陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

10月からまたまた弱者へ負担増

2006-09-29 23:40:19 | Weblog
じわじわと去年の秋、
郵政民営化の目くらましで、
隠し玉法案が
だだだだだぁ~と可決されてしまった。

そして4月からあれもこれもどないしょと言う雰囲気の中
障害者自立支援法は
10月からいよいよ本格化。

障害者も高齢者と同じ介護保険並に。
あんたたちだけに手厚くとはいかないのよ。

いみじくも小泉さんがおっしゃいました。

 あぁ~痛みわけ

障害者の収入源は生活保護費よりも低い障害年金で、
負担ばっかり増えてゆく。
最低の健康で文化的な生活を営むラインが生活保護費なら
障害者はそれ以下の生活を国が強いるこの矛盾。

障害者の負担軽減、自治体の4割導入 広がる地域格差 (朝日新聞) - goo ニュース

↑本当に困る姿がありありだから
少しでも裕福な自治体が情けの手を差し伸べてくれるのだろう。
これだけ多くの自治体が一斉に動くのは前代未聞ではなかろうか?
小泉内閣はいったい何を改革したのだろう?
はっきり改革の美名で改悪してくれている。

以下↓その他もろもろ

増える医療費の患者負担 10月から変わる暮らし (共同通信) - goo ニュース

4月の診療報酬の改定で、
医療保険でのリハビリ期間に上限がはめられた。
脳血管疾患で180日、
心大血管疾患や運動器では150日、
呼吸器の疾患では90日。
発症後、この日数を経過したら報酬がでないからしてもらえない事に。

リハビリ継続中の患者に限っては、
「発症時期を4月1日とする」との移行措置が設けられたけど
もう180日経過の9月末。
脳梗塞で片麻痺の人などの病院でのリハビリは終ってしまっている。

介護保険のデイケアででもしてちょうだいって事らしいけれど、
4月からこっち介護度の認定もシブイ。

どんどん自分の身は自分で守れ。
社会に守ってもらおうはおこがましいと言う雰囲気だ。

安陪さんはちょっこと自分の給与を減したそうだけど、
もともとお金持ちの坊ちゃまの
パフォーマンスにしかみえない。

  美しい国、日本

小泉さんの改革に続いて
美しいお言葉がテーマらしいが、

安倍首相が所信表明 集団的自衛権を研究、改憲にも意欲 (朝日新聞) - goo ニュース

さらに教育基本法改正案、テロ対策特別措置法と
軍国色濃い、アメリカ追従の「テロとの戦い」路線は
続行らしい。

 米国の顔色より
  まっさおになっている弱者の顔色見てちょうだい。

庶民の生活は
10月の弱者へのますますお寒い締め付けの中
これから消費税アップのやってきそうで
あっぷあっぷあっぷぷ

 働けど働けど我が暮らし楽にならざる
   給料明細の社会保険控除額をじっとみる


デイサービスに赤ちゃんがやってきた

2006-09-29 06:22:30 | Weblog
産休職員がデイサービスに赤ちゃんをだっこして顔を出した。
女性の利用者が回りにむらががって、
代わる代わるにだっこ。

赤ちゃんはまだ生後間がない女の子。
髪もちゃんとしっかり生えて
おちょぼ口でお人形さんのように整った顔をしていた。

ここまでじっくり観察してるってことは
私もだっこグループに加わって
一時、仕事を忘れており

誰に抱かれてもむずかることなく、すやすや眠って
ちゃんと指五本の小さな手と足でのびのびをする。

周りに集まった女性の顔はどれも笑顔。
認知症のあるひとも
歩行器に捕まって立っている人も
ひ孫や玄孫にあたる年齢の人ばかりだ。

 かわいいねぇ~
 もう育てられないねぇ~
 生まれた時はみんなあんなにかわいかった~

子育て経験は幾つになってもよみがえるらしい。
そして
いくつになっても誰かの役に立つ自分でありたい。

考えたら子育ても介護も全部家の中のことだった。
ちゃんと昔の家ではそれが機能していた。

最近はお国の費用は
介護を削って子育て支援に厚い。

わずかに出生率が上がったと今年は出ていたけれど、
女性の社会進出と
子育て、介護の社会化が同時進行で
どこか人の自然な営みが壊れていった様にも思う。

男女参画、男女平等の声は高い。

でも
男女が同じだという事とはちがう。

性差があって、
良いところを認めあって
はじめて居心地が良いと思う。
子育ての母父の役割は決して同じではないとおもうけど、
男性も育児休暇を取ろうよ気運が優性か?
私は懐古趣味なのかな?

高齢者の笑顔をみて
宅老所と宅児所を一緒にしたらと構想がうかぶ。
私には介護福祉士も保育士も一応資格があるにはあるが、
この度、認められた小規模多機能施設も
なんやかやと介護保険上の縛りがあるらしい。

居宅介護支援事業所の事務処理も
ちょこちょこやらされて、
またこの事務が私は好きでない。
向いていない。

面倒なことをいっぱいこれからこなすパワーはもうないなぁ~と
構想は浮かんで消えた。

赤ちゃんは無垢でまわりの人もみんななごやかにする。
子育てはかわいいだけでは出来ないけれど
このかわいいと子育てパワーの湧くのがセットになっているような。
無条件でかわいい=守ろう

他の哺乳類は立てる歩ける状態で生まれてくる。
人間だけが早くうまれて、守られることで
たくさんの事を身につけるんだと保育の講義でならったかなぁ~
(遠い目になる…短期記憶も長期記憶も最近あぶない…)

高齢者は外見上かわいくないわけで
子育てより
守ろう気運が上がらないのもうなずける。

まして今は
介護も子育ても人任せ。
人が人としてのパワー自体が弱まっているのか?

要介護者が赤ちゃんをみて言った言葉。

  もう育てられないねぇ~


今の高齢女性は
家長制度に虐げられ、
戦争を逆らうこともできず味合わされ
モノのない時代に家族を守り
驚くべきパワーの持ち主だ。

うれしいおとどけモノ

2006-09-28 06:44:47 | Weblog
息子は家に居てもドアチャイムが聞こえないほど
熟睡しているかヘッドホンで音楽を聞いている。
宅配も必ず不在通知が置かれている。
郵便配達をしていた癖に我が家への郵便物を
家に持って入る事もない。
大半が私宛と言うことも関係しているか?
彼に人付き合いのなさからして
うれしい知らせがない所為かもしれない。

家に入ろうとすると上がり間口に
かぼちゃと掘りたてのさつまいもが転がっている。
野菜つくりをしている友の顔が数人浮かぶ。
袋に入れて、家の裏のひと目に付かないところに置く人。
手紙を必ず入れておいてくれている人。
野菜ひとつくれるのにも性格がある。

きっと畑の帰りにひょいと私を思い出して落としていってくれたか?
近所の人がいっぱいもらったからおすそ分けで置いていったか?
都会のように毒入りを想像しないところが田舎かもしれない。

郵便受けには大きな茶封筒がふたつ。
ひとつは膨らんだ形から
『郵送したよ』と昨日メールがあった
ハイビジョンつま恋生放送のビデオに違いない。
ひとつは高校のクラス会案内。
ビデオを送ってくれた友とも同じクラスだった。
15の歳から長い長~い付き合いだよね。

早く早く、ビデオが観たいが夕食、夕食。
さらに前に、玄関でにゃごにゃごウルサイ猫たちに餌。

息子は合気道の日だ。
なにやら探し物中。
合気道の月謝袋がないと焦っている。
袋はみつからなそうだし、練習時間が迫ってきたから
代用封筒を渡してやる。
相当不服。
確かに欠ける事のきらいなアスペルガー。

 「お断りを言えばいいよ」
 「オレは断りは言わない」

世の軋轢を自分から生むよなぁ~
と、思ったとたん

 あきれてるんか!
 怒ってるんか!

いえ、いえ、母のアドバイスは母のアドバイス。
それ以上言う言葉が発見できないから黙ってる。

 頭の中は夕飯の支度でいっぱい。
 おなかがぺこぺこ。
 ちっとも怒っていないよ。
 封筒がみつからなくて困ったね。

激しい弁明をおだやかに平坦な口調で返す。

続けて探し物。
今度は財布がない。
1階は料理の手を休めて一緒にくまなく探してやる。
ない…
たぶん2階だろう?
2階への階段すら母は進入禁止だから本人に任せるしかない。

10分後、見つかったらしくバタバタ降りて来た。

  財布が持ち場を離れるからいけない!

訳のわからない理屈。
ジョークにしては真顔で言っている。
まぁ~いいわ。
下手に反応するとまた、怒っているのか発言を誘発する。
そのうち部屋のかたづけが必要だと言い出すはずと
期待しよう。
本当は片付けが出来ないのだから、誰かの助けが必要なのだけど
本人のプライドがそれを許さないのと
自分の持ち物に人の手が触るのがイヤなのだろう。

やっと出かける。
母の気持は早くつま恋のビデオが観たいで気もそぞろ。

 気をつけてね

探し物の興奮があるから、落ち着いて事故らないようにと
つい口をついた。

 何に気をつける?文句があるのか?

ございません。出かける時のだたのあいさつみたいな言葉。
少し遅れたからとバイクを飛ばさないでいってらっしゃい。

アスペの母は多弁でなくちゃいけないのかな?
いつも理路整然語り、常套句はご法度だった。

おうぅ~息子は行った。行った。
ちょうどグラタンも焼き上がった。
本日、玄関にあったかぼちゃをレンジでチンして
いつものマカロニグラタンに投入してみた。

いそいそと出来上がりを運んでテレビ前に陣取る。
う~~~ぅ!ビデオ操作が…いつも息子の担当だ。
なんでBlogまで持っててビデオ操作が出来ないの?と
人に言われた事があるが、どうしてか知らん苦手。
四苦八苦。グラタンが冷めない前に写りだした。
やれやれ~
長いコンサート前の中継が続く。
早く始まって。
会場にいる気分でわくわくしてくる。

お~ぅ!拓郎とかぐや姫。会場総立ちで始まった。
と、同時に電話が鳴る。もぅ~
野菜をくれた人からだった。
夏には入院していた。もう畑に出られるほど元気になったらしい。
いつもなら長々話すところ、目がテレビ。
早々に切って、もう動かない。

拓郎の頭が後退して、以前よりやわらかな顔がかっこいい。
なんか違うと思ったら
キンキキッズとTV並んでいる時はサングラスがあった!
たしか???私の記憶もあてにはならないけど…
我が家の夫も生きていれば拓郎さんと同じ還暦。
おじちゃん、昼の1時からはじめて夜の9時まで大丈夫だろうか?

ステージがかぐや姫に変る間に、食器を下げて
同窓会の案内をじっくり見る。
同窓生がひとり亡くなったことから企画すると事前に電話をもらっていた。
いちいちかけて所在確認してくれたんだろう。
住所等の名簿が同封されていた。
みればなつかしい出席番号順。
姓が変ってしまっているからそれに気がつくのに時間がかかった。
みんなどうしているんだろう?
名簿からあれこれ今の暮らしぶりを想像する。

同窓会どうしようかな?
小旅行を計画した、後で前日に研修が入って、
同窓会は旅行の次の日。
仕事柄、研修に行こうが有給で休もうが仕事が減るわけでもなく
さばく日が減っただけ後が過酷。
出欠の返事はもうちょっと考えよう。

ビデオはおいちゃんに変っている。
こうせつ節のトークは何度か行ったコンサートでおなじみ。
悪いけど、正やんもパンダさんも歌が下手になったよね。
でもなつかしいなぁ~

9時を回って息子の帰りが気になりだしたが、
ビデオは佳境。
今日はキレずに帰ってきた。
ほっとする。
ビデオは気にさわれば止めると聞いたら構わないと言う。

ちょっと合気道の棒をふりまわしていいかと聞く。
好きにやってちょうだい。
しかし狭い部屋で危ないなぁ~
ハラハラしながら目はビデオ。

野外ステージは夜の帳が降りている。
息子に父さんの歳のおいちゃんが昼から歌ってる、すごいねぇ~
と思わず振ったら
音楽は高揚するから疲れを感じないんだろうよ、楽しい気分が続いてね。

母世代の曲も嫌ってない感じがうれしいなぁ~
そういえば拓郎CDは立ち入り禁止区域の2階に取られたまんま。
サイモントガーファンクルもローリングストーンズも一緒に消えている。

しばらく一緒に観て、
   バラードは古くない感じがする。
とノタマウ。
息子は途中でおやすみと去ったが
結局、私はノンストップでビデオを観終えた。

肝心の最後が切れている。
後半、最後のかぐや姫ステージ、
神田川の途中でプツンと切れてしまっている。
う~ん残念。

なにやら録画方法について友の家では、
息子さんが登場したり
興味薄のダンナさまへの気づかいやら、
果ては夫婦ケンカまであってできあがったビデオらしいから
やぁ~充分、充分。感謝、感謝。
ただビデオにとるだけでも半端でない長丁場だったんだ。

10月29日にBSで4時間に編集してやるらしいから
コンサートのラストはそこで見られるわ~

いつもの頭のピリピリが消えている。
すっかり何もかも忘れて
どっぷり
つま恋にはまった時間が過ぎていた。

  コンサートが終ったらまた
  つまらないしんどい日常にかえるんだよね

みたいな事を拓郎さんが言ってたっけ。
みんな楽して歳を重ねていないよね。
ほんと、同窓会どうしようかな?

息子には行きたい同窓会もない。人恋しい気持は持つのに。

 ♪~空を飛ぶことよりは 地をはうために
   口を閉ざすんだ 臆病者として
     越えて行け そこを
     越えて行け そこを
   今はまだ 人生を 人生を語らず~♪

自閉っ子、自立への道を探る   服巻智子

2006-09-27 08:12:42 | 
自閉っ子、自立への道を探る

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全国の規範となる自閉症支援をしているNPO法人それいゆの服巻智子さんが
自立している成人当事者にインタビューの形でまとめられている。
当事者本でなく支援者サイドの目線であるところが
親の立場としては、いちいち納得がいった。

周りの人間としては
分かりたくて、分からない部分がいっぱいの自閉症者。
かなりな理解につながった。

いっぱいマーカーで印をつけて、
何度も反芻、反省してゆきたい。

結婚しておられる人は相手が『邪魔にならない存在』と言われる。
同居の親としても、その辺りは心得ておかなければと改めて思う。

親へのメッセージ

 『それ以上要求しないでいてあげてください』

いかに生きているだけで、努力と忍耐の中にいるかが伺える。

他の当事者本で衝撃だったのが、
感覚の過敏症だった。
個々に違いを持つ障害で一番分かりにくい。

ウチの息子は
水音と掃除機がダメ。
彼の居ない時をねらって片付けをすることにしている。

もうひとつ
体感温度が季節にうまく順応してゆかないらしい。
朝からもう暖房を入れている。

今朝は
母さんは暑くて気分が悪くなるからと
はっきり理由を言って
息子が着替えて出勤するまで
暖房の部屋を出ておいた。

出勤前に『暖房切ったよ』と声をかけてくれた。

この本の最後に当ブログでブックマークしている成澤達哉さんが登場する。
インタビューでは唯一の男性。
障害は男性の方が多いはずだが、当事者として本を出されている人も
彼を除いて、私の知る限りでは女性ばかり。
読んだ限り成澤達哉さんがウチの息子に一番近い。
たった二週間在職の会社社長に彼は激しい恨みを持っておられる。

服巻さんは否定がダメな彼に向いて
きっぱりと
恨みは公のお金を出して本を買う人に語るものではないと
繰り返される場面があった。

私は否定をされるとキレル息子と毎日、対峙しているから
大抵、オールYESできた。

暖房も初日はちょっと私の方がおどろいて
なにげに口にしたひとことから
ちょっと一悶着あったが、
彼には必要なのだろうと容認して、
自分が気分が悪くなる方は言わずにガマンしていた。

世の中にはいろんな人が居る訳で
母の気持はどうなのか、
キチンと話して、
息子と違う感覚を持っている事を理解させる方が
世の中と和合の道を探る点でも重要ではないかと
成澤達哉さんとのくだりで気が付いた。

成澤達哉さんはバイク便ライダーの仕事をされている。
息子はクビになったが、郵便配達の仕事を1年間続けた。
好きな仕事らしかった。
成澤達哉さんは仕事上の困難を感じた時点で
職場から困難を排除した配置替えの配慮があった。

息子は出来ない事を叱責され続け、
精神的にも相当まいっての1年であり、
精神不安がバイク事故も多発した。

自閉症者の就労は
ほんのちょっとした配慮で可能にも
逆に、
ちょっとした配慮のなさが命とりにもなるらしい。

成澤さんが恨みに思われる社長の熱血、社員叱咤激励ぶりは
我が上司にそっくりでもある。
定型の人間だってキツイ。
なぁなぁで聞き流す装置が定型にはあるので、
自分がこわれないで保たれているだけだ。

さて、熱血の配下へ出勤しよう。

この本は
何度も何度も読みかえしたい。

ひとつ気になった。
小学校教師と言う一番の難所で働き続けている
さきさんの22歳の息子さんのこと。
彼にも発達障害の疑いがありそうとだけしか触れられていない。
さきさんは離婚、再婚して、彼はひとり暮らしのようだが、
今、現在どうやって暮らしておられるのだろう?

その辺り続編が出ないかな~

ケアマネは無駄な仕事?

2006-09-26 08:01:16 | Weblog
介護支援専門員、通称ケアマネージャー、略してケアマネは
だいだい介護保険が出来て必要になった仕事なのだ。
それ以前は
例えば
ヘルパーさんに来てもらうのには、お役所にお願いして
措置というかたちを取るものだった。

介護保険は40歳以上はみんな保険料を支払うけれど
利用するには介護認定を受けないといけない。

そこで新たにその認定をする人たちが必要になってきた。
認定は調査員がひとりひとりに調査項目に基づいてする。

 自分でできるわね
 ちょっと無理みたい
 全然ダメ

の三段階チェック
それをコンピューターで選別。

それではあんまりと言うことか
医師の意見書と
調査員が見聞きして特記事項と言うのを書き込んでいるのと
照らし合わせ
専門家が委員となって、
おえらいコンピューターさんの算定介護度を
検討しなおして決定される。

公明正大、公正のようで、人の思惑3寸のところもあり
介護認定の不服もケアマネはよく聞かされる。(余談)

そうやって、
介護認定が降りてから
やっとケアマネージャーの出番になる。

無駄話しつつ、
本当の家族の思惑、本人の気持を
ふむふむと聞き出して
認定されて使える単位内で
どんなサービスがどのくらい使えるかな?
と、介護保険を使う設計図みたいなの作成する。

こんなもんでどうでしゃろ?と

ご家族や本人の確認の印鑑をもらって
やっと各種サービス業者さんに連絡。
サービスが始まる言う仕組み。

書いているだけでうんざりしてきたけれど
介護保険を導入したばっかりに実際の介護サービス利用までに
どっさり手間隙、経費がかかっていると言うことが言いたかった。

介護サービスの利用がその認定が厳しくなってむつかしくなりつつある上に
介護にかかる自己負担は増える一方。

老後の沙汰も金次第と言うお寒いのが現実だ。

パンクしそうで動いている介護保険の
無駄を省こうと言う発想がこれからきっと出てくるだろう。

一番、無駄そうなのがこの介護支援専門員ではなかろうか?
実際に介護するでもなし、
各所に連絡調整の中継地点でかない。

半年しか経過していない新米ケアマネの私
不遜ながら
無駄な制度だと思ってしまう。

仕事をする前は
利用者さんのお困りをじっくり聞いてあげて
何か助けになる仕事かと思っていた。

ところがどっこい~
書類作りばっかり~
わたし、正直、お役所で書き込む書類が大の苦手でした

居宅サービス計画書なるのもをご本人に説明する時の恥ずかしさ。

お困りの点は一応こう書いてあります。
ごめんなさいね。
こうやって御託を並べないとヘルパーさんに来てもらえないのよ。

字の小さないっぱいの書類に
どこに印鑑押せばいいの?
時には
押してくださいな。
目が悪いし、手も震えるし
と言うわれる。

訪問したら、『あっ、印鑑ね。』

ケアマネは何のために居るのでしょう?
サービスしか勧めないケアマネと言う不服をよく聞く。
なにか利用者さんが介護保険サービスを利用されて
はじめてケアマネの収入になる制度になっている。

めいっぱいの人数を担当しても
もうかりまっせと言う程に収入にはならないけど、
利益があがらないと事業所は成り立たない。
給料がでない。

真面目に話を聞いて、
どうしてあげたらいいだろうと
考える時、
介護保険の単位内ではどうしようもない
チープなおたすけにしかならない事も多い。

デイサービスの迎えに行ったら留守だった
ヘルパーさんが思う事をしてくれない

業者さんから利用者さんからの
苦情対応も仕事のうち。

日に何度も、私が悪くないのに申し訳ありませんと言うだろう。
それでまぁるくおさまればそれはそれでいいけれど…

困っている人の話を聞くだけ聞いてあげて
満足なことはしてあげられない
何にもしてあげられない気持で

ごめんなさいを口にする時は辛い。

そして、
何のための誰のための書類であるのか疑問に思いながら
せっせと書類つくりに追われる。
利用者さんと向き合う時間が削られる。

熱意のあるケアマネほど
介護保険の矛盾をモロに被って
燃えつき症候群でこの世界から足を洗うそうな。

今月いっぱいでウチの職場から一人去る。
二度とケアマネはしない。
看護職に戻ると公言している。

本当に必要な仕事か
もうちょっと見極めよう。
私はまだまだ経験不足。入り口から見ているだけだろうから。

死ぬ瞬間 E・キューブラー・ロス著

2006-09-25 06:28:07 | 
死ぬ瞬間―死とその過程について

中央公論新社

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柳田邦男さんの『「死の医学」への日記』の中でもさかんに出てきたし
ホスピス医になろうと思ったきっかけの本だと講演で聞いたこともある。
この本を一度読んでおこうとずっと思ってきた。

医療現場が末期の患者の存在自体を認めないのは
治療不能患者のあつかいは現在もそうだろうと思う。

厚生労働省の認可する緩和ケア病棟は
末期ガンとエイズ以外の患者は受け入れていない。

著者の国環境からキリスト教との関わりが
日本とは少し違う部分かもしれない。
強い宗教観の裏打ちのあるなしは
その時の気持も随分違ったものにもなりそう。

ずっと55歳で命を終えた夫のことを思いながら読み進んだ。
決して最期は
かっこ良くも、勇ましくもなく
家族に言い残す言葉もなかった。

最後まで生き抜く自分しか受け入れられない彼。
時として
自分が居なくなってからの私を気づかってくれた彼。

ふたりで
死んでいく方がつらいか?
残される方がつらいか?
話したこともあった。

終末医療が語られる時、
あたたかな家族に見守られて
死の準備をきちんとしてお別れに臨む
優等生的な事例がとりあげられる事が多いけれど、

人はみっともなかったり
弱かったり、こわがりだったり
この本にはたくさんの人のレポートが載っていた。

障害の子を残してゆくことに
不安を覚える母親の気持も書かれてあった。


その時にどんな助けや関わりが出来るのか
人の死に関わる職業の人は必読かも。
そういう人へ接する時の
想像力のふくらみになりそう。

だれでも迎える死であるから、
他人事ではないし
だれもが安らかな死を望むのだから。

  

石原都知事の『あたりまえ』発言と読売の社説

2006-09-24 08:16:27 | Weblog
式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁 (朝日新聞) - goo ニュース

↑の判決が出てから承服できない石原都知事はこう言った。

 『あたりまえの事じゃないですか』

私はなんでもかんでも『あたりまえ』と言う言葉には抵抗がある。

 あたりまえ
 普通のこと
 常識

この言葉に泣かされた子育て経験を持つ。
発達障害は親のしつけが悪いとされた時代。

息子は

 あたりまえのこと、普通のこと、
 常識じゃないと目をむかれることに

いちいち、ひっかっかって教師に問題児あつかいされた。

あたりまえって何?

息子のおかげで、
世にまかり通る常識は本当に正しいのか疑う習慣ができた。

常識も、
最大公約数的な多数意見も絶対に正しいとは言い切れない。

石原都知事は自らが信じる『あたりまえ』で
都独自の条例を多く発令もしている。

都知事の『あたりまえ』が多くの人の自由意志を奪っていないか?
自ら考える行動に規制をかけていないか?

軍国はこうやって作られていった過去が日本にはある。


9月22日付・読売社説(1) (読売新聞) - goo ニュース

堂々、全国紙の社説だ。
高専生殺害の加害者が遺体で見つかった時に
未成年の制約を『死』と言うことで
すばやく解いて、実名報道を唯一した新聞社。

後に全国の良識ある図書館ではこの新聞に閲覧禁止処置がとられたり
日弁連からも実名報道にクレーム発言がでた。

また、私の琴線にはひっかっかる社説を見つけてしまった。
読売新聞ってどうなの?
私は私の心に静かに物事は問うてみる。

世のあたりまえと違っていても
大新聞が書き立てても
わたしはわたしの考え方でゆっくり考える。

国歌、国旗に抵抗のある人が居る以上、
強制すべきでなないと思うし、
なぜ、そこに抵抗を覚えるのか
『あたりまえ』で切り捨てられない
重い過去の事実を大切に私は思う。

ちょうど、
NHKの朝の連ドラでは庶民層の戦時中の悲惨なシーンが流されていた。
戦争は庶民にとってどうだったのか?

イラクへ自衛隊派遣反対署名を集めにご近所を回った時
署名をして下さったのは、
いつもは嫁や子供の影から出てこられない高齢の
戦争体験者ばかりだった。

むしろ先に応対に出た、
戦後生まれの中年層には賛成派が多く署名はしてもらえなかった。

戦後生まれの庶民感覚を持たないサラブレッド世襲政治家が
総理大臣になった。

庶民の痛み、苦しみを汲むことは期待薄・・・

わっ!論旨が反れた

石原都知事も読売新聞も大きな支持を持って存在している。
なんだかなぁ~
ゲゲゲの鬼太郎の妖怪の世界より不気味



時の流れと生と死と

2006-09-23 23:00:33 | Weblog

今日はつま恋コンサートの日。
31年ぶりのかぐや姫と拓郎の
昼から夜にかけてのなが~い野外コンサート。
チケットは即日アッと言う間に完売したそうだ。

NHKのハイビジョンで生放映すると聞いてから
我が家のでは観られないので
よっぽどテレビを買い替えようかとも思った。

去年、かぐや姫再結成コンサートに
連れ立って行った友の家ではハイビジョンOKと言うので、
ビデオ録画を頼んでおいた。
NHKの7時のニュースには
ちょこっとコンサート風景が写った。
わくわく楽しみ。

実はこの楽しみを朝はコロッと忘れていた。
昨日からのばばっちい家をとっとと片付けて、
午前、午後と予定をこなすべく朝から焦っていた。

五行歌会と言う腐れ縁で続く詩歌の歌会が午前。
いのちの会と言う地域に緩和ケア病棟建設をと言う会の講座が午後。
夫が近隣の緩和ケアにお世話になったから、
こちらも義理あり。
半世紀も生きていると身から出たサビで何かとせわしない。

コンサートの事は楽しみにしていた癖に
出かけにビデオ予約を頼んだ友から
『6時間のDVDに取りきれないよ』と電話が入るまで完全失念。
ひとつの事以上の記憶は作動しない年齢になったらしい。

五行歌の会で、
会費から購入したと一冊づつ『五行歌秀歌集』と言うのをもらった。
2001~2005に投稿や全国各地の歌会や公募の歌から
チョイスして編修された歌集。
中に夫が亡くなって1年くらい経った頃詠んだ私の歌が載っていた。

   あの人が
  埋まっているのに
  雨が降ります
  止みません
  あの人が生えてきますか?

 

午後のいのちの会では、
在宅緩和ケアセンターの訪問看護師さんの話を聞いた。
病院でなく在宅での死を選択し、
家族に囲まれて、
もっとも自分らしい死を迎えられた人の話を
やわらかな口調で語られた。

確かに自宅で家庭生活の中で亡くなることは
考えれば、一番自然なことだろう。

私も夫は家で最後を迎えさせてやりたかったが、
在宅緩和ケアセンターはもとより緩和ケア病棟も近くにない。
第一、緩和ケア医が居ない。
住んでいる場所では今も望めやしない。

そのままであきらめないための啓蒙講演。
しかし署名を集めても市民の声を聞かず行政は岩のごとく不動。
本当は会場へ集まってない人々に
ちゃんと聞いてもらいたいとこ。

看取った家族の人は死を
怖いイメージで捕えなくなったと語られた。

私の中にも夫の死以来、
死と生とは近いものになった。
ある日突然にパカッと死の方へいくのではなく
いつかす~っとつながっていてあちらにいくような気持でいる。

生まれることも死ぬことも病院で。
子育ては乳飲み子から保育園で。
高齢になって世話が必要になったら介護保険で。

いつの間にか
人の営みが見えない仕組みの家庭になってしまった。

家庭の機能は社会が担う。
いったい本来の家庭はどこへいったのだろう?

31年前に『ポストの数ほど保育園を』のキャッチフレーズが聞かれ、
当事、保母の求職は容易だった。

女性の社会進出が叫ばれた時代だった。

そして少子高齢化の今、
昔の保育科の多くは社会福祉学科と名を替え
高齢者福祉についても学ぶ場となっている。

 ♪~若かったあの頃~何も怖くなかった~♪

保母だった私も
今は介護保険に繋がる仕事で糊塗している。

戦後生まれの同世代の総理大臣も誕生した。
この先はどうなる?どうなる?
明るくはない気運、暗雲が見え隠れしてるけど…

 ♪~私は今日まで生きてきました~♪

コンサート会場に集結している人たちも
ステージの上の人々も
それぞれ一冊の本になるくらいの物語を背負って
今もいろいろあって、
この先もそう容易とも感じられないけれど
まぁ~なんですわって、
今日はガンガン燃えているのだろうなぁ~きっと。
録画で後から熱気を感じさせてもらおうっと

   


命日の黎明

2006-09-22 07:05:28 | 終末医療
あれから5年。
あの時は
もう時が進むとも思えなかった。

不安と喪失感と。

夫の看病が
最後は私の仕事だったから

失業と失恋と
いっぺんにやってきたようなだった。

でも
学生2人の遺児が
私には託されていた。
はっきり障害とは
分かっていなかったけれど
充分、先に不安を感じる息子こみで。

焦燥感が
逆に
虚脱のままでは
置いてくれなくて
良かったのかも

今は3人3様
それなりに
安定、平穏

とうちゃんはいなくても
大黒柱を失っても
大丈夫だよ。

朝の空気に誘われて
ひさびさに散歩。
山の中の研修所は一段とすがすがしい。

黎明の向こうに
十万億土は
あるのかな?



な~んにもない夜

2006-09-21 21:04:10 | Weblog
県の研修所には宿泊施設が完備している。安く泊まれるが規律が細々ある上に、トイレ、風呂共有、研修目的の施設なので、テレビひとつ置かれてない。

県中央部に位置しており、車で遠い所で2時間程度で来れる場所と言う事もあって、合宿の学生以外利用は少ない。

今回2日続きの研修でも、宿泊者は5%か?
最近は極力、省エネ行動を旨としているから研修で疲れて、家に帰って家事をして、翌早朝、また研修所に向かうシンドさを回避して5%の宿泊組に入っている。

息子と離れる時間はお互いの閉塞感緩和に必要かもと勝手に一方的に思う。

母が居なくて安楽で自由な夜を過ごしているだろうと信じて、電話もしない。

ほんとうはちょっぴり心配だけど、こうして別々の場所に居れば心配してもはじまらない。

何かに追われ続けているような、そして絶えず息子に気を使う時間から、なぁ~んにもない夜も私にとっては、ちょっとしたリラックスタイムか?

読みかけの本を一冊持って来たけれど、一日中講義を受けると結構疲れるものらしい。眠気が来て、ページが進まない。もったいないような静かな時間。

明日は夫の命日。五年になる。専業主婦から一転した今の生活ぶりは夫が居たらなかっただろうし、こんなとこに寝ていないだろうなぁ~と、ぼぉ~っとかすんだ頭に浮かぶ。

長生きしたくない言う介護職

2006-09-20 06:37:48 | Weblog
たいていの介護職は長生きしたくないと言う。
利用者の置かれている現状は厳しい。
予防介護の名の基にいつまでも元気を強いられる。

楽隠居の言葉は死語となり
最近は生涯現役がもてはやされる。

腰がまがって指がふしくれて変形して
要介護1、2の人が家で出来る農作業をしている。
家で何もすることがない人よりは
役立っていることはすばらしく見える。

畑に声をかけて来月のケアプランの説明をするために
上がってきてもらう。
畑にぺったり座り込んで
大根の種を蒔かれていたと言う。

杖を付いて、畑からゆっくりゆっくり玄関先まで到着。
仕事の邪魔をして、畑から上がってもらう事に恐縮する。
ケアプランに確認の
印鑑を押してもらわないといけない事がじゃまくさい。

転ぶことはないか?
体がきつくはないか?

気になったので聞いてみた。

転んでも畑の土はやわらかいから怪我をしない。
体はものすごくキツイ。
何もしない一日が欲しい。

この方はこの春から改正の要支援2。
がんばることで介護の手が要らないから介護度が下がった。
しかし、身体状況は介護認定が降りてからだんだん悪くなってみえる。

家族同居でみんな日中は働いている。
家事もできることはして帰りを待つと言う。
働いて帰って、何もしてあげてないのは気の毒だからと。

要支援2はデイサーサビスに週二回分の金額が月額で
月に何度来ても良くなった。
何度来てもよいと言っても
週2回以上の利用料が請求できないシステムだから
2回以上収入につながらないのに
受け入れてくれるデイサービスが実際にあるのか?
通達した厚生労働省に聞いてみたい。

2回は家の仕事がいっぱいで行けない。
週一回の日も帰って炊事をするからとても疲れる。
それでも、行くとほっかりするから
お金は高くても一回にしておいてと彼女は言う。

もしも
ワンランク上の要介護1なら一回分づつ介護保険請求が出来る。

週に一回のデイサービス利用は介護1の人の方が要支援2の人より
デイサービス利用料が高いと言う矛盾が出ている。

昼食代も昨年秋より実費となったから
5000円近い介護保険負担+500円昼食代×4回分
国民年金で月に3万円くらいしか収入しかない
要支援2の利用者にはシンドイ負担になる。

デイサービスのリハビリも人との交流も
これまでの楽しみをあきらめる人も実際に出ている。

鷹揚に構わないというのはお金にゆとりのある人。

軽費老人ホームと言われるケアハウスも
認知症対応のグループホームも月の負担額は
月額3万円強の国民年金者には負担できる額ではない。

生活保護費8万円よりはるかに低い設定はどうなっているのだろう?

蛇足ながら障害年金2級も生活保護費より低い。
しかも生活保護者は医療費負担がないが、
障害に無関係な医療はしっかり3割負担。
この度、障害部分の公費負担も5%から介護保険並の10%負担になった。

どんどん定年の年齢が上がってゆく。
60歳までとがんばってきたが、65歳定年。
老後って死語?

元気老人でいる自信がない人が長生きしたくないのだろうか?
介護職は多く、腰痛持ちで
自分の体を慰撫しながら、だましだまし働いている。

あちこち痛い高齢のご利用者さんが
自分の行く先と重なって見えてしまう。

新人の秋は講習がいっぱい

2006-09-19 23:25:59 | Weblog
福祉用具と住宅改修の基礎講座が3日間。
新任介護支援専門員の新任研修が10月から12月にかけて5日間。
研修に行かさせてもらえるなんて有り難いことではあるが…

まさかこんなに研修が立て続くとは思っていなかったので、
この秋から半年経ったらもらえる有給休暇。
よ~し!使うぞと気合を入れて
もう計画が進んでいる。
京都に住む学生時代の友達が紅葉を観においでと誘ってくれた。
紅葉の一番良い時期に
かなり無理してもらって宿予約を入れた。

国民文化祭では川柳大会の手伝いを買って出てしまった。

数年ぶりの高校の同窓会のお誘い電話も昨日あったけ。

ちょっと過密スケジュール。

研修があるからと言って、
自分の仕事は誰も肩代わりしてもらえないのが
ケアマネの仕事。

休暇を取るのは本人の勝手。
後で泡吹くのも自分の事。

体力なし…
気遣いのいる息子あり…
時にリフレッシュも正直欲しい。
ちょっと煮詰まる前の風穴も大切。

成るようになるもんだ
やるっきゃないだろう

本日はいつもお世話になっている
福祉用具会社新人22歳のおねぇさまと
机を並べて、講習を受けた。
講師はちょっと前まで彼女が習っていた大学の教授だそうな。

眠気と戦いながら、
知っておかないとマズイところに
アンダーライン。
どうせ覚えない頭だから
必要に応じてテキストを開こうっと。

教授が最後に良いことを言った。

 最後まで明るく前向きに生きてゆけるために、
 介護のための特別な住宅作りじゃなくて、
 こういうのが常識になると良い。

誰にもやさしいユニバーサルデザインは家作りにも言えるのだ。

敬老の日だけ
敬老がクローズアップされるのでもなく、
元気な高齢者ばかりが注目されるのでもなく、
老いていゆくそのままで、
しあわせと感じる環境があって欲しい。

長く生き過ぎた、
お迎えを待っている、
こんなにあちこち痛いのなら早く死にたいと
もらす高齢者。
介護は介護保険に任せておけば良いと言う家族。

各種介護サービスが上手くいって介護度が下がったとたん
今までのサービスが使えなったことを悲嘆して
逆に心身機能が衰えてしまう人が出る矛盾。

今の介護保険は家族で看取る介護を
根こそぎ壊してしまった。

介護支援専門員研修で何を教えてもらうのだろう?
燃えつき症候群の離職率が高い職種らしい。
半年しか経たないけど、
時折、えらくむなしい。
誰もしあわせになれないプラン提供をしているような気分になる時もある。
やたら事務処理と居宅サービス計画書とか言う名の作文に追われて
本当に話をちゃんと利用者さんと向き合う時間の方が少ない。
ケアマネって思ったのと随分違うへんてこりんな仕事だ。



出口のない海

2006-09-18 17:03:09 | 映画(DVD)

佐々部清監督の映画は4日間の奇蹟、半落ち等外れがなかったから
期待して封切を待っていた。

出口のない海』とはいったん乗り込んだら、
自分からは出てこれない回天の中から見た海だろう。

ちょうど夏の甲子園が終って、
今年のヒーローはハンカチ王子とか。

回天は大津島の記念館で本物を見たことがある。
窓もなく、
細くて長い鉄の弾丸の様。まさに鉄の棺桶。
誰がこんな残虐な兵器を考えたんだろう。
まっすぐに発進して敵にぶつかり爆破する機能以外に何も付いていない。

やたらに故障が出てきたし、
操縦も素人の寄せ集めの隊員には無理があったのは
事実の忠実な再現なのだろう。
実際に敵に到達して亡くなった人は少なかったと聞いた。

9.11の自爆テロは自分の意思であったろうか?
洗脳だろうか?
大空よりも暗くて冷たい海の底で
発射したらまっすぐにしか進まない、
中から外へ出るハッチもない
乗っただけで発狂しそうな人間魚雷は
空の特攻隊よりさらに悲惨で残酷に感じられた。

少し市川海老蔵さんがキレイすぎて
会話がリベラル過ぎて
そこに野球が介入する必然性もよく分からなかった。
原作ではどうなんだろう?

実際にあの時代に
回天に乗る事を拒否できたり
周りに人が居るのに「戦争に負ける」などと
口にできたのだろうか?

残念ながら
ところどころで作り物の感じがしてしまって
映画に酔えなかった。

実際に記念館に展示されていた
死んでいった人たちの手紙を読んだ時の方が衝撃が大きかった。

今週金曜日が夫の命日になる。
映画の後で墓参りにいった。
弔いの形は残された者の気持の置き所として必要なのかもしれない。

回天を風化させない事もまたしかりか・・・

 


新日曜美術館『画家石田徹也』

2006-09-18 08:34:32 | Weblog
台風が近づいていた。
雨戸を締め切って外の雨風の様子は見えないが、
ゴーゴーと音がして、
吹き飛ばされないように家が胴振い中。
安い建売住宅。骨組み等作りに信用が置けていない。

同じ事ばかりくりかえす台風情報をずっとつけていた。
息子が見たい番組があると言う。
最近、合気道の練習時間帯で、見られなくなっているが
『新日曜美術館』は息子の好きな番組のひとつだ。
台風接近で合気道の練習は休み連絡があったところ。

 石田徹也

何かで見てからずっと気になっていたそうだ。

じっと一緒に見てやればいいものを
私の悪い癖がある。

テレビの画面に集中する前に、
家の片付け物をまず済ませてしまいたくなる。
しなければと思いつつ放置していた
洗い物を再開してしまった私。

自分の好きなモノには共感してもらわないと
息子はすごく不安になるらしい。
自信のなさの現われかもしれない。

いつもの様に
 
 見たくないの?

 うんにゃ。

と言う会話をして洗い物途中でテレビの前に陣取る。
石井徹也を私は知らなかった。

31歳の若さで踏み切り事故死。
武蔵野美大時代から絵に没頭。
卒業後はバイトで凌ぎながら画家生活を続ける。
バイト代はほとんど絵の具に消えて、
カップ麺ばかりの食生活だったらしい。
死の前のは肝臓を壊している。

友人が『絵に命を削った』と語っていた。

好きなことへあまりにもストイックな人を息子は好む。
絵には丸坊主の自画像のような人物が
決して明るい表情でない、
暗いほとんど無表情で描かれている。

社会の歪みに非人間的扱いを受けていることを
鋭敏に捕えて絵に表されている。

 石田語

いみじくも番組ゲストが語った。
絵が雄弁に語り見る者に伝えてくる。

感想も言わず一緒に見ている息子の
坊主頭や表情と
石田徹也の絵の人物と
雰囲気がどこか似ている。

息子の触れてはいけないモノに触れるようで
そこのところは口に出せなかった。

台風は予想ほどの被害をもたらさずに去ったようだ。
我が家の被害は
外しわすれた簾が吹き飛ばされただけだった。

時折の風水害は
人の営みは自然には勝てないよと
忘れさせないために仕組みだろうか?

石田徹也の絵は
人の営みのグロテスクさをえぐり出しているようで
初めて知ってショックだった。
原画を観たいなぁ~

休憩室はみんなでカレー

2006-09-15 12:52:04 | Weblog
ただ今、休憩室にひとり。

今日はデイサービスのヘルパーさんが
どっさりカレーやサラダやら
朝作ったのを持ち寄って昼食がすんだところ。
明日は白いご飯だけ持っておいでと
言われていたから、

ご飯とスプーンだけ持参。
ひとり暮らしの人がたまにどっさりカレーを作りたくなるんだそうな。

気が利く人が
各種サラダを作ってきている。

なぜか酢の物におからもある。

家では息子の好みで
バラバラに食べるから
たまに同じ物を賑やかにつっつくのは楽しかった。

どこか我が家は荒廃してるのかもしれない。

一緒に食べる時も、
キッチンテーブルと向こうの和室。
同じテーブルでも斜め対岸に座る。

食べるときは食べることに
集中したいそうだ。

息子は人との身体的距離が近づくのも苦手だし。

荒廃と思うのは
私の方のこころだけなのだろう。

デイサービスのみなさんは職場復帰して、
休憩が30分ズレている私だけになった。
さっきまでにぎやかだったから
休憩室はシーンとしてエアコンの効きすぎる。

畳にゴロンところがって

デイサービスのチームワークはいいなぁ~

と、

歩調の合わないケアマネルームと比較。

昼食を食べずに仕事を続けているダイエットの人。
外に食べに出かける人。
外回り中の人。
昼休みまで顔をあんまり顔を合わせたくはない雰囲気はある。

となりの芝生は青いのかも。

ケアマネは個人プレイだから、
そこそこ和してればいいんだろう~

満腹はしあわせ。
特に人さまの手作りはおいしい。

さて、午後もうひとがんばり。