Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

Alone Again(Naturally)

2004年10月25日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、Alone Again(Naturally)でした。

どうしてもダメな日というのを、
私くらいの年代になってくれば、
きっと、1度くらいは経験するんだと思う。

そんなに酷くはない1日だけれど、
なんだか肉体面でも精神面でも環境面でも、
やり切れない1日になっていたと思う。

体温調整がまるで出来ず、熱かったり寒かったりを繰り返し、
指先の神経が発火するんじゃないかっていうくらい、
右手だけが、熱く痛く感じられたりもしてみる。

体調の不調は、精神の不安を呼び起こす。

他人に弱い部分を見せたくない私は、
全ての想いを自分の中に押し込める。

悩みを相談できる相手がいないということそのものが、
悩みの元であるのだから、余計に性質が悪い。

溺れているのに、差しのべられた手を掴まず、
ずっと泳げるフリをし続けてきた。

それももう、限界なのかもしれない。

悩んで悩んで悩み切っても解決できないと、
人は、どこかに逃げ道を見つけ出したくなる。

その逃げ道として、
自殺ほど楽なものはないと思う。

人は、他人も自分も簡単に殺せてしまう。

だからこそ、自分が殺されないために人を殺さない決まりをつくり、
それを守ることで、コワがらず生き延びようとする。

自殺者が増えれば増えるほど不安な気持ちになるのは、
自分も死ねてしまえることに気付かされるからだろう。

そんな風に、全く楽しくはないけど、
活動を停止させることは総じて楽である。

だから思考停止して、
宗教にハマったり、麻薬でラリったり、泥酔したりするのも、
とっても楽な行為と言えて、精神的自殺だと言えると思う。

私は肉体的に死ぬのは構わないけど、
肉体はそのままに、精神的に死にたくはない。

楽な道に逃げたくなる気持ちは、わからなくもないけど、
その先が楽しくなければ意味がない。

だからどんな状況になっても、
楽な方に逃げてはいけない。

肉体も殺せない。

ひとりで生きているなんて有り得なくて、
ひとつ名で繋がれていることを忘れてはいけない。

けど、楽しさ、って誰のためのものだろう。

楽しさは独善的で、ひとりが楽しいと感じるとき、
もうひとりは楽しく感じられないのではないだろうか。

自分が楽しいと感じるとき、
誰かを貶めていやしないだろうか。

誰かを貶めるくらいならば、
私は楽しさを欲しいとは思えない。

想いは空へ海へと拡散していく。

10日間ぐらい拘束着を着せられて、
なにもせず、ただひたすらに答えを探さないと、
複雑化させた問題を解くことは出来ず、
私はなにも得られない気がする。

そんなことを考えながら、暗い夜道を歩きつつ、
iPodのホイールを回し、偶然の曲選びを行ってみる。

10038分の1の確率だっていうのに、
Gilbert O'Sullivanの『Alone Again(Naturally)』が流れる。

そんなもんだろう。

…と、こういうところまで深く落ち込むと、
あとは明るく考えるしか手段がなくなる。

自然と笑いがこぼれるくらいの、
幸せな妄想が、心を満たす。

私は、またひとりになるかもしれないけど、
そもそも溺れてなんかいやしない。

そして、この空は広いんだ。

すると、ランダム再生中のiPodから、
The Beatlesの『The Ballad of John and Yoko』が流れる。

いや、それはチョット。。。