旧前田家本邸、重要文化財の建造物です。
今回は、和館です。
昭和50年に東京都から目黒区に和館と公園が移管されました。
目黒区立駒場公園として開園。
1 1050

02 1038

03 1039

小冊子から引用です。
和館の建築
洋館と和館の間には和風庭園から続く流れがあり、自然石の大きな石橋を渡って和館へ至ります。和館の門は、唐破風が横につく平唐門の形式で、唐破風頂部に幼剣梅鉢紋の瓦を載せています。
04 1042

一階大広間です。
こちらのと次の写真が大広間の床の間です。
小冊子からの引用です。
付書院、床、違い棚を備えた書院造で、大名家らしくスケールの大きい構えです。
床の間は二間以上ある大床の間で、違い棚は鳥居型です。
05 1048

06 1049

07 1045

小冊子からの引用です。
池泉庭園
池泉庭園は流れを中心とした設えで、灯篭や景石の一部は、本郷邸や根津邸から移設したものと伝わります。催し物等の際に人工的に流れに水を流していました。
08 1178

立派な欄間です。
和室が人気の無い建築物になった為か、団地育ちの人たちが大人になった為か、鴨居も、長押も、欄間も知らない人が多くなりました。
鴨居、長押、欄間、は何て読みどこにあるかご存知ですか。
この写真の中に全てあります。
09 1179

小冊子からの引用です。
襖の引手金具には前田家の家紋、幼剣梅鉢紋が刻まれています。
10 1182

橋本雅邦の杉戸絵です。
記憶違いでなければ、真田邸でもこの杉戸を拝見した記憶があり表(公的空間)と裏(詩的空間)を分ける事をしりました。
今で言うところのスタッフ・オンリーでしょうか。
その杉戸絵です。
こちらの前田邸でも裏と表を分けていたと思われます。
小冊子からの引用です。
橋本雅邦の杉戸絵
畳廊下の杉戸絵は明治を代表する日本画家・橋本雅邦筆の美しい四季図で、本郷邸で使用していたものです。
11 1173

今回は、和館です。
昭和50年に東京都から目黒区に和館と公園が移管されました。
目黒区立駒場公園として開園。
1 1050

02 1038

03 1039

小冊子から引用です。
和館の建築
洋館と和館の間には和風庭園から続く流れがあり、自然石の大きな石橋を渡って和館へ至ります。和館の門は、唐破風が横につく平唐門の形式で、唐破風頂部に幼剣梅鉢紋の瓦を載せています。
04 1042

一階大広間です。
こちらのと次の写真が大広間の床の間です。
小冊子からの引用です。
付書院、床、違い棚を備えた書院造で、大名家らしくスケールの大きい構えです。
床の間は二間以上ある大床の間で、違い棚は鳥居型です。
05 1048

06 1049

07 1045

小冊子からの引用です。
池泉庭園
池泉庭園は流れを中心とした設えで、灯篭や景石の一部は、本郷邸や根津邸から移設したものと伝わります。催し物等の際に人工的に流れに水を流していました。
08 1178

立派な欄間です。
和室が人気の無い建築物になった為か、団地育ちの人たちが大人になった為か、鴨居も、長押も、欄間も知らない人が多くなりました。
鴨居、長押、欄間、は何て読みどこにあるかご存知ですか。
この写真の中に全てあります。
09 1179

小冊子からの引用です。
襖の引手金具には前田家の家紋、幼剣梅鉢紋が刻まれています。
10 1182

橋本雅邦の杉戸絵です。
記憶違いでなければ、真田邸でもこの杉戸を拝見した記憶があり表(公的空間)と裏(詩的空間)を分ける事をしりました。
今で言うところのスタッフ・オンリーでしょうか。
その杉戸絵です。
こちらの前田邸でも裏と表を分けていたと思われます。
小冊子からの引用です。
橋本雅邦の杉戸絵
畳廊下の杉戸絵は明治を代表する日本画家・橋本雅邦筆の美しい四季図で、本郷邸で使用していたものです。
11 1173

ごっちゃにしてましたよ、、
かもいに 洋服掛けをかけたりと思っていたけど
なげしに かける、、ですよね〜
欄間は 装飾が色々あったりして よくわかりますです〜
確かに私も高校生の時まで 鴨居と長押で 鴨居だと思い込んでいました。
鴨居に頭をぶつけるだとか、鴨居にハンガーを掛けるなどと言っていましたので。
今ほど、洋服を掛けるように家の構造が出来ていませんので、長押に良く洋服掛けに吊るして掛けたものでした。今は、生活様式が変わりドンドン本来の文化が廃れていってしまうのが悲しくもあり、時代だとも思う次第です。
公衆電話で電話が掛けられないそうですから、時代が変われば変わるもんですね。
既に自分はシーラカンスかもです。
いつもコメントありがとうございます。