Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

金子三勇士@シャネルネクサスホール8/22

2009-08-23 13:58:11 | ピアニスト 金子三勇士
ここのところ、涼しい日が続いていたのに、昨日はまた残暑が戻ってきて、
蒸し暑い一日となった。
金子三勇士、今年の3月から始まったシャネルにてのリサイタル、
昨日で4回目となる。
会場に向かう途中、電車が止まり、間に合わないのではと慌てた。
降りてから歩行者天国でのんびりムードの銀座の街を駆け抜ける。
着席するとほどなく開始となった。

今回はショパン三昧。

ワルツ第4番ヘ長調『華麗なるワルツ』作品34-3
オープニングに相応しい楽しげな曲。
前回の東京フォーラムでのコンサート「チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番」
とは対照的な小振りで軽やかな曲からシャネルのリサイタルは始まった。
作品の別名は『子犬のワルツ』に対して『子猫のワルツ』と称されるそう。
いたずら猫が鍵盤の上を走ったり、じゃれたりする様子がイメージされる。
転げるように銀座を走ってきた私を迎えてくれるのにもぴったりの曲だった。

夜想曲第2番変ホ長調作品9-2
この曲の持つ切なさや甘さ、柔らかな中にある抑制の利いた力強さ、
絶妙なバランスを保ち三勇士は演奏した。
この曲の持ち味が、彼によく似合っている。

ポロネーズ第4番ハ短調作品40-2
フランスとポーランドの血を受けたショパン、作曲家、演奏家としては、
ほとんどフランスで生活し、39歳で生涯を終えた。
母国に対しての郷愁が込められたこの作品。
ポーランドの民族舞踊を踊る曲と言うより、重厚な旋律。
金子三勇士、バルトーク「ハンガリー農民組曲」、ウィネル「ハンガリー舞曲」、
コダーイなどは十八番だ。
民謡とも言える民族舞踊の独特の節回しは、ハンガリーのDNAを持ち、
かの地で教育を受けた彼の演奏には圧倒的な説得力がある。
ポーランドに息づく濃厚な民族色の強く激しいこの曲は、
金子三勇士だからこそ、弾きこなせる作品。

ここまで、一曲毎に三勇士のMCが入る。
観客に向けての曲の説明があるのは、聴く側にとっては、
もちろん曲の聴き所を捉え醍醐味を味わえて、ありがたいのだが、
彼にとっては、曲に入り込んで演奏し、その間、気持ちはポーランドの宮殿や、
パリのサロン、また民族舞踊を乱舞する村人の世界に飛んでいるのに、
そこから切り替えて観客に説明するのは、
たいへんな集中力を要するのではないだろうか。

前奏曲第7番イ長調作品28-7
この曲は説明なしで、そのまま始まった。
前の曲でのMCで三勇士、「ポロネーズが暗いので、お口直しに、続けて演奏します」と挨拶。
誰もが知っている胃腸薬のコマーシャルソング。そしてイ長調。
ボリュームのある曲を聴かせた後に、胃腸薬のテーマソングとは、金子三勇士、
そうとうな遊び心のある選曲だ。

バラード第1番ト短調作品23
19世紀ロマン派の作曲家、ショパンは同時代の作家ミツキュヴィチの愛の物語に
インスパイヤーされてこの曲を作ったとされる。
三勇士の解説によると、貴族と庶民のその時代では叶わぬ恋、
ロミオとジュリエットのような物語だが、作品全体を貫いているのは、
悲恋というよりも恋する気持ち、とのこと。
この作品は、恋愛のいろいろな面が描かれ、まさに物語性がある。

音楽プロデューサー 坂田康太郎さんの解説に、
「バラードとは一種の物語詩をさし、その起源は中世に生まれた詩形。
ショパンによって初めて器楽曲の名称に」とある。
目から鱗だ。R&Bの世界でよくバラードという言葉は使われる。
語りかけるような曲を得意とする歌手をバラーディアとも呼ぶ。
ジェイムズ・イングラム、ピーボ・ブライソン、ジェフリー・オズボーンなどが、
その代表とされる。
エリック・ベネイはそのようには呼ばれずワーナージャパンは、
「愛と魂の伝道師」というミドルネームを付けた。
バラード、ショパンによりこの言葉が曲を表現する名称になったとは初耳だった。

19才の金子三勇士。
これから多くの恋愛を重ね(?!)そしてこの曲の解釈が、その時々で変るのでは。
10年後、20年後の彼のこの曲の演奏を聴いてみたい。

その後、休憩があり目の前のピアノが目に入る。
何か様子が違う。
一回り大きくシンプルな作りに感じる。

第二部の始まりで三勇士からピアノについての説明があった。
スタンウェイ、今までより大きくタイプBというサイズになった。
そして低音の響き、高音の細かい音がクリアに出るそうだ。

三勇士のブログで「素晴らしいピアノを弾きました」とあるが、
それはこのことだった。

ピアノのことはわからないが、車でも排気量が少ない車で、
思いっきり踏み込むのと、性能の良い大きな車で走行するのでは、
明らかにゆとりが違う。

今までのピアノは装飾が美しく鑑賞には足りる物だったが、
新しいピアノは余裕の中に滑らかな流れるような響きで奏でられる。

もちろん、持ち運びできる楽器でもその日の温度湿度、会場の響き、天上高、
床や壁の素材などいろいろな影響があるとは思うが、
他の楽器奏者とピアニストの決定的な違いは楽器を持ち運びできないことだ。
用意されたピアノを自分の演奏までに調律師とその日の演奏曲と自分に合わせて、
可能な限り整えなければならない。

アーティストを支援しピグマリオンと呼ばれたとされるファウンダー、ココ・シャネル。
ピグマリオン、ギリシャ神話に語源があるそうなので古代ギリシャ語辞典を引いてみる。
ピグマリオンという単語、そのものはみつからなかったが、
「全信頼をおく、預けきる、委ねる、託する、信じる」という言葉があった。
そのスピリットを受け継ぎ、若手のピアニストのために新しいピアノを用意するとは、
シャネルには脈々と創始者の心魂が生き続けている。
そしてまた、金子三勇士の演奏は、このプロジェクトの関係者達に、
今までのピアノでは対応できないスケールを感じさせたのではないのだろうか。

第二部の最初は、
モーツァルト ピアノ・ソナタ第10番ハ長調
多くの人に親しまれたこの曲。
モーツァルトもショパン同様35歳と短命だ。
ショパンと較べると古典派はピアノができて歴史の浅い時代、
弦楽器を対象に作曲がなされていたらしい。
一昨年に訪れたベルギー、ブリュッセルの楽器博物館で見た
古楽器の数々を思い出す。
館内に入るとヘッドホーンをさせられ、展示されている楽器の前に行くと、
その調べが流れてくる。
ハープシコード、チェンバロなどは音色だけではなく
部屋を彩る装飾品として美しいものではあるが、
ピアノのように情緒豊かな表現力には欠けていた。
新たな楽器の選択肢としてピアノが加わったばかりの時代のモーツァルトの作品。
新しいピアノで聴くモーツァルトは音の響きが柔らかく更なる奥行きが広がる。
古典派時代の人々は聴く事のできなかったモーツァルトの世界に
私たちはこの会場で惹き込まれた。

そしてまたショパンに戻る。
スケルツォ第2番変ロ短調
解説によるとスケルツォとはラテン語で「冗談、いたずら、戯れ」
作られるようになった初期は軽快な曲調だったらしい。
が、ショパンはスケルツォをドラマチックな楽曲へと昇華させた。
金子三勇士の感情がほとばしる迫力の演奏。
さきほどのモーツァルトとの対照が著しい。
もちろん、この辺りは選曲にあたっての彼の計算だろう。
繊細さとあえて荒削りに力強く描いた部分、
新しいピアノの響きを楽しむ演奏者の喜びが伝わり、
これは観客達を大きなエネルギーとなって包みこんだ。

アンコールは
ショパン 練習曲第5番変ト長調「黒鍵」作品10-5
スケルツォを弾いた勢いでステージに戻り、そのままこの曲に突入した。

昨日のショパン尽し、通して聴いてみて、今まで、
リスト、バルトーク、ハンガリー色の濃かった金子三勇士のイメージが一新した。
フレデリック・フランソワ・ショパンは、ピアノの特性を捉えた多くの楽曲を残し、
自分の思いのたけをピアノを通して表現し、『ピアノの詩人』と呼ばれる。
ショパンには一般的に知られた曲以外の多面性があることも知った。
フランスとポーランドに生きたショパンと、
ハンガリーと日本、二つの祖国を持つ金子三勇士。
二人には多くの共通点があり、昨日のリサイタルは、金子三勇士を通して
新しいショパンの世界が開かれていった。
金子三勇士、クラシック界の『愛と魂の伝道師』
"The Missioner Of Love&Soul" になりつつある。


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