音楽は生きていた!
2004年10月30日、横浜FADで行われた、
Pianist with Mussoliniのライブを観終えた後、
私は無意識に、こう叫びたくなった。
私がPWMのライブを観賞するのは、
おおよそ1年ぶりだっただろうか。
1年前の彼らも、もちろん輝いていた。
しかし楽曲を際立たせ、他のパートに合わせることに気を遣っている印象が、
バンドメンバー間の中に、ホンの微量ではあるが感じられた。
けれどどうだ、今回のライブは。
バンドメンバーそれぞれが楽曲を噛み砕き自分のものとし、
ギター&ボーカルはもちろん、ドラム、べースについても、
微塵の戸惑いも妥協もなく、自分の出せる最高の音を目指し、
他のパートを食わんばかりに激しく、魂を注ぎ込んでいるではないか。
これはおそらくバンド内の信頼、
そして演奏に対する自信がなくては行えない。
何年バンドを続けても難しいはずの到達点であるのだが、
1年の間に、PWMはそれを手に入れていた。
魂と魂がぶつかり合うところで生まれる、
高濃度の化学変化が、楽曲により一層の輝きを持たせている。
そんなPWMの弾き出す音を聴いていると、体は無意識にリズムを刻み、
心を撃ちつけ、熱い衝動を押さえ切れなくなる。
これこそがバンドが奏でる音楽である。
PWMは、楽曲の良さだけには収まりきらず、
素晴らしいライブバンドとしても成長していた。
ぜひ一度その目で見て、
耳で、いや心で聴いて欲しい。
バンドにおけるライブという存在の必要性を、
熱く深く気付かされることだろう。
そしてライブにより、輝きを増した楽曲達は、
私にある確信を持たせた。
80年代の大袈裟なHR/HMで音楽に目覚め、
90年代ではガレージ、その後ブリットポップに傾倒した、
そんな私達年代にとって、現在の音楽市場は、
邦楽も洋楽も、なにか足りないものがあるのではないだろうか。
パンク、ミクスチャー、ヒップホップ、R&Bといった昨今の流れの中に、
6~70年代ロックや、80年代の薄っぺらい電子音楽を復興させたバンド達は、
確かに現在もいる。
しかし、なにか物足りない、満たされない。。。
そう、私たちが傾倒していた年代の音楽が生きていないのだ。
今、もう終わったものかのように、抜け落ちてしまっている。
HR/HMバンドは禿げ上がった頭をバンダナで覆い隠し、
カート・コヴァーンはこの世におらず、オアシスは腑抜けて、ブラーはピコピコ、
レディオヘッドはどこかの世界に行き、トラヴィスは飛び立たないまま。
昔を追いかけてみても、彼らはそこにいない。
その抜けてしまった心を満たすもの、
私達の欲する音楽は、PWMの中で生きていた。
いや、私達の欲する音楽だけではない。
彼らは、過去現在の音楽の要素を全て取り込み、
誰の心にも響くPOPに仕上げてしまっている。
私達より上の年代であっても、なにか響くものがあり、
私達より下の年代であっても、その純粋なPOPさ、そして熱さを、
新鮮な驚異として受け入れられるだろう。
PWMの紡ぎ出す、この奇跡の楽曲群に出会えたことに、
私は音楽の神に感謝したい。
音楽好きな若者達はもちろん、
昨今の音楽についていけなくなった大人達も、
そのまま音楽のことを忘れるのではなく、
一度、PWMに耳を傾けて欲しい。
ライブに行け、CDを買え、とまでは言わない、
ただ一度、視聴をしてみて欲しい。
PWMの音楽を聴いたとき、こう思うだろう。
音楽は生きていた、と。
2004年10月30日、横浜FADで行われた、
Pianist with Mussoliniのライブを観終えた後、
私は無意識に、こう叫びたくなった。
私がPWMのライブを観賞するのは、
おおよそ1年ぶりだっただろうか。
1年前の彼らも、もちろん輝いていた。
しかし楽曲を際立たせ、他のパートに合わせることに気を遣っている印象が、
バンドメンバー間の中に、ホンの微量ではあるが感じられた。
けれどどうだ、今回のライブは。
バンドメンバーそれぞれが楽曲を噛み砕き自分のものとし、
ギター&ボーカルはもちろん、ドラム、べースについても、
微塵の戸惑いも妥協もなく、自分の出せる最高の音を目指し、
他のパートを食わんばかりに激しく、魂を注ぎ込んでいるではないか。
これはおそらくバンド内の信頼、
そして演奏に対する自信がなくては行えない。
何年バンドを続けても難しいはずの到達点であるのだが、
1年の間に、PWMはそれを手に入れていた。
魂と魂がぶつかり合うところで生まれる、
高濃度の化学変化が、楽曲により一層の輝きを持たせている。
そんなPWMの弾き出す音を聴いていると、体は無意識にリズムを刻み、
心を撃ちつけ、熱い衝動を押さえ切れなくなる。
これこそがバンドが奏でる音楽である。
PWMは、楽曲の良さだけには収まりきらず、
素晴らしいライブバンドとしても成長していた。
ぜひ一度その目で見て、
耳で、いや心で聴いて欲しい。
バンドにおけるライブという存在の必要性を、
熱く深く気付かされることだろう。
そしてライブにより、輝きを増した楽曲達は、
私にある確信を持たせた。
80年代の大袈裟なHR/HMで音楽に目覚め、
90年代ではガレージ、その後ブリットポップに傾倒した、
そんな私達年代にとって、現在の音楽市場は、
邦楽も洋楽も、なにか足りないものがあるのではないだろうか。
パンク、ミクスチャー、ヒップホップ、R&Bといった昨今の流れの中に、
6~70年代ロックや、80年代の薄っぺらい電子音楽を復興させたバンド達は、
確かに現在もいる。
しかし、なにか物足りない、満たされない。。。
そう、私たちが傾倒していた年代の音楽が生きていないのだ。
今、もう終わったものかのように、抜け落ちてしまっている。
HR/HMバンドは禿げ上がった頭をバンダナで覆い隠し、
カート・コヴァーンはこの世におらず、オアシスは腑抜けて、ブラーはピコピコ、
レディオヘッドはどこかの世界に行き、トラヴィスは飛び立たないまま。
昔を追いかけてみても、彼らはそこにいない。
その抜けてしまった心を満たすもの、
私達の欲する音楽は、PWMの中で生きていた。
いや、私達の欲する音楽だけではない。
彼らは、過去現在の音楽の要素を全て取り込み、
誰の心にも響くPOPに仕上げてしまっている。
私達より上の年代であっても、なにか響くものがあり、
私達より下の年代であっても、その純粋なPOPさ、そして熱さを、
新鮮な驚異として受け入れられるだろう。
PWMの紡ぎ出す、この奇跡の楽曲群に出会えたことに、
私は音楽の神に感謝したい。
音楽好きな若者達はもちろん、
昨今の音楽についていけなくなった大人達も、
そのまま音楽のことを忘れるのではなく、
一度、PWMに耳を傾けて欲しい。
ライブに行け、CDを買え、とまでは言わない、
ただ一度、視聴をしてみて欲しい。
PWMの音楽を聴いたとき、こう思うだろう。
音楽は生きていた、と。