世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●「戒厳令の夜」チリは銅で追いつめられ ロシアは天然ガスで…

2014年11月11日 | 日記
ジャパン・クライシス:ハイパーインフレがこの国を滅ぼす (単行本)
クリエーター情報なし
筑摩書房


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●「戒厳令の夜」チリは銅で追いつめられ ロシアは天然ガスで…

 「中国煮」って食べ物があるんだと思った、産経新聞の電子版トピックス。その食い物はあるわけがない(笑)、ただの変換間違いだけどで、チョッとからかってみたかっただけ。ヒキガエルがたっぷり煮こまれた冬向きの鍋かと思った次第、揚げ足を取るのは良くない事です(笑)。

≪【APEC首脳会議】オバマ米大統領が北京到着 習主席と会談へ 南シナ海、香港など懸案多いが… 中国煮譲歩の意思なし≫(産経新聞)

 それはさておき、APECにおける国際外交舞台はなかなか興味深い。アメリカは、国民から拒否されつつあるレームダック、オバマ大統領が代表なのだから、息が上がらないのは当然だろう。主催国として、本当に厭だが、安倍晋三と握手した習近平は、演技過剰な不快さづくりに終始したが、国内事情が垣間見えるわけで、興味深い画面だった。

 ところで、最近ブックオフで五木寛之の『戒厳令の夜 上・下』を216円で入手、初版が1976年だがスポニチ連載小説なので、書きはじめたのは‘74年あたりだろう。この『戒厳令の夜』を読んでいて、この当時から、アメリカの他国への干渉は性癖のようだった、と今さらのように感心する。このフィクション小説でも描かれている構図は、まさに現在に投影しており、デジャブの連続なのだと云うことが判った。以下は、『戒厳令の夜』の一部抜粋だが、ウクライナ騒乱やロシアへの制裁、原油価格暴落等々の陰謀は、アメリカのDNAなのだなと云うことがよく理解できる。

  チリ共和国文化省美術委員会副委員長の肩書をもつバルデス夫人は、お世辞抜きに40歳代にしか見えない魅力的な婦人だった。だが個人的なものでない巨大な重圧が、彼女の優しい首筋を万力のように緊めつけているのだ。
  その背後にいるのはアメリカだ。
  いやアメリカの政治を支配する多国籍巨大企業の計り知れない力というべきかもかもしれない。 だが、それだけではない。アメリカ帝国主義とチリ人民連合政権の対立、という古典的図式を描くだけなら事は簡単だ。……。
〈スペイン内戦の時とおなじだな〉
 江間は思わず立ちどまった。彼の頭の中でイベリア半島と南米大陸が一瞬かさなった。
 なぜ他の社会主義大国は、巨大資本やCIAの対チリ工作を牽制しないのか?婦人の語ったところでは、チリ社会主義共和国はいま最大の危機をむかえようとしているというのに、ソ連は?そして中国はどうしている? …………。

  「…ロペスの絵と一緒に、国外へ脱出したらどうかと思うがのう。もちろん冴子さんも同行すればよか」
  「イザベルのコレクションを非合法なやり方で国外へ持ち出すんですか」
  「そうたい。もともと非合法に入国したもんじゃ。要するにチリ政府の手もとに戻れば、それでよかろう。実は、わしも最近知ったんじゃが、あのコレクションが日本で発見されたことが公表されると、チリ政府が困るらしいのう」 …………。
  「政治というやつは奇怪なものだ。国際政治ともなれば、なおさらたい。江間君、冴子さん、よく聞いておいてくれよ。いいか、政治は力で動く。これは怖ろしい真実じゃ。国際政治も力で動く。理想さえもじゃ。それから目をそらす人間は臆病者ばい」
  「しかし……」と江間が言いかけるのを、老人は厳しい口調でさえぎった。
  「しかし、じゃなか。江間君、きみはいま、アジェンデ大統領のひきいるチリ人民連合政権が、どんな苦しい立場に追い込まれてるか、知っとろうが。いいかの。アメリカは中南米に社会主義国家が誕生することを、何よりもおそれておる。チリは選挙によって平和裡に社会主義国家に移行した最初の国じゃ。“アジェンデ大統領の実験”と世界の注目を集めとるのも、そのためたい。そしてチリ人民連合政権は、アメリカがチリに保有する会社、工場を片っぱしから大胆に国有化をすすめておる。坑内掘りでは世界一のエルテニエンテ銅山もそうじゃ。ITT、すなわちアメリカの国際電電会社所有のチリ電信電話社もそうじゃ。銀行、農場、流通、みんなそうじゃ。これが成功すれば、中南米の諸国家群は続々と左翼政権に変わりかねない。アメリカはそれがこわかとたい。それで、ありとあらゆる手をつこうて、キッシンジャーやCIAがチリ社会主義の破壊工作に血道をあげとるわけじゃな」
  「ええ。アメリカが金融、経済、軍事、文化、あらゆる面で左翼チリをつぶしにかかっていることは、ぼくも知っています。だからこそ……」
  「いいかの。金の話をしよう。アジェンデが左翼人民連合政府を樹立した二年前、前の政府から引きついだ外貨準備金は、五億ドルじゃった。そして、現在、約五千万ドルと言われておる。アメリカはチリの経済の柱である銅の国際価格を落とすために、軍事用銅の放出までやったのじゃ。結果的には、いまチリの人民連合政府は、非常な危機にさしかかっておるといってよかろう。チリはいま、人口当たりでは世界最高といわれる借金国じゃ。対外債務元利合計四十二億ドルちかい金を、これから返してゆかねばならん。そこでチリは、ソ連、中国など、アメリカ圏でない国からも金を借りて急場をしのごうとしておる。いま、中国にアジェンデ大統領の妹さんが行っておるのを知っとるかの」 …………。
 ≫(五木寛之『戒厳令の夜』(新潮社文庫)より一部抜粋)

 この抜粋部分を読んだだけで、原油や天然ガスの国際価格が異様な暴落状態を思い出されれば、貴方は立派な交際政治をお判りの方と言えるでしょう。ロシアが現在、ウクライナを間に挟んでアメリカと新冷戦状態に入りつつ状況を思い浮かべられれば、国際派である。ただ、現在のロシアは当時のチリのように脆弱な国力の国ではないことを念頭に入れておくべきだろう。少ないとも、一時はアメリカと対峙する勢力圏を形成した国である。世界の債権国ランキングでも、常に10位前後に顔を出すロシアであることも、状況はかなり違うのだが、アメリカのやることは、60年来、何ひとつ変わらないのは、謀略が身に沁みついた国なのだろう。

 まあ、そのアメリカも、国民の国家から、グローバル企業群に主権を移行させたようだから、国家であって、実は強欲なマネーに支配された、国家の皮を被った、無機質なドルという奇妙なバケモノに乗っ取られた国と云うことだろう。民主党がなろうが、共和党がなろうが、どっちに転んでも「マネー党」なわけで、中間選挙も大統領選挙も、ハロウィーン、クリスマス、イースター、そしてハリウッド映画と同じくエンタテインメント化したのだろう。せめて、我が国は、人間達で国を形成しておきたいものである。だいぶ、企業群に政治家も追い込まれつつあるわけだが、マネーに抗える器量のある政治家を国会に送りたいものである。無理を承知で書いているので、少々疲れる(笑)。


 ◆ 参考史実:チリにおける社会主義「人民行動戦線」時代に起きたアメリカの他国への関与。
*サルバドール・アジェンデ(チリ29代大統領)
 医師から政界へ
 1908年にチリの港町バルパライソにバスク系の子孫として生まれる。チリ国立大学の医学部を卒業した後、チリ社会党結成に参加したアジェンデは、1938年に急進党を中心とする人民戦線政府に保健大臣として入閣、その後社会党と共産党の連合である「人民行動戦線」から1958年と1964年の大統領選に出馬した。 1958年の大統領選では28.8%の得票を得たが、ホルヘ・アレッサンドリ(独立右派)とわずか3万票、得票率で3ポイント足らずの差で当選を逃した。
 冷戦下、資本主義陣営の盟主を自認するアメリカ合衆国はこれを脅威と見なし、CIAを通して対立候補に密かに援助を行ったという。
 1964年の選挙では、アジェンデは得票を39.9%まで伸ばしたものの、対立候補であり、チリを「進歩のための同盟」による開発計画のモデル国家とすることを目指していたエドゥアルド・フレイ・モンタルバが右派の国民党と中道のキリスト教民主党の一致した支援を受けたため、大差での敗北となった。

大統領就任
 CIAやチリ国内の反共主義勢力による執拗なプロパガンダにも拘らず、アジェンデは労働者の男性を中心に支持を広げていた。続く大統領選挙は1970年であったが、アジェンデ政権の成立を憂慮した各勢力は、最悪の場合軍事クーデターも辞さない構えで、反共派の多いチリ軍部と接触した。
 しかし、チリ陸軍司令官のレネ・シュナイダー(1913-1970)は憲法に則った解決を主張した。 1970年の大統領選挙に、アジェンデは従来の人民行動戦線から参加政党が拡大した人民連合の統一候補として出馬し、得票率が対立候補を僅差で上回った。
 憲法に則り、最終決定は議会で行なわれることになった。CIAと反共勢力はシュナイダーの排除を目論んで、CIAは軍部の反シュナイダー勢力に武器などを譲渡、シュナイダーは10月22日に暗殺された。
 しかし、この暗殺は完全に裏目に出た。これに反発した各党はアジェンデを支持、チリ史上初の自由選挙による社会党政権が成立した。企業や鉱山の国営化を進め、キューバやソ連などの共産主義国との友好を促進した。同時期に隣国ペルーで「ペルー革命」を推進していたフアン・ベラスコ・アルバラード政権との友好関係も確立され、アジェンデはベラスコを同志として賞賛した 。
  「共産主義国は暴力革命によってしか生まれない」と認識し、また共産主義の不当性の宣伝材料としてきたホワイトハウスにとって、選挙によって選ばれたアジェンデ政権は自説の正当性を揺るがしかねない存在であった。
 リチャード・ヘルムズCIA 長官は、「おそらく10に1つのチャンスしかないが、チリを救わなければならない!……リスクはどうでもいい……1000万ドル使え、必要ならばもっと使える……経済を苦しめさせろ……」と指示し、どんな手を使ってもアジェンデ政権を打倒する姿勢を見せた。
 合衆国などの西側諸国は経済封鎖を発動、もともと反共的である富裕層(彼らの多くは会社・店などを経営している)は自主的にストライキを開始した。
 さらに1972年9月にCIAは物流の要であるトラック協会に多額の資金を援助しストライキをさせたほか、政府関係者を買収してスパイに仕立て上げた。 加えて、アジェンデ政権の経済的失政も苦境に拍車を掛けた。当初アジェンデ政権のペドロ・ブスコビッチ経済相の経済政策は政府支出の拡大、国民の所得引上げによって有効需要を生み出すことにあり、そのための手段としての賃金上昇政策と農地改革が採用された。農地改革は驚異的なペースで進み、フレイ政権が6年間で収用したのと同等の農地面積が就任してから1年で収用された。
 さらに、それまでチリの銅産業を支配しており、チリの税制から、チリにとって極めて不利な資本流出を起こしていたアメリカ合衆国系のアナコンダ・カッパー・マイニング・カンパニーとケネコット・カッパー・カンパニーなどの外資系の鉱山会社が国有化され、コデルコに統合され、チリの銅山は「ポンチョを着て、拍車をつけ」チリの下に戻った。
 コデルコはその後のピノチェト時代にも新自由主義政策にもかかわらず、民営化を逃れチリの巨大な歳入源として存続した。しかし、チリ経済の実力に見合わない支出拡大により外貨準備は1971年末に3000ドルにまで減少するなど急速に底を着き、加えて合衆国による銅価格の操作や援助の削減、国際金融機関によるチリへの貸付停止措置はチリ経済に深刻な影響を与えた。このような状況が複合的に進行した結果、民間投資は激減し、更なる資本流出が進む悪循環が生じた。
 こうした混乱により、1971年末から野党は連合して人民連合政府を批判するようになり、さらに1972年6月には人民連合内部での路線対立が尖鋭化した。アジェンデはキリスト教民主党との妥協工作を図り、社会主義的な経済政策を追求するブスコビッチ経済相を更迭し、経済回復を重視する方針を打ち出 した。
しかし、経済の衰退に歯止めはかからず、チリ国内では悪性のインフレが進行し、物資が困窮し、社会は混乱した。同年9月にトラック業界のストライキ が始まったが、このストは10月に入ると全国的な規模に拡大し、一ヶ月以上続くことになった。
 この「資本家スト」に対抗し、内戦の危機に備えてアジェンデ は軍から立憲派の陸軍司令官カルロス・プラッツ将軍を入閣させ、11月にストを終わらせた。 しかし、経済の衰退に歯止めがかからないことには変わらず、極右と極左の衝突、混乱は激しさを増すことになった。 ≫(Wikipedia抜粋引用)

国家の暴走 安倍政権の世論操作術 (角川oneテーマ21)
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