陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

パンパアカパーン~♪早くも退職願

2008-02-29 22:26:31 | Weblog
前任から受け継いだ仕事にはヤバイものが交じっていた。

介護保険は改正、改正また改正で
この前まで良かったのにどんどん利用できない事が増えてきている。
家族が同一敷地内に住んでいても同居家族とみなされ
家事援助は使えなくなって3年くらい経つ。
未だにその家事援助を堂々とプランに入れたり、
もしくは隠し玉にして利用継続させていた。
ひどいのは明らかに通達の後に新たに始めている。

役所の目はどんどん厳しさを増している。
私は利用者に納得してもらって介護保険での
家事援助を止めてもらうイヤな役目を負うしかないと
少し慣れた今月から行動を開始した。

同事業所のヘルパーが結託していないと出来ない相談で
いわば会社ぐるみでこの不正を行っていた事になる。
私がバシバシ切って歩くのが
このヘルパー主任は気にいらないらしく
少々の誇張を混ぜて経営者にご注進。
確かにケアマネ交代と怒られた方が1件あるが、
概ねやむなしと理解して下さる。

経営者はどんどん利用が減って困ると言ったが減ってはいない。
この人は人が良いのでヘルパー主任の言うことを真に受けている。
今日明日入った人間の言う事より
創設以来の人間の言うことを信じて当たり前かも。

1件ほど、今現在、家事をしてもらえないのならヘルパーを断ると
言っている利用者は確かにあり、
日曜にその家族を訪ねて事情を説明する予定になっている。
経営者から利用を断られるような対応はするなと釘をさされた。
かなり誤解されている感じを受けたけれど
私は弁解めいたことやヘルパー主任の誇張を訂正しなかった。
会社の儲け以外にこの人の頭にはないし、
介護保険も福祉も勉強する気も知ろうとする気もない人なのだ。

 『できないものは出来ません。』

 『会社の体質に合いませんね?』

そう問うたら、
経営者の首が縦に振られたので決心がついた。
また退職届を書くのじゃ
このようなモノに慣れてきてはイカンかも。
次は3月末日と1ヶ月後を期限にしておこう。
前回2ヶ月先を設定してくたびれた。

多くの内部告発は止めておくけど
私の方からも
『体質が合わない』とここんとこずっと感じていた。

いや~良い経験をさせてもらいました。
介護産業は中に入ってみないとわかりませぬなぁ~
3ヶ月と10日で退職とは今までで最短だわ。



どいつもこいつも人としてどうなの!

2008-02-29 06:43:21 | Weblog
生活保護の人を始めて受け持った。
介護保険を使った利用料は生活保護費から支払われるから
いちいち微細な利用変更も月間プランを作り変えては
役所に持参しなければいけない。

一応、窓口でどうしてプランが変わったか説明して担当に手渡すけど
「はぁ~ひぃ~ふぅ~」
の返答に
「おい、コラッちゃんと聞いているのか!」
といつも思う。

生活保護は不正受給だの認定却下で死んだ人など話題にことかかない。
役所の生活保護保護係はたまたま庁内の人事異動で当たった人であって
どうも福祉の人ではない匂いがする。

その利用者さんが入院だ手術だという騒ぎになり
独居で家族が居るには居るが連絡先が分からない。
前任は書類不備の人だから、保護課になにか情報があるか電話をした。
今、私は病院に詰めててケイタイ利用が不自由だから
出来たら家族に連絡を取って欲しいと言う下心もあった。

『今、担当は研修で居りません。』
しばらく検討の時間を下さいとのことで、
病院のふきさらし玄関でケイタイを持って待たされて
『係長がそちらに参ります。』

待つことしばし。
でっかい押し出しの強そうなおっさんがやって来た。

家族の承認なしに手術はできない。
手術しないのなら連れ帰れ。入院はさせない。通院治療に切り替えると
医師は言う。
大腿骨骨折で動く事ができない人を連れ帰っても独居でどうしようもない。

押し出しの強そうなおっさんはすぐ医師と掛け合ってくれるのかと
思ったら、待合室の椅子に並んで腰かけて私に相談。

『家族の承認がなのに手術はマズイですよね。』

おうおう役所的返答。
それが分かってるから困ってるんでしょ。

『家族と連絡が取れるまで数日、何か良い手はありませんか?』
『ショートステイってのもありますが…』
『そう、そうましょう!介護保険枠を超えませんよね?』

ちょっと事務所に帰ってそこらあたりを手配して来いと係長が言う。
おいおいあのまま本人をストレッチャーで待たすのかい?
第一、骨折したままの人を受け入れてくれる施設があるとも思えない。
荷物じゃないつうの!
たくっ!
保護費内で世話がまかなえるかどうかしか係長の頭にはないらしい。

長時間待たせている本人が心配になって、
係長は無視して
診察室となりのストレッチャーが入った処置室へつかつか入った。
痛い本人の唇が乾いている。何か早く飲み物をあげたい。
ベッドに寝かせてあげたい。
医師から人工骨頭施術と言う折れた腿の骨んとこへ金具を入れるんだよって
説明は本人にはない。
医師がそのあたり分かるように説明して欲しいが
次の患者にかかってカーテン仕切りの向こうの診察スペースに居る。

やや難聴の本人に分かるようにでかい声で
私が聞いた医師からの説明を本人に伝えた。
『手術はイヤだけど、このまま帰っても困るわ。手術してもらおうかね。』

大きな声で向こうに見えるナースに
『聞こえました?ご本人の意思で手術を受けるそうです。』
『先生に伝えて下さい。入院お願いします。』

結局、誰も彼も責任が取れないことは判断を下したくないだけ。
家族に連絡が取れるまで数日など言う役所はほっといて
家に家族への連絡先が書いてあると言う本人の言葉を信じることにした。
ヘルパー同行で入院の荷物を取りにいった時に家を探させてもらう承諾も得た。

もう一度、待たされて診察室へ。
『入院は術後2週間』と医師が私をにらんだ。
『どうして一人で置いとくの?』
それぞれ都合があって暮らしている。私が独居させているわけではないわ。
高齢者には介護人が必須で社会的入院は絶対させないと
自分の見解以外聞く耳なしのこう言った石頭医師が時に居る。
見れば医師も高齢者の部類に入る年齢。
退院に向けてはまた難関が待っていそう。

入院は決まった。私から家族へ連絡を取る。
と、決まったら保護係長はそくさと退散した。
あいつ何しにきたの?

生活保護は家族のあるなしや経済的支援の有無を調べあげてから
受給を認めるんじゃなかったかしらん?
家族のことが分かるまでに数日ってどういうこと?
役所こそ戸籍も調べられる。調べる気ならすぐでしょう?

家主ゴメンの家探しでいくつかのナンバーを控えて、
ジャカスカかけまくったら、みんな留守電。
やがて留守電を聞いた息子からかかってきた。
『着信に気がつかなくてすみません。』
今すぐ行けないとひたすら謝っておろおろされている。
県外だもの、仕事もある人が飛んでは来れない。
『病院に居られるんだから安心して。
病院が書類を書いて欲しいと言っているからなるべく早めに行って下さい。』

はじめて血の通った人らしい人と話した思いがした。
最後にちゃんと『ありがとう』と言ってもらえた。
お礼が聞きたくて奔走したわけじゃないけど、疲れが飛んだ。


夏の力道山  夏石 鈴子著

2008-02-27 22:31:16 | 
夏の力道山
夏石 鈴子
筑摩書房

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夏石鈴子さんの本との最初の出会いは
↓4年くらい前
バイブを買いに (角川文庫)
夏石 鈴子
角川書店

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『とってもやさしい女性の本だから読んでみて』
とメールをもらって図書館にあれば読んでみようと
検索したらずっとずっと奥の書庫に1冊ヒットした。
図書館員さんが探しだしてくれて、手渡されたら
なんと衝撃の表紙で思わず顔が赤らんだ。
リトルモアのハードカバー。
表紙のどぎつさに奥の奥に仕舞われていたのかもと疑った。
ところが読んでみると
ほんと友達のおすすめとおり、中身はとじんわりとあたたかい。
作者はほんとうにやさしい心根の人だろうとすっかりファンになった。

あれから読者も彼女のファンも増えたのか
最近は文庫本も出て本屋に平積みになっている。
すっかりメジャーになった感じでうれしい。

彼女の本は出版されている数が少ないから新刊を待っていた。
男と女の出会いから『家内安全』と家庭を営む話へと発展し
こんどは子供も居て
相変わらず働かない夫持ちで
今回は働く主婦のものすごくハードな生活が描かれていた。
実際に夫君は映画監督でひょっとすると売れない頃は
小説どおりの私生活ではないのかと想像する。

子育てと家事と仕事ともうフル回転で、
なんだか完全怒りモード鼻息を感じる書きっぷり。
でも家族を大事に大事に思っている感じがしっかり伝わってくる。
動きやすいスパッツを力動山のタイツに見立てての題名なのか?
女力道山となって我が身は構う暇もない働く主婦。
私も通った。うんうんとうなずく主婦は多いだろう

所帯じみてより身近になっても
相変わらず働かない夫を愛している女神目線は
バイブを買いにから変化はない。

反抗期の子供、倦怠期の夫婦、子供の独立、老夫婦の二人生活…
『夏の力道山』から先どう家庭に変化が起こるのか興味がある。

これからのアイシテルはどいった形になるのかな?
楽しみ、楽しみ


拓郎 復帰ラジオで“頑張らない宣言

2008-02-26 06:49:29 | Weblog
拓郎 復帰ラジオで“頑張らない宣言”(スポーツニッポン) - goo ニュース

吉田拓郎が復帰「これからは“テイク・イット・イージー”」(サンケイスポーツ) - goo ニュース

拓郎、夏に英語バンドで音楽活動再開(日刊スポーツ) - goo ニュース

1昨年の秋、突然コンサートツアーが体調不良で中止になってから
前にガンの手術をしている人だけに心配していた。

『加齢による不調』って分かる。
私も仕事は60歳までと決めている。
私自身、今、現在、記憶、体力落ちを自覚している。
60歳を超えて同職の人を見ていると、
ベテランではあるけれど、
人の言うことを聞く柔軟性が欠如している人が多い。
多少の老害を振りまいている事に当人だけが気がつかない。
そうはなりたくないし、
ならない自信がないから60歳でラインを引く。

拓郎の全国ツアーがもうないのは残念だけど
無理しないで自分のスタンスでってそれはそれでかっこいい。

61歳も人生半ば。この先を模索するものらしい。
♪~まだ~まだ~人生を語らず~♪

荒地の恋 ねじめ 正一著

2008-02-25 05:55:07 | 
荒地の恋
ねじめ 正一
文藝春秋

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NHKの週刊ブックレビューだったろうか?
取り上げられた数冊の中でこれはと興味がわいた。
53歳で親友の妻と恋に落ちて家庭も仕事も捨てて
急に詩がかけるようになった詩人北村太郎を
ファンであるねじめ正一が書いたと言うもの。
実際に詩の朗読会に若き日の著者が登場してきた。
53歳から死の69歳が70年代後半から80年代、90年代前半と
自分が生きてきた時と重なるのも馴染みやすかった。
ちょうど親世代になろうか?

恋におちた53歳と私の実年齢が近いことも興味を惹いた一因だ。
まず私の中にそう言う感情が湧き得ない。
湧いたとして一切合財捨て去っての駆け落ちもどきは
かなりきついとまず計算が働く。
若い人と違って双方が柵の中で生きている。
多少ハードルの低いバツイチ等で、たまたまシングル同士の熟年婚でも
いろいろと面倒くさいから戸籍上の籍はそのままなんて話も聞く。

ストーリーは駆け落ちでおしまいではなく、これが序にみえる。
なんとも枯れることなき若き情を持ち続ける詩人たち。

元夫の田村隆一は明子を呼び戻しておいて
何度も恋をし、最終的に離婚し彼女をひとりぽっちにさせる。

北村太郎もまた明子が去った後に子供ほど若い阿子に溺れる。

詩は
こうも波瀾万丈を産む人たちの中で紡がれていくものなのかもしれないと
平平凡凡の中でせめて伝記?小説でわくわする。

最後の最後に
『北村さんが死んだ。』で始まる
最後の恋人阿子だろう人物の語りがある。

北村太郎のお別れ会に日常生活からぽっとやってきて
死んだはずの彼に瓜二つの双子の弟に出会いギョとして
自分は「恋人であった」と語りかける。
弟は『北村太郎を幸せにしてくれて、ありがとうね。』と言い
彼女はせっかくの休暇だから、娘と夫の外食と言う
今のしあわせを感じるためにお別れ会は中座する。

シュールな結末に
思わずいつ阿子は結婚してたんだ???
と、パラパラとめくりかえした。
うたた寝しつつ読み継いだからどっかで読み落としたか?
確かに
『家庭があるんだから呼んでもすぐに来れない』と言う下りはあった…
覚えがある。
確か出会いの頃は病院の看護婦寮暮らしみたいな気がしたけれど?
北村との激しい性愛の間のいつの間に結婚して子供まで???

中年男は家庭を捨てても元妻への仕送りに喘ぎ
中年女は捨てた家庭に残した
一人では立ちいかない夫と
捨てたはずの家が汚れるのを気にし続ける。
恋の逃避行後も生活臭はぷんぷんとし、ちっともうつくしくない。
ロマンティックからはほど遠い。中年は哀しい。

北村太郎は猫好きだった。表紙の猫の絵はそこからきているみたい。
自分に家や仕事を捨てさせた明子が元の居場所に執着する姿は
『人よりも家に付く』という猫に似ていないか?

ドロドロとややこしい事をしでかした訳だけれども
やがて死を待つ病に冒された時
自分の情に忠実に生きて行動したことはすごく幸せにみえた。
男と女でなくても
人と人、ずっとおんなじ感情を持ち続けて関わっていくってことはない。

猫のようにしなやかに生きてもいいのかもしれない。
などと思いつつ老猫と一緒にこたつに潜って完読。
凡なワタクシは日常に追われると
もう駄詩を紡ぐところか字すら追えなくなる。


・・・「朝の鏡」/ 「北村太郎詩集」所収・・・

  朝の水が一滴、ほそい剃刀の
  刃のうえに光って、落ちる - それが
  一生というものか。残酷だ。


・・・「すてきな人生」/ 詩文集「すてきな人生」所収・・・

  モノをほしがる物欲、のほかに
  ココロをほしがる心欲、までもっているから
  ヒトは怪物、なのだ、
  

なさけないけど体力ない・・・

2008-02-22 20:09:44 | Weblog
昨日は頭痛と吐き気に見舞われて
家に辿りついてダウン。
息子が鍋料理を作ってくれた。(半分まで
お風呂にも入らず、ひたすら寝て寝て寝た。

朝、シャキッとしないので熱を測ったら35,3度。
こんなに低くて良いのかな?
のろのろ服を着替えて出勤。
ふわふわした頭でも仕事中はなんとか持ちこたえた。

週末はごろごろしてだらだらして
過ごしたいけど…叶うかな

やっぱり体力がないらしい

姑の復帰戦スタート

2008-02-21 06:03:26 | Weblog
姑宅へ福祉用具と配食サービス業者と民生委員とほぼ同時刻へ終結。
嫁の言うことにはことごとく逆らいたくても
他人には剥きつけにモノが言えないだろうという計算ずくで
これからどうするか?本人に考えてもらおうという腹だ。
お金が絡むことでもあり、
支払う本人の承諾がなければ何にも手が出せない。

入院生活は本人の予想を超えて下肢筋力が弱っている。
♪~だからいったじゃないの~♪
と半世紀も前の唄のフレーズなど突如思い出す。
どうやらウソ八百の中から真実を拾うと
私がしつこく言っていた『廊下を歩け』は
廊下を病人風体で歩いて人に見られるのが恥ずかしいからと
退院のその日にのみ
人が居ない時を見計らって一度だけ決行して、
病院の長い廊下を歩いたと言う事に満足し
たかをくくっていたと言う事らしい。

介護保険適応なら手すり設置は一割負担。
一人暮らしなので配食サービスは半額。
今の様子では要支援1.2くらいの判定結果は出そう。
しかし元気になったら店を開けて
介護保険適応者と言うのは問題だろう。
まだ元気になったら理髪店を開きたい思いが強い。
これまでも並の人と違う
『高齢でもひとりで稼いで生きているんだ』ってことで
人に弱みを見せず
ピンシャンしている自分を装ってきた人なのだ。
だから病衣で病院の廊下が歩けない。

結局、介護保険申請はしないことにし、自腹で
危険箇所に段差解消と手すり設置をして
配食サービスは当分
バランスの良い食事で体力、栄養を付ける意味でも
イヤになったり不必要と思ったらすぐに止めるということで
『嫁のお願い』として取ってもらうことにした。

介護保険適応外の人を対象に退院後の短期間のヘルパー利用制度は
利用料1回わずか300円ちょっとだ。
家の中を嫁である私には良い恰好がしたくて触らせられない部分も
ヘルパーさんなら案外イケルかも?と下心を抱きつつ
『買い物を頼める。』
『ストーブの灯油継ぎを頼める。』
私にSOS出していた部分を突く。
『短期間なら』ということで首が縦に振られたので急いで
役所に手続きに行った。
明日から週2回、3月末までヘルパーさんに入ってもらえる。

『今、少しの助けを借りて、元気になったら元の生活に戻る』
と言うことにどうやら落ち着いた。

緊急通報装置は親戚が町内に居ると言うことで役所に受けてもらえなかった。
替わりにボタンひとつで繋がる簡単ケイタイはどうだろうと言うことで
こっちもさっそく手配に行ったが毎月の利用料金に姑が難を示し保留。

悪徳商法にはいくらでもお金を捨てて、こう言うところは渋る。
電気代おしさに洗濯は手洗い。
寒くてもガス代節約のために給湯設備は整っていても湯は使わない。
爪に火を点すようにして生きてきたのだ。
いつまた心筋梗塞が起こるか分からない身でも
すぐに連絡できる安全より『金』なのだ。
こう言う選択がこの人の人生なんだろうとあきらめる。

考えれば
ひとりで踏ん張ってきた自負が崩れる抗いが少なかった様にも思う。
現状認識の甘さを言いすぎくらいに民生委員さんが迫っていた所為もあるが
気力が落ちたか?
まだまだ理髪店を開く気力が勝っていれば復活は可能だ。

復活に向けた応援をしよう。
むかつくことの多い姑だけど甘えない姿勢は良いなぁ~と思う。

姑いきなり退院

2008-02-20 08:06:59 | Weblog
前日、夕方見舞いに行ったらいきなり明日退院と言い渡された。
おいおい誰でも患者の家族はホイホイ迎えに来れるとは限らない。
その日に限って、
新しい利用者のこれからの介護方針を話し合うサービス担当者会議と
めったに家にいないご家族の在宅を確認して訪問のアポイントを取っている。

病院へ夕食まですませた時間でないと迎えにこれないからと
夕方退院の了承を得て帰った。

翌朝、会社に午前中に退院してくれ電話が入った。
ちゃんと迎えは夕方でないと無理と話して帰ったのに!
昨日まで点滴スタンドにすがっていたから
本人の歩行を確認したら
何も持たずに歩けると言う。
タクシーで帰れると言うなら一人で退院させてくれと頼んだ。
本人が無理と言うので夕方まで置いてもらえる事になった。
次の入院患者が出たんで早急に
追い出しにかかったのかもしれないと勘繰る。

なるべくすぐ帰れるようにちゃんと病衣は着替えて待っててと
前日、一人では入れない自宅へ近くの親戚の人を伴って
着替えを取りに帰って分かりやすい位置に置いておいたのに
荷物すらまとめてない。
帰ってからひとり暮らしなのに大丈夫ではなさそう。

ナースステーションに挨拶に行ったら
『しっかりみてあげてくださいね』
と、若いナースから声をかけられた。
正直、ムッとした。
こう言う上っ面の声かけを私は仕事上でしていないだろうか?
みたくてもみれない諸事情の中、これからどうするのか?
ゆっくり置いてくれない病院が余計に恨めしくなった。

休日出勤で稼いだ半日代休を今日の午前に消化。
福祉用具と配食業者と民生委員さんを姑の家に集めた。

帰ってさっそく、
姑は家にあがろうとして上がり間口でこけそうになった。
病院で歩かないと帰って困ると行く度に言ったが、
病人みたいな格好で歩けないとお体裁を言って個室に籠っていたから
下肢筋力の衰えは確実に来ていた。

帰宅に合わせて近所のカギを預かってくれていた親戚に家を温めて
寝る時に使う湯たんぽをお願いしておいた。
肝心の寝室に暖房がない。
暖房器具は何が良いかと訊ねたら分からないと言う。
あれだけ室内温度が一定に保たれていた病院から
火の気のない部屋はまずいだろう?
7時半。ホームセンターがまだ開いている。
急いで店に走った。
迷う時間もない。
独断で今日訪問した寝たきりの人の部屋をあたためていたオイルヒーター購入。

ふたたび急いでUターン。寝室に設置。
これはすぐに温まらない難点がある。
ずっと点けていれば問題ないんだけど
この人は結婚当初の同居中、電気代にやかましかった。
使い方も理解できないかもしれない。
体が良くなって要らなくなったら家で使うから貸しておくと言うことにした。
代金は貰わない。一時のプレゼント。
義理の仲はこう言うところが面倒くさい。

部屋があたたまって姑が寝るまでの間は親戚に頼んで我が家へ。
息子と猫がおなかを空かせて待っていた。
ありゃ?
猫の餌が切れていたのを忘れていた。
あわてて閉店間際のスーパーへ走った。
もう夕食は人間用も出来あいを買う事に。
昨日も姑の退院用の洋服を取りに行ったり来たりで
我が夕食は出来あいだった。2日続くと…ため息。
大体、入院した時の服を親戚に持って帰れなどと言うからややこしくなった。
退院の時はどうするつもりだったんだろう?
理解に苦しむ。

さて、朝ご飯。姑は自力で何とかしているかしらん?
冷たいようだけど至れりつくせりでは独居生活はスタートしない。
パンと牛乳。果物を昨日置いては帰った。
昼からは配食サービスを頼んでおいた。
気に入らなければ断って、自分で工夫してもらう。
民生委員さんから介護保険を使わない人の
地方自治体独自サービスの話をしてもらう。
私は実費ヘルパーや家政婦さんの手配が出来ることを提示する。

同居はどっちの家に集結しても無理だろう?
息子すら大好きなおばぁちゃんと一緒に住むかと訊ねたら返事をしない。

これから一人で暮らせるような方法を決めるのは姑なのだ。
私の支援も限界。もちろん見守りに通うけれど、
仕事と障害の息子を抱えてこれ以上、姑の支えをしては私が倒れる。
今日だって午後から仕事。
平日代休欲しさに休日出勤は堪える。仕事も実は滞っている。

さて、姑の朝の様子を見に行ってみよう。
几帳面な姑の家は
息子と猫と片付け放置の私の家よりよっぽど片付いていたなぁ~

昨夜も深夜まで息子にキレられて相手をしていた。
少し私の心に弾力が失われている気がする。
こう言うところASの息子は妙に敏感なのだ。
疲れている時に疲れが倍加する。午後から仕事ミスらないようにしなきゃ。



あてにならない私の体力さてどうする?

2008-02-18 06:46:25 | Weblog
姑の入院はまだまだ続きそう。
最短は2週間で本日退院予定だったが、
熱が出たり下がったり、
自己申告でまっくろな便が出たと言うのでそちらの検査も入った。

姑はテレビもラジオも見ない。
新聞投稿が趣味だった人にノートと筆記居用具を用意したが
1字も書かれた様子がない。
ひたすら7階という高さの窓から見える空を見て過ごすと言う。

病院は快適な室温に保たれている。
3度3度食事が運ばれてくる。
差額個室にはトイレも洗面所もあり
部屋から出る必要がない。

ナースと廊下を歩く練習をするが、
コロの付いた点滴のスタンドにすがらないと
病室内も歩けないとも言う。

高齢者ほど使わない部分の衰えは早く回復は遅い。
まだまだ、帰ったら散髪を待っている人がいると
仕事を続ける意欲は満々だが、
段差の多いあの寒い家で、ひとり暮らしすら難しく思える。

しっかり廊下を歩かないと歩けなくなると
行くたんびに言うと
歩けなくなったら困るからちゃんと歩いていると答える。

ところが見舞いに来た人には
「こんな髪も顔もきたない恰好で部屋を出れない。」
と言ったらしい。

家から化粧道具を持って来ようかと言ったら
『家はぐちゃぐちゃだから』と私が入る事を拒否する。
物が無くなったと騒がれても困るから留守宅に近寄らないに限るが
眉毛が薄い事を当人は気にしている。
入院の日のこっけいな描き眉がないと
廊下にも出られないのかもしれない。

便のまっくろに驚いたが
ナースが確認したら普通に見えるのだけど
本人がそう言うから検査をするとの事。

熱は下がったどこも痛くも悪くもない
来週には帰れると本人が言うから
ナースステーションで聞けば
高熱が出たり下がったりで抗生剤の点滴も続いているから
当分は無理との事。

病気の本態はやっつけても
心身機能を奪ってしまう入院生活が長引くのは困る。
自分ではしっかりしているつもりの姑の判断力のズレは
実子でない嫁がどうやって修正モードに持ってゆくのか?

すでに2週間でこれまでの生活が維持出来るか不安な様相になった。
88歳の独居。今までが元気すぎたのかもしれない。

おばぁちゃん係と張り切っていた息子は
インフルエンザではないがウイルス性の風邪を診断されている。
ようやく熱は下がったままになったが、激しい咳が続いている。
できれば家に居てあったかいものでも食べさせたいが
仕事にも行かねばならず、
姑の病院へは無論行かせられない。

仕事もなかなか面倒なケースを抱え、病院へも通い
遅く帰宅しても息子と猫の世話もろもろが待っている訳で
私に体力がそうあるワケでもなし…さて困った。


ハグの効用

2008-02-17 00:44:38 | Weblog
認知症の方は突如、怒りモードになる事がある。
回りの対応がプライドをきずつけたりすると
スイッチが入る。

お怒りモードで外へ出ようとする人を施設玄関で呼びとめた。
『担当ケアマネです。はじめまして』
何度目のご挨拶だろうか?
まだ覚えてもらえない。

玄関脇の椅子に座ってもらってじっくり聴きます体制にする。
ヘルパーさんがきれいに洗って畳んであった物を
勝手に洗濯してしまったとご立腹だった。
「しかも2度目なのよ」と言われる。
「いったいどの人なのか顔がみたいわ」
話すほどに興奮状態が募る。
この辺り、息子のパニックで鍛えられているから
怒りの感情に巻き込まれなくて済む。

決して記憶違いを突かない。
ひとしきり怒りの原因を聞いて、
よもやま話へ移行。
昔話も脈絡が危なくなって居られるが、
農作業の苦労話を楽しそうにされ始めた。
『しっかり働かれた手ですね』
と手を撫ぜたら
『あなたの手、あったかいわ』
『だきしめてもらいたいみたい』

素直なお気持ちの発露にためらわずハグ。

『おこまりがあったら遠慮なく言ってくださいね』
と何枚目かの名刺を始めての顔で渡す。

息子が辛くて辛くてたまらない時
『お母さん 肩を抱いてくれ』
と言った事を思い出した。

家族と離れて、今までとまったく違う環境の老人ホーム。
手厚い介護とも言えない人手不足状態。
ちょっとだけヘルパーさんに時間的ゆとりがあれば
興奮状態を招く事もなかったろうに。
心が寒かったのだろうと察する。

考えたらこの方に限った事ではなく
人は誰でもさみしい。哀しい。


そうだよねと誰かと言いあいたい

2008-02-15 22:12:37 | Weblog
『こんな問題行動を起こす人は精神病院へ入るべきでしょう!』

夜になると素っ裸になって廊下に排尿してまわり
止めに入ったただでも少ない夜勤ヘルパーが殴られたと言う。

『その言葉、ちょっと待ってよ』と私は言えなかった。
昼間の対応はどうなのか?
問題の行動ばかりみてその人の心を見ていないのではないか?
長い目でみてからまった心の糸はほどけないのか?
「机上の空論でしょ。あなた夜勤をしなさいよ」
と言われたら…
出来ない情けない自分だから黙って聞いていた。
私のケースではないから横車はご法度でもある。

毎夜、息子のパニックに付き合った頃
確かにいらだつ自分が居た。

でも
ご家族にはやんわり精神科受診をお勧めするのが先で
入院を迫るのは人権問題でもあろう。

朝のお風呂タイムに風呂に湯が張られていないと苦情がきたそうだ。
ひと騒動あって湯張りにすら手が回らなかったのだ。
働く人は募集しっぱなしの慢性的人手不足。

利用者が置き去りにされて部署部署で忙しく動き回っている。
それぞれの言い分があって、
一致団結手を取り合ってと言う感じになかなか成れない。
声の大きなきつい口調の人の意見が押し通されて
あっちこっちで不満が噴き出ている。
介護スタップの定着率はすぶる悪い。
発言の張本人もまだ在職1年目。

ここは福祉現場だよね?
犯罪を犯したのでもないのに
閉じ込めて世の中から隔絶しなければいけない人など一人もいないし
社会で生きてゆくことを自立支援法は謳っているし、
精神病院は普通の病院とおんなじ治療の場なんだけど。

職場には語りあえそうな人がまだみつからない。
無性にだれかと『尊厳』の話などしてみたい夜。


後期高齢者医療 在宅シフト後押しどうする?

2008-02-15 21:29:32 | Weblog
診療報酬改定 後期高齢者医療 在宅シフト後押し 質を向上、効率化(産経新聞) - goo ニュース

在宅シフトを押すのはいいけれど受け皿がない。
退院から即入所先探しに追われている相談業務者は多いと思う。
胃ろうや尿のカテーテル、酸素吸入の必要な状態で
『もう医療的は加護はありません。』と
じゃんじゃんお家に帰されても
介護保険枠ではまったく充分なケアはできない。
頼りの介護保険が頼りにならないのだ。

どこの介護施設も満床。しかも入所者の重度化が進んでいる。
慢性的な人手不足で満足なケアがむつかしくなりつつある。
カッとして利用者に危害を加えた介護士たちは
資質に問題もあろうが、
何より薄給で激務に疲れてはいなかっただろうか?

ほんとうはもっと心のケアもゆったりと誰しも
介護職は思っているはず、
はずがどうしても忙しさ追われてなおざりなケアになる。

理念理想も人手不足ではどうしようもない。
医療だけ先走って介護難民がどっさり生まれる雲行きが予測される。

自立支援が何も整備されない内に施行された障害者自立支援法の軌跡を
こんどは後期高齢者に辿らせるつもりなのだろうか?
長生きしたくないの大合唱が聞こえそう。

命を救う事だけで、
その人のその後の人生はしぃ~らないっと言う
医療自体を
考える時期が来ている様に思う。

 

ここらで一番利用の多い総合病院ウオッチング

2008-02-13 03:13:11 | 終末医療
地域に緩和ケア病棟が必要だと訴えた草の根運動が実って
亡夫を死の3週間前に遠くの緩和ケア病棟に運びだした病院へ
緩和ケア病棟が出来ることになった。
現在、そこに姑が入院している。
夫が末期がん告知を受けた場所であり
おととい8つ違いだったその時の夫とおない歳を迎えた。
54歳と言う背負うものも多い時期、まさに人生半ばで
死の宣告を受けたのかと感慨深く、
その場所に居ることで余計、いろんな思いが去来する。

> 明日の手術、しっかり病院ウオッチングも宜しくお願いします。
> ○○病院の緩和ケア病棟は大丈夫なのかと心配。

↑草の根運動を起こした人からのたまたまメールが来たので、
姑のことを書いた返事への返信。
彼女は近所に住む自らがん患者で子供さんを小児がんで亡くした人。
念願叶ったけれども、
これからはちゃんと緩和ケアが運営されるか監視の目が必要だと言っている。
↓以下、それへ答えて私の返信。

**************************** 

まず術前の医師の説明と手術には家族の立会が必須と言うのに
時間が曖昧で散々待たされました。

私は仕事を変わったばっかりで有給がありません。
日曜出勤してわざわざ代休を取って備えたのに
昼前から居て欲しいとだけで、
実際は説明が1時半。手術が3時半。

説明は姑は点滴が数本に尿の留置カテーテルが付いている状態で
1週間、個室のトイレまで歩くだけなので足が弱り
現在、車いすでないと移動困難なのに
ナースの詰め所に呼ばれて、
小さな心臓血管の模型を手に医師から説明がありました。
老眼の姑には模型がちゃんと見えたかどうか?
詰まっている箇所はに小さなテープが張ってありましたが、
今日施術する何人分も印がしてある感じで
姑のはどこか?説明が済んだらどこかもう分からない状態。
ざわざわとする詰め所の一角で聞き取りにくく
プライバシーも保てません。
レントゲンや見なければいけない映像がある訳でもないのに
医師の方から個室病室にやってきて話しても構わない事ではないのか?
少々、ムッとしました。
説明は早口で姑本人には最初から最後まで理解不能。
質問するとそんな事も知らないのか?と言う
医師態度で、丁寧な理解と同意と言う感じではなかったです。

手術ではなく検査と言う書き方で
太腿から心臓までカテーテルを通して
心臓部の血管を広げる金具が2個入れられると言う事でした。
金具を入れる事への危険は25%との説明だけで、
姑への金属アレルギー反応等の検査が合った様にも見えず。
高齢なので『しなくてもしても危険だよ』みたいなおざなり。
麻酔についてはいっさい説明なし。
施術をされる本人への不安に配慮したものはまったくありません。
何パーセント、自分たちがこれから行う手術に危険がともなくか?
術後の死への確率は何パーセントか?
でもしますが構いませんか?と医術者の保身のため説明、同意ですね。

いよいよ手術と言うか処置?検査?
ナースがひとりでやってきて
家族にベッドを押すのを手伝ってもらって
一般エレベーターに他の人もじゃんじゃん乗ってくるので移動。
狭いあのくねくねの増設廊下を必死の思いで押しました。
廊下の継ぎ目でガタンとベッドに振動がかかります。
痛みのある人はたまらないでしょう。
家族はここで待って下さいと通路の椅子に座らされて1時間。
どのくらい待つのかと言う説明では15分でした。

術後の太腿がカテーテルを通した時の出血が拭かれた形跡なく
血だらけのままなのもどうかとも思います。
術後、安静とはどこまで動いていいのか?
もうすぐ夕食なので訊ねたけれど
すぐに返答が出るまで1時間待たされました。
その日の夕食は寝たまま横向きで家族が食べさせるか
家族が帰れば、
ベッドを起こして自力で食べられる時間まで待たせるとの事でした。
姑は座って食べても誤嚥をするんで
寝たまま食べさせるのは不安だと訴えたんですが
家族が食べさせろと言う見解は変わらず。
放置された冷えたものを食べさせるのもかわいそうで
結局私が食べさせました。食欲なく1割程度で終わりました。
人手不足なんでしょう。

尿の留置カテーテルを抜いたら、点滴の電源を自分で外して
トイレまで点滴を持って移動。尿量を測ってトイレに捨てるんですが
姑は面倒がってトイレへいきません。
ほっておくとお茶もろくに飲みません。
足と顔がむくんでいますがその辺りの配慮もなし。

私も仕事持ち。付添は無理ですが、本来、必要に感じました。
本当に完全看護なのか?
夫が居た7年前と大差ない感じでご心配の通り
『緩和ケアは大丈夫なのか?』と言う印象でした。

*****************************

いつになったら患者や家族の目線の病院に生まれ変わるのだろう?
夫を緩和ケアに搬送する直前の担当医の言葉が忘れられない。

 『ここは救急病院です。』

救急病院で毎日のように人が死を迎える。

これで国の言いなり岩国基地拡大

2008-02-12 02:48:57 | Weblog
女子中学生に乱暴、沖縄の米兵を逮捕…知事「極めて遺憾」(読売新聞) - goo ニュース

↑こう言う事件のニュースが流れた日に
アメとムチで言うことを聞けと迫る国に
断固戦いを挑んでいた井原市長が負けた。↓

岩国市長選、艦載機移駐容認派の福田氏が初当選(読売新聞) - goo ニュース

『基地の移設を認めなければ地方交付税をカットする』
あてにしていた新庁舎建設がおかげで止まった。
そして
『民間飛行場誘致』『企業誘致』とおいしい話をチラつかせた。
こんな国の横暴がまかりとおるこれが法治国家だろうか?

多くの総理を産んだ保守王国、自民党支持の多い山口のお国柄とは言え
これで国のいいなり地方自治体が誕生した。

岩国基地の米兵が平和都市広島で婦女暴行事件を去年起こしている。
沖縄普天間基地から神奈川厚木基地から
ぞろぞろ岩国にやってくるのかな?

日本国土に日本人が自由に立ち入れない米軍基地の存在は
いったいなんなのか?
いつまで治安に不安のある米兵を住まわせておくのか?

完全看護なのかな?病院

2008-02-10 07:35:23 | Weblog
姑は処置室から差額個室にやっと移った。
トイレに行けて食事も普通食完。
毎日、様子見の息子の言うとおり元気にはなってきた。

点滴がずっとつながっているから身動きは取りにくい。
もともと水分をとらない習慣と言うが
ほとんどお茶も飲まず、尿量が少ない。
顔がむくんできて心配。

病室に付いているトイレで尿器をあて
自分で尿量を書きこむように指示されている。
書き込む量が尿器のメモリが何CCなのか分からない。
便器に捨てた後、トイレの水を流す方法が分からない。

ひたすら寝ており、食事が出てくるので
いったい今が何日なのか何時なのか分からなくなってきている。
テレビは頭がいたくて見たくないと言うが、
いつも見ているテレビ番組でも見れば多少時間の感覚が戻りそうで
テレビカードを買いに走った。

『見たくなったら見てね』
とカードを挿入してリモコンを枕元に置いて
スイッチの入れ方を教えたらパッと顔が輝いた。
本当は観たいのに、カードの存在が分からなかったらしい。
分からないが言えない見栄張りだから
困ってもナースや介護士に聞けないのだ。

どこで調達してきたのか紙コップに使い捨てスプーン。
箸がない。お茶をストックする物もない。
息子の付添ではやはり気付く訳がない。
今だに理髪店主で毎日、客の頭を切っている現役だから
自分が必要な品くらい口に出せると思った私が甘かった。

病院の売店に行けば何でも入院生活に必要な物は揃う。
この人は無類のケチだった。
病院で財布の口を開けることなど思いもよらないのだろう。
箸を洗うのはまだ面倒だろうと割りばしと
少し元気になってからの箸箱スプーンも揃えた。
食後に使った割りばしを捨てない。
スプーンは使い捨てを捨てず新しいスプーンには手もつけない。
ティッシュで拭って次に使う気らしい。
私の判断で必要と思うものは揃えて
寝たまま手の届くところへ置いたけれど使ってもらえるだろうか?

こうして爪に火を灯す生活で生きてきた人なのだ。
入院した日に本人の依頼で独居の仕舞いに家に入ったら
床下工事だろう領収書が丁寧に束にされたものが目に入った。
ざっと目を通して暗算。100万から先は数えるのを止めた。
霊感商法の印鑑も100万近い被害にあっている。
近所であった催眠商法で最後の羽毛布団に手をあげたとも
近所の人から聞いた。
爪火で貯めた金は悪い人に喰わせているのだ。

一番の血族は孫にあたるアスペルガーの息子と遠方で働く娘になる。
直近で世話をするのは亡くなった独り息子の嫁の私になるのだろう。

亡夫のいとこたちが近所に住んではいるが
甥たちは責任のかかることには知らん顔を決め込んでいる。
今回、入院させてくれたのは彼たちだが、
後はよろしくと言う感じだった。

以前悪徳商法を忠告したら
『自分の金をどう使おうと勝手』と反対に怒られた。
使い捨ての箸スプーンは不衛生だから捨てろと今回も言えない。
他人の嫁と言う立場はなんともむつかしい。

回診の医者には
『どこももうなんともない。
 普通とおんなじにおかげさまで回復しました。』
まだ心筋梗塞の処置が半分残っている身でそんな事はないはず。
権威には優等生ぶりを発揮する癖が顔を出しているのだ。

見舞に来た親戚には
『吐きけがして、何にも口に出来ない』
と真逆な事を言い心配をさせている。
昔からパクパク食べるのは下品であると言う思い込みが姑にはある。
病弱にみせることが上品だとの誤解に生きている人なのだ。

おかしな見栄や虚勢が病状の判断に差し支える。

1日4000円の差額ベット料の事も
12日に控えた手術の方法も意味も理解がむつかしい。
心臓カテーテル検査と言う紙を読み上げるナースは早口で
傍に居る私にも何のことかすぐには呑み込めなかった。

なぜ心臓の血管が詰まっているのに陰部のてい毛が必要なのか
姑に理解できたとは思えない。
太腿からカテーテルを通すとの説明を
もう一度私からしたら、
 『でも前は腕のここからした』
と点滴漏れで黒ずんだ箇所を示す。
いつも嫁の言うことなど絶対に聞く耳を持たない人だった。

食事の度のお茶も病院は変えてくれているのだろうか?
昼のお茶は昨日のだと姑は言う。
一人で長く身を処してきた人だから
自分から『○○してほしい』と他人に言えないなのだ。

私に時間が取れないからと
息子に責任を持たせて自信をつけさせたいからと
息子に付き添いを頼んでいたことの限界を
休日、じっくりつきあって突き付けられた。

次回手術には家族付き添いの要請があった。
会社を変わったばかりで私には有給がない。
仕事も休むと滞る。
今日、休日出勤して12日は代休で凌ごう。

新聞を買ってきて渡したけれど
日にちも時間も危うい感じをなんとかせねば。
入院による認知症状が帰っても継続しては困る。

完全看護とは名ばかりの病院に
ほんとうはきめ細やかな付き添いの手と目が居るのだ。
さて、困った。
悪徳商法に金は出しても
自分に有料の付き添い人など思いもよらない人だし…