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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

どこでも携帯ゲーム

2007-01-07 05:56:08 | 当世世間事情
 12月のことだったが、新幹線から降りるとき歩きながら小学の中低学年と思われる姉妹が、携帯のゲーム(これをなんというか知らないので、そう呼んでおこう)をしながら降りてきた。その後には母親が連なっていた。
 自由席なので、座るために乗る人は、いっときでも早くのろうと気がはやる。そんな状況のとき、携帯ゲームをしながら連ならずに間を空けて降りてきたのだから、乗車しようとする人の心は穏やかではない。先頭の人は、携帯ゲームの子どもで間が空いたとき乗ろうとしたほどだった。
 わたしは後尾に並んでいたが、大勢下りるということは空席が多くなるので座れるということぐらいに思って、この光景を見ていた。
それにしても、降りるときぐらいゲームを一区切りさせるぐらいする行動様式を持っていなければ、マナーの問題もあるが、将来にわたってことの段取りをする力が育たないだろう。
 そういえば重大な問題の相談事を、ケータイで歩きながらの電話を受けて驚いたことがあった。道路を歩きながら適切な情報と判断をともなう思考は難しいだろう、という思いがわたしにはあるからだった。あれは5年ぐらい前だっただろうか。今は自転車に乗りながらケータイをする光景も珍しくなくなった。

おもしろいドン小西のファッションチェック

2006-12-18 18:40:05 | 当世世間事情
 『週刊朝日』を手にとってまず見るのは、最後のページの「山藤章二のブラック・アングル」である。これはイラストが秀でて入るだけではなく、世間を独自な切り口でみる、それがたまらなく面白い。くすくす笑ったり、なるほどとうなづいたりして、頭の体操をする思いで見るのである。

 次に見るのは「ドン小西のイケてるファッションチェック」である。これは構成にほかの人の名前があるので、本人が文章を書いていないかも知れないが、ファッションの素材を掘り下げながら人物像や世間の動きまで、短い文章に凝縮されている。あえて独特の話し言葉を使って表現して、味を出している。
 12月22日号は、『国家の品格』で年間ベストセラー1位(200万部以上)になった、藤原正彦を取り上げた。「新語・流行語大賞」の表彰式の、最大級のおめかしをした写真である。
 「この格好のどこに品格が?世のおじさんはマネしないように」とう文章をリードとしている。そして「首から下を手で隠してみてくださいよ。ドテラ着て、スネでもボリボリかいてそんな風貌だろう?」「かたや、顔を隠してみると、デパートの紳士売り場のマネキンみたい」としている。
 そのとおりやってみたら、ふきだしてしまったほど本質を突いているではないか。さらに「たくあんにジャムかけちゃったようなちぐはぐなかっこうの、どこが『品格』なんだって突っ込みたくなるよ。」と続くのだ。そして「ワーストドレッサー賞2006」として、判定不能とした。
 たしかにわずかな財産(毛髪)を有効活用しようと、頭部全面を覆うようなへアースタタイルにしている苦労が分かる。そうとうな値段がしそうな立派なスーツで、身をまとっているちぐはぐさは笑える。しかも品格に引っ掛けるとなおさらである。
 ところで彼の場合、どのように洋服を着ればよいのだろう、とわたしはじっくり考えてみた。カラーはグレーか薄いコンがいいのでなどと、いくつかの案を考えてみたが、普段着慣れないものを着ないということに尽きるようだ。
 12月29日号は、ベストドレッサー賞として新庄剛を上げている。
 ちなみにわたしは、このページを自分のファッションの参考のために見ているわけではない。世間の動向がどこにあるかが、最大の関心事なのである。

 思うに『週刊朝日』は小学高学年から読んでいるほど、長い付き合いである。中高生時代は、丁寧に読んでいた記憶がる。そのころ最大発行部数を誇っていたようである。大学時代は読まなかったぐらいで、ずっと親しんでいる。
 新聞社系週刊誌は、記事にデフォルメがあっても記名があり、信頼ができる。他の週刊誌は広告を見るだけだが、政治のことを正面から批判しているのは、いまや週刊誌だけになっているようだ。
 わたしは『週刊朝日』を世間の動向を知るために、かばんに入れて電車のなかで読みきるようにしているのである。

版画展、ワーキングプア

2006-12-11 16:56:53 | 当世世間事情
■ 版画展
 
 駅の近くに市民ギャラリーがある。そこではアマチュアやプロの美術作品を中心にした展覧会が、引きも切らずおこなわれている。どちらかというとアマチュアが多いが、申し込みが多く、展示期間が4日間ぐらいに制限しているとか。
 私はそのギャラリーによく立ち寄るが、今日は版画サークルの展覧会であった。その作品のレベルの高さに驚いて、しばし立ち止まり、かつ繰り返し鑑賞したのだった。デッサンもしっかりしてそうとう時間をかけて仕上げたろう思われるものが多い。
 見ている人も多いなか、思わず当事者と思われる人に聞いてみた。その方は84歳で、戦前の教育のため絵画を描く体験ないので、初歩から始めたとのことだった。ほとんどリタイヤ後から始めていて、平均年齢74歳とのことだ。そういえば目録には遺作との記述が2点あった。
 都市のためかリタイヤした人たちを中心にしたカルチャーサークルが、様々な分野にわたってある。絵画展もよくやっているが、デッサンの基礎からその人なりの表現をしている作品にはなかなか出合えないものだ。硬い感じの絵が多い印象をもっている。
 その点版画はデッサンの基礎を体験した人の表現として、よいのかもしれないと思った。表現をする途中に彫るという作業が入るし、それに様々な技法を使える。丹念な作業をいとわずやって、刷り上げていくのは、きっと喜びが大きいだろうと思ったのだった。
 他に書や盆栽展などもあり、見るたびにはわたしもやりたくなってしまうのだ。

■ NHKスペシャル・ワーキングプアⅡ
 10日(日)のNHKスペシャルは「ワーキングプアⅡ」だった。新聞の番組欄から内容を再現すれば、
 *努力すれば抜け出せますか?「働く貧困層」女性たちの叫び
 *睡眠4時間・母の涙
 *80歳で空き缶拾い
 *中国人と賃金競争
ということだった。
 ああ、努力が報われ人間として尊厳される社会が崩壊している、絶対的貧困をつくり出している現代社会。経済規模大国日本の姿である。映像がゆえに心が痛んだ。
 この歯車の回転が止まらないとすれば、希望を失い、人々に不安が広がり、治安の悪化など社会不安が増大していくだろう。
 NHKもこのところよい放送をするようになったな、と改めて考えたのだった。

自分の感情を測定してもらう

2006-12-04 15:11:25 | 当世世間事情
 今朝はわが家の玄関が4℃で、初冬にふさわしい寒さであった。かぎろい前の夜空の星の光が放っていた。
 昨日テニススクールに行ったら、住宅が多い地域なのだが過去の農家の屋敷がその付近に点在している。この地域の特徴である、ケヤキの巨木が健在である。街路樹のケヤキのように枝が刈り込まれないため、40メートルもあろだろうものが、どっしりとして天に向かって枝が伸びる本来の美しさを保っている。その葉がいまだ落ちないで、紅葉がその付近の風景を味わい深いものにしていた。

■ 歩道橋
 わたしの生活圏の車通りの多い道に、歩道橋がある。そこを利用している人を見たことがないが、2、3年後に取り払われるとのことだ。
 歩道橋は、70年代前後に都市道路の交通事故対策として多くが作られた。その頃は、車の普及とともに今に比べれば横暴に走っていたかもしれないし、人も車に慣れていなかったので事故対策としては歩道橋の役割は小さくなかっただろう。ところが現在は高齢社会ということもあって、階段利用はなじまなくなってしまった。
 そういえば数年前にできた幹線道路の歩道橋は、ゆるやかで自転車も利用ができる大規模のもの。それにエレベーターもあるものだ。

■ 自分の感情を測定してもらう
 今日のNHKテレビのおはよう日本の「まちかど情報室」というコーナーによれば、声を発するとコンピューターがそれを聞き取って感情(気分)の診断をすることが紹介されていた。「活用進む感情認識技術」というタイトルだった。
 インターネットで自分の声による感情を診断してもらう。4色の花の色で感情を表す。それに基づいたコメントが出る。コメントをみて自分の行動の指標にするという。落ち込んでいたら気持ちを上向きにするし、テンションが上がりすぎのようだったら落とす、といった具合にである。これは業務だけではなく、個人的利用も多くなっているという。
 また苦情受付のオペレーターが、客とのやり取りをコンピューターで解析し、声なども含めてどんな反応をすればトラブルがエスカレートするか、またはうまく収まるかといことをすることに利用するそうだ。

 自分の気持をコンピューターでチェックしてもらい、行動に移さなければならないのだろうか。このようにいわば感情の管理をすることによって、やがて自分がいったい何者かが揺らぐことになりはしないだろうか、心配になった。
 人間はその時々にさまざまな感情を持つものだし、4つに仕分けられない複雑なものだ。感情を気づいて、状況によって必要な表現のしかたを身につけなければならないのではないか。
 自分の感情の自覚とその適切な表現の仕方は、幼いときからの教育の課題として重要に位置づけ、指導していかなければならないことなのである。

クリスマス絵本が100点以上

2006-11-27 21:23:08 | 当世世間事情
 名古屋のJRビルの書店の売り場面積は、そうとう大きい。絵本児童書の売り場も大きい。絵本の点数が多いだけでなく、たとえば子ども向けの地図の絵本の点数を多く置いているといった具合に、品揃えがしっかりしている。子どもが座って絵本を眺めたりできるように、ソファーのコーナーも用意されている。
 時々立ち寄って絵本事情と児童書事情を観察するが、先日は驚いたことがあった。クリスマス絵本がたくさんあったので、びっくりして数えてみた。なんとざっと130種ほどあった。日本でこんなに多い点数が発行されているとは、わたしは知らなかった。それぞれ数冊から平積みのものは20冊ぐらい置かれている。クリスマス絵本が、それだけ売れるということだ。
 おもちゃがクリスマス時期に年間の50%を超える売り上げということを、ある時期に言われていたが、絵本もクリスマスにそうとう売り上げるのだろう。しかもクリスマス絵本が。

 ついでに英語の絵本と児童書のコーナーを見たら、書棚の2面を取っていたのでそうとうな点数だろう。そのうちクリスマス絵本が50種ぐらいあった。英語の絵本を見る(読む)という、新しい動きなのだろう。
 日本ではクリスマスが子どもへのプレゼント文化として、すっかり盛大になっているのだ。
 そういえばハロウィンが、仮装ということで定着していきそうだ。すでに保育園と幼稚園で保育者が、仮装する行事として取り組んでいるところがあるとのことである。

選挙と地盤の世襲

2006-10-10 21:13:59 | 当世世間事情
 衆院補選が告示された。議員の死去に伴うものだが、立候補した息子は「弔い合戦を前面に出した選挙戦」と報道されている。弔い合戦とは、かつて山間地域であったような思いをしていたが、今日の都市部でも生きているのだと、改めて考えさせられている。
 相続税制度などは親の富が特定の人に引き継がれないようになっているが、民主主義の原理である選挙が、地盤というものをそのまま引き継ぐというわけである。これは制度ではなく個人というより血縁を重視する慣習なので、いかんともしがたいものである。選挙住民が、血縁というしきたりにとらわれないで考えるかどうかにかかっているということだ。

 そういえば新しい首相は、議員を3代続いた人である。前首相も、である。与党議員は世襲議員でない人はどのぐらいの比率なのだろう、ふと考えてみた。日本は親の光が通じる分野を中心に、世襲的階層社会の道を突き進んでいるのだと、改めて実感したのだった。成熟社会ともいうが・・・。

交通事故

2006-10-03 18:00:48 | 当世世間事情
■ ディープインパクト
 競馬の世界最高といわれている凱旋門賞レースに、日本のディープインパクトが武豊騎手で出場して、トップという期待があったが3位だった。わたしは競馬にまったく関心がないが、日本から5000人が見に行ったというから驚いた。その経済効果を見込んで、毎年日本の馬が呼ばれるということになるのではないか。競馬って、そんな側面がまったくないかもしれないが。

■ 交通事故
 交通事故による死亡者は、統計としては減っている。福岡であった飲酒運転による3人の子どもの死亡という悲惨な事故以来、飲酒運転による事故にきびしくみるようになった。報道によると、飲酒運転をする人の特徴は、焼酎を飲む人が多い印象で飲酒行動が習慣化しており、そのため飲酒運転も常態化しているようである。
 飲酒の仕方が変わっているのかもしれない。飲酒開始年齢が下がっているし、飲み放題などといった仕組みが定着しているなどからして。
 また、事故でなくとも飲酒運転だけで職業によっては警察が公表し、報道される。飲酒運転に寛容になるつもりはないが、ちょっとやりすぎのような感じをしている。

 さらに園児の列に突っ込んで、4人死亡(10月3日現在)の事故も悲惨であった。脇見運転が直接の原因のようだが、わたしは睡眠不足が遠因としてあったのではないかとみている。日本では事故に対して、睡眠障害から生じる集中力の減退等まで踏み込まないが、わたしは問題にしてよいと思っている。まだ睡眠時無呼吸症候群が事故との関係をいわれるようになっている段階である。
 24時間型社会で、睡眠障害予備軍、あるいは睡眠障害の人はそうとう多いのではないだろうか。睡眠関係の本には、チェノブイリ原発事故、アラスカ原油流失事故など世界的な大事故の原因が、担当者の睡眠障害としている。

 交通事故報道は、新聞ではこれまで1段で15行ぐらいの記事が3段組ぐらいになっている。このような状況が、今後の交通事故の抑止力になるとよいが。


寿司のファーストフード化

2006-09-25 16:53:27 | 当世世間事情
 だいぶ前になるが、回転寿司に行ったことのこと。回転寿司が始まった頃、ものめずらしくて行ったことがあるだけだから、初めての体験といってもよい。巨大と思われる空間に寿司が回ってくる。
 わたしが注目したのは、回ってくるお寿司に対して人が並列に向かい合うのではなく、ボックスになっていて連れどうしが向かい合って食べられることだ。
 もうひとつは家族連れがほとんどであった。わたしの近くにいた人は、母親一人で0歳も含めて3人の子どもを連れていた。たくましい母親である。というか、よほど自分が食べたかったのだろうか、と余計なことを考えてしまった。
 そんなわけで回ってくる寿司も幼い子どもの口にも合うもの、わたしが思っている生魚の寿司とは違ったものが多く見られて、珍しかった。かつて敷居が高かった寿司が、子どもも気軽に食するファーストフード化した、というのが実感だった。
 寿司は、もともとファーストフード的性格を持っているが、大人がたまに食べるものからすっかり変わってしまった。
 わが家が事あるごとに出前をお願いしていた、昔ながらの寿司屋さんがなくなってしまうのも無理からぬことだ。食の大衆化、ファーストフード化が味わいという文化が消える、あるいは変貌しているのだ。
 
 もう何十年も食べたことのない焼肉であるが、幼い子ども連れで気軽に入れるように変わっているらしい。わたしはこのように世間の動きを人並みに体験をしない世間知らずの暮らしをしている、と改めて思うのだ。


ハンカチは便利なもんだ

2006-09-08 22:12:25 | 当世世間事情
 首都圏の私鉄の電車でのこと。本を読んでいたのを中断して何気なく顔を上げたら、右手前方のドア付近に立っている女性がバーにつかまっている姿が目に入った。これだけならまた本を読み始めるのだが、その女性は素手でなくハンカチでバーをおおってにぎっていたのだ。わたしは珍しかったので、考えながら見入ってしまった。
(バーを素手で握るのが汚いと思っているのかな。清潔意識もここまできたか。あの感覚だと暮らすのが大変だろうな。とくに不安が強いとかそんなことを抱えている人なのかな。朝シャンが80年代からだからこういうことにもなるだろうな。『清潔はビョーキだ』(藤田紘一郎著 朝日新聞社)という本は、10年ぐらい前だったかな。プリントをつばつけてめくったら、汚いからもらえないって学生に言われたのは7、8前だったかな。これじゃこれからの子どもは、砂場でも遊ばなくなるだろうな。だんだん一般化していくのかな。便座シートも一般化しているらしいし。)
 と頭にさまざまなことが浮かんできた。そのうちバーをつかまえている手がハンカチですべるので、下がってはまた上方に持ち直していることが気づいた。時間を計ったらほぼ30秒毎だった。観察好きといってもわれながら物好き過ぎると思った。
 しかしまた発見があった。肩から少し下ぐらいをにぎって徐々に下に下りてひじがまっすぐになるぐらいになると、また上を持つということを繰り返していた。手でにぎっているのだが、ひじで支えているのである。腕の運動でひじが重要ということをあらためて確認できた。
 その女性は20代ぐらいで、いまどき少数と思われるスカートで清楚な服装であった。顔の表情は見ることができなくて、わたしは下車したのだった。

子どもにもローライズパンツが

2006-09-01 10:15:34 | 当世世間事情
 かねてから気になっていたウエストが下がっている、あるいは股上の短い女性のパンツ(ズボン)は、今年は珍しくないぐらい流行している。このパンツをなんと呼ぶのか知りたかったが、わたしの情報収集力では無理であった。学生から聞いて、ローライズというと知ることとなった。
 そのパンツをはいて、腰周りが露出するように着るようだ。また露出しないように着ている人もいる。若い女性だけではなく、昨日は新幹線のホームをそのファッションで歩いている、40代と思しき女性も見かけた。今後もっと一般化していくような予感がする。

 このファッションは、もう10年ぐらい前からだろうか男子高校生がベルトを腰まで下げてパンツをずり落ちそうに、すそを引きずってはく生徒がいるが、パンツの構造が違うのだ。ローライズと男性のベルトがずり落ちそうにはくのと、どのような関係があるのだろう。
 ローライズといえば、04年のテニスの全米オープンだっただろうか、フランスの女性の選手がそのテニスウエアで試合をしていたので、国際的ファッションなのだと理解した。
 そのころにゴルフの宮里がへそを出してプレーをし始めた。ファッションってどのようになっていくか、わたしには見当もつかない。

 ところで先日は、ローライズパンツを子どもがはいているのを見かけた。ファッショの流行が大人との境界がなくてよいのだろうか、と考えてしまった。
 わたしは子どもが上着をズボンに入れないで、はだけて着ることが気になっているぐらいなのである。寒くなったらどうなるのだろうと気をもんでいる。
 もっとも大人は、おなかの露出する部分が冷えないようにするクリームを塗る、とラジオで聞いたことがある。ややこしいな・・・。

*9月2日の新聞に、ユニクロの折り込みチラシが入っていた。ジーンズの写真を見ると、女性だけでなく男性もローライズのようであった。これから普及していくようである。

【追記】06-9-9
 週刊朝日9-22号の「ドン小西のイケてるフェッションチェック」によると、釈由美子が「ベストジーニスト2006」に選ばれて、表彰の際のジーンズ姿の写真を評して「・・・・でも何で肝心のジーンズが、一昔前にはやったローライズなの。しかも今はもっと裾を入れるのがオシャレだろう」とあった。
 ということはローライズのことはわたしが疎いだけで、ファッショ専門家に言わせれば、一昔前の流行とのことだ。わたしのように当事者でなくその分野に関心も知識もない者が、風景観察レベルでものを見ているのを自覚したしだいである。