世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

稲作と日本人 日本人の帰属意識の原点、そして、その崩壊はどこに向かうのか

2013年04月18日 | 日記
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●稲作と日本人 日本人の帰属意識の原点、そして、その崩壊はどこに向かうのか

 稲作と日本文化の話をしようとすると、速攻で右翼様が持ち出す「新嘗祭」の話が持ち出され、天照大神(アマテラスオオミカミ)と直結するので(笑)、個人的には触れたくない部分もあるが、国家の伝統や文化と云うものは、多かれ少なかれ、そのような逸話が存在するわけで、特に神経質になる必要もないのだろう。

 先日のコラムで書いたように、
≪日本文化における、日本の農林水産業は、縄文弥生時代から江戸に至るまで、金儲けの為のツールではなかった。食物を得ると云う、極めて原始的行為だが、狩猟民族のように、その都度狩猟するのではなく、待つこと、守ることから食を得ると云う、まどろっこしいが、人の営みといえる文化が、そこにあった。2000年以上の日本の農耕文化を、たかだか100年にも満たない商業文化の生贄にして良い筈はない。もうこれは理屈より心情の問題だ。えっ!合理的説明がつかない心情論でTPPを語られては困る?その通り、何回かに分けて、政府や官僚が屁理屈をつけるのと同じ論法で、筆者も理屈は当然述べる。ただ、ファースト インスピレーションとして、日本の農林水産業が不効率だとか、もっと儲かるとかの次元に貶めて語ることは、本質的に重大な過ちである。≫と語った。

 稲作を中心とする日本の農耕文化は、E・O・ライシャワーの言を待たずに、その稲作農作業を通じて、共同体自治が否応なく醸成された。共同体自治と云う洒落た言葉には違和感があるなら、よく否定的に使われる「村社会」が日本中を覆っていた。多分、この「村社会」に馴染むことで、日本人は没個性と云う建前論で生きてきたのだろう。この日本人の習性は、農耕だけに限らず、軍隊においても、その能力を発揮し、実力以上の成果を齎した面もある。ただ、調子に乗り過ぎた指導者の混乱で、戦ってはいけない相手と戦った経験も有している。

 敗戦後も、その「村社会」の習慣は消えず、その集団的帰属意識が、異様とも思える「企業戦士」を生みだし、偶発的歴史の恩恵にも恵まれたが、奇跡的な国家の復興を勝ち得たのである。しかし、その歴史の流れには、農林水産民族から商業工業民族に変貌する、つまりDNAを突然変異させるような仕掛けが組み込まれているとは、誰ひとり気づいてはいなかった。農耕時代の帰属意識は、経済成長期における企業では、社員の福利厚生に力を注ぎ、そのロイヤリティーの醸成に貢献した。しかし、先進諸国の経済成長が構造的に限界が来た時点で、市場原理を核にするグローバル経済で糊口を凌ぐ時代に突入し、徐々に崩壊に向かっている。

 そうなると、企業の側も、労働者の側も、自国の「村社会」と云う枠組みでは生きていけなくなるので、自助・共助を目指すことになって行く。このような流れは、現代において、企業文化を通して、日本人の「村社会」への帰属意識を劇的に変化させていった。特に、やおよろずの神信仰にみられるように、確信的信仰やイデオロギーを持たない民族にとって、「村社会」を粘着させていた稲作文化や企業文化を失ったことにより、粘着力を失ったバラバラの民族風景を生みだしているようだ。このような、一見まとまっているように見える、魂の抜けた民族集団は、外から観察すると、どのような処分方法も可能な民族に見えているはずだ。

 特に、民族を粘着させるような触媒を失った民族は、彼らの目の前にある唯一の価値感は、見えるもの触れるものと云う物質に向かうのである。つまり、価値観の殆どを、金銭に置き換えて考える習慣が身につくのである。こう云う人間が一番、詐欺師にとってのカモである。詐欺師にとって、欲に目がくらむというか、物事を金銭で計ろうとする性癖ほど扱いやすいものはない。すべての判断や選択を、損得勘定に置き換えて推し量るのだから、詐欺師からみれば、望みが明確なのだから、騙すのは、楽チン過ぎる人々と云うことになる。否、楽チン過ぎる国家だと云う事だろう。

 日本をはじめ、世界の先進国では戦争が起きたわけでもないのに、少子化が進んでいる。にも関わらず、世界人口は凄まじい勢いで増加している。2011年末に世界人口は70億人を超えた。2050年には93億人に達すると予想されている。おそらく、この93億人のうち60億人くらいは、貧困層と呼ばれる人々になるだろう。このような事実を目の前にして、「Gゼロ」と言われかねない時代が到来しているのだから、食糧問題はトテツモナク重大な問題である。現時点で日本では考えられない危機が、必ず押し寄せてくるのは確実だ。

 本来であれば、いま議論すべきは米国の覇権主義が終わり、多極化、最終的に無極化の時代が、手の届きそうなところまで来ている事実なのだと思う。最終的には、地球上の全員が参加するような枠組みで食糧の分配を考えるか、乃至は殺し合いをしなければならなくなるのは、怖ろしいことだが明白だ。まぁそこまで考えないとしても、地球の温暖化と乾燥期がもたらす気象現象は、地球規模で穀物の凶作現象を起こす可能性は大いにある。この時、食糧同盟のような機能が有効に作用する可能性は低いのだと思う。

 自国の国民が飢えている状況で、他国に輸出をしてくれる同盟国家が存在すると云うのは幻想に過ぎない。可能な限り、食料の安全保障は自国で賄い切る覚悟が必要だ。仮に余るのであれば、民族の誇りとして、他国に輸出する事も是である。しかし、TPPへの参加により、この自国による食の安全保障的な発想が根底から覆る可能性がある。食の安全保障も考えなければならない。モンサントの種と農薬に冒された土壌は、二度と元には戻らない。放射能のお守と同様のことが言えるのだ。

 全員参加型秩序の世界秩序が何時できるかも判らない。それを信じて、或いは同盟国を信じて、食料を恵んでくれるだろう(輸出)、は甘すぎる。食料の安全保障と共同体自治の概念は、面白いほど重なり合う。中央集権からの脱却、地方主権の時代と云う概念も持ち出されるが、維新の会やみんなの党のように、市場原理と国家の市場開放と地域主権が、両立すると云う荒唐無稽な党綱領には、気がふれるほど笑ってしまう。彼らこそ、共同体自治を破壊しようとしている人種はいない。21世紀の時代観を見誤っているのだ。にも関わらず、道州制だ、大阪都だと、意味不明な地域主権をほざいている。今夜は、コメ作りの自然循環などへの貢献度など話せなかったので、明日に回すことにする。


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