陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

年金の免除手続きも姑の介護申請も却下

2008-09-29 13:29:38 | Weblog
遺族年金と言うのは実に分かりにくいしくみになっている。
65歳になるとまた支給される金額の計算方式が変わる。
市役所まで出向いて並んで待って
このまま60歳まで国民年金をかけた場合と
免除手続きをしたら場合の受取額はどう違うか聞いたけれど、具体的は金額は出てこなかった。

こちらブログへしょうしさんがコメントを下さったところによると
全額免除してもらうと年額10万円くらい少なくなると言う。

今度は『ねんきん相談ダイアル』にかけた。
個人情報保護のために実に根掘り葉掘り聞かれて本人確認が済んでから
年金基礎番号を告げると

  計算してお知らせしますからいったん切ってお待ちください。 

市役所年金相談は何だったんだろう?
まだ支給年齢に間があるからきちんとした金額は出せないと言う返事だった。
じゃじゃ~ん出ました。

  全額免除申請をすると年間7万くらい減。

ってことは無理して支払わないと後が辛い?

65歳を過ぎると今もらっている遺族年金部分と中高年寡婦加算部分の
中高年寡婦加算部分がなくなって自分の国民年金基礎年金と
かけただけの厚生年金・共済年金が支給されそれが多かったらH19年4月から
遺族年金部分が減るわよっと言うことなったらしい???
自分がかけたものが多い人は遺族年金は支給停止ってことらしい???

聞いても聞いてもしくみは分かっても実際にもらう金額がどうなるのか不明。
正しい算定はその時にならないとわからないらしい。
中高年寡婦加算の金額も貰い始めよりも減っているし
5年も経てば

   遺族年金?
   甘えんじゃない!

と遺族年金部分は支給なしの恐れがなきにしもあらず。
確実に自分がかけたものについては年金支給額が少なくってもある訳だから
もう少しがんばって支払うことに決めた。


さて、姑。
元気ぴんぴん。
雨模様だし買い物は辛かろうと理髪店の定休日である本日月曜、買い物へお連れすることに。

迎えに行くと
あちゃ~?
我らが適当に乱雑に草取りしたよりきれいな部分が増えている。

  いっぺんやると疲れるからちょっとづつね

とうとう助っ人は要らないと言う結論。

  もう病人じゃない

自己申告もあった。
良かったですねぇ~88歳現役理髪店主。来る客があるからスゴイ。
「介護保険の認定調査に来ます」と電話が来た。
あの状態で認定してもらっても調査してもらうだけ税金の無駄使い。
「また悪くなったら近々であっても再申請していいですか?」
一応、訊ねてておいた。
一過性元気の気もするし、寒さに季節は向かっている。


いきなり今日から気温が下がって寒い。
国民年金と国民健康保険との支払いを貰う年金から差し引くといくらも残らない。
計算すると懐も寒い。

働きだすと
姑がコケないだろうか?
自動車学校へも夜間通うという息子の調子が悪くならないだろうか?

100%全力投球で働ける状況ではないのはこれまでもおんなじなんだけど
働けないという自己弁護を指折って数える。
働くとどんなところでもガマン、ガマンの時間拘束。
もともと家庭を守る仕事の専業主婦。
こうすぐに辞めてしまうって
外で働く素地が私にはないような気がしてしかたがない。

がんばってケアマネ事務所を立ち上げる事も浮かんでは消える。
準備資金で貯蓄を減らしてもパート給になるやならず。
新規参入は厳しいし、
成功させたにしても決してじゃんじゃん儲かる職種じゃない。

下手な考え休むに似たり。
考えることすら面倒くさい。

母の押入れ毛糸だまに混じっていた解きかけカーディガンを元通りに直したのを
木綿のワンピースに重ね着した。
手短い私にジャストサイズ。昔懐かしい機械のメリヤス編みはあったかい。
そう言えば母が私の歳くらいに着ていたような記憶がある。
あの人もその頃、寡婦だった。私のお給金も生活を支えていたんだった。

年金事情は母の頃より悪くなりそうな雲行きだけど、なんとかなるしょ




うっかり日帰り旅

2008-09-28 17:55:24 | Weblog
旧知の友が近くに宿泊と知って、朝一番に挨拶だけと思って出かけたところ、ふらふらと本日の観光ルートに同行する羽目に。JRなら久々のつもる話をしながら移動が出来る。元来のおっちょこちょいには何の計画性もない。背中に羽が生えてしまった。無職も幸いする。何年経っても人は変わらないものらしい。次はいつ会えるか分からないけれど、よく話した。近くに住んでいなくても気心の知れた人々はいい。

帰りは別れてひとり。ケチって今、在来線の椅子。朝、出発の時いた駅猫は待っているだろうか?息子と猫と待つ人がなければ糸の切れた凧になる素質が私にはあるわ。

自宅で死ぬためには そして 自閉症者と葬式と

2008-09-28 06:39:21 | 終末医療
病院の処遇が納得いかないから連れ帰った友人の父親が亡くなった。
1ヶ月前、もうケアマネを辞めることが決まった頃
在宅でなんとかなる方法はないかと電話があった。
がんとは言え年齢が90歳を超えている。
とりあえず介護ベッドが早急に要るということで
私ではケアマネがもうできないからと知り合いを紹介した。

みるみる病状悪化。こんなに早いお見送りとは想像していなかった。
せめてと葬儀に列席させてもらった。

最後は結局、病院で亡くなった。
治療途中で連れ帰った病院へは二度と行かないと言っていたから
別の個人病院だった。

在宅で看て下さる医師を近くがいないか
私からもテリトリーの訪問看護師さん等にリサーチした皆無だった。
近場にようやく20床あまりの緩和ケア病棟が出来ることになったけれど
この田舎では、在宅ホスピスの道のりは遠い。

葬儀はごくごく少人数。お身内とわずかに近所の人らしかった。
当の友人である彼女が居ない。
自閉症で施設入所している息子と幼稚園が一緒だった彼女息子さんも居ない。
亡くなった方の妻のも居ない。
介護施設に入所中と聞いた。
列席できないほど重篤な介護状態なのだろう。
知らせられないのかもしれない。

一番近しい人たちが不在で始まる読経。
葬儀の読経が半分くらい終わった頃
閉まっていた葬儀会場のドアが開いた。
彼女が息子さんの手をしっかり握って入ってきた。
最後尾に座っていた私の横にふたりして座ってきた。
土曜日で施設の外出日だから連れに行っていたと小声で言う。
おじいちゃんの最後のお顔をみせたくてとも言う。
彼女は亡くなった未明、病院のベッドサイドで泊まり込んでいたと聞く。
息子さんを預かってもらえていたから出来たこと。
彼女より私よりふた回りは大きな青年の手がしっかとお母さんと繋がれ、
彼にとっては彼女がこの世で唯一無比の人であると示していた。

片言とオーム返しの彼女の息子さんは
祭壇の写真を指さしてさかんに「おじいちゃん」と言う。
彼女が「おじいちゃんは天国へ行ったの」と小声で言い聞かせてても
「天国」「おじいちゃん」と読経しかしない部屋に彼の声が何度も響く。
しかも指を気ぜわしく動かして落ち着かない様子。
やがて彼女が一旦連れて出る。

最後のお別れの献花の時が来た。
私に回ってきたお花を急いで退出したふたりを探して渡してお棺へと導いた。

いつもと違うおじいちゃんに顔つきが変わった息子を連れて
結局、最後の出棺を待たずに彼女は一旦、家へ帰ると先に出てしまった。
直系の子供孫である人たちがお別れが充分できなくて、何の葬儀だろう?

「お宅はまだ良い」彼女の口から何度も聞いた。
私の息子は知能に遅れがないアスペルガーだから確かに話せる。
社会生活が営まれるかと問われれば
話せない彼女の息子と根っこは同じむつかしいものを持つ。

息子は父親の葬儀の最後に親族を代表して会葬のお礼を読み上げた。
母のレクチャー付き文章であるけれど、
通夜で泣いて挨拶した母がみっともなかったからと自らかって出た挨拶だった。
喪主の私の横で震えながらも立派な挨拶をした。

だからと言ってあれから平たんな道ではなかった。
自死ばかり考え彼の部屋は穴ぼこだらけ。
ひとりでケアに回った私は全身の毛を失い…

葬儀の前後も父の死がどう認識されていたのか?
息子の感情面は未だ謎である。
長男である息子を誰もが無視して
同じ子である気働きのある娘ばかりに人が物を問うのを
不服だ、何故だと
なんども心身疲労困ぱいの私に何度も聞いて来た。
もしかすると最後の親族挨拶は彼の汚名挽回策だったのかもしれない。

どちらが良いと言う障害はないけれど
病気の根っこは同じでも「お宅はまだ良い」と言われれば
基準をどこに置くかではあるけれど葬儀の状況だけ比べればそうかもしれない。


葬儀の後で着替えて
予定していいた在宅ホスピスを実践している隣県の医師の講演を聞きに出かけた。
しっかりサポートされて亡くなる方やご家族がうらやましい限りだった。
患者から声をあげて欲しい。医師に要望して欲しい。
点から線。線から面と在宅ホスピスを広げて欲しいと結ばれた。

講演後に在宅ホスピスに取り組んでいる医師を囲んで話の席が設けられた。
私は遠慮して帰ろうとしたら、会場で出会ったケアマネ仲間に呼び止められた。
つきあいとして末席に座った。
自己紹介を兼ねて講演の医師への質問をひとりひとりに問うことから始まった。
みんな重たい経験して来た人ばかり。ひとりひとりの話が長い。
一周したら医師から応答の時間はわずかだった。
聞いていて医師との出会いが状況をかなり左右する気がした。

  過去告知を家族に任せた医師と出会った人・
  最後は自宅で自死のかたちで末期がんの夫を見送って4年の寡婦…

自分の事を聞きながら省みていた。
夫のガン告知は先に私にされた。
「本人にはいつ知らせようか?大安吉日にしようか?」
笑い話のような医師の問いかけがあって
私はすぐに連れて来て話してもらえる時間が取れるかと医師に問い返した。

告知を受けている夫の背にずっと置いていた手に
その瞬間、体がピクン動いたのが伝わってきた。

6人部屋のカーテンの陰で
「いつ聞いたのか?」と私に聞いた。
「1分いや30秒前、1秒前かな?」と言ったら
「良かった。一人で抱え込んで黙って辛い思いをさせたかと心配した。」
私の心配をしてくれていたのだ。

消灯後私は自宅へ帰ったけれど眠れないのではと気になって
ワインを水筒に隠し持って、ふたたび病室にもぐりこんだ。
同室の人に気兼ねして小声で少しの時間しか居ることが出来なかったけれど。

やがて私の意志で死ぬんならと自宅へ連れ帰ったけれど
夫が急変の不安を訴えて病院へUターン。

病院へとふたたび行く時、
夫は玄関を出て
『二度と帰ることはないね』と自分が建てたローン中の家を振り返った。

そのとおりとなり、
痛み緩和が下手な最後はここは救急病院だという言う医師から
もぎ取るように6人部屋から緩和ケアへ搬送。
おそらくそこよりは同室の人たちへの気兼ねもなく
痛みもなくやすらかな最後であったと思う。

それでも亡くなった後のショック状態は長く続いた気がする。
告知もせず自宅で介護中に
自ら命を絶たれて後に残こされたその方の辛さは私の比ではないだろうと察する。

今、緩和ケアはガンとエイズ患者しか扱わない。
他の病気の死は一般病棟でしかない。
自宅での最後を望む人は多い。
誰も医療過誤のスパゲッティ状態でも延命は望まないのではないだろうか?

自分らしくより良い時間をいつもの場所で過ごして
迎える最後は
支える医療体制のバックアップひとつにかかっている。

総理がころころ変わって政権がどうなるのか不透明で
年金、医療、介護の先が見えない今も
闘病中だったり亡くなっていく人がある。

最後に良い医師に出会えるかどうかそれは運、不運。
こんなのありで良いの?


夫の死を克明に思い出す長い1日だった。

ブログ内のお掃除 整理整頓

2008-09-27 08:27:00 | Weblog
5年目も経過すれば自分の興味も変わってきている。
ブログパーツが貼れるテンプレートに変更したから
この際、ちょっと見やすく各メニューの公開数を削った。

あれもこれも必要だとよくばらないほど良さは

家の中の整理整頓も
もしかすると
人間関係もかもしれない。

こういうことを思うのは
どうも気力落ち。免疫力が落ちているような気もする。

子ども虐待という第四の発達障害  杉山 登志郎著

2008-09-27 05:48:18 | 
子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)
杉山 登志郎
学習研究社

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題名がショッキングだった。
著者は自閉症の専門家で有名。
最近の虐待ニュースには
いったい今の親世代には何が起こっているのかと不気味な感じさえ覚える。
そしてその親世代を育てたのが我々世代だのだ。
子育てに大きなゆがみはなかったか省みる時期が来ている。

この本は自閉症児が
虐待を受けるケースのことが取り上げられているのかと思って手にしたが
まるで違って
虐待児について詳しい専門家研究結果を広く分かりやすく解説したものだった。

保護された時点で簡単に愛情深くケアしてゆけば回復がみこまれるものだと
思っていたら大間違い。
心だけでなく脳自体に虐待体験が損傷を与えてしまう。
それは自閉症やADHDと似た部分もあると言う。
さらには発達障害の子よりも
虐待児の方が障害は重く社会生活を営めるようにの治療が困難と書かれてある。

多くの虐待児は乳児院や養護施設で保護されているけれども
この施設が昭和30年代からまったく人員基準等が変わっていないと指摘。
私が実習に行った30余年前、
丸一昼夜、実習生に任せて職員が休暇を取った。
当時では珍しいグループホーム形式の1軒屋で
(本書によると今でも大人数で運営されているところがほとんとらしい)
10名程度の中学生から幼児までを
無資格なしの20歳学生私ひとりが世話させられた。
もちろん何かあれば本館に施設長はじめ職員の存在はあった。
パニックを起こす子もなく3歳児がすがりついて寝たこと以外記憶になく
助けを求めることなく無事留守宅守れたけれども、今思ってもゾッとする。
そうでもしないと職員は休めなかったのだ。

当時と変わってない上に収容人員満杯で
発達障害児よりケアが大変な子たちがひしめいているとあっては
施設内での再虐待もあってはならないが否定できない状況とあるのは頷ける。

著者のあいち小児保健医療総合センターでの
虐待児のチームケアの取り組みが紹介されていた。
介護保険における医療との連携ばっちりの尾道形式を連想させる。
これまた氷山の一角。
医療、福祉、介護のコラボが激しく遅れている福祉貧困日本が浮き彫り。
発達障害すら巷の精神科では病名すらつかない現状で
虐待児の専門家はもっと少ないだろうと容易に想像がつく。

最後に子供出生数より犬猫の飼育数が上回ることがあげられていた。
ついに自分勝手に都合のよい犬猫を我が子の替わりに飼う?
人間が次世代を育てない破滅の道を転がっているようだ。

少しでもこの世に生を受け大人勝手で辛い人生を余儀なくされている子が
救われる世の中になるようにとの著者の警鐘が痛い。

序文の最後にはこう記されている。

  献辞  わかくして召されたM.N.のみたまに

Mちゃん・Nちゃんが幾人も思い浮かぶ。

たまに出かけてお疲れモード

2008-09-26 23:00:12 | Weblog
朝7時から研修にでかけ息子の病院回って薬もらって午後7時帰宅。
無職生活も1ヶ月近くなると体が怠けモードになびいて本日、へろへろ。

『完全燃焼していない』
と合気道の杖や木刀を家の中で振り回す息子を尻眼に
畳にたおれこんだ。

本格的に寝ようとするとなんだか眠れない。
マイスリーを久々に飲む。

介護支援専門員専門課程1の研修は今日で終わった。
後、実務に就かなければ次の2は受けられない。
5年で末梢される資格だから、せっかく取ったのに使わないともったいない。
今日も知り合いに散々言われた。

働き出してからハイテンション息子に反比例して母が落ちてゆく。
息子の代理受診の精神科医の前ではまいどの明るい母親をやってしまった。
「落ち込まない薬ないですか?」とちょっと聞きたくもあったのに。
働く自分をイメージするだけで気が沈む。

猫たちは幸せそうな大いびきで半径50㎝内で寝ている。
猫を見習おう。

息子も明日はお休みらしい。親子でたまには朝寝坊。
起きる時間を気にしなくて大丈夫。

マイスリーが少し薬が効いてきた。
とりあえず寝ようっと。
おやすみなさい

まだ世襲議員に投票するの?

2008-09-26 22:26:41 | Weblog
小泉元首相が引退表明=衆院選に出馬せず、後継は次男(時事通信) - goo ニュース

お育ちもお坊ちゃまお嬢ちゃまで庶民感覚からは遠く
選挙に打って出れば
地盤看板カバンの3拍子そろって苦労なく
らくらくと国会議員さまにおなりあそばす。

だから
総理にまで上り詰めたところが
思った以上に大変なことがどどど~~んと待ちかまえていた。
忍ということは
今までの人生でなかったし
えぇ~い!ポイ捨て!

こういう人がふたり続いた。
次は失言が楽しみとか言う下馬評ももう聞こえている。

気風がよさそうだった小泉さんも後を子供に譲るんだって。
なぁんだ 案外小物だったんだ。
やりたい放題の尻すぼみ。

世襲だ弔いだと
血縁やら姻戚やらが当選してしまうのも
投票する国民があるから。

せめて庶民の痛みの分かる人を選ぼうと思わないのかな?
サラブレッドに駄馬の生活は分かんないと思うよ。

おしゃれ工房のチュニック編み編み

2008-09-25 23:23:27 | Weblog
NHKおしゃれ工房9月号テキストを見て

          

170㎝のモデルさん仕様を150㎝の私バージョンにアレンジ。
やっと完成
首まわりからひたすらくさり編みであんまり考えることなく
増やし目の位置さえ間違わばければ大丈夫。
病院の待ち時間の有効活用にはちょうど良かった。

材料指定より1玉少なく買ったにもかかわらず、
1玉と少し糸があまった。
おんなじくさり編み摸様でおそろいバックを作ろう。
コットン糸だから秋が深まらないうちにね。

明日さっそく着ようっと。パンツに合わせても良さそうな感じ。

店再開の姑 どうする介護申請?

2008-09-25 05:46:31 | Weblog
姑んちの草抜きには助っ人を同行した。
助っ人を頼んだ人にひとりくっついて来て
3人で大おしゃべりをしながら。
いつもくっついてうるさい姑はすっこんでいたので
ものすごく楽しかった。

農家の嫁が混じったので口が動いても効率は数段UP。
お約束の1時間が経過したので、
止めようと言うと
『あそこがあの状態では止められない。』
『こういう中途半端は気持ち悪い。』
助っ人がこう言うので止めるわけにもいかずちょっとオーバーワーク。
でも、おかげでかなりきれいになった。

姑は美容院へ行って髪きれいにいつもより小綺麗。
なんと、赤と青の開店サインのポールはくるくる回って
完全に店再開。

  介護申請を頼む。
  もう店は開けられない。
  美容院へは頭をさわるから病人の私は行きたいけれど行けない。

あの日から1週間経っていない。
どうしよう?介護申請。

有料老人ホームの話なんか
都合よくまだら認知症でなかったことにしている。
芝居なのか?
ほんとうに記憶なないのか?

脳血管性認知症であることは間違いなく
奇妙な記憶内容をさも本当のように人に話す。
店の客は全部本当だと信じるのだろう。
あれだけ悪徳商法にやられて
まだ印鑑屋のイベントでなにかごちそうになった話をしていた。
また何やら買わされたってことだろう。

判断能力の低下は指摘出来ない。
嫁って結局他人。

元気になったのはいいんだけど88歳。
いつまでこ調子か?
草だってあれだけきれいに抜いていた人が
じゃがいも植えたまま手つかずで置かれていた。
100%回復した様子ではない。
歩く姿よちよち。
買い物もバス乗ってひとりは無理だろう?

介護申請どうしよう?
店のポールがくるくる回っているところで認定調査ってあり得ないわ。
私が実情を話せば間違いなく介護度は付く。
しかし…
介護申請取り下げて、また申請ってことならないとも限らない。

昨夜、BSで山田洋二の学校Ⅲ観てたら
自閉症の息子持ちで寡婦の主人公が乳がんの告知受ける際に
息子を家族として同席させられなかったと言うシーンがあった。

こういうの家族なんだけど息子に相談できない。
困りごとは息子に話すと逆にややこしくなる。

うん?
鼻の頭が赤くてぷっくり腫れている。
いつのまに虫さされ?
畑作業かな?

憂鬱が二乗




おひとり様の昼ご飯

2008-09-24 13:07:50 | Weblog
息子には揚げ物やお肉系の弁当であまり私のお昼にはしたくない。
思いっきり息子の嫌いなものでちゃっちゃっちゃぁ~とチャーハンにした。
  
ゴーヤは切って軽く塩ゆで。
はいはい小鍋で湯を沸かす。
おくらの生小口切り。
玉ねぎみじん切り。

ごま油を引いて玉ねぎから炒めてゆく。
卵割りいれオクラ投入、あまりご飯投入。
黒ゴマも良いかも。ここで納豆投入。
付いている調味料はからしの小袋も入れてしまう。
小袋はしまってても冷蔵庫で忘れるおそれあり。隠し味ってことで
お湯が小鍋で沸いてきた。ゴーヤと塩ひとつかみ。
フライパンの方は炒めて炒めてチャッチャチャ~。
だんだんねばってくる。ねばねばが元気なりそう。
冷凍庫からTV番組で覚えた常備品ひじきの薄味煮も凍ったままひと欠片投入。
中年には鉄分も必要なのよ。
ゴーヤが小鍋で透き通ってきた。
ざ~っとザルにあげて湯切りしたらそのままフライパンへ。
炒めて炒めて簡単クッキング~
お味はチャーハンのお約束。
最後の最後に鍋ハダにお醤油をたら~~り。

使用時間10分弱?
ゴーヤも納豆もオクラも息子は大キライ。
ひとりの時でないと食べられまッせん
いただきま~す~♪
食べたら姑の畑に行くのだ!気合じゃ

開設から5周年目突入

2008-09-24 05:30:17 | Weblog
2004年9月24日はじめての記事

↑あきっぽい私がこのブログだけは
仕事を変わっても辞めても続けている。

なんとちゅんちゅんのお尻から始まっている。
PCも買い替えた。
今のは薄くてちゅんちゅん乗れない。
職はもうあれから4回変わって今無職。
あの時は無職だった息子は3回目の仕事に就いた。
娘だけはおんなじ仕事をおんなじ職場で続けている。
えらいなぁ~母が頼りないと娘はしっかりするってか?

そう言えばおととい亡夫命日に
無職になってメゲているだろうと元気グッズを送ってきた。
Amazonで見つけたら思わず送ってしまったそうだ。
高田渡のCD『ねこのねごと』

ねこのねごと

徳間ジャパンコミュニケーションズ

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あきっぽい母が歌や川柳でこの前まで使っていたペンネームが
    ねこねごと
娘の記憶回路にぴっぴっぴっときたらしい。
川柳界ではふざけた名はイカンとのご意見もあり今は本名に戻った。
また使おうかな?
この高田渡の力の抜けた曲は
なかなどうして今のだる~~い無職生活肯定にぴったんこ。

どこまでこのブログも続くか分からないけれど
読んで下さる同じ障害の子のお母さん方あり、
あぶなっかしい私の近況マークしてくれている友あり
おかげさまで5年目突入

      感謝御礼


お彼岸の散歩

2008-09-23 11:32:58 | Weblog
息子の朝が早くなってから散歩はなし崩しに止めてしまった。南木佳士の『ノラや』を読んだら自称神経衰弱の内科医である作者が中年期は自分の健康第一と山登りや散歩を励行している。そこらで見る中年夫婦の図。連れがない身はずるずると怠けに走っても止める人がない。

朝からやる気なく息子用のポテチの袋などに手が伸びる。金縮財政を旨としたからお菓子売り場を覗かないため他に口寂しさを紛らすものがなかったせいだ。う~む~ものすごいカロリー!軽く1食分の弁当に匹敵する。

腹ぽっこりメタボ自分の姿が目に浮かびあわてて散歩に出た。さすがに暑さ寒さも彼岸まで。むぁ~っとアスファルト地熱の夏盛りとは違う。シミしわが怖いから手袋に防止でガードの紫外線対策は忘れない。

農作業風景が目につく。私よりうんと高齢とおぼしき人の手つきが素晴らしい。思わず見惚れて鍬の使い方いろいろをなるほどと覚え込む。

彼岸花と葛原の花と野菊を摘んで帰った。花屋の花でなくてもボロ屋は飾れる。ないものねだりをやめたら楽になる。世の常識へのとらわれを捨てたら楽になる。

福岡の我が子をあやめた母は普通に案外とらわれていなかったか?

私はどうなの?世間並みの暮らしを維持しようと無理してきていなかった?娘、息子にお金の心配をさせないようにとちょっとだけ無理してた。世間並みにしっかりとらわれていたってこと。

また里山歩きを始めようかな?身の丈にあったそこらの低い丘のような山登りでも。8回目の彼岸花に感傷は薄れている。

同じ発達障害の子の母として怒る

2008-09-23 06:41:24 | Weblog
ストラップ、とっさに利用か=殺害後行動、供述食い違いも-福岡小1殺害で母親(時事通信) - goo ニュース

子は親の従属物ではない。
もし親子心中をするつもりだったのなら
回りにウソをつき通したあれはなんだろう?

発達障害の子は確かに育てにくい。
他の子の何倍も手がかかって思うように育ってくれない。
将来も見えてこない。

我が子、28歳の息子の先も
今日の無事より先は望むべくもない。
中年期を驀進中の稼ぎなしの母とふたり暮らし。
夫の忘れ形見の老母に介護の兆し。
本来なら相続権あり直属孫である息子が介護の担い手であろうけれど
相談にすらのれる状態でない。
息子にも気づかい世話が要る状態で別に一人暮らしする姑の世話が
くたびれやすい年齢の私に双肩にずっしり。

はっきり言う。
死んだら、ふたりして死んでしまったらどれだけ楽だろうと
思わない日がなかったと言えば嘘になる。

息子が『殺せ』と迫ったことがある。
自分で死ねないから母に殺せと言うのかと問えば
息子の頬を大粒の涙が伝った。

自ら死ななくても死ぬ時は誰にも必ず来る。

まして我が子に手をかけて
トイレ脇に放置するとは!

自分の病気や子供の発達障害などを理由にして欲しくない。
この世は楽に生きている人ばかりだろうか?
病気持ちで賢明に生きている人はゴマンと居る。

この犯人の母親に
同じ発達障害の子の親として怒りすら感じる。

特別支援学級もなく、
親の育て方が悪いと言われ続け責められてきた
私と同世代の母親たちは
もっともっと孤独で苦しい子育てをしてきたことを書き加えておく。

命日

2008-09-22 04:23:06 | Weblog
夫が亡くなって8年目。
あれからガン治療も日進月歩。
もしかしたら今なら助かってしたかもしれない。
来年2月には夫の亡くなった歳に私がなる。

何もかも夫の持ち物は捨てないと夫の匂いの沁みついたこの家には住めなかった。
仏壇など大っきらい。
だって死んでいるとはっきり分からせるような物体が
家に鎮座しているのが辛かった。

法要も大っきらいできた。
姑母のばぁちゃんズのために行ったようなもの。

夫身内の墓の隣に姑が作った墓参りも嫌いだった。
山墓で水を汲んで坂を上り、草刈りやら大事で
我が夫の墓と並んでいる親戚の墓まわりまで掃除は蚊と格闘。
墓は自然にかえるがごとく朽ちていいのではないかと内心思う。

形を大事にしなくても
褪せることなく消えることなく
胸に刻印。

丸7年の年月が流れ
ようやく遺品も墓も仏壇も平静な気持ちで受け止められるようになってきた。
中年の夫婦連れを見るのが辛かった気持ちも薄れてきた。

ばぁちゃんズも
家に連れ帰って布団に寝かせた冷たい夫の体に喜んで飛び乗った猫も老いた。
学生だった子どもたちもそれなり大人。
息子のことは最後まで何も語らなかったけど
今分かる。
心配過ぎて口に出来なかったのだと。

命は有限と
身をもって教えて去った胸の中の人に
怒涛のような毎日で忘れているけれど
命の今を大事にしなくちゃねと今日は言う。

私もいつか散る命。




貧乏神髄   川上卓也著

2008-09-21 17:39:57 | 
貧乏神髄
川上 卓也
WAVE出版

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働かない選択をしたら貧乏がカップリングでついてくる。
働いて得たお金で消費してきた無駄を削ぐ生活をしなければ
やがてあっぷあっぷあっぷぷの日がやってくる。
働くというのは自由な時間を売ること。
自由な時間の切り売りで得たお金でついつい無駄な物を購入してきた
罪な私が居る。

働いているんだものこの欲しいものを買ったっていいわ。
今日は疲れたからと仕事帰りにお惣菜を買ったり外食したり。
旬な物を安く買って工夫をして食べる時間がなかった。
働くことで消耗する心身がお金を出してチープな食卓を作りだしていた。

この作者はS49生まれ。
息子と6つしか違わない。
9年前から会社を辞めて最小限度の働きで貧乏生活を始めた。

動機は母年齢であろう私とほぼ同じ。
貧乏と貧乏くさいの違いについて力説してある。
ここまでのストイックな生活は年齢もきている私には出来ないけれど
貧乏くさいに敏感な感性には拍手。

ブランドバックで量産店にやってくる。
スーパーマーケットで特売品のお金を出す財布がブランド物。
3ナンバーの高級車からつっかけで降りてくる。
だれかれが持っているから私も欲しい。それを出来たら安く買いたい。
自分の目で良いと思うから欲しいのでないのは本当に貧乏くさい。

ケアマネとして最初の会社の社長ご一家は一家総働きだった。
赤ん坊の母親である一人娘も子供は保育園へ預けて
デイサービスやら事務方やらで終日働いていた。
養子婿ドノはある部署の責任者だったけれども
若いのに年中高熱が出て数日動けなくなった。
妻も某所の責任者をしていたが、
年中眉間にシワを寄せて何かと言うと金に換算する話ばっかりしていた。
ご一家はお金はありあまっていると想像する。
元々が金貸業から水商売、福祉へと手を広げた。
介護保険導入時期においしそうな業界にみえたのだろう。
発想はつぶれた某大手にそっくり。
汲んでも汲んでも満足しない金。
これこそが貧乏くさい
高級車に乗りブランド物で身を固めた社長ご一家を眺めていた。

『発掘!貧乏図書』の項に
長野県知事の処女作『なんとなくクリスタル』をあげているところなんか
私の感覚にぴったり合う。

作者は酒と煙草とカメラと本とパソコンは必需品なようだ。
貧乏でもここはというこだわりを捨てない。

本当の貧乏は
余分な物や事を削ぎ落して
何物にも犯されない自由な精神と自由な時間を享受する
ゆたかさだろうと思わせてくれる。

貧乏っていいわ~いざ続かん貧乏生活!

WEB上の耐乏PressJapan全日本貧乏協議会からこの本は出来上がったそう。
川上さんごめんね。
この本は図書館で借りたから印税が入りません。