Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

納棺の儀

2005年06月11日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、納棺の儀でした。

とりあえず気持ちを落ち着けるため、
こぼれ話から始めてみる。

みんなが成長した姿を見る度に下を向いてしまうのだけど、
キモイ私しか知らない人には信じられなそうだが、
10人くらいいるいとこ達が、みんなイケメンなのである。

3歳下にひとりいて、6歳下からほぼ年代順にひとりずつ。

3歳下から全員、贔屓目無しに客観的に見ても本当にカッコイイ。
普通と思える容姿な男子がおらず、みんなイケメン。

その質の高さに、ビックリすると思う。
今まで私がイケメン言っていじってた友達でも追いつけない。

しかも、ホスト系なカッコつけた感じはまるでなく、
体育会系で明朗快活で、あからさまにイイヤツって感じの、
男から見てもカッコイイと言える種類のイケメンっぷり。

男子からも女子からもモテるが故に、より良く輝いてる感じ。
絶対に女子で困らないし、性格も良いから困らせない。

で、みんなサッカー部のキャプテンとかなんですよ、これが。

私だけ陰湿自虐な文化系なオタクさんっぽい雰囲気で、
あからさまにひとりダウトである。うむ。。。
一応、写真部部長だったんですが。。。

容姿が遺伝しなかった代わりに、
心臓病が、なぜか私にだけ遺伝してるし、
どうにも遺伝の不思議を感じる。。。

そんな中、初孫かつ周囲より6歳くらい上だからってだけで、
ダウトな私に結婚相手はいるの話を親戚が代わる代わる聞くのは、
小さな集団いじめだと思う。

オレいないって。比べて見りゃわかるじゃん。
まるで隠してもいやしない。

しかも、3歳下のイケメンいとこが、
元めざましのお天気お姉さんなチカちゃん似の、
とってもカワイイ方と結婚し、子供までいるからなんとも。。。

カッコ悪い人はイケメンの100倍時間と熱意がかかりますからね、
もう260年くらい待ってください。すげ~頑張る。命かける。

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1日目は、親族のみで納棺の儀をする。

みんな私服だというので、スーツを脱ぎ、
一応持っていった黒いジーンズに履き替える。

祖母と、私の父親を含めた6人の叔父さん叔母さん、
そしてその配偶者と十何人かの孫。

単純に遺体を棺に入れるだけでなく、
寝たまま洗える介護用っぽい風呂桶を家に持ち込み、
バスタオルのかけられた遺体を目の前でキレイに洗い流し、
要所要所で親族達がその洗い流しを手伝うという儀式。

この洗い流しについては、とっても珍しいらしいけど、
祖父は26年前に倒れて以来、右半身不随で、
祖母やうちの父親にお風呂を入れてもらっていたので、
最後もやっぱり、みんなでキレイに洗ってあげることに。

桶で体につらーと水をかける、タオルで顔を拭う、
という、ふたつのお手伝い。

安らかな顔は全く死んでるとは思えず、
祖母や叔父が、起きろ、の声をかけたり、
みんなが触れる度、すすり泣く。

急逝とは言うものの、単に私が知らないだけで、
3日前に具合が悪いと入院していた。

とは言うものの、単に肺に水がたまっただけで、
水さえ抜けば3日で退院できると診断され、
週末にはいつも通り、うちの父親にお風呂に入れてもらう、
なんて話を嬉しそうにしていたらしい。

それで私にも話はこなかった。

が、実際は肺に膿がたまっていた。

そして肺機能の低下が原因たる肺梗塞で、
死に際がわからないくらい静かに、眠るように亡くなっていった。

家に帰りたいからと救急車による緊急病院行きを拒否した、
祖父の過小申告と、診察ミスが重なった。

洗い流されていく背中には、肺のカタチに大きなあざが。

最後は痛みがなかったとは言え、
病院に行くまで痛みをこらえて、ずっと我慢してたんだ。。。

私もそうだし、父親もそうだけど、
多少くらいのツラさは、我慢してしまう。

たとえ、我慢し切れなくなっても、
軽い症状かのように振舞って笑顔で答えてしまう。

そうした振る舞いが代々伝わってきたことを考えると、
余計に悲しくなってくる。。。

洗い終えた後、白いつやつやキレイな死に装束を着せる。
足袋やスネあてをギュッとみんなひとつずつ縛る。

そして遺体を布団から持ち上げ、棺に入れる。
私は足元を持ってゆっくりと下ろし入れた。

祖父の入った棺に、
お気に入りの枕や帽子を入れる。

みんながむせび泣く中、蓋が閉められた。