去年まではドンチャン騒ぎの酒盛りで故人を偲んでくれた人々も今年は現れなかった。 命日の夜に仕事帰りにビールを供えに来てくれた律儀な人がひとり。 そして今日ひとり。私が好きだろうと竹内敏信の山頭火写真集を携えて。 四年も経てば故人も遠くなる。頂いた写真集をゆっくりとめくる。写真が静かに物を言う。句に流れるひらがながやさしい。
いつでも死ねる草が咲いたり実ったり
うれしいこともかなしいことも草しげる
夕暮れの窓の外には荒れ放題の庭があり、隣の空き地との境に曼珠沙華の一群が見える。
曼珠沙華あせて亡き人また黄泉へ
(ねごと駄作)
私は一般的に世間で言われている宗教には
関心が無い為、仏壇にも ほとんど手を合わせない
親不孝者ですが、それでも母は今でも私の中に居ます。
私も訳の分からない内に家に仏壇がやってきた様な気がして馴染めません。命日前後になんとなくお線香は焚いてみたけど、未だ手を合わせた事がないです。胸にいる人にわざわざ手を合わせるのヘンですよね。
お線香はラベンダーとかひのきとか香りの好きなのをお香代りに焚いている様なものでもありますよ。
rihumiさんのお母さまも手を合わせなくても、分かって居られると思いますよ。もし、死者の魂があるのなら。