陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

朝の散歩続くかな?

2006-05-31 05:57:25 | Weblog
仕事用にもらったケイタイに万歩計が付いている。ケアマネは口と手はよく動かすが、車移動で足腰が動いていない。

一日、3000歩。腰痛、膝痛がぶりかえした。朝の空気に歩くと気持ちがいい。

朝陽の写真を撮っていたら、散歩中の人が『後15分早かったら光がやわらかいですよ』と、言いながらすれちがって行った。

明日はもうちょっと早く出ようかな?




言葉の誤解

2006-05-29 05:31:27 | Weblog

こうしてブログを開けて、思うことを書いていると、
時々、私の真意でない受け取り方をした。
コメントが入る。
誤解を招く書き方しか出来ない私の文章力の稚拙さも大いにあると思うが、
パッと目に入った言葉に反応して、残念ながら前後を読んで頂いていない。

過去記事のひきこもり自立支援施設アイメンタルスクールの死者にコメントをくださったともさん。

purenaheartさんのコメント

>上に立つ管理者自身が、支援する現場の職員を管理的に指導していてばかりでは職員がくさってしまうんじゃないでしょうか。

を受けて、私HNみかんが

タイトルに『腐ったみかん』としたことに反応されてしまった。
教室にひとりいけない子(腐ったみかん)がいるとみんなが腐ってしまうと言う意味にとられたらしい。
私のBlogを読んで下さっているかたなら、
私がそんな考えを持たない人間だとお分かりで、
こんな誤解は招かないと思う。
おそらく検索で当ブログがHitして、

 彼がこんなに思っていた入所者を『腐ったみかん』なんて、ヒドイ

と言う思いをされたのだろう。
私はそんなことをちっとも言ってはいないのにも関わらず。

しかし、こんな誤解は日常茶飯事。
会話の流れで誤解されてしまったり、さらにそれで相手が激高してしまうと
誤解は誤解を呼んで修復不能などと言うことにもなる。

私は誤解を受けやすい言葉をついつい使ってしまうと、
職場で言われた。
どこをどう押したらそんな解釈になるんだろう?
散々悩んで気が付いた。
物を考える土台が違っているのだ。

職場で普通に対人として話してはいけない、
会社の人間であると言うフィルターを通して話さないといけなかったらしい。
そうとう物の考え基盤が私とは違う人たちが職場には集っていた。
誰でも善人、おなじ仲間と思っていた節がある。
2ヶ月も経ってそれに気が付く私も相当おめでたい。

専業主婦的感覚と言われた。
そうなんだろう。

私には五行歌や川柳やとても短い書き言葉で遊ぶ趣味がある。
歌会や句会へ行って生の声を聞くと、
言葉解釈の違いで、こうもとれるああもとれると意見交換出来て楽しい。
思った通りを口に出来る場所として、
職場がきつければきつい程、そんなところへ足が向く。

アスペな息子は言葉自体を誤解して使っていたり、自分なりの解釈をする。
なかなか人から誤解を受けない会話は
彼の障害を知らない人とはなかなか難しいものがある。

大体、言葉自体がニュアンスのあいまいさを持つ。
そんな言葉を使ってしか思いを伝えられない人間同士だから、
分かり合える人にめぐりあえたら、気持が和んでくるのかもしれない。
言葉すらいらない関係に発展できるともっといいなぁ~


今回の件は

ともさんは
『アイメンタルスクール従業員の彼は良い人である』と言う土台。

私は
『自分の思いとは違う上司に仕える』と言う土台。

ともさんは今、相当辛い思いの中に居られるに違いない。
話はそれるが、
ひきこもり解決のための他の施設はどう言う試みをしているのかも気になる。
最初からアイメンタルスクールが
商売の道具として開設された訳でも、
常道を踏み外した行為がまかり通っていた訳ではないと思いたい。



 

 


野いちご

2006-05-28 08:32:26 | Weblog
葉っぱにはトゲまである野いちごが庭で大きな顔をしている。1年間、試験勉強しなくっちゃと、庭の手入れもしないで放置していた結果だろう。昔、いっぱい採ってきてジャムにしたこともあった。その時、根っこごと庭に植えたんだろうか?記憶がない…しかし見事な繁殖ぶり。可愛いから、実が終っても一画には残しておこうと思う。

ETVワイド 認知症の私が伝えたいこと

2006-05-28 07:23:53 | Weblog

3時間の長丁場。途中から見始めて目が離せなくなった。
『明日の記憶』を観たばっかりで、若年性認知症は他人事とは思えない。
伴侶の居る人ばかり出演していたけれど、寡婦の身としては自分が発症したら
自分から初期段階で気がつけるだろうか?
世話をしてくれる人がいないとどうなるんだろうか?

実際に認知症の独居の人のケアをした事があるけれど、
最終的にはグループホーム入所だった。
このグループホームが玉石混淆。
ちょっと灰汁強すぎ、こだわり過ぎ発言で引いたけれど、
みのもんたは、母の介護経験から、
もし万一の時に自分の入る場所は今から探しているそうだ。
内情が分かると安心、満足が出来る場所は確かに少ないかもしれない。

かつて私は保育園に勤めていて、我が子は保育園に入れる気がしなかった。
福祉の現場は勤めている人の意識、トップの意識でどうにでも変る。
慢性的人員不足の上に、国の基準すら表面上守っているけれど、
実際は、運営上致し方なく誤魔化している所も少なくはない気がする。

ひきこもり私的施設の惨劇は記憶に新しいが、
閉鎖空間の怖さは福祉施設の虐待告発が後を絶たないことで感じられる。
いってしまえば、とことんいく。
職員意識に数の論理がどうしても優先すると言うのがある。
職員の出入りの多い所は要チェック。

ウチの上司が言う。
やさしい人は辞めて行く。意地の座った人間しか残っていない。
優しさが求められる職場の内情を上手く言い表している。

通所はまだ良い。
入所はすべてお任せの場所なのだ。
吟味に吟味が必要だろうが、
その時がきたら、とにかく空いているところになってしまいそう。

グループホームは外部調査が義務付けられているし、
WAM NAT認知症グループホーム外部評価情報に開示されているから、
ちょっと確かめることは可能。

他の福祉サービスの外部調査も始まった。
福祉行政改悪ばっかり目に付くけれど、これは国の評価できる改正だろう。

北海道の町長在職中に認知症になった人の奥さんが、

 怒りっぽくなった。
 否定や指示的な言葉にはすぐ、反応して怒り出す。
 昔はやさしい人だったのに。

と、言われていた。
記憶がなくなってゆく不安が、
自分への自信のなさがこうさせているのだろうか?

アスペルガー症候群の息子とオーバーラップする。
本当は、本来はやさしい子なのに、
世の中が自分の思う事と違う反応をする、
なぜ、みんなが引いたり、怪訝が顔をするのか分からないから
不安が不安を呼んでいるのだろう。

グループホームはひとりだけ記憶がなくなっていくのではないと
仲間が居ることで安心感が沸くと言われていた。
アスペルガーは同じ病気の人が集ったら安心感が沸くだろうか?
アスペルガーが認知症になったら?
障害者の高齢化も実際に進んでいる。
先行き不安ばっかりだから、
当事者か?ご家族かが言われていたとおり、

 なるようにしかならない

腹をくくっていくしかないのかもしれない。

 


顔つきに表れる心根・生きざま

2006-05-25 23:58:28 | Weblog

仕事で出会う高齢者は、介護保険利用者だから大半は歩行困難や痛みがいつもある人たち。生きてきたように老いるとも聞くが、同じ様に痛くて、できなくなることの増えてゆく人たちなのに、おどろくほど千差万別。

柔和な人、ガンコな人、感謝、感謝と言う人、不服ばかりの人、鬱の人…

 老いる=喪失感の蓄積

子供の巣立ち。定年。伴侶の死。友人の死。
徐々に失われて行く体の元気以外にもどうしようもない喪失がやってくる。

老後は趣味を、晴耕雨読の生活をなどと退職後の夢をよく聞くが、
それも体が元気である間の事だと思う。
それが出来なくなった時の自分は、次々に訪れる喪失体験の中で
何に生きる喜びを感じるのだろうか?

高齢者に会いながら、自分の老いてゆく道を想う。

職場では

 主婦感覚が抜けない、プロ意識が足りない、甘い。
 やさしいだけでは通らない。強い口調も必要だ。

と毎度、怒鳴りつけられる。

 上司の言う職業人としてプロとして身に付くのが、
 この顔つきならイヤだなぁ~

神妙に聞く顔のウラで、これまた毎度思う。

利用者さん宅へ同行した時、
真剣に話を聞き取っている彼女の横顔には
案外、昔はやさしい顔だったのかも?と思わせる片鱗が見えた。

意外や意外。そっちが彼女の素なのかもしれない。
何かが、彼女に意地を張らせているのかな?
ひょっとすると脆い人が虚勢を張っている内に
こんな顔つきになってしまったのかな?

職場で否定ばっかりされていると、
だんだん自信がなくなって、自分を見失いそうになる。

肌のはりもなくなって、シワもふえて、
目じりも口角も下がって、あごには引力の法則で肉が付き…
美醜を越えて、人間性が問われるお年頃に突入している私。

人は哀しいし、弱い。
毎日、上司のような底意地の悪い顔になっていないか?
ついついチェックしてしまう。

鏡の中の私は
不幸そうな、不服そうな顔もしていないかな?

こんな方にあやかりたいなぁ~と思う人に出会ったら、
その秘密をクンクン嗅いで、しっかり学び取る。
美しいオババさまに結構お会いするんです。

老いの顔は自分が作りあげるみたい。
いくら化粧品を選んでもやダイエットに励んでも
行き着く先は
まぁ~内面だろう?と思う今日この頃。



 

 

 


『ペダルの向こうへ』  池永 陽

2006-05-22 00:02:48 | 

『走るジイサン』を読んでから池永陽にはまった。

交通事故で母を亡くし、片足を失った少年と
事故の原因は自分が浮気を優先したためと言う負い目を持った父親と
母親の遺骨を生まれ故郷の宮古島まで自転車に乗って返しにゆく話。

道中にいくつもの死にまつわるややこしい人間模様に遭遇しながら、
義足をつけた足でペタルをこいで満願成就。

あらすじを書いてしまえば、ベタな話みたいだけれど、
けっこうヘビーな出来事が次から次で飽きさせない。

虚構の小説の芯に嘘が書かれていない気がするし、
人のずるさや弱さや認めてくれるやさしさも感じられ、
読んでいて、私自身が楽になる。

逡巡する気持やどうしようもない負い目の解決に
やたら出て来たケジメのつけ方。
どこかで、エイヤーと言う踏ん切りは必要かも?
と、読み進むうちに納得してしまう。

最後の舞台の沖縄がまた良いなぁ~
読み終わって、TVを付けたら
丁度、日曜美術館で琉球王国の逸品をやっていた。
ものすごいタイミング。

色が違う沖縄の海が映った。
思わず
宮古島でクジラの母子が海を割って泳いでゆく
終章のクライマックスが浮かんできた。

池永陽さんいいわ~
続けて『指を切る女』を読もうっと。

 

 

 


明日の記憶

2006-05-20 08:22:28 | 映画(DVD)

出勤前に新聞で明日の記憶の映画評発見。
思わず我が身は大丈夫か?心配になった。

『博士の愛した数式』『折り梅』などの映画も浮かんだが、
何より、若年性アルツハイマーは私と同年齢で発症する。

数日前、これまた出勤前のせわしない時間で、半分しか観ていないが、
NHKの『生活ほっとモーニング』に当事者が出演されていた。

若年性アルツハイマーの恐ろしさは、
加齢の範囲だろうけれど、物忘れ、ど忘れ、記憶落ちの自覚があるから
もっとひどい状態進行が容易に想像できてしまう所にある。

ケアマネの仕事に翌月のケアプランを自宅に持って行って説明して、
印鑑をもらうのがある。
昨日、最後の訪問宅で、前月もだったけれど、

 印鑑はどこだ!?

どうも前月よりも認知症が進行されている。

 バカに成って

と、自分自身をなじられる。
物が分からなくなる自分はしっかりと分かるのだ。

レイトショーに間に合う時間に夕食が済んだ。
相変わらず食べたくない息子も気になるが、
明日は休みだと思うと、フットワークよく観に行く気になった。
せっかくのOFFに
どうしてこう仕事に直結しそうな映画を選ぶのかとも
思ったけど…

新聞の評を書いた人も
長谷川式の認知症テストのシーンでは
思わず自分もやってしまったそうだが、

ハイ!私もしっかりやりました^^;

100-7=93 それから7を引くと…
利用者ファイルに閉じこんである
お馴染みのテストだけれど、
私自身が受けた事はない。
う~む・・・認知症すれすれではないかと思われる。

『もの忘れ外来』は近辺にあったかな?
行った方がいいかしらん?
帰宅した私に映画好きな息子(自宅ビデオ専門)が

『どうだった?』

思わず、『コワかった。あっホラーじゃないよ。』と
答えてしまった。

映画の内容で、ひとつ予想に反したのは

『ずっとあなたのそばに居る』と言った妻が、
退職を余儀なくされた夫の代わりに働きに出て、
日中、病気の進行する夫を家に一人で置いておく辺り。

当然のごとく、妻には妻の世界が外に出来る。
今まで専業主婦で、家族の世話が仕事。
家の事が第一だった人間が、
退職前からお金が要ると行動に出るのは
元専業主婦の感覚からすると首を傾げたくなる。

働けないかもしれない発達障害の息子との自分の暮らしを思う時、
ガンの末期宣告された夫の看病の日々を思い返す時、

お金の事は後回し、ギリギリあれば良い、
なにより、一番に

 家族を見守る時間確保を考えた。

息子との暮らしが始まった時も、
まずはパート就労以外は考えられなかった。
昼に家へ帰る事が出来るから、登録ホームヘルパーを選択した。

仕事を辞めて、家にひとりぽつねんと居るアルツハイマーの渡辺謙の演技。
だんだんと精神荒廃がすすむ感じがよく出ていた。
退職の日に会社を振り返る頭の薄さ。
確か二枚目の役者さんだったと、
もう一度思い返したくらい役にハマッていた。

遅く仕事疲れて帰宅する妻との諍い。
働ける妻、養ってくれている妻、
疲れさせているのは自分だと思うのか?
また、
ふがいない自分が責められるのか?

我が家で繰り返される息子と母のシーンのも似ていたなぁ~

家に居てすることがない。
社会との接点が少ない。
ひとりぼっち…

夫だったら、私はこうやってフルタイムでは働いていないだろう。
記憶がなくなるまで、とことん二人の時間を持つと思う。

息子の場合、成人した息子の場合、
逆に、私の手厚い保護はマイナスかとも思う。
一人の道を生きていってもらうためにも私は専業主婦を降りた。

私自身は、夫の死が訪れてから後になるまで、
学業途中の子供が2人も残される事が分かっていても
実際、お金の心配は頭を占めることが出来なかった。

だんだんと死に向かう、一気に老いてゆく
夫の傍を離れる事すら考えられなかった。
彼にさびしい思いは絶対にさせたくなかった。
病院の行き届かないところは私がカバーしなければと、
それしか思わなかった。

映画のストーリーでは
ちゃんとした企業を退職して、退職金もある。
子供は巣立ってお金も掛らない。

夫が働けなくなるからと、在職中から
すぐに経済状況の方へ、思いが至る妻に共感ができなかった。

夫は夫で降格、窓際になって退職金減額になっても、
娘の結婚式までは会社人間、職のある父親で居たいと言う。
娘のため?
世間体のため?
自分自身のケジメだったのかな?

残された時間が少ないと分かったら、
もっと自分のために貪欲に使えば良いのにもどかしかった。

最後の25年連れ添った妻を忘れてしまうシーン。
回避できなかったのは、
公言した『ずっとあなたのそばに居る』
を守らなかった所為ではなかったか?

友だちでずっと独身の職場のオーナーが認知症専用の施設パンフを渡す時に言う

『自分の時間を持ちなさいよ。』

コレを後回しにするのが、専業主婦感覚かもしれない。
一旦、激しく拒否してから、やっぱり受け取ってしまう逡巡。
妻役の彼女を責められはしないけれども、
働く時間を持つと、自分を取り返す時間が欲しくなる。
これは私自身にも今、湧き出てくる思いで
ふ~む・・・そうなるのか?と我が身を観察中。


『専業主婦なんて、理屈ばっかり言って高校生より使えない。』

就職依頼のシーンで、きっぱりと言われていたが、
家族のためだけに心砕く生活で培われた感性は、
残念ながら、社会人としては邪魔らしい。
まるで、私に言われている様で、
しかも確信を突いていてズキンときた。

50余年生きて来て、
20年ぶりの専業主婦から社会人の世界への転換は
正直、カルチャーショック。

視野が狭いと言われようが、常識欠如と言われようが、
愛する人々へ寄り添う事、
自分より家族を優先して生きてきた時間をむだとは思わない。

仕事一筋からアルツハイマーで仕事ができなくなった時、
この人の生命は終ったわけではない。

ほんとうに寄り添って
夫婦で、それからの人生を模索する
もう一つの物語展開が考えられなかったか?

あの及川○○(記憶が危うい)が医師役と言うのも異表を突かれたが
このセリフはキマッてた。

 人の体は滅びに向かっている

アルツハイマーもまた死へのプロセスのひとつ。
特別なことではないのかもしれない。

老いから死へ。遅かれ早かれ誰だって避けられないコトなのだ。
50代で末期ガンで逝ってしまった夫。
痛いとこだらけの不自由な体が長く続く私の利用者さんたち。

いつだれがどうなるのか誰にも予測がつかない。
生まれ落ちた時から、死に向かっている事だけは確実。

せっかくだから笑って、
いい日一日を重ねたい…と
思うことは思う…
尻つぼみ…




 


 


力を抜いて楽になる合気道は良いかも

2006-05-19 00:49:20 | Weblog

息子に合気道の基本の動きを習う。
合気道の心は和と言う。

 人と合い和す

どこにも力を入れてはいけないと言う。
自然に任せて、流れるように~

余計な力みを抜く事が意外に難しい。

以前に予防介護のための体操を習ったが、
ぶらぶらと力を入れない動きが主だった。

末端まで血のめぐりを良くするらしい。
実際に手先、足先の冷えが消えて、疲れも取れた感じがした。

第一に、

 がんばらない体操が体に効くと言うのが良い。

人間関係に於いても

『自分が、自分が』を捨てて、
人の呼吸に合わせる事が和の秘訣かも。

できそうで、できない。
なぜか人のアラに目が行く。

自分の不出来を認めて虚勢を張らないことも力みを取ることに繋がる。
息子には自分をBIGに見せたい欲がある。
かわいそうだけれども、いじめやバカにされた過去がそうさせる。

息子が先生。私が生徒。

いつもああしろこうしろが多い母が一生懸命に教えてもらう。
逆転の時間だ。

覚えの悪い母にキレない息子はエライなぁ~
構えると息子の姿勢はよくなる。
息子、カッコいいじゃんと超親バカになる。

負の刺激も自然体で受け流せるようになってくれればと思う。
にぶい母も何度も繰り返して
力を抜く動きを教えてもらいながら

我を捨てる。力みを捨てる。
目を閉じて念じながら動く。

やや良さそうだったと思う時、
息子から

 『そうじゃ、その呼吸』

と、声がかかる。ほめられるってうれしい。

体と心と一緒に軽くなるような
がんばらない体制が整うと

 実力以上の事がスッスッスススー

と、できてしまうような錯覚も覚える。
根がおっちょこちょいな私の性格は直りません
どうしようもないんですわ~
すみません

認めて、
頭を下げているうちに
職場も、あんまりしんどくなくなった。

合気道を始めてから、時代劇口調を使う息子。
武士道はもしかすると

 人へのやさしさだったのかもしれない。

親子で修行の身じゃ~



 


受け入れがたい人との葛藤をどう自分に生かすか?

2006-05-14 22:52:17 | Weblog

日曜と言うのに職場のみなさまとご一緒に県のケアマネジメント研究大会に参加。朝早くから道中も一緒の車でドッと疲れた。

記念講演だけは良かった。
内容はある実習生の日誌が綴られたこのHPそのものだと言われたので、
さっそく検索してみた。

利用者さんと向き合うことは自分と向き合う事。
自分自身の価値観、世界観に囚われない事。
自分の人と関わる時の癖を知ろう。
自分自身の気持を多面化して、客観視する。

相手の分からなさ、謎に関心を向ける事。
効率化で省いて仕舞い勝ちな無駄な部分が大事。
相手に想像力を働かそう。
平面でなく立体化して相手を知ろう。
大河は蛇行して流れる。
解決は螺旋階段のようなものかもしれない。

生きた言葉で対話しよう。
その場かぎりの言葉、虚言に逃げないで、対話をしよう。


たくさん役立ちそうなキーワードが出てきた。

私は
対利用者さんではなくて、

本当に日々憂鬱な
対職場の面々を頭に描いて聞いていた。

最後に講師が言ったあまりに正直な言葉に、
がっかりもし、

そうだよね、と納得もした。

対話は奥が深い。
せめぎあい、すれ違い、
どうしても受け入れがたい人々との対立を
どう生かしていくのか?
これからの自分自身の課題であると。

多面的に相手を見て、どうしてこうなのか納得がいっても
未熟な私はやっぱり相手を好きになれない。
こう言う場合、相手も私を好きではないだろう。

職場カラーと言うのかな?
おんなじカラーに染まらないとそこではやっていけないのだろうか?

受け入れてもらえる職場もない息子を見ていると、
ちゃんと雇用されているのに、贅沢な悩みのようにも思えるけれど…

同じ講演を聞いた帰り道の車の中で、
あいも変わらず利用者悪口。仲間うち悪口。
口調は自分が絶対。
自分基準の押し付けばかり。

彼女たちの心に講演はどう響いたのだろうか?
同じようにメモを取っていたが興味深い。

講師が『こんな夜更けにバナナかよ』を勧めた。
私の悩みに答えが出るか?読んでみよう。

職場の面々の事はさて置き、

対息子に対してはかなり有効な話だったように思う。
どうしてこうなのか?
世の中の当たり前と言う枠をとにかく外して、
想像力で寄り添うことが安定への、
一番の特効薬みたいだ。

認知症や鬱病の利用者さんに接する
私自身を問い直す気持も持てたような。

 



 

 


出社拒否気味

2006-05-11 07:56:19 | 円形脱毛

かつて、おそらくストレスから全身の毛を失った。
広汎性円形脱毛症と言う。
今はもう過去の事。誰も信じない程、頭髪もある。
新しく生えてきた最初の毛は白髪の産毛だった。
やがて白髪メッシュとなり、自然な感じに生えてきた。
頭に劇薬を塗る治療を皮膚科で受けた。
頭に塗る前に、その原液を腕にちょっとつけられた。
その箇所がもう3年を経過するが、気候が暑さにむかうと
ぶり返してはヒドイ湿疹になる。
未だに皮膚科と縁が切れない。

チャーグストラウス症候群
ヘルパー時代に知った病名。ストレスが原因らしいと言う。
まるで、リューマチのような骨の変形と痛みがあり、
手指、歩行に障害が出る。

そんなこんなを過去に書いたら
しっかり漢方薬のHPに記事がリンクされていた。
1年以上ブログを続けているとこんなこともあるらしい。

新しい職場に就いて、2キロ体重が落ちた。
連休で1キロ戻った^^;

 ハゲたら辞めるゾ!

ハゲないけど、胃が痛む。
好きなコーヒーは止めて、息子の好きなほうじ茶にした。

もう少しやってみますか?
なんとなくこんなもんか?と環境に慣れつつある気もする。
自宅に帰っても『神経ぴりぴり』が消えない感じがあったが、
それは薄くなったような。

リーゼのお世話になって、
寝る前に息子に合気道の基本の型を習う。
合気道は無駄な力を抜いて脱力が基本らしい。

先生になる息子は、意外とていねいに我慢強く教えてくれる。
(親ばか)

朝になれば、

 いきたくないよ~

虫がうごめいているけれど、働かなくっちゃね。
亡夫が使っていたちょっと角の擦り切れた名刺入れを
しっかりポケットに入れて、
夫の何分の一の苦労しかしていないに違いないと、
世間知らずできた自分を戒める。

 お金頂いて社会勉強、人生勉強させていただいてま~す♪

いってきます~



 


ひきこもり自立支援施設「アイメンタルスクール」の死者

2006-05-10 07:33:50 | Weblog

NPO監禁死 手錠使用「代表が指示」 職員供述 「拉致」と呼び常態化 (産経新聞) - goo ニュース

戸塚ヨットスクールの再開の話から間なしに、
またこんな施設から犠牲者が出た。
暴力を正当化する原理は簡単に職員の正常な神経をマヒさせるものらしい。
トップの意見がすべて善であり、
職員の意見など聞く耳もたない雰囲気が感じとれたら、
こんな施設はどんなに建物がきれいでも
設備がよく整っていても止めた方が良い。

障害者施設、老人施設しかりと言っても良い。

施設経験はないけれど、各種福祉畑を歩いた経験で思う。
正しいと言う押し付けは、
声のデカイ、押しの強い人間が率先してやり出すと
周りの協力しない職員まで悪者になる。
咎める目線を送られる。

若い時、保育園で
給食の強制や、北朝鮮よろしく一糸乱れぬお遊戯を拒否したら
しっかり職員間のイジメにあったこともあったけ。
うん十年前の話だけどね。

ちゃんとリベラルな雰囲気が職員間にあれば、
こんなエスカレートは防げる気もする。

学校に行けない、働けない、家から出ることができない人々の
みんな、みんな、事情も感性も違う。

暴力ではますます頑なにるだけで、何も解決はしない。
悪くなるだけのように思うがどうだろう?

  鍛え治す、しごく、

ことで人の心は育つどころか死んでしまはないか?
自発的に何かしよう、
動きたくなるのを待ってやってはいけないのだろうか?

こんな事件が起こると北風と太陽の童話いつもを思う。

コートを剥ぎ取ろうと北風が吹き荒れれば荒れるほど、
コートをしっかりと押さえこんで抵抗した人が
おひさまが照ったら、
暑くなって自主的にコートを脱いだと言うお話。

世話人も世話される人も同等なら、楽しい気分で共に成長できる。
片方に絶対者が居れば、絶対者の支配がそこにあるだけで、
心の響きあう関係はまちがってもできない。
そこに見える変化は

 『おっかないから言うことを聞いている』

ほんとうの変化ではないだろう。


26年しか生きられなくて、
人の扱いもうけないで殺されてしまって痛ましさに言葉がない。

ひどいことを正当化する指導者は
人間に等級をつけている人たちではなかろうか?

 なんとか人並みに。

 人並みって?基準は差別観? 

戸塚にしても、このアイメンタルスクールにしても
捨て子感覚で連れてこられた子もいたような気がする。
家ではどうしようもないとして

どんな命もかけがいのない命。
親に見捨てられ捨てられた子達が
無理矢理連れてこられたのだったら
尚、せつない。

ケアマネをしていてると、
美辞麗句を並べたてて、
自分の都合だけを最優先し、
介護保険は親の姨捨て山とカン違いしている
子供世代にも出会う。

人が人として扱われない状況がうっかり起こる
施設は閉鎖空間だから怖い。
しっかり利用前に吟味が必要だ。

 


チェケラッチョ!!

2006-05-08 06:53:49 | 映画(DVD)

当分、休みがないから映画でも?
何を観ようかな?
うんと気持があかるくなるような?

ちょっと下調べするとウオーターボーイに出てた配役で、
舞台が沖縄で、高校生がバンドに挑戦。
ウオーターボーイもスイングガールも似ているかも。
笑っているうちに前向き気分にさせてもらえそう。
よし!コレに決めた。

 おー観客が若い。

開演前の聞こえてくるおしゃべり口調が、

マジ!マジ!等々

常日頃、周りで聞かないノリ。
中高の教室が移動してきたみたい。
ポップコーンのかおりもいつもよりキツイ。
なんでも食べれる元気な世代が集結している。

チェケラッチョ!!

Check It Out Yo のことだそう。
陣内孝則扮する父親が調べたら

 自分は自分でいい

みたいな意味だと言ってように思うが…
観客の親世代にあたる所為もあるのか
親たちやガレッジセールなど脇役キャストに目がいった。

ORANGERANGEのラップ。
かなり歌詞は前向きで言ってしまえば説教くさい。
こう言うノリでこんな歌詞に酔う若い世代なら未来は明るいかも。

気持はハレバレ。予想は裏切らなかった。

高校生から見ると25歳は充分大人なんだなぁ~
親世代は化石と言われてもしかたないか。
当人たちは無関係と思っている
超高齢者をこれから支える世代でもあるなぁ~
と無関係な感想も頭をよぎった。

おばさんはどこまでも若い観客とは違う目線な気が…

ナビィーの恋にしても、沖縄が舞台の映画は予想を裏切らない。
ふたりで行く予定が果たされなかった沖縄へ。
夫没後、ひとり旅に踏み切れたのは
あたたかく迎えてくれる友人が待っていてくれたからと
あの時の景色も気持よみがえった。

また、沖縄へ行ってみたいなぁ~

 

しかし、映画館にちょっとぶつくさ言いたい。
シニア割り引きや障害者割りは分かるよ。

 夫婦割りって!

こう言う割引に該当しない寡婦はものすごく腹が立つ。
離婚してひとりで子連れがんばっている人もいる。
そう言う人たちには
働きたくても臨時やパート職しか見つけられない人もいる。
つまらない差別割引をしても採算がとれるのなら、

 一律に値段を下げろ!

海外旅行にもゴルフにも金銭的に無縁で、
ひとりでちょいと楽しめるのが映画なんです。

 どうぞ、よしなに

 



 

 

 

 


上司の飼っていた犬の死因

2006-05-06 23:49:41 | Weblog
まもなく犬の赤ちゃんが生まれるから、もらい手探しの話が職場でされていた。
無駄話にノルと、
必ず意としない方向に取られて、
面倒くさいので
職場の無駄話は聞いても聞かない振り。
仕事の話でない時は、バリアの向こうの住人になる習慣が付いた。

上司がもらう気になっていろいろ聞いている。
動物好きな私の耳だけ、ダンボになった。

どうやら過去に上司は犬を飼っていたらしい。
前に飼っていた犬が死んだ話になった。
彼女が語った死因は

 餌を食べてすぐに散歩に連れて行ったこと

獣医さんからそう言われたそうだ。

う~ん。
聞いたこともない原因だけど・・・
彼女ならありうる。

彼女と一緒にした昼食と夜の会議前の軽食を思い出した。

注文決めも早くとせっつかれ、
食事が来たら即、

わ~っと
せかせかと

食べて、
自分が終ったら、
『みんなももういいか?』
と、立ち上がってしまう。

死んでしまった犬。

きっと食べたか食べないうちに
リードにつないで、
せかせかと
犬の歩調に合わせず、
ひっぱりまわしての散歩…

犬の姿と私とオーバーラップ。
危険信号が心身に出そうなら…
身の振り方を考えた方がいいかも???


『ゆとり』と『うるおい』と。

いろんなシーンに必要なキーワードではないだろうか?
彼女は会社設立時からシャカリキで今日まで、
会社のために働いてきたに違いない。
いつの間にか大事なキーワードをどこかに落っことしたか?

ダンボ耳を閉じて、貝になって仕事に専念した。



老人介護 常識の誤り  三好春樹著

2006-05-05 19:04:01 | 
三連休の最後の日にわざわざ仕事にまつわる本をえらばなくても…とメゲル。
どう考えても
教科書通りではない、理想とは程遠い
我が職場に機嫌良く出勤できるように
一所懸命、気持を盛りたてて、やっと1ヶ月経過。

この本に書いてある通り。
専門家と言われる人々がご当人の思いとは遠いところで
『あなたのため』
と、
しっかり無理強いをしているような本に取上げられている現場。

コレってウチの話だよなぁ~


想像力と創造力が必要と説かれていた。

創造力だけ先走ると、
誰のためか分からない介護制度や介護用品となる。

想像力が欠如しているから、
自分の立てたケアプランどおりにしたがらない
利用者さんを罵倒したり、
難ケースのレッテルを貼ったり…

しかし、ウチが特殊なのか?

民間の介護施設に併設の居宅介護支援事業所って
利用者本意より企業利益優先が当たり前なのかなぁ~

お給金頂いて、
しばらく悪いお手本をじっくり見させてもらうのも
一考かと…

ケアマネの仕事自体、
介護保険枠であぁ~せいこうせいと提案する仕事。

この介護保険制度自体が必要な人のために
本当に、必要に機能しているのかどうか?

新米はこう言う『常識の誤り』など読んで
気持を掻き乱される前に、
職場に馴染んで、仕事を早く覚えねば…


その他、連休用に思わず手にした本が、

 オニババ化する女たち  三砂ちづる著

思わず職場の面々のお顔が浮かんでついつい^^;
その次にgetしたのが、

 人生は、だまし だまし  田辺聖子著

病んでますねぇ~
明日は一日仕事。
日曜が過ぎたら当分、休みはないなぁ~

50歳過ぎたら、雇ってくれる職場はなかなかキビシイし、
せっかく取った資格がクヤシイ。

臥薪嘗胆。
しんぼうする木に花が咲くっと。


本の内容より我が身を嘆いてしまったが、
なかなか痛いところを突かれている本だった。
本当にこっちに流れなければウソだろう。

元気と病気の間に

 健康不安、心の不安、老化、慢性疾患、身体障害、精神障害

病院での区分で病気として、処置されない部分が増えている。
膨らみ部分としてが指摘されていた。

軽度発達障害もしかり。
医師は薬を出すだけ。
克服できない病気に治らない病気に医療は冷たい。

生きてゆくのに、
障害があっても、障害を持ったまま
その人がその人らしくいきいきと日々を過ごせるような
具体的な方法が、
老人介護においてはちょっとだけ示されていた。
著者は介護に期待されている。

即席栽培みたいな介護福祉士より
より身近に痛みを感じる家族力への期待が書かれていた。

すべての中間で膨らんでいる助けのいる人たちに何が必要なのか?
終末医療もこの部分に入る。
なんにでも通じる真理のように読んだ。

最後にぶり返してなんだけれど…

ウチの看護師あがりのケアマネ達はやっぱり利用者にキツイ。
ちょっこっと、そこいらの謎も解けたような~