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残念だが、日本コロンビア、NHKの失態でもある

2014-02-05 16:37:33 | 音楽
 佐村河内が作曲したとしている曲が、本人の作でないということが今朝からテレビをにぎわしている。多くの人が彼の身体的境遇をして生まれた曲として、感動して聞き入っていただろう。被曝二世で全聾であるという彼のライフヒストリーと音楽の評価は不可分のものであった。震災という逆境と苦悩にめげずに前に進むということこととダブらせての共感も大きかったに違いない。
 そんなこともあってか、交響曲「ヒロシマ」はクラッシックCDとしては異例の18万枚売り上げという。ところが本人の作でないということは、センセーショナルなニュースである。
 ぼくがこの時刻までに得たあるテレビ番組情報の範囲では、まったく別人の作曲といってよいだろう。彼がアイディアを出したとしても、メロデーと構成等作曲にかかわる関与がないのでは、共同作曲にもならないと思われる。

 NHKのドキュメンタリーでは、彼の音楽学習歴とそれへかかわった人(指導者、親)が登場しないこと、家族(主としてパートナー)が一瞬後姿を見たが登場しなかった。生活維持に精一杯の苦悩に日々が印象に残った。彼の身体条件から、アシスタントなしでは作れないはずだが、それにもまったく触れていなかった。
 クラッシック音楽好きのぼくだが、なぞが多く腑に落ちなかったので、感心がわかず引いてしまったのだった。多くの人が共感しただろう全聾者の過剰なまでの美化に、ぼくは嫌悪感さえ持ったのだった。
 しかし不明あるいはなぞの部分が、いっそう彼への美化になっていったのだろう。NHKの放送だけに一般的には本人作であることは疑わないないだろう。

 作曲家には音楽大学等で専門教育をへない人はいるのだが、個人に師事して音楽の学習はしているものだ。ちなみにイタリヤなどでは声楽家が音楽大学を卒業しているとは限らない。
 彼のことは、アメリカの雑誌『タイム』に「現代のベートベン」と取り上げられただけに、国際的な信頼の失墜は残念である。
 NHKが特集番組をつくり、彼の作曲のコンサートも放送した。多くの人の共感を得ていただけに、彼のなりすましにうらきられた感がある。本人はもとより信頼がとりえのはずのNHKの道義的責任はとくに小さくないだろう。ほどんどのメディアで取り上げているのだが。
 いや責任が重大なのは、CD発売をした日本コロンビアである。それに演奏にかかわった音楽家たち、公演をしていた東京交響楽団の人たちの驚きと落胆は想像に難くない。

 しかし音楽そのものに共感し感動したのであれば、それはそれで価値があり鑑賞するのはよしとするのはいうまでもないことである。

<追記>NHKの放送では、最も重要な聴力障害者のコミュニケーション手段である手話がなかった。一般的には中途失聴者でも手話を覚える。聾唖者どうしでなくとも普段手話を使っていれば、そうようなしぐさがでるのである。他に聴覚障害者にありがちな独特のしぐさが一切なかった。このようなことから作品がすごいと思いながらも、ぼくは接近しなかったのだった。
 また、手話によらない読唇法の場合は、幼いときから専門的学習をしなければ困難である。彼は中途失聴ということなので、読唇法を習得しているとは考えづらい。
(2月5日)


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