陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

心まで凍結させる北朝鮮に紫陽花の涙

2006-06-30 06:04:13 | Weblog
金英男さん、北の模範解答に終始 「拉致」「死亡」…不自然 (産経新聞) - goo ニュース

蓮池薫さん、「英男さんは泣き崩れることできない」 (朝日新聞) - goo ニュース

ウソばっかり言ってもいい。ひと目会いたいのが親の心情だろう。
金英男さん一家の再会シーンを見ていた
横田めぐみさんのご両親の気持を思うといたたまれない。

まっすぐ権力への方向性で、人の心まで括ってしまう北朝鮮と
戦前、戦中の日本を重ねる。

折りしもNHK朝の連ドラ『純情きらり』は赤紙、出征の場面。
涙を隠して

 『おめでとうございます』『ありがとうございます』

『死なないで』『行かないで』と本心は一言も言えない。



戦後、国のトップはあさま山荘事件をはじめ、
 
 絶対に人命第一を考えてくれる

と、信じていたのに

 テロに屈しない

たった一言で若い命を絶たせてしまった小泉内閣。
イラクへの自衛隊派遣を強行し、
どこまでも靖国参拝にこだわり、
とうとう
愛国心教育を復活させてしまった。

自衛隊イラク派遣反対署名を募って歩いた時、
快く、絶対に反対と署名してくれたのは

  戦争体験者だった

戦争を知らない子供たちが高齢者の仲間入りも目の前。
戦争を知っている人はどんどん少なくなってゆく。

まだ物言える日本で良かった。


日本へ帰国当初の拉致された人たちが
あの赤いバッチを胸につけて
不自然な表情のない会見を繰り返していた姿と
今回と
そっくりに見えた。

横田夫妻のお孫さんとめぐみさんとお顔立ちが似ている。

 おばぁちゃんちにいらっしゃいよ。
 ちょっと会いに行こうかな。

そんな自然な感情をどんなに演出して隠しても
ウソっぽさが増して見えるだけ。


権力の意のままで自由のない
拉致されたままの人たち
服従しか許されず飢えてまでいる
北朝鮮の庶民の人たち

北朝鮮の人たち、みんなが痛ましい。

老後の沙汰も金次第

2006-06-29 06:35:23 | Weblog

昨夜のNHKクローズアップ現代では介護心中を扱っていた。
京都で80代の認知症の母と心中しようとした50代の男性が取上げられていた。母を施設入所させるお金がなくて、日中だけ預かってもらい夜間は自分で看ていた。認知症の常で、環境の変化が夜の興奮を生み、この男性は夜寝られず、昼間の仕事をとうとう辞める羽目になった。

お金が底をついてくる。月3万の家賃の2ヶ月滞納。食事は母に食べさせて自分は2日に1回。それも出来なくなった日。車椅子を押して、昔家族で食事をしたりした繁華街へ。母親は喜んだと言う。
深夜2時。いよいよ河原で

 もうかえられへんのんでぇ~

この母親思いの息子さんを救う手立てはどこにもなかったのだろうか?

福祉は申請しないと動かない。
このところ利用にもお金がかかるシステムに加速がついている。
介護保険料の負担もいきなり値上げ。

この人は福祉事務所へ生活保護の相談に出向いているのに、
貰えないと判断してあきらめてしまった。
担当ケアマネが事情を確かめようと電話をしたら、

 『守秘義務』

を盾に何も答えて貰えなかった。

近所の人は夜中に

 息子さんの泣き声を聞いている。
 なだめているお母さんの声を聞いている。

関わる人すべての手が救いの方向へ結ばれていたら
こんな悲劇は生まれなかったのだろうに。

    エ・アロール―それがどうしたの

                    角川書店

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対極にあるのが、この小説だろう。
文庫本の帯にある『年甲斐のない人になりたいの』は、
お金のある人にだけ許される事のように思える。

エ・アロールとは、
かつてフランスのミッテラン大統領が
妻以外の女性との間に出来た子供が発覚して質問する記者に答えた言葉。
訳せば、『それがどうしたの?』になるらしい。

エ・アロール
 夢、希望、やすらぎ、愛…等々の老人施設臭のする名を嫌って

仕事や世間の枠から開放されて自由になった人に
自由に気ままに生活し人生を楽しんでもらえるように
『それがどうしたの?』精神で運営される高齢者施設。

風光明媚より賑やかな刺激の多い便利な場所を選んで銀座にしてある。

今ある施設の常識を覆した設定になっている。
渡辺淳一氏が自ら入りたい施設を小説の中に作られたようだ。

小説抜粋

 …実際、入居に当たって、二億円近いお金を必要とする超豪華な施設もあるが、それでは入居できるのは、ごくごく一部の人に限られてしまう。 
 そうではなくて、せいぜい四、五千万の入居権利金みたいなものを納めてもらうだけで…(中略)…あとは食費管理などを含めて、月々十五万から二十万程度必要となる…

ハイ、
これだけの負担ができる高齢者は日本に何パーセント居られるでしょう

「ごくごく一部の人に限られてしまう。」のではないかしらん?

渡辺センセの経済観念は庶民からはズレて居られる。
管理費が15~20万円の施設で
レストラン風バイキングや看護、介護、警備、相談員と多種な職員配置もむつかしいように思う。
やたら詳しい職種なもんで、このあたりで小説に酔えなくなってしまった。
まぁ~小説は小説。仮想現実なのだから、絵に描いた餅でもいいだろう。

セクシュアルなところばかり強調されていて、
ここらあたりも、そんな人も居るだろうけど、
まわりを見渡して少数派の気はしたけれども、
まぁ~失楽園の渡辺センセ風と言うことで~

『年甲斐もなく』と言われそうなところを
『それがどうしたの』とさらりと流すのは
年齢の熟した知恵のようで好ましくは思えた。

実際のところ
長く我慢して苦労して、せっかく世の柵から開放されて、
体の機能が衰えてきて、誰かの助けが必要になっても
自分らしく生きれる場所を誰もが望んでいる。

『地獄の沙汰も金次第』と言うけれど
  老後もまた金次第

やだねったら~やだねぇ~♪

この小説を読んだ後の介護心中は余計に胸に沁みた。

 

 

 

 

 



 


 


藤田嗣治「異邦人」の生涯   近藤史人

2006-06-26 06:28:11 | 
藤田嗣治「異邦人」の生涯

講談社

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日本に作品を貸さないと言う残された婦人の話は聞いた事があった。
レオナルド・フジタとも言うこの人の生涯にはずっと興味があった。
おかっぱ頭のユニークさにも惹かれる。
絵のどこかに猫が居る。
猫好きな私はずっとこの人の絵の展覧会を待っていた。
ようやく今年、日本で公開中。
パリを魅了した異邦人生誕120年藤田嗣治展
近くの広島で間もなく開催

日本の社会は彼を誤解し続け、悪い画商には騙され、フランス人になりながら、日本風の生活をしていた。

人から認めてもらえない。
一番認めてもらいたい故郷から誤解を受けての生涯。
認められたくて認められない。
誤解ばっかり受けてしまう日常を私はアスペな息子に見る。
思わず『異邦人の障害』と変換してしまいそうになった
アスペルガー当事者の書かれた本の題名が、
『平行線』『地球生まれの異星人』
どこか孤独な藤田嗣治と日本との距離を思い
日本に生まれ育って、今も暮らす
息子の切なさとついついオーバーラップして読み終えた。


父親の存在

2006-06-24 00:39:58 | Weblog
父“ICU”で暴力 高1長男とあつれき (共同通信) - goo ニュース

死刑と無期、境目は 光市母子殺害、20日に最高裁判決 (朝日新聞) - goo ニュース

2つの少年事件の犯人の父親はどこか似ている。
少年の母でない女性を妻とし、少年と一緒に暮らしている。

一方は教育熱心と言う衣を着た自己エゴの押し付け型。
一方は子供に無頓着。
自分は若い妻を娶り
狭いアパートで思春期の息子の居心地を考えた事があっただろうか?

父親と息子の関係は女で母である私には理解も想像も出来ないが、
同性同士ってどうなんだろう?

先日、
息子とおない歳の生後2ヶ月の息子を持った人と仕事をした。
出産にも立会い、夜はを風呂に入れるのを待たれていると言う。
息子の発達しない部分を
彼と話しながら確認する様で、ちょっと感慨深かった。

ついつい母親気分になって説教を垂れてしまった。

 お父さんはしっかり子供を守ってあげてね。
 何があってもお父さんがしっかり砦になって守ってあげてね。

 親は添え木。
 子供はちゃんと育つ力を持っているから、
 無理に親の思いを押し付けないで、
 まっすぐ育つように添え木になってね。

私のアスペルガーの息子がどう言う風に育ったか
亡くなった父親は残念ながら、息子の障害を認めないで
愛情ではあったけれども 

 守るよりもできない事を責めた

話をしたら
彼は素直に

 『ボク、息子は大リーガーにしようかと思いましたが止めます。』 

奈良の父親は子の自ら育つ力を無視して
無理矢理に自分の思う方向にひっぱったり剪定したり…

山口の父親は勝手に育っていくだろうと
完全に添え木役を忘れてしまって…


『添え木して直く育てよ稚児桜』

子育て中、何度も自分に問うた句だ。
障害がはっきり分からなかったあの頃、
何度も育つ力を忘れそうになっては、思い返した句だ。

息子の父親は自分の価値観通りに育たない息子にイラだったまま。
先行き不安を抱えて、
息子に何も語ってやれないまま逝ってしまった。
それは今も息子のキズになっている。

 『オヤジはオレを最後まで理解してくれなかった』と。


殺された恨みをいつまでも捨てられない執念すら感じる
被害者の方も
子供の成長に夢を託していた若い父親だった。

噛み合わせの狂った歯車がカラカラ回っているような~

デイサービス『夢のみずうみ村』

2006-06-22 08:09:43 | Weblog

息子の職場の制服ズボンは洗濯機洗いの後でちょっとアイロンが居る。
テレビをかけてスッスッスーとかけるのが日課になってきた。
『まっいいか』とちょっとのシワ入りでOKだった小物、大物にも
ついでにアイロンかけをする。

今のテレビはワールドカップだらけで
興味がない者には、いつもに増してどうでもいい。
BGMがわりはどれにするかちゃかちゃ画面を選んでいたら、

聞いたような名前で手が止まった。

 「夢のみずうみ村

最初に聞いたのはラジオ深夜便ファンからの知らせだった。

 バリアフリーをやめてバリアアリーなデイサービス

放送を聞いた知人には
バリアフリーが奨められている今、逆方向に聞こえたらしい。
相当ユニークそうだし、
何か考えあってのことだろうとその時ちょっと調べた。

どの家もバリアはあるので、
あえてある状態での生活に慣れる事を狙っているそうだ。

「おはよう21」と言うホームヘルパーの月刊誌にも紹介されていた。
写真を見れば、
理事長は
息子が小学4年の時に1年間弱お世話になった
かつてLD児に感覚統合をしておられた作業療法士さんだった。
行政がその訓練の医療保険適応を認めないとかで
そこでの訓練は突然、中止で終った。
(息子はその後どこの医療機関にも通わず成人してASと診断を受けた。)

考え方の基本はLD児も高齢者に対しても同じ様だった。

 みんな違ってみんないい

 持てる能力は伸ばそう、使おう

 ひとりひとりの自己実現

 お仕着せに任せないで自由に自己決定

昨夜のテレビ番組はNKH教育『視点・論点』
村田幸子さんのラジオ深夜便で放送されていたものと内容は同じだった。

LD児の救いの場所は頓挫したけれど、
このデイサービスずっと続いて欲しいと願う。


痩せたい病

2006-06-21 00:24:59 | Weblog

白インゲン豆ダイエットで健康被害、TBSに警告 (読売新聞) - goo ニュース

職場では、充分スマートな人が
まだまだと食べないダイエットを続行している。

彼女は1月からウエスト28㎝減。体重は13㎏落ちたと言う。
もうウエストは折れそう。
なんと靴までぶかぶかになってしまっている。
彼女の影響かダイエット熱がまんえん。
幼児の様な弁当やカップラーメン1個で済ませる人も結構増えた。

私のお弁当は
自家製冷食を凍ったまま、彩りよく詰め込んで5分程度で出来上がり。
時間のある時に、
ひじきや煮物、ゆで野菜をジッパーの袋詰めして作り置きしている。
スーパーの惣菜の味には飽きる。
仕事から帰るとお腹はすいいているし、
疲れているし手早く栄養の偏りなくと思うと手作り冷食は欠かせない。
自慢ではないが職場一。弁当箱がデカイ
ダイエット元祖おばさんは私と同い年。
お腹が膨れると言う粉末を水に溶かして飲んでいる。
油を固めて体内から排出させる機能もあると言う。
一日一食は普通に食べて、後2食はその液体だそうだ。
サプリメントに
還元水とやら水道に器具で濾過した水を飲んでいるから大丈夫と言う。

52歳。
肉が落ちた後の皮は簡単に戻る年齢ではない。
彼女の服はガバガバしてみっともない。
二の腕と二重あごはガンコに存在している。
これが落ちるまで頑張るのだそうだ。
靴までぶかぶかは、骨まで痩せているの?

骨粗鬆症、肝臓障害、いろいろ懸念されるが、
痩せることに夢中の彼女はどこか異様である。
仕事以外に副業として各種セールスをしているらしい。
ダイエット食品も身を持って営業活動しているのかな?
還元水とやらの高額器具も売っているのかな?

彼女は子供2人引き受けて若い時に離婚している。
彼女は私に向けていつも言う。  

 あなたにはご主人の愛がある。

 『愛』とは『遺族年金』の事を指すらしい。
離婚して女ひとりで生きることも過酷さは、
多少の額でも遺族年金に多少守られている寡婦とは確かに違うだろう。
上司から私は苦労なしで生きてきたと言われる。
そうなのかな?

ダイエット情報氾濫の昨今
TVや週刊誌に疑いも無く飛びつくのもどうかと思う。
情報は情報で自分で吟味のフィルターを通して、自分の判断材料程度に。

元祖ダイエットおばさんは休憩時間に女性週刊誌を読んでいた。
あまりに似つかわしい光景だった。
今のところ体調不調を訴えないからいいんだろう。

拒食症へ移行しないか気がかりでもある。
やせずぎ賛美もほどほどにしないと、

若い人もそうでない中年も
高齢者になった時には、要介護者の恐れあり…


親子そろってじんま疹

2006-06-20 23:04:15 | Weblog

ちらりほらり早朝の散歩に半袖だと帰りついた頃、
腕に痒い発疹。寒冷じんましん。
昼は昼で日光にあたると日光疹。
汗を大量にかくと汗溜りの首や腕の内側にあせも。

職場は妙な気づかいでなかなか冷房が入らない。
制服は夏も冬も同じベスト。
材質はウール。
小さなポケットに
ケイタイ、名刺入れ、朱肉ケース、ペンにメモ用紙。
名札までぶら下がっている。

朝、着こんで出勤準備が完了する時、  

『装着ヨーシ!』

気合を入れて前ボタンを留める。
小言、いやみ、無理、難題、砲弾を受けても、
胸深く傷を負うことなく
ご無理ごもっとも笑みを浮かべてやり過ごせる心の中では  

 『防弾チョッキ』

と呼んでいる代物だ。
予想通り腹部、胸部、わきの下、背中、全身にカイカイが広がってきた。

私だけかと思ったら、
息子の首筋にも発疹。
風呂上りに痒いと言うのでパンツ一枚の息子を見たら、
全身に発疹。私のにそっくり。

あれれ?
何か二人でヘンなモノを食べたかな?
土日に冷凍庫の食材処分で、
庫内にいつから入っているか不明なモノで確かに料理した。

食べ物の時は大抵、
食べて数時間後には発疹や微熱が出てすぐ分かる事が多かったけれど、
今回は該当しない。

月曜日のカレーもいけなかったか?
刺激物は湿疹のある時はタブーだった。
汗を流そうと湯船に入ったら温まって余計に痒みが増す。

じんましんを調べたら、ストレスも関係しているらしい。

職場は壁の塗り替え中で、ペンキとシンナーの匂いでクラクラしそう。
猫のふぃんふぃんは隣りの家壁の塗り替えの時に、
鼻水に目の充血。
あげくに皮膚の痒みを掻き過ぎて、
皮膚が破れて数針縫う手術を受けた。

猫だってアレルギーになる壁の塗り替えなのだ。
ストレスいっぱいの職場はアレルギー因子がいっぱい。

息子は息子で朝はバイクが風きるから、
徒歩の人より多めに着込む。
帰りは午後1時過ぎのもっとも日差しの強い中。
朝は寒冷じんましん。昼は日光疹にあせも。
そして職場ストレス。

母と同じアレルギー因子がいっぱいだ。
似なくていい部分が似ている。
やれやれ~
お互い、無理をすると体に出て忠告してくれるらしい。

休むに休めない仕事もあるし、
上手に各種アレルギーとおりこうさんにつき合うしか方法はないようだ。
かいかいのかいかいかい~かゆいの飛んでゆけ~

飛ぶとパニック国際紛争はテポドン。
飛んできたら痒いのなんのと言ってられないだろう?

 


介護レッスン  倉本四郎

2006-06-20 07:58:05 | 
介護レッスン

マガジンハウス

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どうしてこう仕事に関係したタイトルばっかり目がいくんだろう?図書館でペラペラめくって、筆致がすっすっすと頭に入ってきたから借りてしまった。読むほうはすっすっすとはいかなかった。集中力と気が多い所為で、返却日ぎりぎりの二週間経ってから本腰がはいった。

倉本四郎と言う著者をしらなかった。

文筆業で生業をたてている。
兄の生活までは見られない経済力。
私生活をさらけなければ介護の話にはならないが、
ふむふむと著者の生活ぶりもミーハー的に興味深かった。

介護の基本は結局、介護を受ける側が心地よいかどうかにかかる。
心地よくなくても今の高齢者はかなり

『がまん』

をする訓練が身についている。戦前、戦中の物言われない時代を生きて居られる。

 世話を受けるのだから迷惑はかけられない。
 自分が我慢すればいい。

等と言いつつ

愚痴るタイプと
まったく風か空気のごとく受け入れて済ませているタイプと

人それぞれではあるけれども超わがままは少ない。

これから高齢となる団塊の世代は戦後の自己主張の教育下で育った。
数が多いからきっぱりはっきり自己主張しないと存在が認めてもらえなかった。
さぁ~これからの介護現場は大変だろうと推測される。

この倉本氏はアメリカで倒れ、片麻痺になった兄の介護を引き受けることになる。
これまで勝手気まま人と兄の性格を充分に知っていて、覚悟して引き受ける。
最初はいっしょうけんめい。兄を思って格闘していた。

介護保険の話は一切出てこなかったが、
自らの工夫と創意で、排泄用具やトイレの改造、手すり付けなどをやってしまう。
再度、倒れて、病院でリハビリを受ける。
退院後は独自のリハビリ方法を編み出して毎日3時間はつきあったと言う。
努力の甲斐ないし。
兄は努力の人ではなかった。
わずかな快方に嬉々としていたのは介護人の方だけだった。
その頃には妻はじめ多くの助け人もみんなソッポを向いていた。

 いくらやってあげても報いられないから

これまで動いていた体の自由が利かなくなって、排泄まで人の世話にならなければいけなくなった病人の絶望も分かる気がした。また、自分のためだけに今までの平穏な生活は介護する側から奪ってしまう存在である自分と言うのも受け入れるにはシンドイものがある。

介護する人、受ける人、どちらもこれまでの生活をひっくりかえしてしまう介護と言う実態がエロトークまじりで、肩肘張らずに読みすすめて、はぁ~とためいきが出た。

結局、自分の生活をひっかきまわした
兄は新しい居場所を
遠い親戚近くの老健施設かに決めて出ていってしまう。

後味の悪さはしっかり残る。
介護はキレイごとではすまされないし、
その人の生きてきた道、人生観、価値観が目の前に突きつけられる気がする。

介護に正解もないし、過酷な現実であるなぁ~と
我が生活とケアマネで接する利用者及びその家族が頭に浮かんだ。
休日に読むなよ!と、私自身を罵倒して読み終えた。


人を物扱いして殺した医師に甘い判決

2006-06-16 07:53:58 | Weblog
青戸病院の腹腔鏡手術ミス、3医師に有罪判決 東京地裁「最低限度の技術ない」 (産経新聞) - goo ニュース

自分の欲を満たすために人の命をモノ扱いしたこの3人の医師に
執行猶予が付いて、
しかも医師免許は取上げでなく、わずか停止2年!

この3人は『人殺し』ではないか!

甘すぎる判決に怒りを感じる。

父が医師に殺された30年前を思い出す。
54歳の父は三度の脳腫瘍手術を隣県の某大学病院で受けていた。
脳内の腫瘍は毎回取りきれず、残った腫瘍が大きくなって再発をくりかえした。
手術の都度、身体機能回復は悪く、
最後は失明。歩行も伝い歩きとなった。
三度目は視力回復を期待して臨んだ手術だっただけに父の落胆は大きかった。
もう四度目はない。
父本人も家族の我々もそう思った。

三度目の手術から半年、いよいよの時が来た。
まったく歩行ができなくなり、意識も危うくなった。
手術をしないなら、見舞いにすぐ行くことが出来る近くへと
脳外科のある地元の総合病院へ運んだ。

主治医は30代前半の若い医師だった。
彼は意識の薄れていく父に手術を迫った。
返事を渋る母に

『一生、あなたが後悔しますよ。』

と、日に何度も病室にやってきて、とうとう承諾をと取り付けてしまった。
乱暴にも翌日手術。
父本人に手術うんぬんの判断がもう出来かねる状態だったのに、
頭を割られてしまった。

それっきり父はもの言わぬ人となり、意識は戻らず
大学病院では術後、
流れ出る血は管で取り頭が血の海と言うことは一度もなかったけれど、
包帯の巻かれた頭の下には防水マットが引かれ、ずっと血だらけ。
この処置で良いと言う。

腫瘍が大きくなって処置されていたなんとかと言う弁が壊れていた。
医師からの説明はそれだけ。

ただ、どうせ助からない患者だから、
余所の大学病院でどういう手術をしたか開けて見たかっただけなのだ。
開けて他の医師の処置にケチをつけたら、
まったく患者への興味は失せたように術後はそっけなかった。

手術前には少しの話は出来たのに、まったく物言わぬ人のまま
頭から大量の血を流して、
父は数日後、一生を閉じた。

臨終の時、主治医で執刀医はついに顔を見せず。
当時、財界の令嬢と婚約中。令嬢とゴルフの最中と漏れ聞いた。
日曜日の当番医、深夜の当番医と医師がくるくる入れ替わって、最後の時がきた。

弔電が隣県の大学病院からは着ていたが、死を迎えた病院からは無しのつぶて。
現在、その医師は大きな個人病院の医院長さま。
毎年、県の長者番付け10位内に名前を見る。

名を見る度に怒りが再燃する。
防水マットの血の海で割られた頭のままの父が浮かぶ。
稚拙な処置しか知らず、
人に頭を垂れる事も知らない
医師の名は忘れようとしても忘れられない。

『人でなし』の『人殺し』

同じく
人を実験材料としか見なかった、
この3人の医師に人を診る資格はない。
執行猶予でのうのうと日常を送り、
2年したらまた医師として仕事が出来るなど、
とんでもない。

殺された人は浮かばれない気がする。
遺族はたまらないだろうと思う。

犠牲になられた方に哀悼の誠をここに記します。

死ねと吐く生きるを知らず育つ子ら

2006-06-14 06:41:20 | Weblog

聞いた話。

おばぁちゃんに向かって孫が『死ね!』と吐いた。
大学受験のイラ付きの時。
おばぁちゃんの情けなさは孫の言葉より他にもあった。

 『まわりに居たふた親が何も言わないで、笑っていた。』

常日頃、祖母が邪険にされているのをこの子は見て育ったのだろうか?
何も言ってくれないひとりは我が子なのだ。

情けなさは二乗される。

大学3年の今、この子は就職戦線の入り口で怯えている。
同級生が活動を始める時期、世の中に出る事、
就職試験で自分が選別を受ける事を
おそれて固まってしまった。

家を離れて暮らす彼から母親に泣きじゃくって電話があったそうだ。
大事に大事に、
他の人への思いやりを教えられず、
我が身の可愛さを撫でられて育った子。
成績偏重で育った子。
人に勝った時にだけほめられた子。

この母親は
ケンカして泣いて帰った時には

『泣いて帰るな。殴り返して来い。』

スポーツクラブで怪我をした時には

『監督の責任だ。ただじゃおかない!』

彼は大学受験の時もプレッシャーに押しつぶされて荒れていた。
結局、センター試験当日は下痢嘔吐に悩まされたが、
本来の成績より偏差値が下がった学校に入学を決めた。

その時、吐いたのが、

  『おばぁちゃんは死ね!』

私はその話を聞いた時に、今のこの状況が浮かんでしまった。

今、母親がその子のところにすっ飛んでいったから、
家事に忙しいと語りながら、
母親に託された伝言の話はちゃんと入っていた。

 『死ねと言ったこと、おばぁちゃんにごめんなさいと言って。』

良い大学に入ってくれさえすれば、
我が子のピリピリだけしか見えない親の方は、
そんな出来事が有った事すら記憶していないそうだ。

その子は自分で吐いた言葉を3年も覚えていて、
自分でキズ付いていたのだ。

『ごめんなさい』の心境に救いの光が見える。
これから本当に生きることを学習できそうだ。

おばぁちゃんの孫はいい子だよ。

 

 


ケアマネは押し付けがましくなくっちゃいけないの?

2006-06-13 00:18:13 | Weblog
あの人はこんなひとなんだから、はっきりきっぱり言わなくてはいけない。
きっぱり言えるのが本当のおもいやり。

 はっきりモノを言え。
 利用者に意見しろ。

毎回、私へのアドバイスはこの言葉で終る。
我が居宅介護支援事業所はきつい対応をずっとしてきたらしい。
それでいつも感謝されてきたと言う。

私にはあの人はこんな人なのだからと言うキメツケはできない。
アスペな息子の言動がトラブルを起こす時、
必ず彼特有の感じ方が世の大半と違っているだけのことで、
単なるカン違い、行き違いに過ぎない事が多いし、
私が良かれと思うことが、彼にとっては苦痛である事が多い。

この人がこう言う言動を取るにはなんらかの原因があるはず。
原因は話をよく聞く内に見えてくると私は信じる。

気持が分かったところで、各福祉サービス担当へ
実はこう言う気持をお持ちだから、
こう言う希望を叶えてあげたいけれど、
協力してもらえるか?と、
話を持っていくと
9分9厘、こんな返答が返ってくる。

ケアマネのあなたが言うのだからしかたがないけれど、
あの人はああなのだから、何してあげても感謝がない。無駄。
また不服を言うに決まっている。

新米としては

 まぁそこのところ、無駄を承知でちょっとだけお願いします。

イヤイヤ応じている気配はしっかり利用者さんに伝わっている。
ほんのちょっとした言葉かけにも、
サービス担当のトゲがもろに出ている報告がまた利用者から聞かされる。

悪循環連鎖だ。

息子に接していて、強く強制的な事を言って上手くいった例がない。
ほめて気持を汲んで、自発的に変っていくのを待つ。
高齢者の場合、培った歴史はもう変りようがない。
また変える努力を強いるのはいかがなものか?

病気に悪いから。

80、90歳まで生きてこられた方に、
その生活習慣は常識的でない、不摂生と言って良いものだろうか?
その方には合っている習慣だから、長生きされているのではないだろうか?

もう人にあれこれ言われないで生きていきたいよ。

そう言う本音が聞こえてきそうで、
私はつい、ニコニコと相槌をうつ。
困りごとは一緒に困る。

一件に気がつけば2時間以上も費やして、一向に仕事がはかどらない。
気になるけれど、ちょっと待って話を聞きに行こうと保留ばかり貯まっている。

息子が居るから、息子が人から見てぱっと目わからない
苦しい傷害のアスペルガー症候群だから、

老人性鬱の人にも認知症の人にもそれぞれ、
常識をとっぱらって向き合わないと分からないものがあるように思う。

本人を否定するような押し付けを私は言えない。
とことん肯定して、寄り添って、共に考える姿勢で居たいと思うが…

書類ミスも多いから、細心の注意をはらって~
今日もドジらないように落し物、忘れ物しないように~
ドジケアマネはえらそうな事はなんいも言えないんだけど…

利用者ファイルを『カルテ』と言い
利用者を『患者』と言う

『利用者』=『患者』
『なにかしら困難のある人』=『指導して治す』

併設診療所から当事務所が立ち上がった看護師意識が色濃い所為か?
なかなか…馴染めない

一度でもミスしたくないと息子が言う。
まだ務め初めて10日あまり。
かぁさんは2ヶ月半経って、ミスのなかった事がないよ。
かぁさんのドジ自慢で息子に安堵してもらっている。
母だってミスがないように、ものすご~~い努力はしているんだよ。

ミスが多いから人のミスには寛大になれる。
間違いのない人間なんてロボットだもの。




めぐりあわせ

2006-06-12 08:13:14 | Weblog
定年後に山中の土地を購入する話がよく聞かれる。
友人夫婦は車1台分の金額で、小川付き山土地を手に入れた。
台風で倒れた木がそのままある。
麦を植えて、
水車小屋で粉を挽いて、
潅木でログハウスを作って、そこでパンを焼いて~♪
夢を語る夫君の横で、

『やりたい放題、言いたい放題に駄だっ子付き合っているの』

草かりに出かけた後で、この奥方が血尿が出た。
膀胱ガンが発見された。
知らせを聞いて驚いて見舞いに行った。
日曜の暗い待合室を抜けて迷路のような廊下を曲がって登って、
病室発見。

彼女は術後のベットの管に繋がれてはいるけれど、
後は回復を待つばかりの顔色だった。

畑の世話をしていたから疲れて血尿が出て早くガンが分かった。
仕事を辞めたのんびりの時期だから、安心してこうやって病院に居ることができる。

 めぐりあわせかな?

淡々と語る。
膀胱ガンは再発の可能性が高いから、度々入院、手術の可能性があると言う。

そこは予想どおり、
亡夫をホスピスにひったくるように転院させた泌尿器科の病棟だった。
夫の場合は膀胱ガンに隠れて、
病状悪化でないと分からない胆管ガンを合わせ持っていたのだろうから、
彼女がそこまでの経路を辿るとは想像しない。

しないが、私の中ではあれこれとその時の事が鮮明に思い浮かんだ。
こんなにボロい病棟だったのか?
こんな狭いカーテンに囲まれた6人部屋のベットで
助からないガン末期と告知された夜を夫は過ごしたのか?

 めぐりあわせ

夫が居たら、大学を5年もかかって卒業して、
アルバイトもままならない息子と
きっと事を構えていたに違いない。
障害を死ぬまで認めてはいなかった。

夫が死んで、息子が大学を卒業して自宅へ帰って、
世の中への不適合にあがきながらも、
なんとか落ち着いた今の生活ぶりは保障できなかったかもしれない。
夫も息子も辛い生活が想像される。

運命とか、めぐりあわせとか、
うまい具合に回っているのかもしれない。

地震に起こされてめずらしく早起きの息子と朝陽を見た。
高い畦道をひょいと飛びあがるこれからの肉体を持つ息子にも、
これからどんなめぐりあわせが待っているのだろう?

仕事人間だった夫の腕時計と名刺入れを身に付けて、
老けたニューフェイスも5月を乗り切った。
さぁ~月曜日。いざ出陣!

朝の地震に起こされて

2006-06-12 07:27:52 | Weblog

朝、猫に餌をやっていたらグラッ。
餌をねだっていた猫がびびって、および腰になっていた。
どこに逃げたらいいのだろう。
一瞬、身をかがめてじっとして過ごした。
すぐに揺れが止まって安堵。
どこかで被害が出ていないといいけれど。

息子も起き出してきた。
前夜、ささゆりが咲き出した観にいらっしゃいと電話をもらっていた。
次々咲いては散って今週いっぱい。
次の休みの日までは待ってくれそうもないから、
朝か?夕か?
朝が絶対初々しい。
『よし、朝行こう』と決めていた。

一緒に観に行こうかと誘ったら行くと言う。
今日は息子は休み。
昨日、職場の人の態度が冷たいと食事も採らずに頭を抱えていた。
人の小さな態度にキズついていつも激しく落ち込む。
気分転換にでもなればいい。

ささゆりはワラビ採りとした箇所の草むらにひっそりと咲いていた。
地震に起こされて、良いものに出会えた。


佐賀のがばいばぁちゃん

2006-06-10 17:42:05 | 映画(DVD)
原作は『もみじまんじゅう』のギャクで人気があった漫才コンビ…あれ?もう名前が出てこない
島田洋七の実話と聞いていたから、きっと抱腹絶倒なのかと期待していたら、最初からずっと泣きっぱなし。

原爆で亡くなった父親の身代わりに広島で生を受け、母ひとりの手で育てられていたが、小学4年の夏休み、母方の祖母のところへだまし打ちで里子に出される。お母さんっ子でまわりが言い出せなっかった。SLの車内でずっと泣いている。貧しくなければ…子の気持ちも、判断せざるを得なかった母親の辛い気持ちも胸に迫って、最初から、暗闇でバックの中のティッシュを探す。なんで目からだけでなく、鼻水まで垂れるんだろう

昭和30年の佐賀の風景はみんな貧しいけれど、人との関わりが濃い古き良き時代に見えた。私が生まれた頃になる。どんどん一億総中流を目指して、暮らしが豊かになるちょっと前。亡夫は昭和21年生まれ、団塊の世代だった。彼がよく語ってくれた風景を彷彿とさせた。死の一ヶ月前にたまたまテレビで『少年時代』を一緒に見た。井上陽水の曲とともに流れる映像を夫はとても懐かしいと言っていた。あれと同じ時代だ。

ががいばぁちゃんは磁石をいつも引きずって、鉄クズを集めて売る。夫も鉄クズを拾って小遣い稼ぎをしていたと言っていた。鉄クズを買い取る業者も珍しい存在ではなかったのだ。手押しポンプで何倍も水を汲んで運んで、風呂に水を溜めるシーン。あれも何度も聞いた話と同じ。だからだろうか?湯船からザァーっと湯をこぼすことが出来ない人だった(遠い目になる…)

ががいばぁちゃん語録がよかった。
以下、うろ覚えだけど…

『ケチはいかん。節約は大事。』
『暗い話は夜はしないで、昼の明るい時にする。』
『暗い貧乏はいかんが明るい貧乏は良い。』
『良いことはこっそりと相手に負担をかけないように。』
『いつもは買わないけれど買う時は一番高い良い物を買う。』

また、学校の先生や関わる回りの人たちがみんなあったかでまた涙をさそった。
ばぁちゃんの様な無骨なやさしさを最近、見ないような気がする。
子にべたべたの親とか、モノを与えてご機嫌取りのばぁちゃんじいちゃんとか、
我が身かわいさが先にあって、本当の親になりきらない親とか…

最後に流れた歌の歌詞

 テレビもラジオもなかったから よく話した~♪

物が豊かにになって、食べることより他にお金がかかるようになって、貧しさの質も変ってきたらしい。下流階級の本をぱらぱら立ち読みしたら、『下流階級はあまりお金のかからない娯楽を楽しむ』とあった。

それは、映画、コンサート、インターネット…
まるで私の生活のような

お金のある人々は、会員制のスポーツクラブ、海外旅行…
無縁です

ががいばぁちゃんちも洋七少年が中学生になった頃には水道が引かれ、水道代の集金を待ってもらうシーンがあったっけ。

うんと貧しい事情のある転校生がいじめに合わなかった時代と言うだけでも、夢ものがたりのような。洋七さん自身もが、がばぁちゃんのよい影響もあり、流れている血もあったかで、まわりまであたたかにしてくれるキャラだったかもしれない。また、いいことだけチョイスして記憶する術の使える人なのかもしれない。

そうそう、ちょい役の緒方拳。存在感がありました。あの豆腐売りは私の記憶にもある。いつの間に石油で作ったパックごとスーパーで買うようになったんだろう?

涙と鼻水で余分な化粧がすっかりハゲたので、無駄使いに繋がるウインドウショッピングもしないで、さっさと帰宅。無駄のない生活ダイエット、考えてみようかな?