世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●印象論的な政党の変化 豊かさが価値を変え 政党も変わった(前篇)

2015年12月14日 | 日記
トウ小平 (講談社現代新書)
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●印象論的な政党の変化 豊かさが価値を変え 政党も変わった(前篇)

初めに申し上げておくが、今夜の話はザックリとした印象論なので、事実関係に、一定の齟齬があることも、あり得ると但し書きをつけておく。前・中・後篇の三つのコラム構成とする。

明治以降の政党にまで言及すると、只の政党の歴史ものになりコラムではなくなる。戦後、1955年に出来上がった、所謂「戦後55年体制」(与党:自民党、野党:社会党)の話、1993年~1994年までの38,9年続いた体制は終了するのだが、これも結局、政治の歴史を語ることになるので、今を感じる意味では、面白くもない。ただ、1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までの約19年間続いた、わが国の「高度経済成長期」と重なっている点だけは、押さえておきたい。

ここから先の、日本の政治史は、好き嫌いは別にして、ある一人の政治家を中心に、紆余曲折が、日本の政界に旋風を巻き起こし、2009年の民主党政権獲得まで、続く。考えてみれば、最低でも37年間、永田町の中心人物と生きてきた“この一人の政治家”は、只者ではないだろう。その名は、小沢一郎だ。同氏に煮え湯を飲まされた政治家は後を絶たなかったし、記者クラブ連中との仲も疎遠で、メディアにも、多くの反小沢がメインストリームを歩んでいた。2009年、自ら率いる民主党が政権獲得確実と云う寸前に、東京地検特捜部の唐突に、西松献金問題で公設第一秘書が逮捕と云う事件が起き、小沢一郎は、内閣総理大臣の椅子を目の前で失った。

その後、同氏が、政界における神通力を徐々に失うことになったわけだが、アメリカが同盟国である日本の政界に、最もあからさまに介入した出来事であることは、前後の経緯から事実だと言い切っても良いだろう。まあ、このような事態は、アメリカが日本を国益として利用しようと思っている間は、想定できる出来事だったので、同氏が対アメリカ対策と云う布石を蔑ろにした点が悔やまれる。まあ、真っ向勝負をモットーにしていただけに、外務官僚と寝技で根回しする積りもなければ、財務官僚と財政問題での擦り合わせも不足だったのだろう。

以上のような経緯があって、わが国の政界構図も、かなり変わってきた。ご承知のように、自民党と公明党が連立を組んで、与党を形成している。この組み合わせは違和感だらけで、日本会議のような跳ねっ返り右翼のような団体と、平和をシンボルにしている宗教政党が連立を組んでいるのだから、政権を持つ与党が、どのような為政を行うか、必ずしも、与党政治家の意志で行われてはいないと云う証明でさえある。

まず、自民党と云う政党について、考えてみよう。一時は農村政党であったが、高度経済成長期において、農業に従事していた人々を「集団就職」を通じて、都市周辺の工場等々に掻き集め、重厚長大製造業の労働力に変えていった。その頃から、日本の稲作農業には収益率において、重大な欠点があったわけだが、米価を財政で上積みすることで、就農を極端に減らさない政策を採り、農業人口の票田を維持すると同時に、都市型票田の確率が急がれた。つまり、農業国としての「既存権益層」と都市周辺に、農業人口の票田移動した、製造業従事者を票田化しようと試みた。

しかし、この試みは、失敗に終わり、勤労者の多くは、労働組合員となり、自民党に対峙する政党の支持者になってゆく。この現象で、頭角を現したのが「社会党」だ。社会党は、その後「社民党」や「民主党」に分散されてゆく。ただ、ここで注意しておかなければならないのは、その「集団就職労働者」の受け皿であった「重厚長大製造業」及びその下請け製造業の経営者との関係を重要視した。ここでも(企業)、自民党は「既存権益層」の票田の一部を死守した。ここには、明確な「労使対立」があったので、自民党は、直接の票田にはならないが、政治活動などに必要な資金源として、「重厚長大製造業」及びその下請け製造業の経営者との関係を密にしてゆく。

ここまでのポイントとして、留意すべきは、その当時から「既存権益層」には、霞が関官僚組織があったことを忘れてはならない。つまり、行政の担い手と共通の利益を持つことが多い政党であったことだ。理屈上は、霞が関官僚組織は立法府(国会・政治家)が作った法律等を粛々と行政に反映させる為に働く公僕なのだが、現実は、大いに違っていることだ。立法府が作る法律の原案を作ることが多く、その過程における知恵袋にもなっている。おそらく、ここが日本の政治の、最も厄介なメカニズムなのだろう。霞が関官僚は東大、京大などに在籍、昔で言えば「高文」現在だと「国家公務員I種試験」(国家公務員総合職試験)と呼ばれるものに合格した、一般人に比べれば比較的IQの高い連中が、霞が関の官僚組織に入る。

そういう人間が、既にガチガチに出来上がった中央官僚組織の中に入るのだから、厄介だ。彼らは、多くの場合専門的知識を有しているわけだから、その分野のエキスパートになることは理の当然である。しかも、彼らには永遠に近い身分保障が与えられているので、役人から墓場までは、絵に描いたように分るわけである。官僚組織は生きものではないので、死ぬ心配も滅多に起きない組織なので、生死をさまようような事もまず起きない。ゆえに、彼らのエキスパート能力は、ある一定の力学に沿って、研ぎ澄まされる。ここで云う一定の力学とは、守備範囲の拡充である。これを怠ると、出来ない奴と言われることが多いようだ。嘗て民主党の野田佳彦が「シロアリ」と評した、シロアリの巣を拡張することが優秀な官僚として扱われる。

野田佳彦などは、好例中の好例だが、選挙に弱くて、どうにもならなかった政治家が、「シロアリ」に魂を売った途端に、左団扇でトップ当選してしまう事実が、すべてを証明している。財務省を通じた野田佳彦応援組織が急遽作られたわけではなく、既に、その地域に網の目のように張り巡らされている官僚組織と利益損得を共有する経済界や医学界や他の専門分野の組織体などが、全力で野田を応援する結果として、トップ当選党云う芸当が出来るのだろう。つまり、官僚組織の力に逆らうには、余程の根性と、財力と組織力が必要になるわけで、並大抵の政治家では太刀打ちできない。万が一、そのようなメカニズムもなく野田佳彦が当選したのであれば、「ムサシ」を疑う羽目になる(笑)。
前篇終わり

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