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野田民主政権、小沢の狙い通りの展開 “砂上の楼閣”に迫る“さざ波”の威力
以下は読売新聞の輿石幹事長の悲鳴の紹介記事だが、そもそも野田佳彦は右翼系保守、自民党野田派になっても、おそらく痛痒はないのだから、或る意味で狙い通りなのだろう。毎日新聞の「私説・論説室から」が、野田は自民党総裁選に打って出たら如何だろう?と云う解説があったが、実質自民党総裁になったようなものだ。先ずは読売の記事を読んで頂こう。
≪ 参院民主3氏が離党届、輿石氏「政権崩壊する」
社会保障・税一体改革関連法案の参院特別委員会での審議入りを目前にした17日、野田政権の足元が再び揺らいだ。 民主党参院議員の谷岡郁子氏(愛知県選出)ら3人が17日、原子力発電所の再稼働などに反発し、輿石幹事長に離党届を提出した。これとは別に衆院議員1人も離党する意向を示した。離党の理由は、消費増税への反発以外にも広がっており、「小沢新党」発足を契機とした政権基盤の「液状化」に歯止めがかからない状況だ。 離党届を提出したのは、谷岡氏のほか、行田邦子(埼玉県選出)、舟山康江(山形県選出)両参院議員。3氏はいずれも2007年の参院選で初当選し、13年夏に改選となる。民主党は離党届を受理する方針。離党が認められると、参院で最大の民主党会派は88人に減る見通しで、第2会派の自民党(86人)との差が2議席に縮まる。
自民党内では、一体改革関連法案の参院審議に関し衆院の早期解散を条件として求めるなど、これまで以上に厳しい姿勢で臨むべきだとの声が強まっている。
3氏は17日、先に国民新党を離党した亀井亜紀子参院議員(無所属)とともに国会内で記者会見し、4人で参院で新会派「みどりの風」を結成する考えを明らかにした。行田氏は「民主党が、譲ってはいけない政策理念を変えてしまった」と語った。
新会派は4人の共同代表制とし、「原発ゼロ社会の実現」「反TPP(環太平洋経済連携協定)」のほか、「消費増税を柱とする社会保障・税一体改革 関連法案に反対」を重点政策に掲げることも表明した。離党届が受理されると、3氏は無所属となる。
3氏の離党について、民主党の輿石幹事長は17日の記者会見で、「(民主党が)がけっぷちに立っているという危機的状況を共有しなければ、大変なことになる。国民の信を問う前に、政権が崩壊する」と述べ、強い危機感を表明した。≫(読売新聞)
上記民主党参議院議員3名と無所属の亀井亜紀子の4名で、新会派を立ち上げたわけだが、早晩もう一人加わり、5人による“新党立ち上げ”になるのだろう。小沢の「国民の生活が第一」とは合流しないと云う事だが、「オリーブの木」の一枝であることは間違いがない。筆者の推測だが、亀井静香の手引きがあったのではないだろうか。参議院の第一会派の地位もまもなく崩壊と云う事だ。輿石幹事長にしてみると、勇退の花道・参議院議長の夢は、菅直人と野田佳彦によって、はかなく摘み取られる事になりそうだ。
「国民の生活が第一」が衆議院選比例区で使う党名の略称を“ひと言”「生活」と中央選管に届け出た。これで“国民”と書かれた場合の、クーデター政党(国民新党)が既に「国民」を届けているので、比例票を横取りされるリスクは一応解決した。しかし、“国民”書きそうな有権者が結構存在する不安は残っている。まぁ小沢一郎の09年マニュフェストへの拘りを象徴する「国民の生活が第一」という言葉も、政党名として、多少の違和感がないではないが、執拗に国民の生活第一を追求する政治理念に拘る気持は充分納得出来る。
それにしても、東京地検特捜部の犯罪的小沢捜査にはじまり、マスメディアの小沢一郎に対するネガティブな印象操作は、衰えを知らない。丁度、シロアリを駆除しても駆除しても、何処からともなくウジ虫のように湧きあがる。この日本中の既得権益集団の、“反小沢運動”は“反原発運動”に勝るとも劣らない。反原発、脱原発の国民的ウネリは本物だ。ただ現時点で、彼らは“権力”握っていない。ただ、今までにはなかった“国民の生命財産”にスポットを当てた日本人の行動には、今までの日本における「空気感」と異なるものになっている。社会倫理の哲学が起動したような出来事は、我が国では初めてのことかもしれない。大袈裟に言いあらわすと「日本の春」の蠢動とも受け取れる。
それに対して、“反小沢の群れ”は権力を握っている。16日の代々木公園に集結した「さようなら原発10万人集会」は10万から13万人の国民が集まり、デモ行進を行った。代々木公園から西新宿に向かうデモ行進(デモ隊という表現は不適切かもしれない)に遭遇したのだが、その後、仕事を片づけ2時間ほどして帰路に就いたのだが、まだ行進は途切れていなかった。正直、猛烈な国民の集会・行進を実感。週末金曜日に行われる官邸前「再稼働反対集会」も、最近では常に1万人を優に超え2万人に達している。まだまだ拡大の一途だが、警視庁の規制如何では、予断を許さない政権にとって忌々しい問題に浮上してきている。
このような原発を中心とする反対乃至は脱原発を目指す動きには、マスメディアの原発に対する姿勢の不一致が相乗的効果を齎している点も、見逃してはいけない。正直、朝日も毎日も脱原発論調だから、と云う一種の安心感も手伝って「空気」を作り上げている部分も重要な視点だ。つまり、反原発・脱原発への平和集会、平和行進を権力側が、短絡的に暴力的排除が出来ない状況を作り上げている。残念だが、このような部分に視点を当てると、マスメディアの実力を侮ることは、未だ禁物だと云う気持ちになってゆく。
原発問題に関しては、マスメディア論調が真っ二つ割れている健全さが、功を奏するかたちなのだが、こと消費増税とTPPに関してはあいも変わらず“金太郎アメ”論調に徹するマスメディアだ。反原発運動がマスメディアの社会部マターである点がポイントなのだろう。消費税とTPPは政治部マター、此処が日本の諸悪の根源、21世紀日本の病巣なのだな、と感覚的に読みとれる。しかし、各メディアの世論調査を、筆者自身、捏造だ!謀略だ!洗脳だ!と怒ってはいるが、実際問題、選挙における世論調査等々が意外にも当たっている事実に目を塞いでいるわけではない。ただ、そのような選挙結果に導く日々の印象操作の影響が大きく、世論調査自体にも反映していると冷静に分析することも重要だ。
なにせ、マスメディアの政治部のデスクらは、小沢一郎に関する出来事、発言の類は、異様なバイアスの虜になっているわけで、「国民の生活が第一」が国民的ウネリを醸成する為には、それ相当の政策ビジョンと、具体的ロードマップを明確に“小沢の口から”馬鹿にでも理解可能な手法で示さなければ、ウネリは生まれにくいと思われる。原発放射能と異なり、マスメディア政治部の反小沢論調は永遠に変わらない。此処は肝に銘じた方が賢明。それを覆す、パワーが今後「国民の生活が第一」に課せられた重要課題だ。小沢の話は、判っている人々への話としては十二分だが、洗脳的に小沢を嫌っている国民には、単なる標語の類にしか聞こえてこない。
此処は、非常に重要だ。選挙では洗脳された愚民は相手にしない、と云う訳にはいかない。刷り込みと印象操作で“洗脳された有権者”を一人でも多く、霞が関とマスメディアの“嘘の世界”から救いだす責務もあるだろう。全国を小沢が一人で説明して歩く時間的余裕はないだろう。「国民の生活が第一」の所属議員が中心に国民に説明し訴える必要があるわけだが、正直、先ずは党の具体的政策の明確化と、具体的且つ懇切丁寧な、小沢一郎らしからぬ、政策具現化が可能だと云う、それこそマニュアルを、国民に示すと同時に、議員らにトコトン理解させる必要性を痛感する。正論ではあっても、反小沢、嫌小沢に染まる国民を掘り起こす努力は欠かせない。是非、その辺に力を入れて貰いたいものだ。
以下、エコノミストの記事は、アメリカの友人が知らせてくれたのだが、超意訳すると、「世界を取巻く、めまぐるしく変化する21世紀の現代政治の変化に理解を示し、唯一その変化を操作出来そうな政治家は小沢一郎ではないのだろうか。問題は、この政治力も理解力もある政治家が、国民から嫌われていると云う点だ。国民の前に、出てくる機会が少なく、顰蹙を買っているのかもしれない。」友人は、英国人に言われたくないが、幾分当たっているのだろうか?とつけ加えていた。英語に達者な方は、原文を記載したので、存分に読んでいただきたい。
The Economistに“Japan’s Ichiro Ozawa A shadow of a shogun The powers of the most influential politician of the past 25 years are fading“と云う記事が掲載されている。
≪ AFTER leading an unsuccessful ruling-party rebellion against a big tax increase on June 26th, Ichiro Ozawa appeared to pump his fist and mouth an emphatic “Yes!” It was curiously triumphant from a politician who has so often snatched personal victory out of adversity. Some saw it as a bluff by a man whose unparalleled influence over politics since the cold war appears to be ending.
Mr Ozawa mustered 57 votes from among the ruling Democratic Party of Japan (DPJ) against the cross-party efforts of the prime minister, Yoshihiko Noda, to double the consumption tax. That was not enough to derail the bill, which passed by 363 votes to 96. But it was worse than Mr Noda had feared. He is under pressure to punish the Ozawa rebels, but the speculation is also that they may bolt first, robbing the DPJ of its lower-house majority and precipitating a general election. Back then, the issues were political reform in a fast-moving world. Mr Ozawa was the epitome of the modern ideas-man, who understood that the world had changed with the end of the cold war, and that a cringing Japan should change with it. Stung by Japan’s vacillations over whether to send people or money to Kuwait in the 1990-91 Gulf war (it went for the chequebook), he championed more decisive leadership through the creation of single-seat electoral districts. He aimed to bring Westminster-style politics to Japan, with opposing parties competing for power rather than factions slugging it out within the eternal LDP.
Though decisiveness still eludes Japanese politics, without that reform the DPJ might never have succeeded in driving the LDP so firmly from power in 2009. Mr Ozawa, however, has never stopped behaving like a faction boss. So often has he made and broken political parties that he is nicknamed “the Destroyer”. Others call him a shadow shogun, for his back-room dealing. Yet, in the words of one pundit, the 70-year-old is increasingly “more shadow than shogun”. Since 2009 he has vainly fought two battles to lead the DPJ, a sore loser who snipes at the prime minister but who no longer dares leave the party.
Mr Ozawa loudly complains that the DPJ has broken its 2009 election promises, especially one not to touch the consumption tax. However true, his criticism has become monotonous, and some voters at least credit Mr Noda for fiscal responsibility. Mr Ozawa also claims to be the victim of a plot by prosecutors to indict him on alleged violations of a political-funding law, over which he was recently acquitted. Many of his supporters are quick to smell a conspiracy, and in this and other matters they show Mr Ozawa the devotion due to a cult leader. His allure is less apparent to ordinary Japanese. Many wonder how a man from Iwate, one of the poorest prefectures, became so rich.
As a politician, those close to him say he is warm and tactile, like an old party boss. He has been a brilliant strategist. But he is no man of the people. When the tsunami battered Iwate last year, he stayed for most of the time in Tokyo, reportedly drinking sake with his political friends and plotting the downfall of the prime minister of the day.
“This is a man with amazing political longevity,” says Koichi Nakano, a political scientist at Sophia University in Tokyo. During his long political career he has helped shift the political establishment so forcefully to the right that he now appears on the left.
Mr Nakano is unwilling to write off Mr Ozawa’s political career completely. He still commands the loyalty of about a quarter of the DPJ’s 289 lower-house MPs, which gives him plenty of nuisance value. Without more widespread popular support, however, a general election could be the end of him. An opinion poll published on June 27th by Kyodo, a news agency, said 80% of respondents were unenthused by Mr Ozawa’s threat to establish a new party. Some 60% questioned his tax revolt. However unpopular the consumption tax may be, people like Mr Ozawa even less. ≫(The Economist:Asia)
まぁエコノミストから複雑ながら、評価されている点は、悪い事ではない。ただ、筆者同様、情報発信の方法論等々、もう一工夫、ふた工夫は必要なのかもしれない。党首の記者会見を嫌でも2週間に一回くらい開くべきではないのだろうか?勿論、抽象論から具体論にブレークダウンが先決だが、子供じみているかもしれないが、フリップ付きで解説する必要までありそうな気がする。正論を正論ならしめるための努力は、是非嫌でも行って欲しいものだ。「変わらずに生き残る為には、変わらなければならない」の言葉を実践して貰いたい。必ず、支持は拡大する。それだけの中身があるのだから、広める努力は惜しまずに実践して貰いたい。小沢の役割が「オリーブの木」の枠組み作りだけでは駄目だ。先頭に立って、国民を引き込んで貰いたい。
冒頭の読売の記事の関連だが、野田民主党では今後続々と、このような“さざ波”のような現象が起きてくるだろう。エコノミストの記者の目が霞んでいると云うよりも、重大な評価の部分を除けば、日本の国民が相当の範囲で抱いている小沢への顰蹙が存在するのは事実だろう。その顰蹙が、誤った情報に誘導されやものだとしても、そういう認識が国民の多くに共有されている認識は如何ともし難い。一枚一枚剥いでゆくか、まとめてドンと認識を変えさせるか、微妙な情勢だ。今回の新会派発足のように、小沢と同じことを標榜しても、小沢の党に属さない勢力が生まれることが予想される。
党は別だが、最終的に「オリーブの木」になるのかもしれないが、当面、一歩距離を置いた、同一理念の少数政治勢力が生まれることが予想される。それを糾合するのが、小沢一郎の「オリーブの木」の構築なのだろうが、消費増税の不必要さや脱原発のロードマップ、TPPへの対応、沖縄米軍基地問題と、おそらく抽象論的色彩が強いと折角の「オリーブの木」構想も拡がりを欠くだろう。議員連中は、最終的には「これなら選挙に勝てる!」と云う実感が欲しいのである。俗物になれとは言い難いのだが、俗物政治家の心理も抱え込む度量を示して欲しい。筆者の予感に過ぎないが、解散が近づくにつれ、この“さざ波”は大きなウネリになると確信する。何だか今夜は、小沢一郎への嘆願コラムになってしまった。では皆さま、オヤスミナサイ!
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