新聞で「これで暮らせるの?~間違いだらけの自立支援法~」の集会案内を発見。ちょうど仕事の合間。覗きに行ってみた。

会場には重度肢体障害の人の電動車椅子が目立った。講師は手話通訳の聴覚障害支援者。サービスは日常必要不可欠、普通に暮らす事にいちいちお金がいる「応益負担」はヘン。生活保護費より少ない障害年金から利用負担金を捻出。生活の安定の保障が現時点でない事に不満が噴出していた。

どの障害も同じなのだ。重度と言われる人たちの苦労と、まったく普通に見えて、軽度発達障害と呼ばれる人たちの苦労と見た目では比較が出来ない。聴覚障害の人の入院例が話に出た。24時間完全看護を謳った病院で、障害者は『付き添い』や『個室』を要求される。息子のベル麻痺入院で経験ズミだ。案外知られていないが障害があるだけで普通に生きる事にお金が掛る。

普通に働こうにも定期的な通院を誰しも抱えている。障害者枠を雇用にもっているはずの企業で実際に、重度な障害者の働く姿を見ない。就労の壁は今なお、強固に立ちはだかる。当事者、家族ががんばって1ヶ月、労賃が1万円にも満たない作業所開設がせいぜい。そこに通える人もまた一握りなのだ。

支援法案は就労施策も明確でなく、吸い上げる事だけ決まった様なもの。
『支援』の施策はどう展開されるのか?
『負担』はどの程度増えるのか?
具体的な話が聞けるかと期待して参加したのが、その点が語られず残念だった。

軽度発達障害支援法は4月に施行されたが、世にほとんど知られていない。学校現場で取り組みが始まった程度か。仕事の時間が迫って途中退席したから発言のチャンスがなかったけれど、三障害にも含まれない、発達障害がある事も話して帰りたかった。

集まっている人々から、いろんな障害者自身、家族があてにならない行政より自分たちで今の『多少まし』な生活を築きあげた歴史も感じた。発達障害はこれからか?介護従事者の労働条件の悪さを嘆いた時、看護師は自分達の手で改善を勝ち取って来たと言われた事がある。嘆いたり、あきらめたりしないで終わらない人々の会合だった。

支援法も知らない人は知らない。現に訪問介護の私の職場でもほとんど話題にのぼらない。ケア・マネも、制度が複雑だから簡素化されるのは良い程度んしか感じていない。誰でもいつ障害者に成るか、可能性は否定できない。絶対多数で通ってしまい、自分たちの首を絞める制度がまかり通らる危険を感じる。せめて、「郵政の後は支援法」と声に出そう。弱者貧民と持てる強者金持ちの2極化が進まない事を祈る。

小泉政権をしっかり見守り、あげるべき声は声にして反対意思を国民にまだ示す自由はある。


それでもやっぱりがんばらない

2005-09-18 07:44:04 | 終末医療
鎌田實先生の事は何にも知らないで講演に出かけた。”地域に緩和ケア病棟を”と言う市民運動の企画する講演なので応援のつもりでしかなかった。有名な人となのにチケットの売れ行きが今ひとつと聞いていたのに、大入り。安堵する。募金箱が入り口にあった。募金はうんさくさいのが多いしと素通りしようとしたら、駆け寄ってお札を投入する人を見た。かなりの鎌田ファンなのかな、講演の後でその気になったらしようと会場に入った。

ギター・マンドリンのグループ演奏が前座を務めていたが、ざわさわと2階席がやかましい。招待の看護学校の生徒らしかった。『こんな人達、招待して』と思ったが、『こんな人達』にお世話になる将来もあるので、話を聞きに来てくれただけでも良い看護師さんに成る素質ありと思い直して、雑音を排してこの日のために練習を積まれたに違いない演奏に集中した。

先生の紹介があって、先生登場。なんと客席に居られた様だ。手を振ってまるでミュージシャンの様。あったかみのある風体から、かっこいいより親しみを感じたけれど。

スライドが映される。諏訪中央病院の敷地の広さに驚き説明を聞いて、すべての安心が詰まっている事にもっと驚く。しっかり治療。万一の治療が叶わない時の、回復期リハビリ病棟から緩和ケア病棟まである。

夫の死を思う。緩和ケアに移る日、主治医が言った。
「ここは救急病院だから。」
急性期を過ぎた患者の場所ではない。自分の役目ではないと言う事だったのだろうが、その病院には[その後どうする?]の配慮は無い。多くの患者が救急病院で痛み緩和も充分受けられず、死の直前まで6人部屋で過ごすか家に帰される。病院と関連を持った在宅なら良いけれど、縁切りでの在宅は不安でしかない。しかし私の住む地域には救急病院以外を見ない。少し遠くても緩和ケア病棟に入れて死を迎えた夫は運が良かっただけに過ぎない。

有名人の長嶋重雄のリハビリは最大の努力が払われた話が出た。昭和天皇の最後を思った。毎日の輸血。一般人にここまではしないだろうと素人でも予測が付く。鎌田先生は言われた。
「長嶋と同じ医療は誰にでも行われなければいけない。」
庶民にか満足の医療がされていない現実が測らずも浮かんでしまう。

話の中で『許し』についてが印象に残っている。9.11の某国の許さないから石油高騰、先の経済不安にまで話は波及する。会場入り口の募金箱は劣化ウラン弾被害で白血病になった子たちへの義援金だった。私は劣化ウラン弾のと言うまがまがしいモノが使われた事実さえ、うかつにも知らなかった。ちいさな許しの心が平和実現に繋がる。ひろしま平和コンサートの南こうせつの言葉と同じだった。

息子はイジメを許さない。許せない自分の心が自分を苛んでいる。悪循環連鎖を見る度に「もう、いいんじゃない?その辺で。」とお腹の中で私はつぶやいている。

人を気にして生きる、困っている人にちょっと助けの手を貸す事が自然だった80年代前の日本はどこへ行ったのかとも問われた。確かに個人のプライバシーには敏感となり、他人関わらないスマートさが何かをおかしくしている。介護も子育ても社会のモノ。家族すら自分だけでていっぱい。社会に任せようとしている。

病気を診るのではなくて人を診る医師。いっぱい欲しい。

会場を出ると鎌田先生が立って居られた。お礼の会釈をしたら握手の手が出された。うれしくて、ギュッと握り返した。痛かったかしらん?それほどお話は感激しましたと、言う事デス。センセイ痛かったらスミマセン。

ネット検索していたら介護の学校と言う雑誌の”校長せんせいのお話”コラムがある。そう言えば、諏訪中央病院敷地内に介護施設も有ると聞いた。さっそく購読を申し込んだ。サイトに五行歌のコーナーも発見。今は遠のいているけど、かつては熱中していた歌だ。

抜け毛の秋

2005-09-17 11:17:42 | 円形脱毛
はらりと1本落ちてもドキっとする。ベットの枕に付いている。ブラッシングするブラシに数本絡んでいる。洗髪した後は流れた先の排水溝を確かめてしまう。

医師は抜けるのを防ぐ方法はないと言った。毎日、ごそっと一塊の抜け毛の日が続いたあの日が再来しそうで、自然な抜け毛だと思っても不安が過ぎる。カツラを脱いで2年目の秋が来た。眉もまつげもまだ健在。

「せっかく生えたのに、伸ばしたらどうですか?」
けっこう自然に生えたままのベリーショートが気に入っていた私にもじゃもじゃ頭の医師が言った。横に居た看護師が
「センセ、余計なお世話。個人の好みデス。」
とたしなめていた。
言いたいことを言い、言いたいことを雇っている人に言われているこの医師の病院は働き易そうだと、言いたいこともひっこめている我が職場がチラと頭をよぎる。

そう言えば、脱毛前はセミロングだった事を思い出した。またいつ抜けて行くか分からないから、医師の余計なひとこと通り、ちょっと伸ばしてみようかと言う気になった。

ほとんど書かない「円形脱毛」の検索で当Blogを開けて下さる方が毎日の様にある。かつて私も円形脱毛サイトをくまなく探した。ご覧になっている方に今辛い方が居られるのかと思うと胸が痛い。メジャーでない。命に関わらない。でも社会生活上とてもシンドイ病だ。完治があるとも聞かない。全身の毛を失う広汎性円形脱毛の再発率は70%と聞く。

今も私は1本の白髪すら大切に思っている。余分な刺激を与えない様に、そっと椿油入りのシャンプー石鹸で洗う。リンスもトリートメントも余分なモノが髪に残るのは不安だから使えない。カラーリングもパーマも怖い。ブラシもおそるおそる梳く。

ストレス軽減も大事な気がして、最近、整体に通う。静かな音楽が流れている中で、全身をほぐしてもらうと頭の芯が軽くなった気がする。長くぜいたくな気がしていたけれど、無理してはいけない自分には『薬』だと思う事にした。

全身の脱毛は一瞬、血の流れが止まった所為だとも聞いた。手足の冷えが気になりだしたから、末梢神経にまで血が通う様に、ショウガをしっかりと取る事にした。通勤時にショウガ入り紅茶を忘れず持つ。

気にする事も本当はいけないんだろうが、1本の抜け毛にやはりドキッとしてしまう。だって再発率70%。私はあまり運が良いとも思えない。30%の方に居る確信はない。

夫が逝って4年目の秋。彼は長い髪が好きだった。

楽しかった作業所実習

2005-09-15 06:42:29 | Weblog
うきうきステップで精神障害ホームヘルパー講習の仕上げの実習先から帰ったらしい。人からいつもと違う軽やかな帰還だと言われてしまった。毎度、訪問介護で疲れた上にスキでない所内の空気を思うと、ヘルパーステーションへの階段を上る足の重い事。

精神障害者作業所で1日過ごした。只、一緒に作業をさせてもらっただけで、かえってジャマ者。この実習がすまないと精神障害者のホームヘルプに従事出来ない仕組みになったいるので、作業所には迷惑だけどいたしかたない。

朝、元気に作業所に足を踏み入れたが、空気が重苦しい。確かにあやしい闖入者に緊張が走っているような。今日は作業する品がまだ来ないと言う事で、レクレーションタイムとなる。指導員さんがトランプを勧めて下さって、私も仲間に入る。ルールも忘れたので、詳しい人に習いながら、私の方の緊張はすっかり解けて楽しんだ。

途中、トイレ、お茶とトランプ最中にも関わらずメンバーが退席してしまうが、みんな咎める事なくゆっくりと席に戻るまで待っている。息子も落ち着かないとウロウロする。闖入者とトランプはウロウロ込みで気持の均衡を保っておられるのかもしれなかった。ひとり二階で寝て居られる方もあった。帰りたくなったら帰っても良い。自分の体調と相談して、自分の行動は自分で決めるルールだ。

やがて作業品が来た。さっきまでのダラダラとうって変わって、もくもくと始まる。敬老の日の折詰めの箱の組み立てだ。中の仕切り十字を組み立てて、紅白の紙を敷いて箱に組み込む作業だ。別に流れ作業にもならず、全工程を一人で完成させている人あり、部分に集中する人あり。疲れた人は二階の休憩室で勝手に横になれる。ここでは能率は問われない。「ゆっくりしようね。あわてなくていいよ。失敗分の余分もあるから。」と声かけがあった。(わたくし、一個、力余ってこわしました^^;)

仕事半ばで昼食。一緒に作業をすると朝の緊張がほどけてきた空気がある。隣りの席の人はあいかわらず黙々と食べて話し掛けていいのか悪いのか躊躇う雰囲気。厚かましく声をかけると照れ笑いの顔でコクっと頷かれた。私を拒否されているのではなくて、隣りに座っている事を許してもらえている様でうれしくなって、後は黙って並んで座っていた。

午後の仕事は折り詰めの仕事と、ギフトのラッピング。ラッピングは初めての仕事だったらしい。難色を示す指導員さんに「私スキ」と申し出があって、みんなで包み方を習う。ひと仕事すむと私にも一緒にやった達成感が満ちている。朝は話づらかった喫煙グループの輪にも行って話し掛けた。

「お金を言ったらわずかだけど、ここでみんなと居る事になんか良い事がある。」と言われた。確かに。

急げと言われない。叱られない。自分のペースで人を共同作業の輪に加わった達成感。一日、楽しかった。リフレッシュしたのは私自身だった。

失敗がない様に緊張が走る事務所。ささいな失敗でも叱責があるから、事務能力がスポッと抜けている私は書類ひとつひとつ何度もチェックするが、抜けていてまた叱責をくらう。自由発想で行動が出来ないからサービス提供者に提案すると必ず、重箱の隅をつついた様な反対理由で潰される。意見は言わず盲従。言われたパターンで仕事をこなすが楽の気持が強くなっている昨今。私がのびのび出来ないから、職場に向かう足取りは自然といつも重い。

自分自身を否定されない、無理を人から強いられない、自分の意志に従える時間と空間。あれこれ言われない事が逆に『丁寧さと能率』を生んでいる様な作業所だった。私自身のどこか社会不適合な部分がカチッと作業所にはまったようだ。社会全体の方がヘンなんじゃない?

郵政の後ろの隠し弾は?

2005-09-12 20:34:59 | Weblog
「謙虚に構造改革推進を」 自民圧勝で奥田経団連会長 (共同通信) - goo ニュース

あまりの圧勝に不気味さを感じる。郵政であれだけ独裁色を示した小泉さんを国民が支持した形、国民のお墨付きが付いたのだから、怖いモノなし。鬼に金棒。これからは数の力で、どんな法案でもスッスと通過しそう。郵政民営化の後ろに幾つの隠し弾を持っているのだろう。

もうすぐ10月から介護保険が改正される。利用者の自己負担がドーンと増える。支払い額が辛くてサービスを減らそうかと悩む利用者がすでに介護現場では見られる。一生懸命生きて要介護状態になって、なお、貧富の格差。もちろん所得格差のある自己負担金ではあるけれど、わずかな金額が堪える持たない人達は現に存在するのだ。

障害も介護保険との一本化をにらんでいる。障害者自立支援法の可決も近いだろう。そしてさらに先では自己負担は介護保険並みに揃う。もうそこには、障害年金であれ、老齢年金であれ、誰でもいつかは年金生活者になる他人事ではない、「増えない年金。増える自己負担金」の構図が迫っている。それでも足らず、さしずめ福祉については毎度おなじみの「痛み分け」で消費税10%なぁん~てのもすぐにマッタなしでやってきそうだ。

自民党改憲案の自衛軍、改憲九条も実現は早いだろう。軍事色は濃くなっていくのだろうか?そしていつまでアメリカ追従は続くのだろうか?

小泉政権を選んだのはだぁ~れだ?
これからの爆走には、だれがブレーキをかけるんだろう?

ケアマネ試験問題集にぶつくさ

2005-09-10 09:06:14 | Weblog
介護福祉士の実技免除講習の修了証書が送られてくるはずの日は台風14号が吹き荒れていた。講習最後の実技試験に備えて、同僚と休日、昼休み返上で、お互い介護を受ける人のモデルに成り合って飽きる程練習した。その同僚から「修了書がポストに入ってた」とメールが来て、あわててウチのポストを見たけれどナイ!やっぱり…あそことここがダメだったし…すっかり意気消沈。この程度でも胸が痛いんだから、大学入試の失敗など相当な痛手だろう等と思って一日暮れた。台風遅配かもと一縷の望みも持って。

翌日、仕事が終わったら家のポストに一目散。アッタァ~
これでめでたく3回は筆記試験のみ受験資格を得た。2回は落っこちてもいいのだ。

実技免除受講のみんなはセッセと筆記に備えて勉強が進んでいる様子だったが、うっかりケアマネも同時受験しようと思った私はまだまったく介護福祉士の方は手をつけていない。ケアマネより試験範囲量が多い。ケアマネ試験が済んでから11月、12月、1月と3ヶ月。年末年始も挟んでおり時間が足りるだろうか?とりあえず、迷って両方落ちる最悪パターンも充分あるので、10月23日のケアマネに専念する事にする。

しかし…

この問題集の問題は何だろう?某大手福祉資格関連書物を扱っている出版社のモノなんだけれど…

「介護サービスの財源を賄う仕組みとしては、租税財源の配分がサービス負担の増加に対応しやすく、国民の理解の得られやすい。」

社会保険方式となった介護保険制度について○か×か問われているのだけれど、
正解は×。

選挙も明日。誰がこんなお先まっくらな制度を導入したんでしょ?5年経過して10月からバッチリ利用者負担が増える改正が始まる。選挙マニフェストに「郵政民営化すらできなくて…」とか何とかおっしゃってます、このお先真っ暗な制度の責任政党さまは、この選挙では一切、この事に触れていない!

まぁ~次の設問へ~

「高齢者の終末介護は、末期がんの患者の場合とほぼ同じである。」

答えは×。
人の死を看取るのに、違いがある訳がない!
その人らしさの完結のお手伝いであると私は思う。
納得いかないので解説を熟読。

「高齢者の終末期介護の期間は通常長く、緩和も容易である。(中略)新たな症状の出現も少なく、終末期のがん患者とは相違点も多い。」

なんだか読んでもピントのズレた解説である。そもそも設問が悪い!と納得してこの件は忘却する。

こんな風に問題集に毒ヅキ、いちいちひっかっるので、サッサと記憶すればいいものを時間ばかり喰って、先に進まないし、「覚えたくないコトは覚えない」機能まで働いてしまうこの性格…。厚生労働省のお役人さまのご意向に添えないようでは、試験パスのお許しの見通しは遠いかも。確か某介護施設の人が、「おばさんは口ばっかりで、ひとつコトには丁寧だけど全体が見えないから雇っても役に立たない。」とか言われていたけれど、ワ・タ・シの事かしらん

やっと食べた

2005-09-07 04:38:11 | ねこ
台風が怖いから、完璧に麻酔がとけないまま自宅に連れ帰った。
ねこキャリー内に雨は入りにくいが抱えていた飼い主は頭からずぶ濡れ。
玄関でキャリーを開けるとひょこひょこ歩きで、
どこかに隠れようとしている感じ。
恐ろしかったのだろう。
最終的に私のベットで熟睡。
 
日中も夜になってもうずくまったままだった。
明け方になってようやく動きだした。
けなげにもちゃんとねこトイレで用足し。
餌も欲しそうなので、やってみた。
いつもの様に食べはじめた。
抗生物質を飲ませる様に言われていたから、
クラッシャーで細かく砕いて餌に混ぜ込んだ。
ニオイがイヤなのか薬をよけて食べている。
半分くらい体に入っただろうか?
残りは後で食べてくれれば良いが。

足のバンソウコウはなんだ?
血もついている。点滴の後かな?
夜が明けたら獣医さんに聞いてみよう。
嵐の中、とにかくひどくならない内に連れ帰る事ばかり思って
手術についての説明はちょっと受けたけど、術後の事とか詳しく聞き忘れた。

ふぃんふぃん、じいさんになったね。
台風は遠くへ行ったのだろうか?
雨は止んだようだけど、風は相変わらず吹いている。
車庫の波板がプルプル震える音がする。
どこか持っていかれたか?
どこかの家の一部が飛んできているのか?
4日ぶりの仕事も待っている。
被害も気になる。
今、架け替えが終わったばかりの錦帯橋の橋げた2本が
流されたとTVが言っている。

とりあえず明るくなるまでもう一度寝よう。
どうしてこう熟睡できないんだろう。
飼い主も歳とったって事だろう。

選挙になると急におともだち

2005-09-06 21:25:27 | Weblog
親しげにご無沙汰過ぎる人からの電話が何本も来る。
最初は「ハイ、がんばってください。」
と調子の良い返事をしていたけれど、
こんな暴風雨の最中に、
雨戸を閉め切っても家を揺する風や雨音が不気味に聞こえてくる時に
去年みたいに家の一部がどこかに飛んでいくのではないか?
ひょっとすると家ごと飛んでいってしまうのではないか?
と、落ち着かない時に、
自分のお気に入り政党を頼むとか言われても
素直に「ハイハイ」とは言えない。

「その政党はスキでない。」
ときっぱり言ってしまった。

猫の手術も無事終わったけど、
麻酔の切れ掛かった、本来なら病院にまだ居る状態で
横殴りの雨にぐっりょり濡れて、
台風が近づかないウチにと早めに連れ帰った。
猫はまだいつもの元気がない。

なんやかやで、私はちょっと不機嫌なのかもしれない。
台風が去るまでは落ち着かない。
寄らば斬るゾ

台風が近づく朝に

2005-09-06 05:13:41 | ねこ
まだ九州上陸していないのに、本州の端っこのこちらでももう強風が吹いている。遅めの夏期休暇2日目。老猫ふぃんふぃんの歯垢、歯石除去手術を予約している。午前10時に連れて行って、夕刻迎えに行く。この夕刻は暴風雨になっている恐れがあり、どうしたものか思案中。

12歳。口が臭い。前歯は牙一本しかない。しっかり口に入らないから餌はお皿からぼろぼろこぼして食べる。口内炎がたびたび出来る。口内炎が出来ると痛みから何も食べなくなり衰弱する。口内炎予防に必要な歯垢、歯石除去なのだ。猫に口開けて、あ~んしては理解不能だから、全身麻酔なのが可哀想。

昨年の家一部を吹き飛ばした台風18号を思い出す。それよりでかくてゆっくりな速度で不気味だ。もう一部雨戸を閉めて暴風雨に備えている。

朝いちばんに餌がもらえるはずが、何も食べさせずに連れて来る様に指示が出ているので、今朝はいくらおねだりされてもやれない。さっきから、にゃあにゃあ鳴いてPCを打つ手にねぇねぇと実力行使している。手術出来ないなら無駄な我慢させている事になる。

ヘルパー室もフル稼働する事だろう。独居の要介護者の所には絶対に誰かいかなければ。郵便配達の息子は今日も当然出勤する。猫の心配などだけしていては申し訳ない気がするが、休暇の今日を逃すとまたいつ連れていける日が出来るかどうか分からない。台風の勢力が落ちて、日本縦断コースを通らない事を祈るのみ。

ついでに、息子は安定してきた。通院が良かった。通院帰りからいい感じで、夕飯の手伝いを申し出てきた。一緒に作って食べた夕食は美味しかったそうだ。薬はまたリスパダールに戻った。台風の中の配達は苦に思わないで、むしろ張り切っている感じだった。息子の次は猫の心配。ほんとうに台風まで来て、なんだかなぁ~の夏期休暇だ。たった2日なのに。遠慮しながらそれもとったのになぁ~

台風前の夕焼け

2005-09-04 22:22:03 | Weblog
介護福祉士の実技免除講習の後半受講のため土日と家を空けた。最後にズドーンと重たい実技試験を終えて、疲労困憊。もうすぐ我家に辿りつく頃、冴え冴えと空一面真っ赤な夕焼けだった。嵐の前に自然が見せる不穏さも感じさせた。夕焼けはスカッと気分を一掃しそうで、何やら私を待つ我家を象徴しているかの様でもあった。

我家には金曜日と変らない不穏な息子が待っていた。留守にしてくれた家事、出来ていた事を見つけて褒めて、疲れた体にムチ打って夕餉の仕度に入った。

「食事は一人より人と食べると数段おいしく感じられる。」

と介護の食事のシーンで講師が言った。我家ではどうなのだろう?昨日も朝も一人で外食だったけれど、息子と食べる食事より気楽だったし、気持ちがゆったりしていた。今夜も勝手な時間に食べたい息子は放置して、出来あがり次第一人で先に食べた。呼んでもうっとうしがる。団欒、会話は彼が望む時以外は彼にとっては苦痛らしいから。

食後、テレビを観てくつろいでいたら息子が「食べよう」とテーブルに座った。反射的に配膳をする。自立を阻んでいる行為だと思いながら、言わないと分からない暖めとかドレッシングとか言うのが面倒でついやってしまう。

テレビに猫が映ったので、「かわいいねぇ」と言ったら、息子は「同意を求めるな!」と私とテレビから顔を背けて斜めになって食べ始めた。確かに、昨晩はひとりの世界に浸れたのだろう。一人で居る気楽さは息子も母も同じ。集中したい時は家に帰ると疲れが倍加するから、講習会場は帰宅可能な距離だったけれどビジネスホテル泊を選んだ。確かに障害の有無に関係なく成人した息子と母親の同居はどちらも少々の我慢の上に成り立っている。それでも息子と私は一緒に暮らす。それでも一緒に暮らすしかない。息子へ一人暮しの中間ステップとして、グループホームや福祉ホームも考えては見るが現実味はない。

前回は講習後日の仕事がきつかったから、まだ使っていない夏期休暇を月火と取る事にしている。明日は息子も休みだ。長く行っていない主治医に連れて行こう。もらっている薬は鬱の薬だと言い張って飲まない。私から見てもしっかり鬱々しているんだけれど。飲まないから不調なんだとも思えるんだけれど。せっかくの休暇も、休みだかなんだか。台風にも見舞われそう。まぁ~しかたがない。

試験の出来も、後から後からミスが思い出されて憂鬱の原因になりそうだが、試験のためにと昼休み時間返上で二週間練習した実技は身に付いた気がする。結果はどうあれ意義ある受講だった。と言う事で、まぁ~落ちてもいいやと自分の中ではしっかり落胆しない処理機能が働いている。

まぁ~○○。まぁ~いいっか。が私のキーワードらしい。突き詰めてもロクな事がない事ばかりが向こうからやってくるような日々。あっちこっち余所見しながら、ちょっこと肩の力を抜いて、ぼちぼちのとぼとぼで~♪