長男と三男は、今、プノンペンにいる。
乗り気でない三男を長男という強力な助っ人と服を買ってあげたりなんだりして、本当はいけないんだけれど嫌なんだけれど、『行かない。』と言いだされても困るので、なだめなだめしつつ~~~~、どうにかこうにか空港行きのマイクロバスに押し込んだ。
あれから三日。はるか異国の地で彼らは何を感じているだろう。
ポルポト政権の爪痕深く、いまだ、貧困から脱出できないでいる国の空気は、日本では想像できない空気だと思う。彼らは、3年前、東日本大震災から半年もたっていない時に、被災地の空気を吸わせた。
確かに吸っているはずだ。きっと、カラダのどこかにず~~~~~んと潜んでいるはずだ。
そして、カンボジアの空気感に今、衝撃を受けているであろう・・・・と期待している。
先日、60歳を過ぎてから大学に行き、最近、卒業したばかりの叔母から電話があった。その時に、彼らが、カンボジアに行っていると言ったら、カンボジアって?って聞いたので、『ほら、あのポルポトという独裁者が、自分より賢い存在を怖れて、教師や医者など知識層を虐殺した国で、20歳以下の人口が7割なんだって。』と言ったら、『ポルポトって誰だっけ?』って聞いてきた。結構博識のある叔母だと思っていたので、みんな、あんまり知らない国なのかなぁって、ちょっと、びっくりした。
人間には、教訓が必要だ。
今、たまたま、戦争をしないという年月が、もうすぐ70年という快挙を成し遂げんとするこの日本という国に住んでいるといことで、逆に、戦争の教訓が薄らいでいるという現実も見え隠れする危うさの中に生きている私たちがいる。
最近、四男に読んであげている本は、シェークスピア。
恥ずかしながら、私も読んだことがなかった。
シエークスピアとかマクベスとかリア王とかベニスの商人という単語は知っているけれど、内容は何にも知らずに50年生きてきた。うっへぇ~。恥ずかしい。四男のおかげで、世界文学の大まかなところを体験できて感謝している。ま、児童書だから本物は、もっと、読みにくいのかもしれないけれど・・・。で、やっぱり、シエークスピアのお話の中心テーマは、人間の野心。
今、マクベスを読んでいるけれど、『マクベスよ。お前もか。』という心境だ。
王を殺して自分が国王になるなんて思ったこともなかった勇将マクベス。なのに、なのに、大きな戦に勝利を得た帰り道に、3人の年とった魔女に出遭ってしまったのが、運のつき。魔女にそそのかされ、王妃になりたいずる賢くしたたかな妻の強力な支えで、いざとなったらめげそうな心を鬼にして、王を殺して国王になったところまではよかったけ。でも、国王になった途端、猜疑心で心がいつも動揺し、ゆったりと落ち着いて存在するという幸福から見放された人生を歩み始めてしまう・・・そして、精神が病んで自死を選ぶというストーリー。
3人の魔女は、多分、実は、マクベスの心の中に潜む野心という本能だったんじゃないかな~。
私たちは、DNAにしっかりちゃっかり野心という遺伝子を受け継いでいる子孫なのだ。場が変われば、心も変わるということを肝に銘じて生きていくしかない宿命なのだとしみじみ思う。
小4の息子に世界文学全集を夜な夜な読み続けてあげるという珍しい体験から得たものは、世界の、そして、時代を超えて共通する文学が訴えたかったことの一つが、『野心という人間の愚かだけれど、それが人間だという姿を映し出して教訓にせよ。』というメッセージ。小4の息子のお勉強にはトホホな毎日だけれど、おかげで貴重な体験をさせていただいた。だって、小学校高学年~中学校レベルの世界文学全集を毎晩、音読し続けるチャンスなんてめったにないもん。
そして、ポルポト。
マクベスは、ナンバー2に上りつめたとたん、野心という魔女にそそのかされるというワンパターンな罠にはまって、王を殺してしまうと、今度は、『誰かが王位をねらっているのでは?』という猜疑心に心が占領され、手当たり次第邪魔者を消していく。でも、消しても消しても猜疑心に心が奪われていく。心穏やかな暮らしから縁遠くなる。何もかもが疑心暗鬼。信じられない。
ポルポトもきっとそうだったのだと思う。
だから、知的階級を抹殺した。あらゆる知恵を総動員して・・・・。子どもたちを洗脳し、密告させ、親を殺させた。実の親を・・・・。(この話は、北朝鮮でもあったと聞いている。)
安心を得るために・・・・。
そう。№1になるよりも安心という感情の方がシアワセなのだ。
でも、人間は愚かで、安心しているとつまらない。つまらないからゲームを始める。で、ゲームの勝者になってしまうと、不安になる。不安になるから安心を勝ち取るために、邪魔者を消す。
戦争と平和・・・。
戦争反対!と叫んでも、野心という魔女のDNAは抹殺されない。
野心という魔女をどうしたらやっつけられるか?その知恵を探す旅。
もう、ほんとうに、男っていう人種は、本能的に戦いが好きなんだから、教訓というお灸をすえないと・・・。
幸いに、日本にはヒロシマとナガサキという貴重な教訓を得る場がある。中学校の修学旅行では必ず訪れる。オキナワも教訓という意味でもきれいな海に癒されるという意味でも素敵な場所だ。
カンボジアも・・・。ただ、日本は奇跡の復興を遂げた。賛否両論あるけれど、日本人の勤勉さと理想論を押し付けてきた腹黒いアメリカのなんだかんだの相乗効果により、奇跡の復興を遂げ、生活水準も上がった。しかし、カンボジアは、チガウ。うちわもめの戦争は悲惨だ。一つの国に敵と味方がいて争うということは、隣人に復讐したい人がわんさか存在するってことだもの。
人間は、安心と野心のアイダを行ったり来たりしてしまいやすい生き物。
安心(平和)が続くと野心がほしくなるし、野心で心の平静さを見ると、安心を得たいがために何でもしちゃう。
今朝のテレビで、放射線廃棄物の最終処分場の選定を巡って、環境省の名水百選にも選ばれている地元住民にとっての宝の森を守るために反対運動をしている住民が、皮肉にもその環境省に訴えているという内容の放送があった。そのコメンテーターとして、自民党の議員と元環境相だった民主党議員も出ていた。自民党議員が、もっともらしく、感情論に流されず(つまり、美味しい水を湧きだしてくれる自然を守りたいという住民の意見に流されず・・ということらしい)科学的根拠に基づいてこの国有林を最終処分場にしているというようなことを述べていらしたが、何を持って科学的根拠と言えるのか・・・・・震災で出た被ばくされた土等を処分することに、いくら科学的根拠という言葉を使われても誰も『はい、そうですか。』と納得できるわけがない・・・・のに。この議員が『科学的根拠』というたびに、『このうそつき!』と思ってしまった。また、『科学的根拠』という時のお顔が、プラスチックみたいに見えて、ちょっときつそうだった。それに比べて、今は野党となってしまった民主党議員の方の醸し出す雰囲気とさわやかな弁舌といったら・・・・。魅力的だった。自民党議員の方の意見をいったん受け入れた上で、国民の気持ちを汲んだ発言をされていて好感度がとってもよかった。
私が何を言いたいか・・・・・。
国民は物言える野党を大事にすることこそが、平和が長続きするには必須であるということを。
この元環境相の民主党議員さんの受け答えの気持ちよさには、この方が誠実であるという匂いを醸し出していたからだと思う。
物言える野党がない国は、危険にさらされる。
ヒットラーの時代もポルポトの時代もそうだった。
独裁政治にならんとする、まさにその時に、自分の利益に目がくらまないで、ぐっとこらえて、物言える野党を積極的に支援できる国民がどれだけいるかが独裁を阻止できるかどうかにかかっていると思う。
金や権力を持った人たちは、利権に走ってしまうもの。それが、人間だから。仕方ない。
福島原発のトップたちの、あの反省のなさを見てごらん。
全国の電力会社の株主総会で、原発をやめるという会社の方針案に、なんとなんと、全ての株主総会が、NO!を選んだんだよ。
安全弁を設置する知恵をどれだけ持てるか・・・・。これが、現実。自分だって、いつ何時愚かな選択をしてしまうやもしれないんだし。
ヒットラーやポルポト予備軍はわんさといる。もちろん、私だって・・・・。
愛咲くらが思う平和運動とは、物言える野党という安全弁の大切さに気づき、応援し、その野党が権力に目がくらまないようにお灸をすえることも必要という意識に目覚めた人の輪を拡げていくこと・・・かな。
そして、四男に小学校高学年向けの世界文学全集を読み続けて感じた世界観、つまり、どんなに忠誠心や理想に溢れた人も№2にのぼりつめた途端、DNAに潜んでいた野心が突然目覚めてしまいやすい・・というお決まりの人間の愚かさを、子どもたちに伝えていくこと。
マクベスだけを読むのでもなく、三国志だけを読むのでもない。
世界の、そして、時代を超えた文学に触れ続けることで、見えてくる世界を感じ取ってほしい。
四男は、相変わらず、お勉強の方に気持ちが傾いてくれないので、トホホな日々を送っている。
でも、国語力のゆっくりな四男のおかげで、私も世界の古の文学(といっても小学校高学年レベルの本だけど)に触れることで、『結局、人間って野心に弱いのね。気をつけなきゃ。』という真理に触れることができたという体験はかけがえのないもののような気がする。四男も、ずっと、聞きつづけているうちに、自分の力でそう気づいたみたいだ。
それが、大事。
自分で気づく。
私は、彼に、人間の叡智は伝えられたのではないか・・・。
国語の時間に、読み書き以外は、先生、ずっと、世界文学の読み聞かせをされたらいいんじゃないかな?そしたら、先生も楽だと思う。授業の準備って大変だもの。
叡智は伝えられたかもしれないけれど、お勉強の方は、さっぱり。
先日も、大バトルだ。
母と子の絆も断絶したか・・・とあきらめかけた。
半端ない夏休みの宿題の量をどうにかさせようとあせる私が、けっして、したくないわけでもないし、漢字も覚えたいという意識もゼロではないけれ
ど、あまりにも量が多すぎて、やる気が失せつつある四男にあえてさせようとギャーギャー言ってしまう私と悪態をついて口答えばかりすると四男との悪循環バトル。終いには、堪忍袋の緒が切れて、添削用の青いペンで宿題プリントに思いっきりぐちゃぐちゃと書きなぐってしまった。
オーマイガッド!
わかっている。
わかっているのだ。
乗り気でない三男を長男という強力な助っ人と服を買ってあげたりなんだりして、本当はいけないんだけれど嫌なんだけれど、『行かない。』と言いだされても困るので、なだめなだめしつつ~~~~、どうにかこうにか空港行きのマイクロバスに押し込んだ。
あれから三日。はるか異国の地で彼らは何を感じているだろう。
ポルポト政権の爪痕深く、いまだ、貧困から脱出できないでいる国の空気は、日本では想像できない空気だと思う。彼らは、3年前、東日本大震災から半年もたっていない時に、被災地の空気を吸わせた。
確かに吸っているはずだ。きっと、カラダのどこかにず~~~~~んと潜んでいるはずだ。
そして、カンボジアの空気感に今、衝撃を受けているであろう・・・・と期待している。
先日、60歳を過ぎてから大学に行き、最近、卒業したばかりの叔母から電話があった。その時に、彼らが、カンボジアに行っていると言ったら、カンボジアって?って聞いたので、『ほら、あのポルポトという独裁者が、自分より賢い存在を怖れて、教師や医者など知識層を虐殺した国で、20歳以下の人口が7割なんだって。』と言ったら、『ポルポトって誰だっけ?』って聞いてきた。結構博識のある叔母だと思っていたので、みんな、あんまり知らない国なのかなぁって、ちょっと、びっくりした。
人間には、教訓が必要だ。
今、たまたま、戦争をしないという年月が、もうすぐ70年という快挙を成し遂げんとするこの日本という国に住んでいるといことで、逆に、戦争の教訓が薄らいでいるという現実も見え隠れする危うさの中に生きている私たちがいる。
最近、四男に読んであげている本は、シェークスピア。
恥ずかしながら、私も読んだことがなかった。
シエークスピアとかマクベスとかリア王とかベニスの商人という単語は知っているけれど、内容は何にも知らずに50年生きてきた。うっへぇ~。恥ずかしい。四男のおかげで、世界文学の大まかなところを体験できて感謝している。ま、児童書だから本物は、もっと、読みにくいのかもしれないけれど・・・。で、やっぱり、シエークスピアのお話の中心テーマは、人間の野心。
今、マクベスを読んでいるけれど、『マクベスよ。お前もか。』という心境だ。
王を殺して自分が国王になるなんて思ったこともなかった勇将マクベス。なのに、なのに、大きな戦に勝利を得た帰り道に、3人の年とった魔女に出遭ってしまったのが、運のつき。魔女にそそのかされ、王妃になりたいずる賢くしたたかな妻の強力な支えで、いざとなったらめげそうな心を鬼にして、王を殺して国王になったところまではよかったけ。でも、国王になった途端、猜疑心で心がいつも動揺し、ゆったりと落ち着いて存在するという幸福から見放された人生を歩み始めてしまう・・・そして、精神が病んで自死を選ぶというストーリー。
3人の魔女は、多分、実は、マクベスの心の中に潜む野心という本能だったんじゃないかな~。
私たちは、DNAにしっかりちゃっかり野心という遺伝子を受け継いでいる子孫なのだ。場が変われば、心も変わるということを肝に銘じて生きていくしかない宿命なのだとしみじみ思う。
小4の息子に世界文学全集を夜な夜な読み続けてあげるという珍しい体験から得たものは、世界の、そして、時代を超えて共通する文学が訴えたかったことの一つが、『野心という人間の愚かだけれど、それが人間だという姿を映し出して教訓にせよ。』というメッセージ。小4の息子のお勉強にはトホホな毎日だけれど、おかげで貴重な体験をさせていただいた。だって、小学校高学年~中学校レベルの世界文学全集を毎晩、音読し続けるチャンスなんてめったにないもん。
そして、ポルポト。
マクベスは、ナンバー2に上りつめたとたん、野心という魔女にそそのかされるというワンパターンな罠にはまって、王を殺してしまうと、今度は、『誰かが王位をねらっているのでは?』という猜疑心に心が占領され、手当たり次第邪魔者を消していく。でも、消しても消しても猜疑心に心が奪われていく。心穏やかな暮らしから縁遠くなる。何もかもが疑心暗鬼。信じられない。
ポルポトもきっとそうだったのだと思う。
だから、知的階級を抹殺した。あらゆる知恵を総動員して・・・・。子どもたちを洗脳し、密告させ、親を殺させた。実の親を・・・・。(この話は、北朝鮮でもあったと聞いている。)
安心を得るために・・・・。
そう。№1になるよりも安心という感情の方がシアワセなのだ。
でも、人間は愚かで、安心しているとつまらない。つまらないからゲームを始める。で、ゲームの勝者になってしまうと、不安になる。不安になるから安心を勝ち取るために、邪魔者を消す。
戦争と平和・・・。
戦争反対!と叫んでも、野心という魔女のDNAは抹殺されない。
野心という魔女をどうしたらやっつけられるか?その知恵を探す旅。
もう、ほんとうに、男っていう人種は、本能的に戦いが好きなんだから、教訓というお灸をすえないと・・・。
幸いに、日本にはヒロシマとナガサキという貴重な教訓を得る場がある。中学校の修学旅行では必ず訪れる。オキナワも教訓という意味でもきれいな海に癒されるという意味でも素敵な場所だ。
カンボジアも・・・。ただ、日本は奇跡の復興を遂げた。賛否両論あるけれど、日本人の勤勉さと理想論を押し付けてきた腹黒いアメリカのなんだかんだの相乗効果により、奇跡の復興を遂げ、生活水準も上がった。しかし、カンボジアは、チガウ。うちわもめの戦争は悲惨だ。一つの国に敵と味方がいて争うということは、隣人に復讐したい人がわんさか存在するってことだもの。
人間は、安心と野心のアイダを行ったり来たりしてしまいやすい生き物。
安心(平和)が続くと野心がほしくなるし、野心で心の平静さを見ると、安心を得たいがために何でもしちゃう。
今朝のテレビで、放射線廃棄物の最終処分場の選定を巡って、環境省の名水百選にも選ばれている地元住民にとっての宝の森を守るために反対運動をしている住民が、皮肉にもその環境省に訴えているという内容の放送があった。そのコメンテーターとして、自民党の議員と元環境相だった民主党議員も出ていた。自民党議員が、もっともらしく、感情論に流されず(つまり、美味しい水を湧きだしてくれる自然を守りたいという住民の意見に流されず・・ということらしい)科学的根拠に基づいてこの国有林を最終処分場にしているというようなことを述べていらしたが、何を持って科学的根拠と言えるのか・・・・・震災で出た被ばくされた土等を処分することに、いくら科学的根拠という言葉を使われても誰も『はい、そうですか。』と納得できるわけがない・・・・のに。この議員が『科学的根拠』というたびに、『このうそつき!』と思ってしまった。また、『科学的根拠』という時のお顔が、プラスチックみたいに見えて、ちょっときつそうだった。それに比べて、今は野党となってしまった民主党議員の方の醸し出す雰囲気とさわやかな弁舌といったら・・・・。魅力的だった。自民党議員の方の意見をいったん受け入れた上で、国民の気持ちを汲んだ発言をされていて好感度がとってもよかった。
私が何を言いたいか・・・・・。
国民は物言える野党を大事にすることこそが、平和が長続きするには必須であるということを。
この元環境相の民主党議員さんの受け答えの気持ちよさには、この方が誠実であるという匂いを醸し出していたからだと思う。
物言える野党がない国は、危険にさらされる。
ヒットラーの時代もポルポトの時代もそうだった。
独裁政治にならんとする、まさにその時に、自分の利益に目がくらまないで、ぐっとこらえて、物言える野党を積極的に支援できる国民がどれだけいるかが独裁を阻止できるかどうかにかかっていると思う。
金や権力を持った人たちは、利権に走ってしまうもの。それが、人間だから。仕方ない。
福島原発のトップたちの、あの反省のなさを見てごらん。
全国の電力会社の株主総会で、原発をやめるという会社の方針案に、なんとなんと、全ての株主総会が、NO!を選んだんだよ。
安全弁を設置する知恵をどれだけ持てるか・・・・。これが、現実。自分だって、いつ何時愚かな選択をしてしまうやもしれないんだし。
ヒットラーやポルポト予備軍はわんさといる。もちろん、私だって・・・・。
愛咲くらが思う平和運動とは、物言える野党という安全弁の大切さに気づき、応援し、その野党が権力に目がくらまないようにお灸をすえることも必要という意識に目覚めた人の輪を拡げていくこと・・・かな。
そして、四男に小学校高学年向けの世界文学全集を読み続けて感じた世界観、つまり、どんなに忠誠心や理想に溢れた人も№2にのぼりつめた途端、DNAに潜んでいた野心が突然目覚めてしまいやすい・・というお決まりの人間の愚かさを、子どもたちに伝えていくこと。
マクベスだけを読むのでもなく、三国志だけを読むのでもない。
世界の、そして、時代を超えた文学に触れ続けることで、見えてくる世界を感じ取ってほしい。
四男は、相変わらず、お勉強の方に気持ちが傾いてくれないので、トホホな日々を送っている。
でも、国語力のゆっくりな四男のおかげで、私も世界の古の文学(といっても小学校高学年レベルの本だけど)に触れることで、『結局、人間って野心に弱いのね。気をつけなきゃ。』という真理に触れることができたという体験はかけがえのないもののような気がする。四男も、ずっと、聞きつづけているうちに、自分の力でそう気づいたみたいだ。
それが、大事。
自分で気づく。
私は、彼に、人間の叡智は伝えられたのではないか・・・。
国語の時間に、読み書き以外は、先生、ずっと、世界文学の読み聞かせをされたらいいんじゃないかな?そしたら、先生も楽だと思う。授業の準備って大変だもの。
叡智は伝えられたかもしれないけれど、お勉強の方は、さっぱり。
先日も、大バトルだ。
母と子の絆も断絶したか・・・とあきらめかけた。
半端ない夏休みの宿題の量をどうにかさせようとあせる私が、けっして、したくないわけでもないし、漢字も覚えたいという意識もゼロではないけれ
ど、あまりにも量が多すぎて、やる気が失せつつある四男にあえてさせようとギャーギャー言ってしまう私と悪態をついて口答えばかりすると四男との悪循環バトル。終いには、堪忍袋の緒が切れて、添削用の青いペンで宿題プリントに思いっきりぐちゃぐちゃと書きなぐってしまった。
オーマイガッド!
わかっている。
わかっているのだ。