今日は、blog開設の動機はタイミングの悪さでした。
勤務中の夕方、同期のお友達さんから、
休憩がてらに外に買物に行こうと誘われました。
ビルの1階で待ち合わせということで、ぼんやり待っていると、
顔見知りのお偉いさんだとか、
宅急便の荷物を持ってきた友達だとか、
出張帰りの友達だとか、
普段、その瞬間その場所で会わないだろう知り合いと、
なぜだかとても、会いまくったわけです。
私が外に限らず、勤務時間内に買物に行くなんて、
ホントに何ヶ月ぶりだっていうのに。
そして、出会った知り合い的には、
社内の1階で、外出用にほぼ帰り支度な服装をして、
あからさまに人待ち顔でいる、
そんな私を、とっても不思議がるわけです。
こっそり付き合ってる女子でも待ってるんじゃないの。
…なんて、勝手に社内恋愛の疑いをかけられても、
正直、なんの不思議もない場面です。
実際は、悲しいくらい全くいないんですけどね。
社内なんて、特に。。。
でも今回に限らず、私は勘違いされるそうな場面を、
なぜだかとても、知り合いに見られている気がします。
他の人と比べてどうかはわかりませんが、
なぜこのタイミングでこの人に会うか、
ということが多くて、そんなときはつい、
素っ気無く接したりしてしまいがちです。
普段と違うところで私に会って違和感を感じたら、
裏になにかあるんですよ、必ず。
でも、この偶然の出会いを、
例えば交通事故と置き換えるなら、
私は何度死んでるかわかりません。
普段通りしないからこそ、
普段通りでないことが起きるのでしょうか。
不思議なものです。
実は、このblogを開設した理由のひとつとして、
知り合いさんに女友達といる現場を見られて、
全くの誤解のまま、blogの記事にされていたから、
ってのがあるんですよね。
私がスタバで女友達とふたりでいるとき、
ひとつ挟んで隣のテーブルに知り合いさんがいて、
その場でも、その後会ったときでも、
なんの話もなかったので、気付かなかったのかな、なんて思ったら、
後日読んだblogで、さも私がお付き合いしているかのように書かれていて。。。
そうしてblogで書くということは、本人はそう思っていることで、
その誤解を私の知らないところで周囲に言っていたらどうしよう、と。
余計なところに伝わったらめんどくさいぞ、と。
読んですぐ、そう慌てたわけです。
そんなことはない、誤解だぞ、と。
そのとき私は、女友達が好きな人の相談にノってたのだぞ、と。
そう宣言したかったんですけど、あくまで知り合いレベルであり、
かつ、実際に言われてるかどうかわからないところでの弁解も変なので、
誰かが私に言ってこない限り、弁解の場もないわけです。
その件に限らず、今後こういうことがあるといちいち厄介なので、
誤解を解くための場を用意しとこうかな、と。
逆に、今度こっちがなんか見たら仕返してやるぞぉ、
という、暗く黒い欲望があったんですけどね。
落ち着いて考えると私は、
他人のことをどうこう書くのって、
別に好きじゃありませんでした。
自分が直面した人に対してどううしたかった、
みたいのは書きますけど、
この人はこうだろうなんてとこは、
あまり興味がないです。
書く題材として、全くの他人は別ですけど、
友達や知り合いをいじるのって、とっても難しくて、
ここに書いたことが全てみたいに思われると、
それは違うって話になってしまいます。
いざ文章にすると、本心のまま書くということもなく、
お話を面白くするの大好きですからね。
と言いつつ、この文章では、過去の文章でも、
思いっきり知り合いのことを書いてるんですけどね。
でもその人自身がどうかでなく、
その人が私にどんな影響を与えたかっていう、
日記だから当たり前なんですけどね、
そうして常に自分視点でしか見られない気がします。
そこが私の最大の欠点な気もします。。。
そして、もうひとつある欠点は、
今まで話してきた会いたくないときに人に会う、
そんなタイミングの悪さではなく、
好きな人に好きというべきところで素直になれない、
そういう意味でのタイミングの悪さでしょうか。
言うべきところでなにも言えず、
言えなかったことが余計に想いを強めることとなり、
そして後悔の念も強くなっていくという。。。
それでいて相手は言うべきところで言わなかったのだからと、
あとはもう、私のことは忘れていくだけ。。。
そして私は、誰からも忘れられないよう、
今日もblogに私を打ちつける。
勤務中の夕方、同期のお友達さんから、
休憩がてらに外に買物に行こうと誘われました。
ビルの1階で待ち合わせということで、ぼんやり待っていると、
顔見知りのお偉いさんだとか、
宅急便の荷物を持ってきた友達だとか、
出張帰りの友達だとか、
普段、その瞬間その場所で会わないだろう知り合いと、
なぜだかとても、会いまくったわけです。
私が外に限らず、勤務時間内に買物に行くなんて、
ホントに何ヶ月ぶりだっていうのに。
そして、出会った知り合い的には、
社内の1階で、外出用にほぼ帰り支度な服装をして、
あからさまに人待ち顔でいる、
そんな私を、とっても不思議がるわけです。
こっそり付き合ってる女子でも待ってるんじゃないの。
…なんて、勝手に社内恋愛の疑いをかけられても、
正直、なんの不思議もない場面です。
実際は、悲しいくらい全くいないんですけどね。
社内なんて、特に。。。
でも今回に限らず、私は勘違いされるそうな場面を、
なぜだかとても、知り合いに見られている気がします。
他の人と比べてどうかはわかりませんが、
なぜこのタイミングでこの人に会うか、
ということが多くて、そんなときはつい、
素っ気無く接したりしてしまいがちです。
普段と違うところで私に会って違和感を感じたら、
裏になにかあるんですよ、必ず。
でも、この偶然の出会いを、
例えば交通事故と置き換えるなら、
私は何度死んでるかわかりません。
普段通りしないからこそ、
普段通りでないことが起きるのでしょうか。
不思議なものです。
実は、このblogを開設した理由のひとつとして、
知り合いさんに女友達といる現場を見られて、
全くの誤解のまま、blogの記事にされていたから、
ってのがあるんですよね。
私がスタバで女友達とふたりでいるとき、
ひとつ挟んで隣のテーブルに知り合いさんがいて、
その場でも、その後会ったときでも、
なんの話もなかったので、気付かなかったのかな、なんて思ったら、
後日読んだblogで、さも私がお付き合いしているかのように書かれていて。。。
そうしてblogで書くということは、本人はそう思っていることで、
その誤解を私の知らないところで周囲に言っていたらどうしよう、と。
余計なところに伝わったらめんどくさいぞ、と。
読んですぐ、そう慌てたわけです。
そんなことはない、誤解だぞ、と。
そのとき私は、女友達が好きな人の相談にノってたのだぞ、と。
そう宣言したかったんですけど、あくまで知り合いレベルであり、
かつ、実際に言われてるかどうかわからないところでの弁解も変なので、
誰かが私に言ってこない限り、弁解の場もないわけです。
その件に限らず、今後こういうことがあるといちいち厄介なので、
誤解を解くための場を用意しとこうかな、と。
逆に、今度こっちがなんか見たら仕返してやるぞぉ、
という、暗く黒い欲望があったんですけどね。
落ち着いて考えると私は、
他人のことをどうこう書くのって、
別に好きじゃありませんでした。
自分が直面した人に対してどううしたかった、
みたいのは書きますけど、
この人はこうだろうなんてとこは、
あまり興味がないです。
書く題材として、全くの他人は別ですけど、
友達や知り合いをいじるのって、とっても難しくて、
ここに書いたことが全てみたいに思われると、
それは違うって話になってしまいます。
いざ文章にすると、本心のまま書くということもなく、
お話を面白くするの大好きですからね。
と言いつつ、この文章では、過去の文章でも、
思いっきり知り合いのことを書いてるんですけどね。
でもその人自身がどうかでなく、
その人が私にどんな影響を与えたかっていう、
日記だから当たり前なんですけどね、
そうして常に自分視点でしか見られない気がします。
そこが私の最大の欠点な気もします。。。
そして、もうひとつある欠点は、
今まで話してきた会いたくないときに人に会う、
そんなタイミングの悪さではなく、
好きな人に好きというべきところで素直になれない、
そういう意味でのタイミングの悪さでしょうか。
言うべきところでなにも言えず、
言えなかったことが余計に想いを強めることとなり、
そして後悔の念も強くなっていくという。。。
それでいて相手は言うべきところで言わなかったのだからと、
あとはもう、私のことは忘れていくだけ。。。
そして私は、誰からも忘れられないよう、
今日もblogに私を打ちつける。