21日(火)たまたまNHKのドラマ選で、「お買い物」というのを、1:05から75分のドラマを見た。
夫久米明と妻渡邊美佐子の演じる老夫婦が、田舎(福島県)でゆっくり時計が刻む暮らしをしている。設定は70歳代後半か。記憶がおぼつかなく「あれ」「その」など繰り返す夫婦の会話、虫眼鏡で印刷物を読むといったところに、年齢を表現していた。
夫は家で無為な暮らしだが、かつてカメラに夢中だったことがある。印刷チラシを見つけて妻に読ませたら、それが渋谷で名品とも言われた古いカメラの展示即売の催し案内だった。
夫は杖をつきながらようやくの歩行だが、突然自ら歩行リハビリを始めた。近くのお宮の階段を登ったりするのだ。妻はその異変にびっくりしながら、とにかくそれに付き添い見守る。それが数カ月後の渋谷で開催のカメラ販売に出かけるためだった。
やがて杖なし歩行が可能になり夫婦で渋谷へ行こうと思うが、いざとなると「怖いのではないか」といった不安がもたげる。そこに住んでいる孫に電話をしては「大丈夫」といったことを支えに、老夫婦にとって大冒険でもある渋谷に出かける。展示即売会では、かつて愛用していた同じ機種のカメラに出会う。愛用カメラは、妻が足を患ったときの医療費捻出のために、手放したのだった。
そのカメラへの執着を持ちながらも、6万2千円の値段は高すぎた。妻に「そんな高額なもの買えるはずがない」といわれつつ、未練と葛藤し、手にいれた。日帰りのつもりが、大仕事を終えて日が暮れてくたびれはてた。
孫に電話し呼び出した。孫は同居の男性と駆けつけ、ホテルの予約も取ってないとのことなので、男性が他に宿泊することで孫のアパートに宿泊することになった。 孫の作る夕食は、老夫婦が始めてみて味わうものだった。夫は手に入れたカメラにさっそくフィルム入れては、様々撮るので目的の達成感を味わう。
やがて寝る段になり、夫が抱き枕なしでは眠れないので代替物を探した。犬のぬいぐるみをまたに挟んで寝たのだった。
老夫婦のつながりをベースに、現代と昔ながらの暮らし、都市と田舎、ジェネレーションギャップなど異質のものを相対化させてことを際立たせる表現をしていく。そしてユーモアと短い言葉の脚本といったことは、わたし流に言えば「単線型の短編ストリー」には効果的で欠かせない技法に思えた。
過去に愛着を持った活動を再び取り戻そうと歩行リハビリに励み、カメラを買いに出かけるという、ささやかなことのようでも、老夫婦にとっての一大事業をなし遂げる。それは老いても目標が見つかれば平凡で無為な日常を揺り動かすことが出来る、というポジティブに生きることが出来るというテーマが盛り込まれていた。
キャストが久米明、渡邊美佐子とさすが民芸の舞台俳優だけあって、絶妙の演技だった。久米明は、テレビで番組のナレーションのソフトで軽やかな声を微塵も出さない、低い老いの声に終始していた。孫は痩せ型で言葉がいわゆる女性言葉ではなく、現代女性を誇張できる人だった。
また撮影がオールロケであるため、奥行きが深い映画になっていた。音楽が少なく、しかもチェロとピアノが単独で奏でるというシンプルなのが、映画が静でありながら歯切れのよさを際立たせ、しかも作品のテーマにふさわしいものだった。 今日的な老いの暮らしのありかたを描いた、秀作であった。
脚本は前田司郎(32歳で07年岸田國士戯曲賞受賞)の書き下ろしで、音楽はBANANA。この作品は放送文化基金賞とテレビドラマ番組番組賞受賞をしたものである。
夫久米明と妻渡邊美佐子の演じる老夫婦が、田舎(福島県)でゆっくり時計が刻む暮らしをしている。設定は70歳代後半か。記憶がおぼつかなく「あれ」「その」など繰り返す夫婦の会話、虫眼鏡で印刷物を読むといったところに、年齢を表現していた。
夫は家で無為な暮らしだが、かつてカメラに夢中だったことがある。印刷チラシを見つけて妻に読ませたら、それが渋谷で名品とも言われた古いカメラの展示即売の催し案内だった。
夫は杖をつきながらようやくの歩行だが、突然自ら歩行リハビリを始めた。近くのお宮の階段を登ったりするのだ。妻はその異変にびっくりしながら、とにかくそれに付き添い見守る。それが数カ月後の渋谷で開催のカメラ販売に出かけるためだった。
やがて杖なし歩行が可能になり夫婦で渋谷へ行こうと思うが、いざとなると「怖いのではないか」といった不安がもたげる。そこに住んでいる孫に電話をしては「大丈夫」といったことを支えに、老夫婦にとって大冒険でもある渋谷に出かける。展示即売会では、かつて愛用していた同じ機種のカメラに出会う。愛用カメラは、妻が足を患ったときの医療費捻出のために、手放したのだった。
そのカメラへの執着を持ちながらも、6万2千円の値段は高すぎた。妻に「そんな高額なもの買えるはずがない」といわれつつ、未練と葛藤し、手にいれた。日帰りのつもりが、大仕事を終えて日が暮れてくたびれはてた。
孫に電話し呼び出した。孫は同居の男性と駆けつけ、ホテルの予約も取ってないとのことなので、男性が他に宿泊することで孫のアパートに宿泊することになった。 孫の作る夕食は、老夫婦が始めてみて味わうものだった。夫は手に入れたカメラにさっそくフィルム入れては、様々撮るので目的の達成感を味わう。
やがて寝る段になり、夫が抱き枕なしでは眠れないので代替物を探した。犬のぬいぐるみをまたに挟んで寝たのだった。
老夫婦のつながりをベースに、現代と昔ながらの暮らし、都市と田舎、ジェネレーションギャップなど異質のものを相対化させてことを際立たせる表現をしていく。そしてユーモアと短い言葉の脚本といったことは、わたし流に言えば「単線型の短編ストリー」には効果的で欠かせない技法に思えた。
過去に愛着を持った活動を再び取り戻そうと歩行リハビリに励み、カメラを買いに出かけるという、ささやかなことのようでも、老夫婦にとっての一大事業をなし遂げる。それは老いても目標が見つかれば平凡で無為な日常を揺り動かすことが出来る、というポジティブに生きることが出来るというテーマが盛り込まれていた。
キャストが久米明、渡邊美佐子とさすが民芸の舞台俳優だけあって、絶妙の演技だった。久米明は、テレビで番組のナレーションのソフトで軽やかな声を微塵も出さない、低い老いの声に終始していた。孫は痩せ型で言葉がいわゆる女性言葉ではなく、現代女性を誇張できる人だった。
また撮影がオールロケであるため、奥行きが深い映画になっていた。音楽が少なく、しかもチェロとピアノが単独で奏でるというシンプルなのが、映画が静でありながら歯切れのよさを際立たせ、しかも作品のテーマにふさわしいものだった。 今日的な老いの暮らしのありかたを描いた、秀作であった。
脚本は前田司郎(32歳で07年岸田國士戯曲賞受賞)の書き下ろしで、音楽はBANANA。この作品は放送文化基金賞とテレビドラマ番組番組賞受賞をしたものである。
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