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聖フランチェスコとの別れを悲しむ尼僧たち(ジョット作)
フランチェスコが亡くなったのは、私がアッシジに着いたその足で向かった、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の中で守られている「ポルツィウンコラ」という小さなお堂の後ろにあるトランジット礼拝堂の中でした。ポルツィウンコラは、今はきらびやかな様相を呈していますが、当時は荒野にぽつねんとあった質素な教会だったといいます。このポルツィウンコラは、フランチェスコが布教をし始めた当時、所有者のベネディクト会から委ねられた布教の拠点となった教会です。神の声を聞き、彼が再興した三つ目の礼拝堂でもありました。キアラもここで剃髪をしています。教会内は撮影が禁止されているので写真はありませんが、私が見学した時も敬虔な信者さんが、このポルツィウンコラの中でずっと頭(こうべ)を垂れていました。
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アッシジ到着後すぐに立ち寄ったサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会
中にはもう一つポルツィウンコラという小さな小さな教会があります
フランチェスコは、死後自分の遺体を運ぶときサン・ダミアーノに立ち寄ってくれるよう遺言をしたそうですが、上記のジョットの絵がその当時の様子を表しているのだとか。もしそれが本当ならば、サン・ダミアーノに立ち寄ることは、キアラと最後の別れをするためであり、生前会うことの叶わなかったキアラへの思いに応えたフランチェスコの深い愛なのだと感じます。フランチェスコは享年44歳、キアラは32歳になっていました。
しかし、サン・ダミアーノ修道院は、キアラの手に託された後、尼僧のための「クララ会」が創設され男子禁制です。果たしてその場所で、「生活規範」を遵守するキアラは、例えそれがフランチェスコの遺体といえども、亡骸を抱くことができたのでしょうか。またこの絵が不自然なのは、背景の教会がサン・ダミアーノ修道院ではないことです。もしかしたら、これはローマ教会の意を汲んで画家が教会を書き換えたものかも知れませんが、どちらにしてもフランチェスコの遺体がサン・ダミアーノに立ち寄った時、キアラはフランチェスコの亡骸に触れることなく修道院の窓越しに別れを告げたのではないか、彼の遺体を涙してかき抱くのではなく、慟哭をただただ祈りの中に閉じ込めて…そしてそのキアラの心象風景を描いたのが上記のフレスコ画…。
全く以て勝手な想像ながら、こう思うととても自然で、先のベネディクト十六世が述べた“沈黙”と“この単純で厳格な美しさ”を持つ場所でのキアラの深い悲しみと祈りが腑に落ちてくるのでした。
【余談】
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アッシジの駐車場
快晴のアッシジの空の下、実に気持ち良くサン・ダミアーノ修道院まで歩いて行きました。この修道院はアッシジの旧市街から2㎞ほど南へ下る郊外にあります。旧市街にあるフランチェスコの生まれた場所をはじめ、父親に監禁されたという跡も見てきたし、いよいよサン・ダミアーノに行くのだと私は張り切っていました。修道院までの道のりも大体頭に入っていて、地図も持たずに歩みを進めていたのです。
町の東の外れにあるポルタ・ヌォーバ門から「サン・ダミアーノ」へと書かれた標識に従って素直に行けば良かったのに、どう血迷ったか、ちょっと向こうに行ってみよう、と妙に心がざわめくものがありました。そして見付けたのが駐車場の隅にあったエスカレーターでした。
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駐車場の片隅にあるエスカレーター
おっー昨日はエレベーターを見付けたけれど、アッシジにはエスカレーターもあったんだ!とまたまたハイテンションになる私です。観光本に書かれていないことをこうして現地で見付けるのは、なんとワクワクして楽しいことでしょう。ちょっと乗ってみよう~
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ゴトゴト上り始めた…
このエスカレーターは感知式で、足を掛けると自動で動き始めます。上を見上げると何だか鬱蒼とした森の中にでも入っていくようで、お天気の悪い時や夜になると恐い…
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乗り換え
たどり着くと、乗り換えて更に上へと上がるエスカレーター。一体どこに出るのか、ドキドキしながらも私は興味津々でした。
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森の中を貫通するように更に上がっていく
エスカレーターが着いた先は、ヌォーバ門近く。そこからボルゴ・アレティーノ通りに行けば、サンタ・キアラ聖堂があり、町の中心コムーネ広場へと続く。成る程~。私は電車を利用してバスでウニタ・ディタリア広場に着いたから、一番近くのフランチェスコ聖堂から見学してきたけれど、車やバスで来た人は、駐車場に車を留め置いて、この東の外れからフランチェスコ聖堂に向かって見学するのだと、ここまで来てやっと町全体の成り立ちを理解することが出来たのでした。
自分の足で歩いて廻って初めて分かるこの旅の面白さ、このときの私はサン・ダミアーノへの道のりはすっかり飛んで、頭の中は実に単純なこの喜びでいっぱいでした。まさかこの後、迷子になるとは思ってもみなかったのです。
お話は夢中で読んでしまいました。
でも町から2㎞も離れているのですね。
ずっと歩いて行かれたのですか。
迷子になられたお話、申し訳ないですが
楽しみです(笑)
好奇心旺盛なアルママさん、このまま
どこまでも行ってしまいそうな勢いですね!!!
多くの宗教画は、矛盾や不自然が付きものですが、
それはそれなりに理由があり、深く読み込むと それはそれで納得するものが
あるんですね。
私は、以前にNHKで英製作の「メアリー・スチュアート」の番組を見て
エジンバラ城にどうしても行きたくなりました。
ですからお城の前に着いた時は、ちょっと興奮してしまいました。
エリザベスの映画などと重ね合わせ
メアリーの生涯に思いを馳せましたが、
許容量の少ない私の頭は、そこで「ブーリン家の姉妹」などを
見たら、もうそれだけで混乱してしてしまったのですよ(笑)
ガイドブックには無いものを見つけるって
楽しいだろうなぁ~~
サン・ダミアーノはみのりさんが感じられたように、キアラの思いが沢山あるようなそんな場所でした。
もっとも史実は分かりませんが、どうしても思い入れを強くしてしまいます^^;。
そうなんですよ。この場所は町の中心から外れているので結構歩きました。
といっても迷子になったせいでもあるのですが(笑)
又事の顛末をお話しますので笑ってやって下さいm(_ _)m
いつも読んで下さってありがとうございます。
後で一人反省会をするたびに、なんて私は気分がこうも散漫なんだろうと落ち込みます。
これからは「ちょっと行ってみよ」は禁止にしないとな(-_-;)
ほんとです。sachiさんの言われる通り!矛盾だらけの絵に意味を見付けなくてもいいといつも思うんですが、つい頭を突っ込んでしまいます。で、ほほっーさすがsachiさん、スコットランドまで行かれましたか。凄い凄いっ。
私も「ブーリン家の姉妹」は二度見ましたが、お恥ずかしいことで知識が乏しくて、最初はあのメアリーが、メアリー・スチュアートだと思ってまして、何が何だかさっぱり、どう思ってもつじつまが合わん(笑)。それにしても英国王室も凄い歴史を持っていますよね。アンもエリザベスもスチュアートも凄い女性たちです。しかし英国王室をたどる旅、sachiさんになんかピッタリで素敵だなぁ。一人で行かれたのですか。もしやあのテロの時?
かわいいわ~~
アル君相手に、「ね、ね、聞いて」とか、おっしゃっているのかなぁ?
想像しちゃって思わずニコニコ。
スコットランドは、2009年だったかな?
テロの4年後くらいだったでしょうか。
1人でなんて行けませんよー(^_^;)
夫と行きました。
そうそう、英王室は殆どエリザベスとメアリーとアンで名前が同じなんですよね(笑)
こんがらがります。
エジンバラのカシミヤは安かったな。
もっと大きなマフラーを買ってくれば良かったわ。今年の寒い冬には、特にそう思います。
「ブーリン家」私も2回見ました!
ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソン、適役でしたよね。
つい最近、何冊目かになる聖フランチェスコの伝記を読み始めたところです。アッシジやペルージャなどの具体的な地名や通りの名前がでてきて、いろんな意味で興味深いです。
いいですねぇsachiさんはご主人様と一緒に行かれて。やっぱり随分心強いでしょ。我が家は、以前スペインに行ったきりです。旅に出ると日常が保てないからいやなのだそうです。行くとしたら、デスクトップのパソコンとプリンターとクラシックギターと19世紀ギターと本と楽譜と日本酒5~6本持って行かないとだめなのだそうです。非日常を味わうのがいいのにね。あーもーややこし、家におりっ~ということになります。
スコットランドでカシミヤ?わー贅沢な買い物をされましたね。でもいい物は一生もん。私は買い物下手でショッピングの楽しみは半減しますが、カシミヤとか革製品とか、sachiさんみたいに上手なショッピングが出来るようになりたいですよ。
余り深く考えないでローマからフィレンツェへの途中に寄ったアッシジでしたが、今までのどの町よりも深い感慨がありました。浅薄な知識しかなくてお恥ずかしいかぎりですが、なおこさんからお話を聞くたびにアッシジの両サイドにあるスポレートとペルージャはやはり訪れてみたい思いに駆られます。山の中にある町は、こうしてエスカレーターが完備されているのですね。町に住む方は家に駐車場はないのでしょうか。荷物があればエスカレーター使っても大変ですよね。
なおこさん、フランチェスコの伝記、読まれているのですか。お忙しい毎日でしょうに、お偉いですね。フランチェスコにはいろいろと説があるみたいですが、じゃ本当のところが分かりますね。難しい本でしょうか。私も時代背景と照らし合わせながら一度じっくり読んでみたいです。お勧めがあれば又ご紹介下さい。