Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

エリックとマニュエラ、遂に結婚式を挙げる!

2011-08-01 13:22:36 | エリックベネイの日々&KyteVideo
先ほど、Eric BenetとManuela Testoliniは南カリフォルニアで内輪で結婚式を挙げた。
そして今は披露宴の最中。
セレモニーは感動的で結婚の誓いでは出席者達が涙したと聞く。
ManuelaはFacebookに一昨日、このような投稿をしている。
「結婚は一緒に暮らす相手をみつけることではなくて、その人なしでは生きていけない相手とするもの。」
おめでとう、エリックとマニュエラ!

友人、知人から「エリック、結婚しちゃうけど大丈夫?」とか、
「プリンスの元妻だったマニュエラでほんとにいいの?」などと質問をいただく。
なんだか、息子や弟が結婚するような気遣いを皆さん、私に対してして下さる。

2007年の9月に来日した時、エリックは余り体調が良くなかった。
その時、マニュエラはエリックの隣でサイン会の手伝いをしながら盛り上げていた。
エリックのファンクラブTシャツを着ていた私達のことも見付けて、
「日本にもファンクラブメンバーがいるのね!」と嬉しそうに話しかけてきた。
その場所は写真撮影禁止だったが「私が自分のカメラで撮ればいいじゃない。
撮りましょうよ。」と言ってくれて、エリックも「そうだ。そうしよう!ここに来て。」
と自分の左足を指差し、そこに座るように手招きして写真を撮影してくれた。

その後、マニュエラが添付ファイルで写真を送ってくれた。
「東京はどうだった?何をしたの?」とメールすると、
浅草、神宮、原宿、秋葉原などに行って楽しかったことなどを書いてきた。
私がそれにお返事すると彼女はまた返してくる。
しばらくそんなやり取りとした。

気さくで心配りのある女性、彼女とエリックがずっと一緒にいてくれればと思った。
アメリカのファンクラブの会長と二人でそんな会話で盛り上がった。
その女性がマニュエラ、プリンスの元妻だったと知ったのは後になってから。
もう既に彼女の人柄に触れていただけに、全く気にならなかった。

2008年、子供のためのチャリティーの仕事でインドのムンバイを訪れたマニュエラは、
そこでテロに巻き込まれ人質になってしまった。
その時、myspaceを通して苦しい状況をメッセージとして配信した彼女に
「頑張って。必ず帰れるから。あなたのために祈っている。」とコメントすると、
解放された後で丁寧なお礼のメッセージを貰った。

その後も特別機で帰国できるまでにもいろいろとたいへんだったマニュエラ。
エリックはその間、サンフランシスコのYoshi'sでずっとライブが入っていて、
マニュエラのことが心配で堪らないのに仕事を続けていた。
CNNのレポーターが近くにいた女性をみつけて状況を聞いたインタビュー映像がある。
選ばれたわけではなく、たまたまそこにいたマニュエラが答えていた。

2009年2月、グラミー賞にノミネートされていたエリックはマニュエラと二人で、
とても忙しいグラミーウィークを過ごした。
残念ながら受賞は逃した。
その月の来日、マニュエラから「今回、エリックと一緒に日本には行かないわ。」とメールをもらう。
二人の間に何かがあったのだと思った。
その後、エリックとマニュエラはしばらく距離を置くことになる。

"Lost In Time"の中から"Sometimes I Cry"の次のシングル"Never Want To Live Without You"
この曲でエリックはマニュエラにプロポーズしたそうだが、
歌詞の中に「間違っていた僕を許してくれてありがとう。」という一節がある。
「君を通していろいろ世界を観た。」ともあるが、
カナダ人でモロッコやエジプトの血も入り、イタリア系のマニュエラ。
マニュエラと一緒にエリックは娘のインディアも連れて、普段行くことのない国々をここ数年旅している。

結婚したエリックはMrs. Benet Jordan、マニュエラを連れての来日になるだろうか。
日本のファン達で二人を祝福する気持ちを伝えたい。


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