世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●祖父母両親の資産食い尽くすまで生存可能 50年の生存説

2014年09月01日 | 日記
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●祖父母両親の資産食い尽くすまで生存可能 50年の生存説

 非正規雇用の57%が、生活費の大半を同居家族に頼りきっている、と云う調査結果が出たが、特に驚く数値だとも思わない。地方で残っている大家族制度や都会にある核家族制度においても、このパターンは想定の範囲のことだ。非正規の20代、30代の人々が時代に翻弄されているのは事実だが、どのような時代であっても、時代に翻弄されることはある。正規雇用者で自活出来ないのが29%なのに、非正規は57%だと云う非自活者がいるのも、時代である。

 ただ、時代と云う言葉が押しなべて同じ条件であれば、上記の調査結果は社会的に大きな問題だ。しかし、時代背景と云うもの、常に変わっているわけだから、その瞬間の数値で、気の毒であるとか、横着であるとかの区別はつけにくい。今現在の時代背景を眺めてみると、戦後50年くらいから、家余り現象が現れていた。それから20年近くが経過して、気がついてみると、全国平均の空家率は13.5%になっており、東京でも11%の空家率を見せている。山梨などは22%なのだから、この事と、非正規雇用における自活力と云うもの、一定の範囲で、関連性を持っていると、筆者などは考えている。

 戦前のことは良く判らないが、戦後の日本人勤労者の最大の買物は、マイホームであった。この重大イベントがあったから、戦後の、特に高度成長時代以降、日本人の結婚して家族を持った人々の、一生一大の買物は「マイホーム」だったのだ。年収の5倍から10倍のマイホームを購入するのだから、その為に捨ててしまった多くのものは、一人ひとりにとって、個人的に需要なものだったに違いない。ところが、80代、90代世代が、艱難辛苦で手にしたマイホームがあるにも関わらず、60代、70代の息子娘世代は、核家族化と云う時代の流れや時代が求める住みやすいホームを、高度経済成長の中で購入してきたと云う、ざっくりとした時代背景がある。

 この高度成長経済期に、生活習慣も激変しただろうし、先進文化も行き渡るに至り、少子化と云う社会現象も拍車をかけた。このような社会現象の連鎖は、将来的に、ホームを欲する家族が減り、ホームに住めない(死亡する)家族がふえるのだから、当たり前の社会現象が起きただけだ。筆者の周辺だけの話で恐縮だが、ジジババの家、息子夫婦の家があり、孫世代においては、一人っ子同士が結婚し、マイホーム取得となると、3軒の家を所有することになる。単純化したが、このような現象はあまりにも無駄が多過ぎて、自然に、生活者の中でも在庫調整の機運が生まれる。

 このような事態を目の前に迎えたら、筆者などは、「マイホーム購入」などと云う人生最大のイベントへの参加を放棄する。その瞬間、日々の糊口を凌ぐだけで事足りると云う、強い意志ではないが、潜在的な意志は持つに違いない。なにせ、人生最大の買い物からの解法は、戦後の日本人の財布の呪縛を一気に取り払ったのである。この意識の変化は、社会現象において、想像以上の威力を発揮したのだろう。政策的に非正規雇用制度の充実も拍車を掛けただろうが、時代の現象として、それでも若い世代は生きていけると云う時代の容認が存在したのだと思われる。

 その上、都市交通網の際限なき発展は、自動車保有と云うマイホーム購入に次ぐ、経済出費も免除傾向にある。親世代が買い求めた白物家電で家は溢れ、滅多に壊れないのだから、それを買う必要もない。その上、有難いことに、ジジババ世代、親世代は貯蓄観念が旺盛で、あれだけのものを買い揃えた上に、現預金まで持っているのだから、若い人々の心の中から、生活におけるプレッシャーは、限りなく軽減されて行くのは、当然の成り行きだ。このような時代背景において、政策が非正規雇用で、世界的競争力を推進しようとなったのも、理には適っている。

 官僚たちは、この時代背景を味方につけ、遣らずぼったくりを企んでいるわけなので、中々抵抗力が大衆的レベルの沸点を迎えることがない。非正規雇用やフリーター、ニートに至るまで、大雑把な見方だが、衰退傾向のある現状の家族制度において、養いうる状況にある現実がある。そこには、歴然たる血の繋がりもあるし、家族愛も、それなりにあるだろう。以上のような、社会的背景が、若い人々に、夜叉の如く働く気力を失わせているだろうし、逆に、その気力を失うことが、「悪」だと云う認識に至るとすれば、それこそ奇妙で、二重三重にモノを買い揃える理不尽さは不要である。

 つまり、時代背景と政府の政策が相乗的に、現在の非正規雇用を醸成しているのだ。IT化の急速な発展や、インフラの充実は、悪く言えば、人から意欲を失わせていくわけで、良く言えば、物欲が減少することであり、どちらが良いのか、判断は迷うところだ。マイホーム、マイカー、各種家電を買わなくて済む生活。ある意味で、人間らしく生きられる時代背景を迎えた若者世代でもある。その環境を生かすも殺すも、若者世代の価値観で変わるわけで、これだけは、政治家が口角泡を飛ばしても、パフォーマンスでしかないのは自明だ。

 今までの世代は、好むと好まざるにかかわらず、目標値が設定された人生があり、それを達成する目標もあった。つまり、否応なく羅針盤があった。しかし、多くの場合、この羅針盤、時にはトラウマのようなものが、消えてしまっただけに、若い世代には、羅針盤がない。そのことが、良いのか悪いのか、それはそれぞれだろう。自分の意志で目標を定め、邁進して成功したものは巨万の利を手出来る時代が到来している。所謂、「1%対99%」が、一層鮮明になる時代に向かっている。

 どちらを選択するも、それはその人の価値観次第だ。ただ、確実に言えることは、現在の政府は、このジジババ両親の資産を食い物にして、金儲けを企んだり、召し上げる税金や保険料を増やそうと躍起になっているだけに、意外に上の2世代の資産が激減していく可能性が強いことも、念頭に入れておいた方がイイ。気がついた時、想像以上に遺産が残っていない。意味不明の古屋だけが残され、手に負えない事態になることも、しっかり視野に入れておくことをアドバイスしておこう。おそらく、ジジババ両親の資産は、50年後には抹消されると人生設計を立てておいた方が良いようだ。

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