サン・ルフィーノ大聖堂(ドゥオーモ)
カトリックには、「守護聖人」という地域に根ざした守り神がいます。例えば、フィレンツェなら、守護聖人は「洗礼者のヨハネ」、ヴェネチアは「聖マルコ」、少し飛んで日本では、カトリックを伝えたことによる功労から「フランシスコ・ザビエル」がその名を連ねています。面白いところでは、職業にも守護聖人がいて、中世の教育に労を尽くした「聖イシドールス」という思想家はプログラマーなどIT関連の「守護聖人」なのだそうです。何でも彼は、断片的な情報を集め、それらを見事にまとめ上げる達人だったからだとか。
ここアッシジは、サン・フランチェスコの町なので、守護聖人はこの「フランチェスコ」だと思いがちですが、実は殉教者の「聖ルフィーノ」が守護聖人になっています。アッシジは古代ローマからある古い町ですが、ルフィーノはこの町に初めてキリスト教を伝えた初代の司教でした。238年に殉教したと伝えられていますが、その頃はローマ帝国が強大な力を誇った時代で、徐々に帝国内に浸透していくキリスト教に対する迫害も熾烈を極めていました。布教のためにどれほどの辛苦を舐めたか、「殉教者」という三文字が彼の重い歴史を物語っています。フランチェスコが生まれる900年以上も前の時代…アッシジの守護聖人ルフィーノの生涯は、もっともっと語られていい、と思いました。
さて、ドォーモそのものは、壊されたり立て直されたりして、完成までに長い年月が掛かっていますが、元々この場所はローマ時代から形をなしていたので、壁には当時の古い石が今でも埋め込まれているのが分かります。又1028年頃に立て替えられた古い建物の跡が、聖堂内の入口近くの床下にガラス張りで見ることが出来ました。そして何と言っても、この聖堂の美しさを思うのは、ファサードです。特にバラ窓の装飾は見事で、まるでレース編みをはめ込んだよう。アッシジの山に含まれるピンク色の土もその優雅さを際だたせています。聖堂内に入って見れば、窓から優しい光が射し込み、採光の観点からも実に機能的に出来ているのに気づきます。
レース網のような美しいバラ窓には使徒も配されている
聖堂の建設には途中で中断した時期もあって、それ故に全体はロマネスク様式ではあるものの、その後、一世紀の時を経た、初期のゴシックのような風情も上層部には混在して、それでも建物全体に違和感のない不思議な風格をかもしだしています。ローマの貯水槽を基礎とした鐘楼も、のちに1階分が足されたとのことですが、聖堂が、立て直されるたびに立派になれば全体的なバランスを取るのにそれも必要なことだったに違いなく、全ての設計を担ったとされるジョバンニ・ダ・グビオの苦労も偲ばれます。
このドォーモで、フランチェスコやキアラを初め、彼らの兄弟達のほとんどが洗礼を受けました。内部は撮影が禁止なので写真はありませんが、聖フランチェスコや聖キアラの像もルフィーノと共にあって、やはりこのドォーモは町の重要な聖堂なのだと思わせられます。
それにしても、ローマの教会などとは明らかに違って、この地の教会や聖堂はどこもほんとに慎ましやかです。教会の中に居るのは、きらびやかな衣服をまとった富める人、外には貧しい身なりで、それでも懸命に祈る人。この大きな矛盾に気付き、清貧の中に生涯を生きたフランチェスコとその仲間達、そして彼らを導いたであろう聖ルフィーノのドォーモは、フランチェスコとキアラの二つの聖堂を両手に包み込むように建っていました。
【余談】
若者達と(^^)
ルフィーノ大聖堂の前に、学生達がたむろしているお店がありました。聖堂内の見学時間までまだ20分近くもあって、ちょっとそのお店を覗いてみました。中からはピザの焼けるいい匂い~。お店は5~6人も入れば超満員の状態ですが、学生の一人が、「どうぞ」と席を譲ってくれて、私もピザを食べました。聞くとはなしに彼らの会話に耳を傾けているとクリスマスはどうするか、という話題のようでした。外にも店内に入りきれない学校帰りの若者がいて、どうもこの近くに学校があるらしいと推測できました。
聖ルフィーノ聖堂から続くトッリオーネ通り
聖堂の近くには中距離バスの発着地になっているマッテオッティ広場もあると見当を付けて聖堂の横の道を上がっていくと、まさしく推測通り、トッリオーネ通りはその広場に続いていました。そしてマッテオッティ広場の上方には寄宿学校があって、件(くだん)の若者達はこの寄宿学校の生徒だったと合点がいきました。更には地図には載っていない、この広場に行く近道も見付けて何だか私はすっかり嬉しくなりました。
その近道とは…なんとエレベーター
マッテオッティ広場への近道になるエレベーター
誰もいなくてちょっと不安だったけど…恐る恐る乗ってみました(^^)
エレベーターがあるのは、聖キアラ聖堂から少し先にある坂道を上がって出るアレッシ通りです。聖キアラ聖堂から聖ルフィーノ聖堂に行く途中になりますが、最初はこのエレベーターには気づきませんでした。でも二度目にこの通りを歩いたとき、ハテ?この建物は何だろか?と持ち前の好奇心が湧いたのでした(*^_^*)
又このあと、エスカレーターも発見。中世の石造りの町にエレベーターとエスカレーター~
なんて凄いんだ!聖フランチェスコの町は!!(^^)!
アッシジの守護聖人が聖フランチェスコでないのは不思議ですが、イタリアという国全体の守護聖人が聖フランチェスコであるため、また、聖フランチェスコ聖堂が、もともとローマ教皇の意向で建てられたものだからかもしれませんね。(何となくそう思っただけで、調べてはいないし、定かではありませんが……)ペルージャのうちの義父母を始め、やはり聖人の地元に近いだけあって、ウンブリアには、聖フランチェスコを慕う人がことさらに多いような気がします。
今日昼に見た番組では、ローマでは貴族たちが、あるいは権力者が自分の権力を誇示するためには、まず美術作品を集めたのだと言っていましたが、ローマの教会がきらびやかなのには、そういう背景もあるのかもしれませんね。
一口に「カトリック」と言っても
奥深いんですね。
先日の池上さんの番組で知ったのですが、日本の歴代総理の1人(A氏)は、カトリック信者で
日本では、さほど話題にならなかったのですが、
ヨーロッパでは、かなり大きなニュースとして
取り上げられたとか?
レース編みの様な装飾から光が差し込む様子を
見たいです☆彡
ステンドグラスにも匹敵するぐらい美しいんでしょうね。
アルハンブラ宮殿の装飾もレース編みの様ですよね。
レース編みの中に、雀ちゃんが住んでいる姿が
見えましたっけ(笑)
あそこは、イスラム教徒の宮殿ですが、
深い深い歴史があって、私には到底
理解できません。
石造りの中のエレベーターとエスカレーター!!
当時の人が見たらビックリですね~
「うむ・・・こ・これは、なんと便利なものなんだ!!」(ルシウス調)
サンタ・キアラ聖堂からドォーモへ上がりましたが、確かに、こんな建物がありました。
余りきにもとめなかったですが、
しかしエレベーターだったとは!!
もう驚いて書き込ませて頂きました。
エスカレーターもあるのですか。
私はフィレンツェからローマに行く途中
半日観光で見て回ったのでフランチェスコ聖堂とキアラ聖堂、ルフィーノくらいで町の中はそんなに歩けませんでした。こちらの方は大城塞も上がられていて、庵にも行っておられる。やはり一日はたっぷりいないとダメでしたね。
やっぱりフランチェスコはイタリア全土の守護聖人ですものね。アッシジは先輩に任せてというところでしょうか。でも日本のカトリックの守護聖人ザビエルは、中国でもオーストリアでもニュージランドでも守護聖人なのにな。なおこさんの言われる通り、ローマ教皇が関係しているのかもしれませんね。うーむなかなか奥が深いアッシジです。
それと美術品収集も納得です。映画からの知識でお恥ずかしいですが、ゴヤもフェルメールもそうでしたね。お抱え貴族がいないと生計は立てられなかったし、あんなに芸術性の高い作品は世に残せなかったですものね。そういえば音楽もそうでした。あーなおこさんからもっとお話を伺いたくなりました(*^_^*)。
そそっ漫画の好きな首相のことですね(^^)。バチカン放送局で異例の報道もされたそうですが外交に少しは役だったのかな。日本ではそのことすら大した話題になりませんでしたね。
あっ酒池肉林のアルハンブラ(笑)sachiさんと同じですよ。私もよく分からないです。イスラム教とキリスト教の戦い~神様がそれぞれいるのにね。
はははっ(^o^)上手いっルシウス!sachiさんに座布団3枚(笑)sachiさんに教えて貰って(ゆおさん情報ですか?)例の第4巻買いました。大変よ。ルシウス、恋しちゃうんですよ。sachiさん、どうする?(笑)
私も他の方のブログなどで見知った街角を見て
あーここだって立ち止まったりしていました。写真スポットもいっぱいでしたね。
このエレベーターの写真は右下方向に聖キアラ聖堂、左上方向にルフィーノ聖堂なので
私も最初は見落とした建物でした。
そして、そうなんですよ、エスカレーターも
見付けてしまいました。
エレベーターもエスカレーターも坂道に暮らす
人たちにはやはり欠かせない文明の利器かなと思いました。
アッシジには二日間居てゆっくり見て廻ったつもりでしたが、もう一度訪ねてみたいです。