陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

みちのくの鉄砲店 (私家版詩集)  須藤洋平

2007-04-30 00:52:49 | 
山口の湯田温泉では中原中也生誕百年祭を行っている。
この百年目の第12回中原中也賞に252詩集の中から選ばれた。
トゥレット症候群と障害もある30歳の青年と言うことで
ずっと詩集を読んでみたかった。
自費出版で手にすることが出来ず、中也記念館での公開を待っていた。

企画点として愛用の万年筆やハーモニカ、お気に入りCD
生育を追った写真等の展示の中にお目当ての詩集が一冊。
B5で緑色の自分で製本したといっても通りそうな
素朴な薄い小冊子風だった。
何人もがめくったのか少々ページがふくれていた。

難解な風景を醸しだしていることの多い現代詩のイメージを払拭する
ストレートな言葉で
過去のいじめと今の青年期の孤独が綴られていた。

いじめには
青い3段切り替えのお兄ちゃんの自転車が壊される場面が出てきた。
息子は中学の時、自転車通学だった。
通学路途上の自転車屋から
「壊れ方と修理に立ち寄る回数が尋常ではない」と
通報があったことなど思い浮かんできた。


実は、記念館へは
チェルフィッシュの『三月の5日間』を観てからだった。

演劇は
イラク空爆の日から5日間、渋谷のラブホで過ごした
名も素性もしらない二人の事を中心に
何事も熱くならないで、何事もはっきりと断言しないで
性にはやたら大っぴらな若者会話のオンパレードだった。

詩には
一生そんなことはないかもと言う
障害ゆえの絶望の中の性欲が綿々と綴られていた。

私は記念館内であるにもかかわらず、
息子とオーバーラップして不覚にも涙があふれてきてしまって相当あわてた。
しかも、ひとりじめしては悪いと思いつつ
結局、最後まで読み通した。

授賞式で須藤氏は
 『おかぁさん 産んでくれてありがとう』と言われたそうだ。



~以下、中原中也記念館 館報から抜粋~

中也賞の最終選考委員会では
<障害をもった身体が引き起こす孤独を引き受け、その病気に負けない、
 人間としての感応力の強い詩の世界を展開している。>
と、評され、表現としてのレベルの高さが評価されました。


 頬の痛み

  「無償の愛」を敷いて
  その上で寝ころんでみる
  頭の中で僕を蝕む
  思い出たちが
  苦しみから経験に変わり
  心地好いそよ風に流されてゆく
  それでも我が者顔で「でん」と
  あぐらをかいた大きな傷もある
  僕はそれらと柔らかに足を絡めあう
  そして僕はしなやかに拘束され
  四の五の言わずとも慰撫される…

  その時
  泣き叫びながら
  何度も強く頬を引っ叩く者がいる
  遠く意識の中で思った
  無償の愛なんてものは
  この世にあるわけがない
  でもそうだとしたら
  この頬の痛みを僕は何に例えようかと


連休にちゃんと休める

2007-04-28 06:40:19 | Weblog
ヘルパーの時は休みなしだった。
事務職とケアマネは休んでいて、
ヘルパーだけがいつもの様に活気のない事務所を
出たり入ったり。
えらく仕事がある事がソンな気分だった。

半年だけショッピングモールで店員をした事がある。
世の中が休みだとやたらお客が多くて
ものすごい混雑でいつもの倍疲れた記憶がある。

今年はカレンダー通りにちゃんと休み。
宅配便でバイトの息子も今日、明日休み。
前夜は別に楽しい予定がある訳でないのに
深夜1時にふたり顔があって、
うふふふふと
キッチンで一緒にミネラルウォーターを飲んだ。

ちょっと家の片付けをしようか?
飽きたらご近所の○○まつりに出かけてみようか?
読みたい本も平積みしてある。
編み掛けのベストも転がっている。
ただ猫と一緒にごろごろして過ごしても良いのに貧乏性だなぁ~

去年は新しい職場ではじめての職種に就いて1ヶ月目。
ひたすら緊張ほぐしだったような。
去年のブログをチェックしてみると、
昨年はブログすら更新する元気がなかったらしい。

夫没後6年。専業主婦でなくなってから、
いろんな思いで、仕事を転々としてきた。
はじめて連休を味わえる気分がする。

時給や日給で働いていた時は
休み=減収だった。
ワーキング・プアほどGWと無関係。
大企業では今日から5月6日まで休みのところもある矛盾。

休みなしの介護の現場を思うと
カレンダー通りの休みは
贅沢なような申し訳ないような気持もわく。




リラックス酸素補給缶

2007-04-26 19:34:05 | Weblog
ホームセンターで猫トイレグッズを抱えてレジに並んでいたら、
レジ横にこれが鎮座。

『おれおれ あんた疲れてるやろ?』

そう言う感じのオーラを発しているようだ。
手に取って能書きをじっくり読むと、
イライラ・ストレス・眠気・疲れなど

ふむふむ。

気分がイライラする時、
緊張したり、気分が不安定な時、
身体疲労を和らげたい時…

職場でシュッと使ったら嫌みかしらん?
眠気は吹っ飛ぶみたいだから、
朝眠くて不機嫌な息子にもいいかしらん?

オレンジとミントの香りがある。
ミントはスッと清涼感。
オレンジはやさしい気持ちにしてくれる
と、書いてある。

ミントは家まわりに勝手に増えていて
これからどんどんいっぱい育ってくる。
オレンジに決めた。

500円コインでおつり少々。
店のレジ横作戦に負けて、
衝動買いかも?さぁ~効果はあり?かな?




福祉ネットワーク 介護保険改悪の実情

2007-04-25 00:00:32 | Weblog
昨夜は国の基準以上のサービスを地方自治体の予算をつけて
充分な個別対応をしていた介護施設が
その予算の使い方に反対する町長に変わり
介護保険内の人員で、
個人の意思を無視した施設の都合に合わせた介護を
せざるを得なくなった様子を取材されていた。
国の予算ではちゃんとできませんよと言う証明のようだった。

今夜は
在宅で介護保険サービスを利用している人々の話と言うことで
息子にチャンネルを渡さず、
息子の『オレは興味ない』を無視してじっくり見た。

昨年4月の改正でほんとうに使えない介護保険に変貌したらしい。
ちょうどその時期にケアマネになった訳で、
まいど
『お役に立てない介護保険ですみません』
と謝るばかりで
こんな仕事だったかしらん?
と言う戸惑いは
成った時期が悪かった所為なのね。

2時間使えていた生活援助のヘルパーさんは最長1時間半になった。
家族が同居していたら、
家事は家族がすると言う理由でヘルパーさんは使えなくなった。
日中ひとりだったり、
同居人は夜、仕事から疲れて帰る家族だったりする訳で
いきおい動かない体を酷使されている。
援助を介護保険でする手立てがない。

それを補う形で
保険外サービスをするところもいっぱい出来た。
それは
介護保険みたいな禁忌事項もないから、
窓拭きだって、庭の除草だって、ペットの世話だって
自由に思うようにまさに利用者本位のしてもらいたい事をしてもらえる。
ただし料金は
1時間介護保険の1割負担なら208円のところ
安い所でも1500円はかかる。
介護保険の1割すら高いと言う年金生活者が大半なのだ。


車椅子や介護用のベットは要介護2以上でないと使えないという
改正実施が去年9月にあって、
使っていて介護度が足らない人は借りれなくなると言うことで
さぁ、今寝ているベットをどうしよう?
と大事だった。

苦情が多かったのか
一律はまずいんじゃないの?例外も認めるようと
今年の4月からまた一部改正になった。

先日の研修で介護保険は、
改正しながら作ってゆく制度だと県の人から聞いた。
その時
ひたすら負担額の膨大な数字も強調されたところをみると
改正の視点は
いかにサービスを使わせないようにするか
予算を押えるかと言う風に見えた。

予防とか自立の妨げとか言う美辞麗句を連ねて
無駄には絶対使わせないと言うことが言いたかったらしい。
障害者の自立支援法のやり口と似ている。

サービス事業所がちゃんと機能するだけの報酬も
改正からこっち危うい。
実際に閉鎖になったところもちらほらある。

明日は
地域密着とか小規模多機能とか
国のチープな予算を福祉従事者の善意の労働力に頼る話かしらん?
8時からNHK教育また見ようっと。



ひとりになれない女たち   衿野未矢

2007-04-24 06:45:20 | Weblog
ひとりになれない女たち―買い物依存、電話・恋愛にのめりこむ心理

ネスコ

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うっとうしいくらい『だれかと一緒』を望む女が周りに多い。
学校の休憩時間に女の子には一緒にトイレへ行く習慣があったり
主婦仲間グループは年中集まって、ティータイムやランチをして
年がら年中群れているけれど
実際は大キライとお腹で思っていることも多い集団だったりする。
連れている女ふたりが実に似通ったファッションだったりしたら
買い物も嗜好も全部合わせて
『超仲良し』しているのかと少々、気味悪い。
『ひとりになれない女』存在はそこいらで容易に見つかる。

本は各種依存症の例が載っている。
買い物・電話にのめり込む素地のある私はそっちにも興味を惹かれた。
正常と異常の境目はそれをしなければもうたまらない
とめられない焦燥感の度合いであるかもしれない。

依存症の原因は『がんばり過ぎ』や『よいこの仮面』
心の奥底の自己否定だったり。

予防はなんだか気が抜けるような当たり前のことがあげられていた。

  ①自分の意思を尊重する
  ②自分の頭で考える
  ③許容範囲を広げる
  ④抑圧の正体を見極める
  ⑤「悩む」「苦しむ」「寂しい」「悲しい」をおそれない
  ⑥自分をいやせる場を持つ
  ⑦トラブル解決の情報を知る

群れないと何にもできない女たちが夫の死の悲しみに居る私に

 『わたしならひとりで生きていけない』

とノタマワッタ。
伴侶が居なくなっても、自分の命は尽きてはいない。
だれが好きこのんでひとり残っているものか!
あの日から
『ひとりになれない女』臭さが私はだいっきらい。
鈍感で自立からは遠い甘チャンだから。
本書とはあまり関係なかった。
図書館で題名に惹かれて借りてきたのは
そんなこんな過去が頭をよぎった所為かもね。

だれが責めなくても自分の責任では?と思う母

2007-04-22 07:25:14 | Weblog
フジテレビが謝罪文掲載 ADHDめぐる表現で行き過ぎ(朝日新聞) - goo ニュース

ADHD発症児の母、喫煙率一般の2倍(読売新聞) - goo ニュース

何が原因でとはっきりしない発達障害だから、
ああだのこうだの出てくる。
食生活については
カルシュームが足らないの、炭酸飲料がいけないの
塩分や脂肪分の取りすぎは悪いとか諸説聞いた。
息子は一時期、本気にして
カルシューム剤を飲み、大好きな炭酸をぐっとガマンしていた事がある。
落ち着いた気持になりたいと言う、藁をも掴む気持の表れだったろう。

妊娠前、あるいは妊娠中の喫煙についてもこの程度のデータから割り出しては
言いすぎというものではなかろうか?
喫煙以外の因子は本当に考えられないのか?

母親はそれでなくても自分自身を責める要因に怯えている。
誰が言わなくても、
妊娠中にしたことなど、何度も反芻する。
私は妊娠を知らずに自動車学校へ仕事を終えて夜間に通っていた。
仕事を持ち、姑と同居の新婚生活が始まり、
ものすごいストレスの中で息子は生を受けた。
妊娠初期はつわりにすらなれない緊張の日々だった。

息子の幼児期は
毎日、きちんと食事の用意が出来る専業主婦だったから
極端にひどい食生活をさせた覚えはない。
しかし添加物や農薬まみれの野菜をまったく
食べさせなかったとは決して言えない。

この子の障害の何分の一でも自分に責任がなかったか?
なんども湧いた疑問と不安は今も100%消えてはいない。

育て方が悪いと言われ続けて、
『何にもしなくてもちゃんと育つわ。ちゃんとした親なら』
みたいな事を言う自信満々の母親から
手をかけ過ぎなどとも言われ
迷い迷って、
良かれと思う事をとことん模索し続け、
良いと聞く医師が居れば遠くても連れて行き
良いと言われる治療は受けさせた。
健常と言われる子の何十倍、何百倍の努力を強いられた子育てだった。

今も良い方向に向くことを捜し求める
その姿勢に変わりはない。

母親たたきのような報道はうんざりする。
自閉症と水銀の因果関係とか
なんとかの予防接種がいけないとか
いったん出た記事は間違いと言われても
母親の不安要因にプラスされ記憶からなかなか消えないものなのだ。
報道は慎重に願いたい。


家を空ける

2007-04-21 06:50:01 | Weblog
ときどき家から逃げ出したい。
実際に逃げてしまう。

2日続きの研修ときけば、かならず研修所に泊まる。
毎度、使われる県の研修施設は山奥に位置し、
公共交通機関のとても不便な位置にあるから
遠距離は遠慮したい軽四の公用車で行くことになる。

行ったり来たり高速走行すれば1時間弱だから
実際、泊まる必要も無いのだけど、
車に運転がきらい。特に高速が苦手。
研修より移動に疲れる。
事故っては迷惑と言う理由でお泊りをさせてもらう。

実際にはもうひとつ理由がある。
早朝から研修所へ走り、一日講習を受けて、運転して夕刻遅く帰宅、
それから
夕食は息子好みの脂っこい食事を用意する。
一緒に食べていたら私のコレステロール値と血圧の数値が
危険域になってきたから
私だけなら、手間暇かけない料理の方がベストな様にもあり
ひたすら息子のための料理を疲れていてもするような雰囲気がある。

しかも疲れた顔を見せたら
息子は不安になっておどおどと

 「疲れているのか?」
 「怒っているのか?」

を連発するから応対にも気を使う。
時に、パニック状態を抱えて悩みのドツボにハマッテいる。
なんとかドツボ救出作戦を開始することもある。
わざわざ疲れに帰って、
翌早朝も研修所へのUターン運転は
私の体力、気力の許容範囲を越える。

日頃でも
私自身も仕事から帰宅したら、
家事一切をしてくれて、
清潔な家とあたたかな食事を用意して待っている家であったらと思う。

さて一日ぶりに帰宅したら
我が家は予想通り荒れ果てて、猫の口内炎も悪化していた。
息子の精神の荒廃だけはなかった様でホッとする。
しかし

 「疲れているのか?」
 「怒っているのか?」

攻撃がなつかしくもあり、やれやれでもあり

ふぃんふぃんはお腹がすいているのに、
口内炎が悪化したらしく
おどおどと机の下などへ隠れて、出てこない。
餌まで来てはやっぱり怖いと走って逃げる。

 「あいつはなんでおどおどするんだ?」

まるで私に対する息子の状態みたいなのに
本人は気が付かない。

  ふぃんふぃんみたいに
  かぁさんの動言にビクつかなくていいよ。
  疲れているだけだから

母の気持が読めないから不安からの行動なんだろうけど
母は余計に気疲れする。

疲れている=肩こり
と踏んだらしく
肩を叩たこうと言ってくれる。
しかしねぇ~
空手の正拳突ポーズでワンツー・ワンツースリー

 イタイ、イタイ

力のセーブを頼みながら、
毎度のズレた気づかいに、痛みからか涙の感謝



研修で隣席になった人と空き時間に四方山話に花が咲いた。
彼女は私よりひとつ年上で、舅姑と同居。
心身症で仕事を辞めた夫への気づかいやら経済的な支えやら
一切を抱えたこの4月からケアマネ家業を新しい職場で始めたそうだ。
聞けば、職場も自宅も結構、近く。
私みたいに無精お泊りもせず、
自宅へ帰って明け方まで夫君の話につきあわれたそうで
午後からはこっくり、こっくりモードだった。

真面目そうな人だった。
彼女がポッキリ折れてしまわないように、と思わず帰り際に願う。
いろんな人生を送っている人が居るものだ。
人事でない。両肩のお荷物比べをついしてしまう。
人生50年、みなさまおつかれさまです。

名刺ももらったし、仕事で接点があるかもしれない。
研修は内容より人との出会いがお得気分。


よぉ~し
こんどは研修でなくって
リフレッシュお泊りを決行するのだ。
海辺で温泉がある場所で
気心の知れた人と楽しい会話付きのおいしい食事付きで、とっ。
まぁ~またいつかの楽しみにとっておこう。

富山のNPO法人『このゆびとまれ』

2007-04-18 20:47:38 | Weblog
精神障害者の社会復帰進める施設が事業譲渡 栃木(朝日新聞) - goo ニュース

精神障害者の治療・就職支援 「太陽の家」が医療施設 2010年めど(西日本新聞) - goo ニュース

新タイプの障害者就労施設 「風の丘」来月開設 小郡市(西日本新聞) - goo ニュース

久留米市 高齢介護施設で特区に 九州初 障害者も利用可能(西日本新聞) - goo ニュース

↑いろんなニュースを読みながら、
ふっと朝日新聞の日曜版か土曜版に載っていた
富山のNPO法人『このゆびとまれ』が浮かんだ。

全家連は全国の精神障害者家族会の取りまとめ組織で
この先どうなるんだろうと不安がよぎる。
「風の丘」も「太陽の家」も「久留米市 高齢介護施設で特区」開設のニュースも
いままでの細かに細分されたサービスが複合されて、
なんだか使いやすそう、本来の支援に近づきそうに見える。

富山のNPO法人『このゆびとまれ』は看護師さん3人が
病院では高齢者、子供、障害者とわけへだてなく病気の人を看てきたから、
手助けの必要な人に分け隔てはないだろうと言う発想で開設されたらしい。

最初は
国からの援助はいっさいなく、赤字、もうけなしから始まっている。

行政が介入すると息がつまるほど書類、書類、
ああしてはいけない、こうしてはいけない。

本当に
『お困りはなに?』よりも『行政枠に合わせたサービス』を
お勧めする介護保険の手先、介護支援専門員、
通称ケアマネのワタシの仕事。

ぼぉ~と役目もなく、
デイサービスの椅子に座って一日過ごす人の多いこと。
職員は走り回っている。

『このゆびとまれ』の受け入れは
健常者・高齢者・障害者・子供・行政の枠を超えている。
介護保険の認定施設にもなっているから、今は
要介護者は1割負担でOKらしい。
HPをみればボランティアの数も多い。
助けられる人だなくて、利用者は役に立つ人にも回る。

いつもいつも助けられる役回りはつらい。
どんなに介護サービスが必要にみえても
ガンとして家族以外の世話にならないと主張して
優しい家族が無理して支えているケース。
身体的にどんなに辛くても我慢して創意と工夫で
まだ世話にならなくてもがんばれると無理をしている人たちに
いっぱい出会う。

デイサービスはみんな用事もなくてぼぉ~としている
そんな所へ行きたくないと言う声も聞く。
ひとりでお風呂に入れなくなったからしかたなく通うという人もある。
リハビリ以外は興味なし、時間が長いと嘆く人もある。
長く居てもらいたいのは、介護に疲れた家族なのだ。

だれだって世話されるばかりの自分はイヤだ。
だれかの役に立つ、有益な自分でありたい。

息子は母に養われたくないから
相当な無理をしてバイトを続けている。
回りに障害に対する配慮が皆無だから、辛さは半端でない。
でも辞めない。
クビになる日まではがんばって、がんばり倒す。
ニートにはなりたくないと言う気構えだけが働かせている。

「このゆびとーまれ」を一度見学してみたくなった。
区分けや細則ばかりいじって福祉ニーズからは遠くなっている行政が
富山型を前例としてくれる日が来ることを願う。

最初、助成金を拒否するあたり
北海道の精神障害者のための『べてるの家』にも似ている。
なんでも損得抜きで、信念を実践するべく
どこにも例がない
最初の一歩を歩み出す人たちはスゴイと思う。


以下少し「このゆびとーまれ」HPから抜粋


  「このゆびとーまれ」のように、
  「赤ちゃんからお年寄りまで、障害があってもなくても
   一緒にケアする活動方式

  「このゆびとーまれ」は
  子供もお年よりも、中年の人も障害者の人も、
  「誰でも必要なときに必要なだけ利用」でき、
  施設らしさは全く感じられないところです。

  見学者から、
  「このゆびとーまれはなごやかな空気に包まれていて、
  まるで昔の大家族のよう」とよく言われます。


弱いところは助け合って。助けて、助けられてがなくなって
個人情報保護。プライバシーを守るが逆に自分たちを締め付けている。

個人、個人を殻に閉じ込めて
迷惑をかけないことが第一で、
親切はおせっかいと言われ、
自分をしっかり守ることにキュウキュウして
どこかギスギスと
うるおいやゆとりのない個人主義に染まっているような気がする。

『3丁目の夕陽』や『東京タワー』など
貧しく古き良き時代が背景の映画が流行ったりする要因かもしれない。

明日から2日間、形式ばっかりで実のない研修。
息子と猫の留守番が気がかりでもあり、
ちょっと距離がおける安堵感もある。
なるようにしかならないのだ。
留守が凶と出ても吉とでてもそれはそれっと

弱いところ・辛いことはオープンに

2007-04-16 07:07:39 | Weblog
薬を飲まずに寝たら、寝たのか寝られなかったのか、
4時には目がさめていた。
NHKラジオ深夜便のこころの時代がこの時間にあると
この番組ファンから聞いていてから、枕元にラジオを置いている。

ベットから手を伸ばして暗闇でスイッチを入れると、
日曜日は俵萌子さんだった。
乳癌で右全摘手術を受けられている。
ふとした患者同志の会話から、
『いちにのさんで温泉に入る会』を立ち上げられた。

ネットから一緒に温泉に入ろうと呼びかけたら
全国から400人余の人か声が上がったそうだ。
温泉もみんなで入ればこわくない。

一緒に温泉に入れば、傷の部分を隠すのではなく
見せ合って、
『大丈夫 きれい』
となでたりする光景もあったと。

もうひとつ衝撃を受けたのは
アメリカで乳房摘出手術を受けた傷に葉の刺青をして
太陽に向かって手をあげているヌード写真の
詩集の表紙に出会ったことだったそう。

会の会報も発行されているけれども
再発で亡くなられる方の事を最初は小さく編集後記に載せていたけれど
びくびくしながら、
『あなたに会えてよかった』欄を開放の真ん中に載せて
お名前とひとりひとりに追悼文を載せたら
予想と反対に感謝の言葉をもらったと。

話を聞きながら
『べてるの家』のいきかたに似ている気がした。

自分のできないこと弱い部分を認めて仲間にさらけ出し共有することや
幻聴、幻覚と言う人には分からない辛い状態をオープンにして
幻聴さん大会をやってしまうことや
なんだか似ている。

弱いことや人と違うことを認め合えば
自分をダメというおとしめから解放される。
楽に呼吸がはじまって、笑顔も生まれる。

辛いこともしんどいことも
オープンにして
一緒に泣ける仲間がいることも共通している。

春は鬱々の息子をみていると
フレッシュマンと比較して自分をみじめと思うらしい。
何にもしないで馬齢を重ねてと自分を責めるらしい。
人は自分をバカにしているのではないかと思うらしい。

弱さ、辛さを共有する仲間もいない。

自分の弱さを認め、
人の弱さを認めて許し、
弱さを補いあえる場にどこもかしこもなれば
楽に呼吸ができ、肩こりも半減するだろうなぁ~
(ふと、我が職場が頭をよぎる)

 『がんばれ、人に負けるな』
 『向上心を持て』
 『プラス思考でいけ』

世の中にはこんな無言の圧力がある。
とりあえず
『負けてもいい自分になる』のも
負けるな教育で育った息子にはむつかしい課題らしい。




アルゼンチンババア

2007-04-13 06:15:18 | 映画(DVD)
予告で妻の死から逃げた
なさけない父親役を役所広司
なぞの老婆アルゼンチンババアを鈴木京香
と言う配役を知って観たいなぁと思っていた。

役所広司はさすがと言う演技だったけれど、
鈴木京香の厚化粧はきれい過ぎて、不気味さがでていない。
服も異様な風体と言うよりサマになってしまっていた。
アルゼンチンババアは『あの歳で!』と言う驚きを持ったれて
妊娠、出産をするのだけれど、
髪がパサパサの薄汚い黒毛まじりの白髪の長髪という以外
肌は艶やかで、色っぽくて
そういうことがあっても問題ない範疇の女性に見えたのは
失敗じゃなかろうか?

母の臨終間際に『もう死んで』と願った娘の後悔や
妻が本当に死んだことになるから、
頼まれたけど墓石が彫れない父親の気持は
私も通った。

夫の臨終前夜、『もう苦しまなくていいよ。楽になって』と
一晩中願った。
通夜の席では家の布団に寝かせた夫の顔に白い布を置くことを拒否した。
『死んだ人みたいだから』と。

死ぬ人が生きることの意味を教えてくれて逝ったように
価値観の大逆転が自分の中で起こったような
何かもやもやが晴れたような
死にゆく人が残したプレゼントみたいな
『しっかり生きよ』と導いてくれたような
うまく書けないけれど、
そのあたりの心情が映画のラストにあって、
映画館を出た足で原作を買いに走った。

アルゼンチンババア

ロッキングオン

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よしもとばななさんの本ははじめて。
書き出しでガ~ンと頭を打たれた。

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  母が死んだ時、私の平凡だった世界は消えた。
  そして今までカーテンの向こうにあったものすごいものが突然姿を現した。

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内容はまるっきり映画と違っていた。
センセーショナルでお笑い過剰に表現すれば映画のシナリオ展開となるのだろう。
それにしてもアルゼンチンババアは実は50歳で
わし鼻、毛羽立ちやほつれのある古ぼけたワンピースとあるから
やっぱり鈴木京香はミスキャットだし、あの衣装はきれい過ぎ。
ものすごいアイシャドウとも感じなかった。

原作はほわほわと
異端のアルゼンチンババアを受けいれ
母の死後アルゼンチンババアと暮らす父も受け入れている。
この力みのなさはなんなんだろう?
好きな小説家がひとり増えた。



訪問介護事業所の危機

2007-04-10 23:11:53 | Weblog
ニチイ学館など2社も介護報酬過大請求 都が返還指導(朝日新聞) - goo ニュース

都、コムスンなどに改善勧告 約4千万円の過大請求(朝日新聞) - goo ニュース

訪問介護事業者を全国監査へ、虚偽の指定申請で厚労省(読売新聞) - goo ニュース

思わずじっくり読んでしまった。
ニチイ学館はこの前アイリスから名前を変えたばかり。
今、訪問介護はもうからない上にどこも人員不足に頭を抱えている。
ママさんパートが支える業種だから、
3、4月の卒業、入学時は同じ日に何人もヘルパー欠勤者が出て、
ヘルパー事業所から利用日時変更を懇願された。

土日や深夜、早朝に働ける人の確保もむつかしい。
こういう事業所が難を示す時間帯にNOを言わないのが
この大手さんだった。
指定取り消しにでもなったら、どこの事業所がしてくれるのだろうか?

某訪問介護ステーションは赤字のため
パートさんの時給が下がって、辞めていった人もあるとか。

大手産業は余所より少し高い給金で人を集めていたように思う。
ケアマネの講習会場前でも
『支度金10万円』のケアマネ募集ビラが配られていた。
さすが元ジュリアナ東京っぽい求人キャッチに見えて
避けたいと思った人が大半だったけど。

不正を行った大手は弁護をするつもりはないが、
不正しないともうからないような
いや、
真面目にやっている事業所がやっていけないような

介護保険の設定が変わらないと、
事業所も働く人もこれからなくなる恐れがある。

フィリピン介護福祉士の時代なるのかな?
外国人なら安くは働いてもらってOKってのも
外国人労働者に失礼だろう。
障害者枠採用は低賃金と言う発想とまったく同じ。

何か中軸がズレている。




すっころび

2007-04-09 12:21:01 | Weblog
まぁ~ステキ。デイサービスの理学療法士と看護主任を敵にまわして、車いす止めてよと陳情して、歩行器利用に切り替えた方の足運びがものすごい進歩。
拍手して、すっころんだ。ワタシ、階段を全部降りきってなかった(涙)

大丈夫と言いながら、立てない。足首をコネたらしい。なんとか立ち上がったら、柔道からマッサージ師になったセンセがおいでおいでをしてくれている。
こわいよ、こわいよ、くっくっくで足首をひっぱったり回したりしてもらったら、痛みがやいわらいだ。

利用者さんの元気な姿に空を飛んでしまったらしい。羽ほしいなぁ~

さくらちるちる公園で本日もひとり弁当。さくらの楽しみも今週いっぱいかなぁ~?


精神障害者雇用の遠い道のり

2007-04-07 22:37:21 | Weblog
精神、知的障害がある2人 熊本市が嘱託採用(西日本新聞) - goo ニュース

一番遅れている精神障害者雇用に踏み出したことは買う。
買うがなぜ”嘱託採用”で雇用は1年なのか?
これじゃあ自立支援にも何にもならないだろう?

息子は精神障害手帳2級を持っているが、一般枠採用でいる。
勤めている宅配業者は発達障害者も障害枠で雇ってくれるそうだ。
だだし、障害枠採用に変えてもらい、
障害への配慮をしてもらえば、
同じ仕事をしたとしても、ぐんと時給が下がるのだそうだ。
発達障害者センター相談員からそう聞いた。
息子にいまさら障害をカムアウトせよとは言えない。

知的や精神障害者の作業所の労賃の低さもおはなしにならない。
最低賃金の対象にもならないらしい。
半日働いて何百円。
ワーキングプア以下のプアなのだ。

嘱託公務員が第一歩としたら
普通に正規の公務員が誕生するのはいったいいつだろう?
身体障害者にはその門はかなり前から開かれていると言うのに。

息子の先を思う時、
親はいつまで支えていられるのか?
私が庇ってやれなくなって
精神的どん底と経済的どん底が一緒にきたらと思うとぞっとする。

この程度の事でよろこばなきゃいけない障害者ってどうなの?
なんだか逆に暗い気持になった。

↓検索したらもっとイヤなニュースにぶちあたってしまった。

障害者雇用率低い4公的機関に勧告 警視庁など(朝日新聞) - goo ニュース

公務員採用から正さないで、民間に努力せよはないだろう?
こういうのを選挙公約の人居たっけ?

さくらさくらの息抜き

2007-04-06 23:49:36 | Weblog
短歌でも俳句でも川柳でも詩でもない。
草壁焔太氏が編み出したメジャーでない新形式の文芸がある。
五行歌会は愛好家が1首づつ事前に持ち寄って、
自分の好きな良いと思う歌に得点して、
どうして良いと思ったかを言い合い、
最後に
作者はどういう思いで歌を詠んだかを語る。

私は、悪いところを言わずほめ合う所が
この歌会のポイントではないかと思う。

私生活を語らずとも、歌に日常が本心が吐露されている。
弱みであり自分の醜い部分であったりする。
歌会に飾った自分もいらない。
その場ではえらく楽に息をしてしまう。
その辺りが歌会の魅力かもしれない。

歌の形には五行である事の他に規制がない。
いいなぁ~と思う歌には出会うのだけれど
何が良い歌なのか、上手い歌なのかよくわからないまま
全国組織の分裂など始まって、面倒になって辞めた。
辞めても、
歌会で出会った人のつながりはいつまでも懐かしく切れず、
乞われるまま、いつの間にかずるずる復活していまった。
私のちゃらんぽらんなところだろう。

先日、演劇を観た会場近くがかつて熱心だった頃、
遠路ちょこっと参加した事のある歌会会場だった。
問い合わせると
偶然にも桜が咲いている頃、歌会が開催予定だった。
長くお会いしていないあの人、この人に急に合いたくなって
本日、有給休暇を取って歌会に参加した。

歌こころの熱の醒め方をしっかり暴露されて、
これまでで最低点の一点をもらった。
ほめることが暗黙のルールだから
なんだか理解できないけれど、迫力ありとの評をもらった。

大地踏みしめ
もう大丈夫と
あの桜花びら
天仰ぐ
片身に浴びる

この時節には夫と最後にした花見が思い出されてしまう。
ガン再発告知の一ヵ月前。
大腿骨に転移があったのだろう。歩行がむつかしくなっていた。
毎年ドンチャン騒ぎの花見がしたい人だった。
近所の子供の頃行ったことがある近くの鎮守の杜の桜を観ると言い張った。
花見弁当をこしらえ、一番近くまで車で上り、手を貸して桜の下に陣取った。
初めて娘と3人ぽっちの花見だった。
舐める程度の酒を飲み、
散る桜と戯れる蝶など静かに愛でていたような。
不覚にも歌の説明をしていたら目が潤んだ。

息子は今、絶不調。
さくら咲くころ、世が華やぐころ
決まって鬱々が始まる。
カウンセリングも2回断り睡眠薬が切れかかっていたから
朝、相当の遠回りで私が替わりに薬をもらってから歌会に回った。

ゆったり気分で帰宅すると、我が家は大荒れ。
さもありなんと覚悟はしていた。
今は母が
50cm以内に近づくのを嫌う。
話かけるのを嫌う。
ひとりになりたいと言う。

平常心を保った振りをして、
母なりの息抜きを考えて家を空ける。
息子には今、母は邪魔な存在らしいから。
息子の世話をそれでもしつつ、歌舞伎の黒子役のような気がする。

私は人と話すのがキライ

2007-04-05 13:10:34 | Weblog
とある利用者。こだわりが細部に渡って、ヘルパー事業所から泣きが入った。我がムスコのこだわりともつきあっているから、利用者、事業所双方の思いが分かる。

かつて私も同じヘルパー経験がある話などすれば、その事業所で困っているのはその利用者だけではなかった。
思うように動かない体で、本当は人が苦手なのに気を使って、疲れて思うように手伝ってもらえない…

息子の先、私の老い先など重ねて…

介護者不足を外国人でと言う流れもあり…

人と話すのが苦手と堂々と主張できて、きちんと介護が受けられるように…本当は、本当は、なるといいんだけれど…