陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

パーソンセンタードケア

2006-01-31 23:42:08 | 
同僚が図書館に返す本と言って
認知症の介護のために知っておきたい大切なこと―パーソンセンタードケア入門
トム・キットウッド (著), キャスリーン・ブレディン (著), 高橋 誠一 (翻訳), 寺田 真理子
を持っていた。薄いし字が大きい。くまさんのイラストがかわいい。すぐ読みきれそうで、すぐに私が返しておくからと、また貸ししてもらって急いで読んだ。『パーソンセンタードケア』は試験のための勉強で目にして気になった言葉だった。

視点が認知症の人サイドにある。ものがわからなくなる不安。問題行動に目を剥くのでなく、そうしなければならない気持を分かってあげることの大切さが書かれていた。

パーソンセンタードケア。その人が真ん中。ケアを受ける人が心地よくなくて何のケアだろうか?介護保険と言う枠の中で、すべてのケアには限界がある。介護人の都合がどうしても顔を出す。

『情に流される仕事をしないで。』と注意を受けたことがある。利用者さんを甘やかすと言われた。そうだろうか?その人の気持に添おうとする事が『情に流される』事とは思わない。その人の気持を感じる五感はもっともっと研ぎ澄ましたい。

私とはまったく違う思考回路と感性で生きるアスペルガーの息子を肯定しようとする時、私の考え方や感じ方を捨てて、まっしろな気持になって対峙する。

認知症のケアとして書かれている項目のひとつひとつが、息子との関わりで大切に思う部分と同じように感じた。認知症であれ、精神病であれ、発達障害であれ、世の中から『あれ?』と思われる特異な行動を目にした時、身内なら、とっさに情けなくて叱りつけたくなる。でも本当は当人がつらくてつらくてたまらない思いの発露なのかもしれない。そんな時に、追い討ちをかけるような動言をうっかりしてしまう危うさが私にもある。

どう言う状態の人であれ、人は人。かけがえないのない魂を持った人であること。ケアする人間が不遜にも自分が上だと思わない戒めのためにも、しっかり『パーソンセンタードケア』のポイントを押えたい。

そうでないと、つらい人が楽になれない。自分らしさで生きていけない。
アスペな息子との生活が私にいろんなことを気づかせてくれているような。

解答速報

2006-01-30 20:23:36 | Weblog
見なければいいものを、ついついネット検索。第18回介護福祉士国家試験解答速報を発見してしまった。一緒に行った同僚のひとりは絶対に見ないと言う。

合格は13科目の内、得点なしがひとつでもあれば、
総得点を満たしていてもOUT。
はっきり何点以上合格と言うラインはなくて、

【課題の総得点の60%程度を基準として、課題の難易度で補正した点数以上の得点の者】

と、ある。120点満点の60%だから72点のはずだけれど、昨年は確か82点。
かくして、私の自己採点はジャンジャカジャ~ン~♪

94点。

設問が4問しかない科目で恐ろしい事に正解1問ってのもあった。
危機一髪。
ミス記入とか、ない!とは言えない。
自分のする事にほとんど自信が持てない。

さてと、
受験グッズは押入れのう~~んと奥へ仕舞ってしまおう。
本当の合格発表は3月末日。
朗報は忘れた頃にやってくる~
春よこい~♪

息子もなにやら放送大学の試験が終わって気が抜けていると言う。
親子でふぬけ~
こんな時もいいかもね。
歯のない老猫が今、膝に乗ってグルグルと言っている。


やっと終った介護福祉士試験

2006-01-29 20:36:57 | Weblog
受けるゾと決めてから、今日の試験が終わるまではなんだかズシーンと両肩に『試験』が張り付いていて、空き時間があれば勉強しなくっちゃと思って過ごしていたような。うっかり介護支援専門員と2つ続けて受ける気になったから、とても長かった。

夏草も取ってやれず、冬枯れが来た庭の草木の手入れもしよう。家の片付けもしたい。長く本も読んでいない。映画も観たい。何にもしない時間もいいかもしれない。

本当は、ゆっくりの間もなく職場に頭を下げて、休暇をもらっては介護支援専門員の講習にこれから行く事になっている。休む代わりに土曜出勤を全部もらった。

私にケアマネが出来るだろうか?新しい事への順応が鈍くなっている年齢でもある。とりあえず講習の時間は専念して、自分に出来るかどうか見極めよう。出来そうと思ったら次は新しい職場探し。

もうすぐ52回目の誕生日が来る。誕生日にはささやかなプレゼントを忘れなかった人が逝ってしまってから四度目。居ない人の重みは消えないけれど、今年は私から私へ何かキラキラしたプレゼントを買おうと思う。ひとり取り残されてと、嘆いた日から、私は私と、歩き出せる力が私の中に発見できたから。

障害ある息子との生活が苦役ではなくて、私らしさの心棒つくりに大きな力を与えてくれている様にも感じられてきた。節目のない生き方をしてきた人よりは人の痛みに対する鋭敏さが身に付いてきてはいないだろうか?

また、伴侶の死は有限である命の重みと儚さと同時に身にしみさせてくれた。私は私の命のある限り力まず、私らしく淡々と生きてゆこう。試験が終わって、なんとなく清々しい。結果は…もういいや。仕事しながら、家のこともありながら、思えばなかなか出来ない経験だったかな?生きてるって結構楽しいのかも。




介護支援専門員講習

2006-01-28 12:49:21 | Weblog
この4月から大幅改正のおかげで今年は1日講習が多いとさっき知った。

夫が末期ガンと分かった時、自宅で看ようにも何の公的援助のない事に唖然とした。あれから4年半。末期ガンの中年はこの春、介護保険の適応となる。

イチ早く講習で知った唯一溜飲が下がる事柄。

ひとつ頭に入ったら、明日の介護福祉士試験の微かなまだらな記憶が出ていかないかなぁ~

介護福祉士実技免除講習も超特急だったけれど、まだまだ超特急なケアマネ講習。後は自己研鑽って事なのか?
しかし、なんでこうゆとりのないカリキュラムなんだろう。

昼からの講義。寝てしまいそう~夫が居たらこんな資格を取得しようとしただろうか~あれこれと思い巡らす~休憩時間。

郵便局のワイシャツ

2006-01-22 11:46:19 | Weblog
たった1枚の支給品を着ないと絶対に出勤出来ない。似たワイシャツを買ってやったが『近似値は近似値。絶対に同じではない。』のアスぺ。絶対に、絶対に着られない。

帰ったら脱ぐ。この簡単な行為も、仕事から疲れきって帰る、あるいは、とてつもない不愉快が全身に満ちていると無理。着替える気力すら萎えているらしい。

もっと後帰宅した私が見る息子の姿の6割はコートも脱がず、出勤スタイルのまま。

気分が悪いと入浴はなしか深夜になる。ワイシャツ以外は替えがあるから良いが、脱いだ時点で洗濯が深夜だろうが必須だった。

無理矢理、乾燥機やアイロンで乾かして出勤に間に合わせた日もあった。

さっき友人のダンナさまのお古が県外から郵パックで届いた。年賀状を出さない私を心配して電話をくれたついでに、確か郵便局にお勤めだったと思い出し、お古の無心をしたのだ。

息子の事情もよく知ってくれている。保育園勤めが長いから自閉症にも造詣が深い。忙しい中、ちゃんと探してクリーニングまでして。持つべきものは友と心から感謝。

比べてみると1年着たおした息子のワイシャツは色あせて、心なし生地が薄く、今、室内干しで揺れている。


ラストスパート

2006-01-21 05:30:28 | Weblog
介護福祉士試験まで後1週間。息子が来週半ば放送大学の試験で家を開ける。出かけるとでっかいストレスを毎度抱え込む率が高い。無事に事が運びますようにと願うのみ。

テキストに短期記憶がヤバくなる老化が出ていた。書くことで記憶中枢が刺激される気がして、せっせと右手を動かしていたら、首筋から手の甲までコリコリ。腱鞘炎っぽい。心身の老化実体験しております。

障害者の心理、精神保険関係、社会保障関係、実生活で活用しておりますデス。

そう思うと覚えるとこかなり減るワン。

日曜日の仕事が入った。来月から自分の公休を使ってのケアマネ講習も始まるから、人がしたくない土日の仕事は休暇の代償。

資格保持は事務所の役に立つはずなのに、個人レベルの事と冷たい。余所の事業所で活用しても構わないんだろう。私も遠慮しなくていいわ。

センター試験の今朝、心配された雪がない。試験の緊張はオバサンも同じ。試験場のシーンと張り詰めた空気がまた経験出来る。と、喜ぼう。

春からいっぱい制度改正。自立支援法、介護予防給付…落ちて来年受け直すとなると、そのあたりまだ覚える事が増える。そうならないようさぁ~ラストスパート。


『あっち』と『そっち』

2006-01-18 08:08:19 | Weblog
息子と話していて、かなしくなるひとことがある。『あっち』と『そっち』

グレイゾーンのないアスペルガーには自分側、他者側のふたつしかない。似た者同士の認識もない。似ているは同じではないなら、『まったく違う!』に分類される。

『そっちは…』がはじまると、あゆみ寄りたい気持ちはこっぱみじんにされる。

『こっちは○○。そっちの思いとは全然ちがう』

『そっち』の母は対岸からおろおろ心配しているのみか?

NHKスペシャル『ガン医療を問う』

2006-01-08 08:45:54 | 終末医療
クールダウン宣言のその後で何ですが…

今夜9時から第2夜。ガンの痛み緩和の話が聞けそうです。発達障害者も、手の尽くしようもない末期ガン患者も、医療の狭間と言う共通項があります。人が人として正しく扱われる為には、狭間の扱いが如何に優しさに満ちているかにかかっていると私は思います。

認知症の方の尊厳が問われる介護が主流になりました。医療現場でも病気でなく、人を診る体制が整うためのキーワードが、治らない患者の医療ではないでしょうか?今夜必見。
勉強は明日からに…なさけない…

介護福祉士の試験が29日

2006-01-08 07:48:37 | Weblog
仕事、息子の不調、口内炎の猫の世話、家事もろもろと、体と時間がいくつも欲しい日が続いています。

完全にストップと言えない甘いところが自分にもあり…
しばらくBLOG更新は試験勉強のためにクールダウンします。

泥縄の受験体制に入りますね。
なんと前日の最後の追い込み日がケアマネ講習の初日と言う運の悪さ。
ケアマネと介護福祉士と両方受験の人も居ると思うのですが、まったく別の資格だから配慮はなし。日が重なってなかった幸運を喜びましょう。

試験が終りましたら、みなさまのBlogにもおじゃまします。
それまで、ごめんなさい

日本の貧困介護福祉

2006-01-07 06:19:03 | Weblog
くろまんとさんと貧困福祉のコメントのやりとりをしていると、これからの福祉の行く道の寒さは今年の寒波並みに思える。お~今朝も寒い。

欧米のいろんな施設が登場する映画を観ると、そこにはまるで日本とは違う光景。老人施設でも、お化粧をしてストッキングにアクセサリーを付けた女性が登場する。病院くさいムードの日本とはまるで違ったサロンのような光景も見られる。機能的な衣服を見につけさせてあげるのがやっと。アクセサリーなど危険や盗難と言う事で持ち込みすら無理だろう。入所手荷物梱包の手伝いをした事があるが、持って行ける衣類・品はわずかだった。置く場所がないそうだ。

介護福祉士の実技免除講習では施設介護職と訪問介護職とすぐに判別がついた。施設型は毎日、多量にオムツ交換などをこなしているから、実に手早く上手い。しかし一概にいえないけれど声かけがマズイ。一方、訪問型は介護より家事援助が多いから、技術的には不慣れな人が多いが、話し掛ける事には慣れている。

それだけ訪問は健康な人に接していると言うことかもしれないし、施設では口を開いて要求できない人の声なき声に耳を傾ける時間がないのかもしれない。施設の規定の人員では充分ではないと言うことだろう。

講習では『自己決定権』『利用者の気持に沿った介護』とかなり会話が重視された。現場は介護制度導入によって、訪問介護でも30分刻みの契約時間内で計画された作業をしなければならないから、高齢利用者の意向を充分に聞くゆとり時間は実際には入っていない。ゆっくり話す高齢者ペースを大事にしていると時間超過。サービスタイムばかり増える。細切れ時間で訪問スケジュールが組んであるから、その超過もできない。それでも施設より訪問型介護者は口が回る。ひとりひとりに対応しているからでもあろう。

理論はかくあるべきと唱えても、現場は理論実践できる人員も時間もギリギリ。心ある介護者は心も病む事になる。

外国映画のような有料老人施設も出来つつある。介護保険では実現できない部分を自己負担で賄う。お金がある人専用だ。『下流階級』なんて言葉が去年の流行語大賞だった気がするが、老後まで貧富の差は広がっていく。

また、行政の隙間を埋めるような利用者サイドに立った小さな施設もいろいろと誕生してきている。採算はどうしてとっているのか?利用者に良ければ、働く人のガマンが大きいようにも思われる。

介護の現場では、廃物による創意工夫が多くみられる。私の仕事カバンには台所洗剤の空ボトルが入っている。オムツ交換の際に適温のお湯を入れて陰部を洗い流すのに使う。お金をかけずにが骨の髄まで沁み込んだケチくさい福祉の象徴の様に見える。

若い介護職がどんどん現場に送り出されるが、正職員はわずか。その中で公務員並みの給与保障のある施設もわずか。何年経っても昇給がない施設もある。人員不足は臨時、パートと言うもっと安い労働力に頼る。人が細切れ。切った貼ったで何とか凌ぐ。

いまでも充分貧しい福祉。さらに切捨て、切り詰めに拍車がかかっている状況下、どこかに介護される人も介護する人も共にもやさしい場所はないかなぁ~と働く者もキョロキョロしている。働きたいと福祉を学ぶ人たちの受け皿は薄い。さらにがっかりしない現場作りを早急にしないと、大学にもどっさり出来ている福祉学科熱もいずれ冷めてしまうような気がする。

我ら中年、要介護予備軍は親の介護しながら、自分たちは誰に介護されるんだろうか?ちゃんと人らしく最後が迎えられるか?不安でいっぱい。いつか観たアニメの介護ロボットベットカプセルに入れられ、生命維持装置が働いていつまもでも生かされている映像が現実じみてチラつく。

インクルージョン(包括教育)

2006-01-05 07:06:39 | Weblog
ユーキャンの介護福祉士速習レッスンより抜粋

『インクルージョンとは、障害のある子どもたちだけでなく、障害のある子どもたちもさまざまであり、それぞれの児童・生徒のニーズに応じた必要な援助を提供することで共に成長発達させる教育を行うと言う考え方で、ユネスコなどによって示されました。』


この通りに日本の公立校で義務教育がなされていたら、息子は発達障害ノンマークの時代に育っいても、これだけのキズを負って成人することはなかったろうと、歯噛みする思い。

なぜに福祉はスローガンと現実のギャップが大きいのだろう。絵に描いた餅でも描くことで、人々への刺激になれば少しづつ少しづつ実現に向いてゆくのかもしれない。

春うらら、介護保険改正、自立支援法施行…日本の福祉はじわじわ下降線に思えるが…



かわいげについて考える

2006-01-04 06:22:34 | Weblog
娘は今頃、東へ向かう高速道路を走っている。もっと西へ帰省した同僚の車へ途中便乗して、仕事のある場所へと。同乗地まで送って行く道々、『かわいげは必要かな?』と聞いてきた。確かに徹夜で1000キロの道程を運転して帰ろうと言う発想は『かわいげ』より『たくましさ』を感じるが。

兄がたすけてやりたいと思う『かわいげ』に男は弱いと話していた。男勝りの妹には何やら訓示めいて、刺さったらしい。

娘を降ろして、心身がスースーするひとりの車中で『かわいげ』について考えていた。相手に『かわいい』と思わせるパーツはどのあたりか?

男に対して女の『小悪魔的』
うまく小道具として使っている女には同姓からはブーイング。
このあたりは『かわいげ』が無意識か意識的かにかかっている。
無意識のかわいげ。

それは人が人らしいこと。ちょっとしたヒズミのような。人間が人間である証拠の部分で、誰にも『かわいげ』は存在するのではなかろうか?

ミスを犯した相手を『憎い』と思うか?『かわいげ』と思うか?
かわいげと見る時、相手はそれを許して助けたいと感じている。
ミスを犯した人間を許せるか?許せないか?
自分がミスを犯した時に許してもらえる関係か?許してもらえそうもない関係か?
結構、『かわいげ』はうまく世の中が回るキーワードかもしれない。

小泉劇場の小泉チルドレンたちはかわいいか?かわいくないか?
国会議員にかわいらしさを論ずる気にさせる今の政権って…
おっと横道。

さてっと、『母は心配だからメールして』と頼んだ娘からひとつのメールをよこす『かわいげ』はないが、ミスに厳しい職場の仕事はじめ。いってきま~す。『無事到着』だけのやっぱりかわいげのないメール着信が昼休みには届いていることを期待して。

新年早々マウスのアホと驚異の姑

2006-01-01 09:22:58 | Weblog
いつものように早朝blogタイム。相変わらずの息子の様子やら、新年の思いやら書いて書いてよ~し送信。さぁ~お雑煮つくろぉっとと思ったところでマウスが固まって、カーソルが動かない。毎度手馴れたkey操作で強制終了。再起動。立ち上げて、オープン画面でまた固まった。もーイヤ!

しっかりお雑煮とちょっぴりのおせちと毎年やめようとおもいながら大晦日に作ってしまう巻き寿司をほおばって、お茶で喉をうるおし、PCを再オープン。またカーソルが止まる。いつかマウスパットの汚れを修理のお兄さんに指摘されたから、電源を切って、マウスパット掃除。マウスに息吹きかけて、猫の毛がはまり込んでないか点検。もう大丈夫かな?

この正月で5年目を迎えるPC。
すぐに電池切れになる今時カメラ付きでもない4年目のケイタイ。
blogにはまってから余計酷使しているし、買い替え時かもしれない。

大晦日はやっぱり順風満帆とはいかなかった。
息子は子供時代を思い出したか『おばぁちゃんち』に泊まりに行った。
薬でへろへろなので、バイクでひとりでは行かされない。
85歳のばぁさまに息子の世話はさせられない。
義理の仲の嫁姑。
あわてておせちをこしらえたて持参した。

具合の悪い息子を気づかって、キッチンをこまねずみしていたら、
後頭部がズキズキ。
ここの血管が切れたらどうなるか?
思わず娘と介護福祉士のテキストで点検してしまった。
そんなことをうっかりしてしまう配慮なしの母なので
遠路帰省してきた娘に『良い娘』を演じさせるハメになった。

自分に揺るがない自信とこだわりで生きている姑が私は大の苦手。
夫亡き後、夫の母であるこの人との関係は、ますます釈然としない。
アスペルガーの遺伝因子について、
あるようなないような話をネット上で見つけるが、
息子の『曲がらない』『曲げれない』こだわり性格、思考回路、
あれもこれも姑から来ている感じもある。

姑にあって息子にないのは自分に対する自信。
ズレてようが、周りがどう言おうが
『自分は正しい』
これが姑の元気パワーの素。
現役でひとり理髪業を営む。
だれにからも指図は受けないで来た人生。
女手ひとつで息子一人(私の亡夫)を育てあげ
今も誰の世話にもならない、成りたくない背筋がピンとした
しかも決まりきった判で押したような生活基盤、生活習慣。
この人は120歳まできっとお元気に違いない。

気づかいの娘が、兄の様子見とお年賀を兼ねて、
母は姑は苦手だからとお留守番を命じて出かけてくれた。

息子は姑がスキだ。
きっぱりと意見してくれるから尊敬もしている。
母とふたり生活より、だれかれと刺激の多い暮らしは良い。
ごきげんさんで帰ってくることを祈ろう。
正月も後2日。
娘も都会へ去る。またふたりになる。

今年はPCもケイタイも買い換えるかな?
しっかり働かねば。お金はいるなぁ~
仕事辞めようかとも思っているのだけれど…
blog送信の失敗は今年を何か暗示しているのかな?

マウスのアホとも驚異の姑とも上手く付き合いながらまいりますか?

夫亡き後、力む人生はやめにした。
淡々とあわあわと今年も流れるがままに~
そうしていれば
何が起こっても、これまた楽しい、いいわと思えるから不思議。