世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

「金をバラ撒く装置」官僚機構 誰がこの伏魔殿の群れを解体できるのか?(1)

2011年05月08日 | 日記

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「金をバラ撒く装置」官僚機構 誰がこの伏魔殿の群れを解体できるのか?(1)


日本の民主主義が幻想であることは常々判っていることだ。此処2~30年の国内で起きた様々な動きを、ぼんやりと眺めているだけでも、何だか変だよな~と云う思いがあった。それが何故なのか、今ひとつ確信的な結論に達することはなかったのだが、もう完璧にハッキリとしてきた。

国民の敵が、既得権益集団・「米・官・業・政・電」利権複合体である、と植草氏が看破し、「悪徳ペンタゴン」と云う造語を披露している。たしかに、基本的に、歴史的に、その通りで間違いはないのだろう。しかし、現在及び今後を考える時、悪徳だと云う集団「米・官・業・政・電」のすべてを押し並べて敵とするのが得策かどうか、筆者は幾分疑問を持っている。

歴史的経緯から、米国が宗主国的思い上がりと云う記憶のなせるままに行動しているだけであり、特に緊密に日本の政治や行政にコミットしているわけではない。そんなことはないだろう、すべて米国の思い通りになっているではないか!と云う怒りは理解できる。筆者も悪の権化米国と批難し続けていた。しかし、それは個別の事象に対してのコラムとして書いていた場合の立脚点である。

思い起こせば、田中角栄のロッキード事件が米国と東京地検特捜部とマスメディアによって、創作された捏造事件であることは、ほぼ明白である。しかし、冷静に田中角栄の政治的貢献とロッキード事件を別の事象として考えてみると、米国が必ずしも日本の政治すべてに関与出来ているとは言い難いのである。

田中角栄は内閣総理大臣の地位において、米国の影響を受けずにコンピュータ付きブルドーザーの異名を授かり、日本列島改造論や日中国交正常化等々見事な歴史を刻んだのである。米国の邪魔はあっただろうが、その横やりを払いのけて、彼が考える政治理念はなし遂げたのである。不十分であったろうが、田中は党人政治家でありながら、官僚政治家並の官僚操縦に長けていて、実施した政策の是非は別にして、米国からの圧力に大きく影響された形跡はない。

ロッキード事件は田中が辞職後も目白御殿であまりにも権力を振っている姿に一矢報おうと、立花隆ら週刊誌雑誌記者が連日のようにバッシングし、世論を盛り上げた。その結果、検察が動くことになるのだが、立花らの裏に米国が介在されたと云う証拠は見つかっていない(怪しさは漂っている)。まぁ、コーチャン等と云うイカサマ男を免責の上で、贈収賄の証人にして田中角栄を起訴したのだから、米国がどうのこうのよりも、東京地検特捜部の堀田力らが、助平根性で立件起訴しただけのことだろう。まるで小沢一郎陸山会起訴と同様の構図である。

しかし、間違わないでもらいたい。田中角栄は米国の影響は気にはしていたが、結局思い通りの政治を行ったのである。バッシングに遭い、起訴されたのは辞任後のことである。ここが重要なポイントだ。例え力のある米国であっても、日本の内閣総理大臣の政策に現役中に口を出すのは、意外に出来ないことである。総理がやる気になれば、米国の介在は軽微で済むのである。辞任後に何らかの妨害を受ける可能性は残されるが、政治の理念実行まで、米国は茶々は入れるが、直接的に乃至は強制的に、邪魔はしない、出来ないと云うことだ。

ただし、官僚操縦に長けていないと、官僚の徹底的抵抗とサボタージュを受け、現役中から政治生命を絶たれることもある。鳩山もそうだし、自民党のそれ以前の総理にも同じことが言える。官僚機構がその時々の政策決定シーンにおいて、その法案乃至は政策に関連する各省庁の権益において行動する阿吽の呼吸で、自然発生的に行動する原理が、いまや完璧に定理の如く出来あがっていると云うことである。

この各省権益死守の行動原理を証明しようと思えば、誰でも、どの省庁に対しても時系列で政治事象ごとに証明することは可能だろう。最近でいえば、ウィキリークスによる公電暴露で、政権交代後の民主党鳩山首相の普天間移設問題への取り組みを、ことごとく邪魔をしていたのが、外務省と防衛省の本省課長から事務次官までが束になって行動していた事実が白日に晒された。彼等が何と言い訳しようと、ウィキリークス暴露公電は事実だ。

ただ面白いことは、彼等の行動が省権益死守の行動原理だけで動いていた原則に、官僚個々の自己保身が垣間見えることである。つまり、省庁の権益が主体ではなくても行動してしまう動きまでもが加わっていると云うことだ。簡単に言えば、出世欲である。現在の霞が関官僚機構は「権益死守の行動原理」プラス「官僚個人の出世欲」が複合的に内在する「伏魔殿」になっているとと云う事実を我々は重視しなければならないようである。

戦後の日本において、この一糸乱れぬ官僚機構の機能は「国益」と云う大義に向かって機能していたものと思われる。その行動に国民は一定の好感を持っていた節がある。たしかに、日本最高峰の頭脳集団を組織したのだから、それなりの貢献が出来るのは当然であった。また、敗戦国と云う負い目を背負い、なんとかして一等国になると云う矜持もあったに違いない。 幸か不幸か、我が国は戦後の焼け野原から、朝鮮特需や東西冷戦の構造的地勢の僥倖に恵まれ、一糸乱れぬ垂直統合システム(官僚を軸とする中央集権システム)が絶大的に機能し、見せかけであるが驚異的な復興を成し遂げた。

しかし、そこからがいけない。右肩上がりの経済が停滞したのだ。垂直統合システムの肝は「金をバラ撒く装置」なのだから、そのバラ撒く金が停滞することは、偉そうに車を運転しようとしてもガソリンがないようなものである。
(2)に続く


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